
寅さんの碑(東京都葛飾区)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
ゴムをギザギザに加工すると、接着面はギザギザになります。
ゴムの上にハート型の錘(おもり)を載せておくと、
ゴムの接着面はいつしかハート型になっているハズです。
こんなの当たり前じゃないか、と思われるかもしれませんが、
それでは、ゴムに当たるものが目に見えるものでなかったら、
その物について理解や認識をすることは出来るでしょうか!?
ピンと来た方もいらっしゃるでしょうか。
実は、私達人間もまた、形が変わるゴムのようなものなのです。
私達は無意識に、周囲の環境に適応して生きているものです。
生きているその瞬間×瞬間が、過不足なくそのまま実例になります。
仕事をしている時は誰もがその職務を果たすように、
礼儀作法や立場相応の態度を貫き、120%まで能力を絞り出すように努力をするわけです。
兄弟姉妹がいる人は、それが上手くいくように「かわす」方法を身につけているものです。
暑い場所に住む人は、無意識に暑いという前提が出来上がっているので、
自然と行動や習慣、習性がそれらしくなってきます。
さて。
「好きになった人には必ず恋人がいる」という昔からたびたび語られる法則も、
これと全く同じではないかと思うのです。
人によるかもしれませんが、恋人がいる人の中には、
人間関係において「対異性」の場合、踏み込みすぎたスタンスになってしまうことがあります。
相手に喜んでしまおうと、異性がうれしく思うツボようなをたくさん突こうとするあまり、
その気のない人や異性や恋愛に慣れていない人のツボまで突いてしまうのです。
その結果として、「好きになった異性」にさせられてしまう確率が上がってしまう、
あるいは人間関係が面倒くさくなる要因が出来てしまう、
こんなことが言えるのではないでしょうか。
念のため誤解のないようにお話ししておきますが、
異性が喜ぶようなツボを突くこと自体は、元は純粋に人を幸せにしようとする気持ちから出るわけで、
そこにはなんの罪もありません。
むしろ、相手が喜ぶように考えられるということは、間違いなく大きな魅力です。
だからこそ、思うのです。
人を好きになるのは自由です。
また、誰を喜ばせようと、その行為自体はなんら責めを負うべきものではありません。
しかし、どちらの側であっても、大切な相手の背後を考えればこそ、
相手の人間関係をよく知るまでは相手の懐に踏み込まない、
あるいは下手なアプローチは一切しないということが、
人間関係を複雑にしないポイントになるのではないでしょうか。
こういう自己責任論は一見とても残酷ですが、
その残酷さを受け入れた時こそが恋愛から残酷な要素を取り除くきっかけになるのだと、私は思うのです。