すんけい ぶろぐ

雑感や書評など

高田明和「「うつ」依存を明るい思考で治す本」

2005-03-31 08:53:42 | 書評
そうは思います


うつ病関連の本を読んでいると、「薬とカウンセリングの二本柱で対処できる」と書いている本が多いのですが、「「うつ」依存を明るい思考で治す本」では、副題が「クスリはいらない」となっているように、まったく必要ないどころか、害悪があると述べています。


アズミーダ博士はセロトリン神経系を「脳の巨人だ」とたたえています。それは脳のさまざまな部分に影響を与えているからです。そして外からの力、つまり薬でセロトリン神経系をいじることは「巨人を目覚めさせる」と言い、とくにドーパミンを減らすような使い方は「目覚めた巨人の怒りをかっているのだ」と言っています(高田明和「「うつ」依存を明るい思考で治す本」62頁 講談社+α新書)

著者は、薬での治療はロボトミーを施すことと同じではないかと主張しております。ロボトミーというのは、前頭葉切断手術のこと。前頭葉とそれ以外の脳との連絡を断つ手術です。こうすると、
悩みがなくなるかわりに、無責任、くるくる意見が変わる、自分で決断ができないなどの問題(同書40頁)
が出てくるらしいです。

つまり「薬を与えることで悩みが無くなるが、人為的に脳をいじるということは、それ以上に危険を伴う」とのこと。

で、「悩むということは、人の成長にとっては必要なこと」という至極全うなことを言っております。

そうは思いますけどね。
でも、どこかに線を引くことは難しいのですが、「健康体の苦悩」と「病体の苦悩」は違うということで、薬が必要な気もしますが………さて。


本書では、「クスリなんかいらない!」と主張しているだけあって、人工物に頼らないでうつ病を治癒する手段について、いろいろと述べております。
日常の生活で実行できる程度の事柄ばかりなので、うつ病を回避する手段としても有効だと思います。

精神を扱う職業の人にありがちなことですが、この著者もちょっと宗教がかっているところもありますが、そこさえ気にならなければ、健康な方でも得るところがあるじゃないでしょうか?


「うつ」依存を明るい思考で治す本―クスリはいらない

講談社

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林真理子「着物の悦び」

2005-03-30 18:37:56 | 書評
弱き者よ、汝の名は女なり


三ヶ月ほどプラプラ無職だったのですが、ようやく仕事を再開しました。

で、読んだ本が、林真理子「着物の悦び」
どんな仕事に就いたのか、想像が簡単につく、非常に安易な本の選択です…………。


本自体は、著者が着物道楽にはまっていく過程で感じたこと、考えたことを書きつづっています。
着物に興味のない方にはまったくつまらない本ですが、これから本格的に………とまで言わずとも、ちょっとかじってみたいくらいの初心者にもうってつけの本になっていると思います。


で、興味のない僕としては、下記の部分なんかが面白かったです。
「本物の古典というのは、素晴らしいモダンになる」
 というのは中野さんの名言だが、私も本当にそう思う。何もきてれつな色や柄を持ってこなくても、日本に昔からある、麻の葉や青海波、鱗や巴や縞ものの新鮮な美しさといったらどうだろう。こういうものを自分なりに味つけで若い人が着こなしたら、そりゃあ素敵だと思うのだが、彼女たちが好きなのは毒々しい色とかたちばかりだ。
 成人式やお正月の頃、私はなんとも悲しい気分になってくる。街行く女の子たちが、まるで蛍光色のような、ペンキを塗りたくったような地色の振袖を着ているのだ。週刊誌で、あるアイドルの成人式の振袖を見た私は、あやうく本を手から取り落としそうになった。
 けばけばしいエメラルドグリーンの大振袖に、銀の糸で大きなバラが刺繍してある、きっとプロダクションが用意したのだろうが、こんな着物を着せられて、後で写真を見た時恥ずかしくならないのだろうか。これならば無地の着物に上等の帯を締めた方がずっといい。(林真理子「着物の悦び」18~19頁 新潮文庫)

男性から見た視点としては、得てして「女性は、女性性を憎むよなぁ」というイメージがあるのですが、どうでしょう? 本書でも度々、妙齢だったり、センスがなかったり、下品だったり、配慮が欠けるような女性を批判しております。


もちろん「男性が男性性を憎む」ということもありますが、女性の場合は、特に売りにする傾向があるような。

以前に書いた桐野夏生にしても、(そんな熱心に見たこともないのですが)内館牧子や橋田壽賀子も、妙に女性性の暗黒面を好んで描こうとするのは、そうすると売れるのか、それとも性(さが)なのか。

