>むしろ「自分」という凡庸なる存在を常に相対化し「個性」なるものをズタズタに引き裂いていくのが歴史であるはずだ。その圧倒的な情報の厚みの前で「自分」の「個性」なんて消し飛んでしまう、言うまでもない事だ。
いったい何が「言うまでもない事」なのだろうか。この信じがたい発言は「童話/日記」の池田孔介氏によるものである。ここで彼は「絶対主義」に対する「相対主義」の優位を単純に唱えているだけなのだが、なにしろ問題なのは彼の発言にはアイロニー(逆説)が無いことだ。そもそも絶対的なレベル(交換不可能性)と相対的なレベル(交換可能性)は「逆説」を介して否定的に繋がっているのであり、それらを切り離すことはできない。そこで「自分」や「個性」は相対化の果てに「消し飛んでしまう」のではなく、逆にその条件(単独性)が残余として現れるのである。それこそ言うまでもない事だ。
いったい何が「言うまでもない事」なのだろうか。この信じがたい発言は「童話/日記」の池田孔介氏によるものである。ここで彼は「絶対主義」に対する「相対主義」の優位を単純に唱えているだけなのだが、なにしろ問題なのは彼の発言にはアイロニー(逆説)が無いことだ。そもそも絶対的なレベル(交換不可能性)と相対的なレベル(交換可能性)は「逆説」を介して否定的に繋がっているのであり、それらを切り離すことはできない。そこで「自分」や「個性」は相対化の果てに「消し飛んでしまう」のではなく、逆にその条件(単独性)が残余として現れるのである。それこそ言うまでもない事だ。