宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

407 昭和2年の賢治の上京(#7)

2012年10月24日 | 『賢治昭和二年の上京』
2 証言等による検証(Ⅰ)
 ではここでは、仮説
 宮澤賢治は昭和2年11月から昭和3年1月までの約3ヶ月間滞京してチェロを勉強したが、病気になって花巻に戻った。………♣
に関連しそうな証言が語られているものなどの幾つかを項目毎に以下にまずリストアップしてみる(一部は既に触れているものもあるが)。
☆1 「沢里武治氏聞書」
☆2 大津三郎の「三日でセロを覺えようとした人」
☆3 座談会「宮澤賢治先生を語る會」
☆4 柳原昌悦の証言
☆5 『宮澤賢治日記(昭和2年版)』
☆6 レコード交換会
☆7 盛岡気象台の記録
もちろんこれら以外にも関連する証言等はあるが、長くなるのでまずはこの7つによって検証してゆきたい。
 なお、実際には検証というよりはそれらの証言が仮説〝♣〟の反例となることはないか、ということを調べることの方が多くなると思う。そして、そのうちの一つでも反例が現れるとこの仮説〝♣〟は成り立たなくなるからそこですごすごと撤退するということになる、ちょっとスリリングな旅に出掛けることになる。

 では、以下に順に各項目毎に検討してゆきたい。
☆1 「沢里武治氏聞書」
 この中には次のような内容がある。
……昭和二年十一月ころだったと思います。当時先生は農学校の教職をしりぞき、根子村で農民の指導に全力を尽くし、ご自身としてもあらゆる学問の道に非常に精励されておられました。その十一月びしょびしょみぞれの降る寒い日でした
 「沢里君、セロを持って上京してくる、今度はおれもしんけんだ、少なくとも三か月は滞在する、とにかくおれはやる、君もヴァイオリンを勉強していてくれ」そう言ってセロを持ち単身上京なさいました。そのとき花巻駅でお見送りしたのは私一人でした。駅の構内で寒い腰掛けの上に先生と二人並び、しばらく汽車を待っておりましたが、先生は「風邪をひくといけないからもう帰ってくれ、おれはもう一人でいいのだ」とせっかくそう申されたましたが、こんな寒い日、先生をここで見捨てて帰るということは私としてはどうしてもしのびなかった。また先生と音楽についてさまざま話しあうことは私としてはたいへん楽しいことでありました。滞京中の先生はそれはそれは私たちの想像以上の勉強をなさいました。最初のうちはほとんど弓をはじくこと、一本の糸をはじくとき二本の糸にかからぬよう、指は直角にもってゆく練習、そういうことにだけ日々を過ごされたということであります。そして先生は三か月の間のそういうはげしい、はげしい勉強で、とうとう病気になられ帰郷なさいました。…(略)…
……花巻の精養軒へ西洋料理の食べ方を教えようといってしばしば連れてゆかれ、そのたびごとにご散財をかけたものであります。先生はなんでも食物をおいしがって食べられ、お食事の様を見ていると、こっちまでおいしくいただいてしまうよな食べ方をなさるお方でした。羅須地人協会へは幾十回となくおたずねしましたが、ご飯をちょうだいしたことも三度、五度とあります。いつもいたって簡単な食事で、畠からトマトをもぎとり、それを切って塩をふりかけたものなどが、おかずであります。そんなとき先生は、「これでも食品科学の先生だからな」などと冗談を言われ私に対してすまないというような口調で申されるのでした。そのころの先生は食事万端、たしかに最低のご生活だったのであります。
<『賢治聞書』(関登久也著、角川選書)215p~より>
 この澤里の証言は仮説〝♣〟が妥当であることを保証する証言となるが、もともとこの仮説はこの証言を元にして立てた仮説だから当然のことである。それよりはここでは、この証言のポイントを確認し、その中で今後留意しておくべき項目を確認したい。
 そしてそれは以下のとおりかなと思う。
 賢治はセロを持って単身上京したことがあり、このことに関して
(1) その上京は昭和2年11月頃だった。
(2) 「今度はおれもしんけんだ」とその際賢治は言った。
(3) 賢治は「少なくとも三か月は滞在する」とも言った。
(4) その際見送ったのは澤里ただ一人だった。
(5) その日はびしょびしょみぞれの降る寒い日だった。
(6) 賢治はこの3ヶ月間のはげしい勉強で、とうとう病気になって帰郷した。
などである。また、澤里自身のことに関しては
(7) 澤里は羅須地人協会へは幾十回となく訪ねた。
もちろん、上記(2)と(7)以外については仮説〝♣〟を裏付けるものである。したがって、今後留意しておくべき事項は(2)と(7)だけである。そしてこの(2)については、以前にセロを一度習ったことがあると言うことを示唆しているような気がする。それほど「しんけん」にとまでは言えなかったものだが。

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