77回目の終戦記念日。おもえば長く来たものだ。
もうポロポロと過去の出来事は、記憶から抜けていくのに
なぜだろう? あの終戦前後の情景は未だこびり付いている。
疎開中だった姉たちは、田舎暮らししか記憶になく、
終戦時の記憶はない、と初めて聞いた。
「田舎」と言っても、大阪の豊中である。
まだ手のかかる私は、あの近くの自宅にいた。
特に京橋・森之宮の工兵工廠を的にしたあの地獄図さながらの
状況下で受けたトラウマはこの先も消えないだろう。
娘の小学校時代に「戦争体験記」を家人に書いてもらう宿題があり
私の父が書いた手記がまだ残っている。
12歳の孫に見せても完全に無反応だろうと思う。
程よい「四季」に恵まれたこの国、どこで狂ってしまった・・。オゲンキにアキを迎えましょうよ
プーチンだってあの広大な国土、資源を持ちながら更にウクライナをどうしようというのかなぁ。
死者を送るお盆の祈りは、戦争の犠牲者に捧げる現世の人間の罪滅ぼし?
学童疎開の苦労も知らず、食べ物不足の経験も無く
当時の子供にしては、平穏な暮らしの「田舎者」
まあ親世代はそれなりに、大変だったと
今になって理解できますが!
一般市民への砲撃に胸傷めるウクライナ情勢
人間の始めた戦争、人間の手で
治めるのが困難では有りますまい。
戦火のトラウマを持つ子供が、これ以上増えませんように、送り火を焚きながら祈っています。
終戦記念日も77回ともなれば記憶も薄れるでしょう。私もすっかり忘れていて、高校野球で正午に選手や観客みんなが黙とうするのをみて思い出すような始末。戦後はすっかり遠くなりました。
戦争の記憶は周りから聞いたことが自分の記憶のようになっているようで確かではありません。が、疎開中のことはよく覚えています。楽しかったというのも変ですが、田舎は平和そのものでした。
現在、世界では今も戦争中という国がたくさんあるようです。なぜ国のリーダー一人の決断で命を賭けねばならないのか、理不尽な戦争はみな我欲のためでしょう。貧乏でも平和な国で暮らしたいですね。