日々のつれづれ(5代目)

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河口彗海著・長沢和俊編 「チベット旅行記(上・下)」(白水ブックス)

2009-03-17 22:00:12 | 本・映画・展覧会
(感想書いたので改めてアップ)

 ずっと以前から読もう読もうと思っていた本だが、とある人に後押しされてようやく手をつけた(ありがとうね)。

 読んでただただ感心。1901年と言うから明治末期か、仏教を極める(と言う言い方は正しくないかもしれないが)ためインドを経てネパール・チベット入り。それも鎖国状態にある同国へ入るため、チベット語を習得してと言うだけでも驚異的。現代でも韓流スターのナマ声を理解したいがためにハングルを学ぶ人が居るが…

 そして、経文やら何やら山ほど背負ってのチベット行、ヒマラヤ山系の高地を30kgもの荷物を背負って道とは言えない道を行き、身を切るように冷たい川を渡り、冷たい岩の上で十分とは言えぬ服装で眠る…考えただけでムリ。絶対ムリ!

 文中、多少は自慢げな所があるがそれくらいは何でもない。そんな事より発心とは、これほどまでに強い意志を輝かせるものなのか。唐から10年越しで来日を成し遂げた鑑真を連想してしまう。帰依とは恐ろしきものなり。

 そのような、宗教への感想とは別に、一部で「日本人探検家の嚆矢」と書かれる著者の「観察眼」についてはどうか。確かに、現地住民の様子や風俗など、細かに記されている部分がある(細かな部分と流した部分があるのは、本書がダイジェスト版だからかもしれない)。探検家の定義は難しいが、著者は別に探検をしに行ったわけではなく、チベット入りするために現地語を覚え「関所」を避けるため遠回りなルートを辿った。なので、少なくとも本書に書かれている行程をもって探検行とするのは誤りではないかと思える。もっとも、本書は探検記として読んでも一向に差し支えないのだが。

 現在チベット自治区への入り方が幾通りあるのかは知らない。著者が辿った道は二度と通れないところもあろうし、時を経てすっかり一般化してしまった街道だってあるかもしれない。ルートはどうあれ、チベットへは行ってみたいものだ(外国人立ち入り制限は解除されたのかな?)。もちろん青蔵鉄道に乗って…

 2009年2月12日 自宅にて読了
コメント (2)
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