という感じ。
もっとも本書では、そんなグログロと批判してはいませんけどね。


着物の悦び―きもの七転び八起き

新潮社

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マーティン・キャンベル「007/ゴールデンアイ」

2005-03-29 09:01:39 | 映画評
あそこまでモジャモジャだと胸毛も素敵


お約束のうろ覚えなのだが、柄谷行人がどっかで「シェイクスピアの作品には、物語における全ての方法がそろっている」みたいなことを書いていた。
シェイクスピアはほとんど読んだことがない上に、あんまり面白いとも思えなかったので、「ほぉー、そんなもんなんかねぇ~」と軽く流しました。


自分にとって「これぞ、物語!」と思ったのはなんだろうと考えてみますと、「007」です。

どの作品かは忘れてしまったのですが、ボォーっとテレビで見ていたときです。
画面では、ジェームス・ボンドが敵に捕まり、野外に立てられた丸太に鎖でグルグル巻きにされています。周りに建物はなく、無人の荒野といった感じ。
「フフフ、ここで干からびるんだな、ボンド君」
とボンドを置き去りにして敵はいなくなります。強烈に照りつける太陽。汗だくになるボンド。どうする?

ぶしゅー。

足からジェット噴射が出て、ボンドは丸太を背負ったまま脱出してしまいました。


「ストーリーの進展のためなら物語は、あらゆるものを利用する」

そのことを教えてくれたのは、「007」です。


で、「007/ゴールデンアイ」を見ました。
ピアース・ブロスナンが主演の「007」シリーズは、「007/トゥモロー・ネバー・ダイ」「007/ワールド・イズ・ノット・イナフ」「007/ダイ・アナザー・デイ」と見ているのですが、最初の「007/ゴールデンアイ」だけは未見でした。


感想としては、真面目な作品です。
いつも笑わせてくれる楽しませてくれるボンドカーも活躍しません。

1995年の作品という時代(1991年にソ連が既に解体)を反映してか、ボンドのスパイ活動はことあるごとに、「まだ、そんなことをやっているのか?」と他人から揶揄され、新任のMからも迷惑がられている(「私には男の魅了は通じないわ」とか言っているけど、「007/ワールド・イズ・ノット・イナフ」では、かなりホの字だったよなぁ。さすがのMもボンドの魅力には抗しきれなかった模様)。そもそもボスキャラの裏切りの淵源がイギリスの罪にあったりと、ちょっとシリアスです。(他のシリーズとの比較の問題で「シリアス」なのであって、所詮は「007」のシリアスです)


うーん。エロも少ない。
映画としては正しいのだろうが、「007」としては面白くないなぁ。

あまり「007」を熱心に見たことがない方には、悪くないのでは?


007/ゴールデンアイ〈特別編〉

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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桐野夏生「錆びる心」

2005-03-28 18:57:09 | 書評
黒い


以前、人から勧められて桐野夏生の「グロテスク」を読んだことがあります。

推薦者の方は僕とは比べものにならないくらいの本読みで、かなり期待して本を手にしました。が、どうも反りが合わない。
作者の露悪趣味には、単純に嫌悪感を覚えてしまいました。

露悪趣味自体は嫌いじゃないんですがね。三島由紀夫は、好きですし。
しかし「グロテスク」での、「こんなにも女性の本性は醜いものなのよ、フフフフ」といった作者のスタンスをもって登場人物たちを破滅に導いていく様は、どうにも感情移入ができないし、また「ゲヘヘヘヘ、こりゃひどいなぁ」と面白がることもできず。

リアリティなんかくそ食らえと個人的には思ってはいますが、作品のモトになった東電OL殺人事件を、ある程度知っているせいなのかも知れません。

後は、僕が男性だからなんですかね?
推薦者の方は、女性ですし。


しかし、作品が偶々合わなかっただけかもしれなと、同じ作者の「錆びる心」を手にしてみました。

「あなたに責任のあることじゃないと思うけど。すべては阿井さんの問題よ」
 私は慰めるつもりで言った。が、本心では、瑞江が相手を離婚させるほどの恋愛をしたということが羨ましくてならなかった。私は勝手に、瑞江が失恋してその痛手から教師を辞めたというストーリーを作り上げていたのだ。(桐野夏生「錆びる心」33~34頁 文春文庫)


