もし東浩紀氏の著作を読んでいなければ、私がカリン・ハンセンの作品に興味を持つことはなかっただろう。デリダ試論に記されていた「手紙を送付することは記憶することに理論的に等しい」という言葉をもし憶えていなければ、そこにコラボレートされた照屋勇賢氏の招待状に関心を持つこともなかったのである。私はカリン・ハンセンの絵に漂う、そのどこか郵便的でデータベース的で、そして郊外的な離散の感触(THE THRILL OF IT ALL)に惹かれていた。私の考えでは、あの白い大きな壁のインスタレーション(ホワイト・ウォール)は、二重の構造になっていた。それはモダン・リビングなギャラリー空間の壁(意識のホワイト・キューブ)を表していると同時に、マジック・メモ的な記憶の面(無意識のホワイト・ボード)をも重ねて表していたのである。その二重の構造を見逃した永瀬恭一氏が、今度は東氏の新著『東京から考える』についても同様の無理解とルサンチマンを暴発させている。永瀬氏は東氏のポストモダン理論について、「とてもアクチュアルであるかのような感覚に陥るのだが、もちろんこの感覚はほとんど信用できない」と頑なにその理解を拒絶している。だが東氏の「二層構造論」は、徹底的に理論的なものであるがゆえの世界性を獲得しており、その応用領域はかなり広い。(続く)