SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

現代アートとポストモダン 第8回

2007年06月03日 | Weblog
 日本のモータースポーツ文化の振興を遅らせた最大の要因は暴走族の存在である。現代アートに関するこの連載でなぜ暴走族について書くのかといえば、まず第一に、彼らの乗る違法改造車いわゆる「族車」が、何故あれほどの悪趣味を極めなければならなかったか? ということに興味があるからだ。改造のお手本はワークス・カーである。だから本来はすべて速く走るための改造なのである。しかし族車は、逆に遅く走るためにこそ改造をしている。少なくとも70年代の族車は、まだレーシング・カーとしての実用的な機能美を保っていた。しかし暴走族の全盛期を過ぎた80年代以降の族車になるとそうした実用性のほとんどを失い、機能から切り離された美だけが醜悪な進化(というか退化)を遂げることとなる。いきおい改造すればするほどその車は走らなくなり、最終的にはハリボテのオブジェとして動かせなくなる。かつては豊かさの象徴であり技術的進歩の模範でもあった自動車というプロダクトを、あそこまで徹底的に破壊してしまおうとするその反時代的な想像力の有様には、何事かのリアリティがある。掲載写真は、郊外の空き地で朽ち果てた族車の姿である。(続く)