感想は、「グロテスク」と同じ。
場末の温泉宿にて、うらぶれた芸者が開いた股の中心に鎮座している、黒ずんだアレを見せられた感じです。
相手もプロですし、遠慮なく「ヒャヒャヒャ、おばちゃん、ひどいなぁ。使いすぎだよ」と笑い飛ばせればいいのでしょうけど。


「錆びる心」は短編集です。やはり女性が絡んだ話の方が作者の真骨頂らしく、その醜さを極端に拡大するときに、筆が冴えます。

作品自体はピリッとしまっていますし、特定のファンがいるのは分かるんですけどね…………。


グロテスク

文藝春秋

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錆びる心

文芸春秋

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ティム・オブライエン「本当の戦争の話をしよう」

2005-03-27 12:44:14 | 書評
日本人にとって戦争は遠すぎるね


かつてティム・オブライエンの「本当の戦争の話をしよう」を、まずまず楽しく読ませてもらいました。
で、今度は同じ作家の「ニュークリア・エイジ」にしようと本屋に行って、買ってしまったのが「本当の戦争の話をしよう」です。

自分でも意味が分かりません。


年を取ったということですね。
池澤夏樹の「マシアス・ギリの失脚」でも、やっちゃったんだよな。まぁ、「本当の戦争の話をしよう」「マシアス・ギリの失脚」も、いい小説ですけどね。


で、また読ませてもらった「本当の戦争の話をしよう」
著者のベトナム戦争体験をもとにした、短編小説集です。

戦争というものによって、日常が損なわれてしまった人間の物語が描かれています。例えば、「レイニー河で」という短編では、大学を卒業したばかりで徴兵通知を受け取ってしまった人間の話です。
私は思うのだけれど、人は誰しもこう信じたがっているのだ。我々は道義上の緊急事態に直面すれば、きっぱりと勇猛果敢に、個人的損失や不真面目などものともせずに、若き日に憧れた英雄のごとく行動するであろうと。(ティム・オブライエン「本当の戦争の話をしよう」71頁 文春文庫)
が、主人公は、徴兵を前にして、カナダへの逃亡をはかろうとします。
子供のころから抱いていた素朴な信念が、社会からの試練によって無残に屈してしまうという構図であるため、戦争を体験していない僕でも、感じるものがあります。

そんなわけで、訳者の村上春樹は、あとがきで以下のように述べています。
オブライエンはもちろん戦争を憎んでいる。でもこれはいわゆる反戦小説ではない。あるいはまた戦争の悲惨さや愚劣さを訴えかける本でもない。この本における戦争とは、あるいはこれはいささか極端な言い方かもしれないけれど、ひとつの比喩的な装置である。それはきわめて効率的に、きわめて狡猾に、人を傷つけ狂わせる装置である。それがオブライエンにとってはたまたま戦争であったのだ。そういう文脈で言うなら、人は誰もが自分の中に自分なりの戦争を抱えている。(同書392頁 文春文庫)
分からんでもないです。
村上春樹も「極端な言い方かもしれないけれど」と予防線を張っていますので、重箱の隅をつつくのもなんですが、しかし「この本における戦争とは、あるいはこれはいささか極端な言い方かもしれないけれど、ひとつの比喩的な装置である」というのは、極論じゃないかな?

この本における「ベトナム戦争」という前景は、なにかと交換可能ではないからこそ、作者としてはこうまで拘泥せざる得ないように僕には思えます。
作者としては、やっぱり現実の戦争を描きたかったのでは?


 ミッチェル・サンダーズはじっと彼を見た。
「そんなことはさせねえ」
「させねって、何のことよ?」
「なあおい、そういうのはルールに反しているんだ!」とサンダーズは言った。「人間性ってものに背いてるんだ。よくできた話ってのにはな、ちゃんと結末があるんだ。いや、実は最後がどうなったか私は知りません、なんて話があるもんか。いいか、話をするにはそれなりの責務ってものがあるんだぞ」(同書182頁 文春文庫)

本書の短編には、全て「ちゃんと結末があ」ります。掌編と呼べるような物語もありますが、どれも戦争を充満させている作品です。単純な反戦小説ではないことは確かですが、戦争の意味を考えさせられるものばかりです。
少しかための短編小説が読みたい方には、ちょうどよろしいのでは?


本当の戦争の話をしよう

文芸春秋

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ドストエフスキー「悪霊」

2005-03-24 05:33:55 | 書評
同志!


