「わしが、もし、《盛り上げた》のを描いたら、おしまいだ。君、お解かりになるか」(ジョアキム・ギャスケ著『セザンヌとの対話』より)
>けれども多少でも絵を―もしくは多少じゃなくて10年でも20年でも―描いていると、こういうセザンヌの言葉がだんだんわかったような気がしてくる。で、まあこの場合日本語ですけれども、この悪いとされている翻訳をほとんどの美大生が買って読んで意味が分からないまま、時々思い出して「盛り上げたのを描いたら、キミ、おしまいだよ」なんて言ってるんですね。分かったような顔してね。でも単純に言語としてみたら、まったく、わけの分からない言葉です。「盛り上がっているのを描いてはおしまいだ」。(『表象』01号54ページより岡崎乾二郎の発言を抜粋)
>けれども多少でも絵を―もしくは多少じゃなくて10年でも20年でも―描いていると、こういうセザンヌの言葉がだんだんわかったような気がしてくる。で、まあこの場合日本語ですけれども、この悪いとされている翻訳をほとんどの美大生が買って読んで意味が分からないまま、時々思い出して「盛り上げたのを描いたら、キミ、おしまいだよ」なんて言ってるんですね。分かったような顔してね。でも単純に言語としてみたら、まったく、わけの分からない言葉です。「盛り上がっているのを描いてはおしまいだ」。(『表象』01号54ページより岡崎乾二郎の発言を抜粋)