もうすこし猫の保坂氏の現代論シリーズに付き合う必要がある。というのも猫の保坂氏がそこで感じている疑問は、現在開催中のドクメンタ12のプロジェクトとして提出されている「三つの問い」の内容とほとんど同じだからだ。なるほど、伊達に「猫の保坂」ではない。
■Is modernity our antiquity?(近代は過去のものか?)
■What is bare life?(剥き出しの生とは何か?)
■What is to be done? (何をなすべきか?)
ドクメンタは現代美術の最も大きな国際展である。そこではまさに「いまや忘れられつつある“現代”」こそが問われているのだ。我々にとってモダニティとはアンティークでしかないのか。もはや現代主義は忘れ去られ、剥き出しの現代が現れつつある。連載「現代アートとポストモダン」の主題として、これから時間をかけて考えてみたい。
■Is modernity our antiquity?(近代は過去のものか?)
■What is bare life?(剥き出しの生とは何か?)
■What is to be done? (何をなすべきか?)
ドクメンタは現代美術の最も大きな国際展である。そこではまさに「いまや忘れられつつある“現代”」こそが問われているのだ。我々にとってモダニティとはアンティークでしかないのか。もはや現代主義は忘れ去られ、剥き出しの現代が現れつつある。連載「現代アートとポストモダン」の主題として、これから時間をかけて考えてみたい。