ぼくは規律を抜きにしちゃものを考えられない。だってぼくはペテン師で、社会主義者じゃありませんからね。は、は! いいですか、ぼくはもうそういう連中をすっかり数えあげてあるんですよ。子供たちといっしょになって、彼らの神や揺籃を嘲笑する教師――これはもう同志です。教育ある殺人犯を、彼のほうが被害者より知的であり、金を得るためには殺人を犯さざるをえなかったのだと言って弁護する弁護士――これも同志です。感覚を体験するためと称して百姓を半殺しにする中学生――これも同志です。犯人を片端から無罪にする陪審員――やはり同志です。自分が十分にリベラルでないことを恥じて、法廷でびくびくしている検事――もちろん同志、同志です。行政官、文士たち、いや、同志は大勢いますよ、おそろしく大勢いて、自分じゃそうとは気がついていないんですよ!」(ドストエフスキー「悪霊 (下巻)」129頁 新潮文庫)


久しぶりに硬骨の小説が読みたいと手に取ったドストエフスキーでしたが、ページを開いた瞬間に、衝撃を受けました。字が小さい。こりゃ眼鏡屋の陰謀かと思えるほどのサイズ。最近は古典・名作を新装版と称して、冊数を増やしたり本に厚味を出して、いくらかでも高く売ろうという気配もあるのだが、実際は、………あれね、目にやさしいよ。
昔ならこの大きさでも気にならかったのだろうが、今ではすっかりぬるま湯にならされてしまい、最初は特に難儀しました。二十代の最後にこれでは、四十五十になったらドストエフスキーは物理的に読めないかもな。そのころには、分冊化されているような気がするが………。

ともかく、大分な小説でして、当初の目論見通り、やはり硬骨でありました。

「神を見捨てた・神から見放された世界で、神(新たな世界)をつくろうという壮大な喜劇」とでも、まとめればいいのでしょうか? 神が不在の世界で、人であるものたちが神をつくろうという矛盾。その大前提において、新しい世界の地ならしのため、ただ破壊だけを目的とした意思と行為は、雄々しくも滑稽な暴走と自壊となって結実します。

そこから、連合赤軍やオウムを思い起こすのも良し、現在進行中の混沌のイラクをリンクさせるのも良し、という感じです。百年以上前の作品ですが、いまだに現代性を失っていない神話的な寓意を多く含んだ恐ろしい長編です。
近々、眼鏡を買い替える予定のある方など、どうでしょうか?


悪霊 (上巻)

新潮社

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悪霊 (下巻)

新潮社

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もりたけし「戦闘妖精少女 たすけて!メイヴちゃん」

2005-03-23 00:23:34 | 映画評
キュンキュンビーム


神林長平の小説「戦闘妖精・雪風(改)」は、好きな作品です(読んだやつには、「(改)」ではなかったですけど)。唐突にあらわれた未知の生物と人間との戦いを、孤高な深井零を中心として語られる物語です。
続編の「グッドラック―戦闘妖精・雪風」も面白かったのですが、…………無理して続編をつくたっかなぁという強引さがちょっと鼻についた思い出があります。

で、この小説ですが、アニメ化されました。全五巻で、四巻まで出ているようです。

最初の一巻だけは見ました。原作にはない妙なホモ臭さや、かまやつひろしのエンディング曲などに感動しまして、そこで食指が止まってしまいました。どうやら僕の体は一巻を見ただけで、五巻分の感動を味わってしまったようです。


そんなアニメ版の「戦闘妖精雪風」ですが、最近、外伝的な作品が出たそうです。それが、「戦闘妖精少女 たすけて!メイヴちゃん」です。

見ました。

素敵な作品に仕上がっておりました。
以下、チャプターに沿って詳細にストーリーを解説させてもらいます。ほぼ完全ネタバレなので、これから作品をお楽しみになりたい方は、お気をつけ下さい。


[初めての冒険旅行]
片田舎に暮らす杉山レイは、朴訥なアニメファンの高校生。OVAについていた応募葉書を投稿したところ、なんとエモーションフェスティバルの入場券が当たってしまう。友人たちに羨ましがられるレイだったが、彼の心中は複雑だった。なぜなら、世間知らずで緊張に弱い彼は、中学の修学旅行でも熱を出してしまい一人で寝て過ごしたのだ。そのため、レイの両親は、彼のエモーションフェスティバルへの参加を反対した。
だが、情けない自分を変えたがっていたレイは、その反対を押して電車に乗ったのであった。

[エモーションフェスティバル]
秋葉原と思しき場所で開催されているエモーションフェスティバルは、彼には新鮮であったが、また極度の緊張を強いられるものであった。ついトイレに逃げ込んだレイだったが、扉の先には、驚くべきことに異世界が広がっていた。

