青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

虹が見えた日

2010年08月12日 22時56分07秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 ある駅前ロータリーにて。
 最近の関東地方は雨がちで、今日も昼から降ったり止んだりでしたが…、



 夕方になると、断続的に陽射しが漏れてきて、
 気持ちよい空模様が見られたと思ったら、
 なんと!!



 
 

 そういうことだったんです。

 

まっしぐらさんの違和感…

2010年08月12日 12時43分34秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。


 ちょっと愚痴ってよいですか!?!?

 どうも私は勘違いをされやすい人間のようです。
 不必要に衝突を起こしたり人を傷つけるのは労力の無駄だし、
 好印象を持たれるに越したことはないので、
 長年苦しんできて、ソフトでフレンドリーな態度でいるのが一番だ、という結論が出ているので、
 それを実践しているからです。
 つまり、同じ性格や内面でも、見せ方ひとつでお互いグッと楽になるので、
 それを考えているだけのことです。
 誰だって挨拶はぶっきらぼうにされるより、笑顔のほうがよいに決まっていますが、
 何に関してもそれは言えるんですよね。


 …でも、それが先入観になり、相手の中で勝手に想像が膨らんで、
 性格を決め付けられてしまうとなると別。
 「優しい人で温厚な姿しか想像できない」
 「器が大きくて、自分には真似できない」
 「誠実で、手抜きはしなさそう」
 こんな印象を持たれるのはよいにしても、
 私もパフォーマンスでやっているのではないし、
 相手の決め付けを満たすために生きているのではありません

 なんか自分にとってたまたま都合のよい一面だけ切り取ってそれを絶えず要求する、
 こんなのは身勝手ではないでしょうか。
 誰だって人によく思われたいのは間違いありませんが、
 それだけのために生きているのではないということも、
 誰だって一緒なのではないでしょうか。


 人間、いろんな側面を持っているものです。
 嫌な人の長所を見ていくのはわりとよく言われていて、それを心掛けている方も多いものですが、
 その反対はと言うと、なかなか気付かないものです。

 相手の性格を決め付けず、
 本当はこんな言い方もおかしいのですが、その妄想が破れても、
 度量をもって相手を許すこと。
 長所を見ることと求めることは、全く違うことなのです

苦しい時の神頼み。

2010年08月12日 12時13分39秒 | 青裸々日記。
元町通りにて(神奈川県横浜市西区)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 試練や挫折、落ち込み。

 こんなものに見舞われると、心が弱ってしまいます。
 そして、弱っても回復し、元気になれるうちはよいのですが、
 立ち直る猶予を与えられずずっと弱ってしまうと、
 心はバランスを崩し、誰かに寄り掛かったり、すがりつくものが欲しくなったりします。
 精神的に安定しているということは、私達が考えている以上に大切です。
 足場が不安定だと歩けないように、心も不安定だとコミュニケーションの手段も上手に繰り出せなくなってしまうのです。
 また、物の見方が歪んで、全てに対して抱かなくてもよいようなネガティブな考えをしやすくなってしまいます。
 例えばこんな心境で一生を過ごすとなれば、それは生き地獄以外の何物でもないのではないでしょうか。


 さて。

 話を戻して、そうならないためにすがりつくものを探すものですが、
 「苦しい時の神頼み」という心理、誰しも心当たりがあると思います。
 もちろん、「こんなのは神様に失礼じゃないか!」という戒めとも取れることわざですが、
 私は他にも意味があると思うのです。


 ☆ ☆ ☆

 「神様、仏様、〇〇様」と言って、
 困難に陥るほど、最後の心の居場所を求めるものです。
 しかし、その困難が過ぎ去ってしまうと、
 「喉元過ぎれば熱さも忘れる」と言われるように、
 ケロッとしていることも多いものです。
 だから普段から神様に…と、話の流れで言ってしまいそうですが、
 私はもう一歩だけ踏み込んだお話をしたいのです。


 困難に見舞われると、誰もがもがき苦しみ、そして「光」を目指します。
 「幸せになりたい」
 「まともな生活をしたい」
 「いつも一緒にいたい」
 苦しいことがあると、その苦しさに比例するかのように、
 こんなことを切実に、真剣に望むわけですが、その志を忘れてしまうのは勿体ないことだと、私は思うのです。
 苦境を脱出し、あれほど望んでいた気持ちを忘れてしまうようなことがあれば、
 せっかく手に入れたものを粗末にし、また同じ轍を踏んでしまうことだってありえるのです。
 つまり、逆境の経験を無駄にすることになってしまいかねないのです。


 苦しい時の神頼み。

 普段から見守ってくれている、助けてくれているのは、
 神様はもちろん、周りの人や自分の持ち物、そして想像もしていないようなものまで、
 実は無数にあるのです。

 高い志がある人ほど謙虚で人格者な所以は、
 このあたりにあるのかもしれません。

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