[メイヴちゃんとの遭遇]
扉の向こうがトイレではないことに驚くレイ。もとの世界に戻る扉も閉じてしまい戸惑っていると、さらに褐色の肌をした少女に敵と認知されて襲われしまう。慌てふためいて走り回るレイであったが、天から舞い降りた女性が彼が救ってくれる。その女性の名はスーパーシルフ。スーパーシルフは、褐色の少女・メイヴに、レイが敵ではないことを教え、彼の窮地を救ってくれる。
さらに未だ事態を理解できないでいるレイに、また一人の少女・シルフィードが空から降りてきて、ここが異世界であることを知らせる。彼女の語りだした世界は、驚愕のものだった。
なんとレイが現在いる場所は、イメージの世界だったのだ。レイの目の前に見えている少女も、アニメファンの情念が結晶したものだった。そして、レイが通ってきた異世界への扉は、イベントで集まったアニメファンの情念が多くなりすぎて、開いてしまったのだ。

[JAMの攻撃]
こうして異世界の成り立ちに驚くのも束の間、レイはJAMからの攻撃を受けてしまう。彼はシルフィードに手をとってもらい、どうにかJAMから逃げ、洞窟に隠れた。そこでは、さらに信じられないような事実を知ることになる。

[戦闘妖精少女の運命]
この世界に住む彼女たちは、あくまでもアニメファンのイメージから生まれたもの。つまり、アニメファンの心が、他の作品に移ってしまうと、飽きられ忘れられた彼女たちは、消えなくていけなくなってしまう。
自らの運命を嘆き悲しむ、少女たち。その彼女たちを慰めるべく、レイは自分の過去を話し始める。それは、高校受験に追い詰められていたときのことだった。彼は自分の存在すら厭わしく思うほど落ち込んでいたが、アニメの登場人物たちの頑張りに触発され、自分から行動できるポジティブな人間になろうと思った、と。そうやってアニメから恩を受けたレイは、今度はアニメに生きる彼女たちも元気になって欲しいと訴える。
レイの真摯な言葉に胸を打たれた少女たちは、彼をもとの世界に戻して、自らも過酷な運命に立ち向かう決意をする。

[忘却の魔物]
翌朝、レイを元の現実世界に戻そうと、ゲートに向かう少女たち。
その前に「フォゲッタ」という怪物が立ちはだかる。彼は、忘れ去られるアニメのキャラクターたちを暗黒の世界に引きずり込もうとする「忘却の魔物」だった。
フォゲッタと戦いつつ、レイをゲートに届けようとする少女たち。そこでフォゲッタは、レイをこの異世界に呼び込んだのは自分だと語り出す。彼の狙いは、なんとアニメファンの眼前で少女たちを消し去ることだったのだ。
フォゲットやJAMの攻撃により、今にも消えそうになるシルフィードやメイヴ。それでもなおレイを気づかう少女たち。彼は消えようとするゲートに一度は歩き出すが、彼女たちのひたむきな姿に感動し、立ち止まる。
そこで奇跡が起こる。現実世界のテレビやパソコンの画面には、映るはずのない異世界の戦いが中継される。そこで叫ぶレイ。
「君たちには僕がついている。たとえ他の人が忘れたって、僕は絶対に君たちのことを忘れない。だから、がんばれ!」

[最後の戦い]
彼の悲痛なまでの励ましは、消えかかっていた少女たちを立ち上がらせる。そして、ついに全員の攻撃により、フォゲッタを倒すことに成功する。彼女たちの勝利を見届けたレイは、今度こそ元の世界に戻ろうとゲートに向かう。しかし、ゲートにはもう人が通れる隙間はなくなっていた。
困り果てているレイの携帯が鳴る。そこには、
「YOU HAVE CONTROL OUR FRIEND REI」
というメッセージが流れる。それを見たレイは、この世界にまだ留まることを決意する。

[エンディング]
歌です。キュンキュンビーム。


死して咲く花、実のある夢。

未見の方は、こんな拙いテキストではなく、どうか現物を見て欲しいものです。
「ストーリーを知ってしまったから、もう見る必要がない」
と思っているのなら、それは間違いです。

この作品は、体験することに意味があるのです。
見てもいないのに批判するような腰抜けには用はありません。

特に原作を読んでいる方には、必見の作品となっております。多忙な人生に強引に隙間をつくってでも体験して下さい。


戦闘妖精・雪風(改)

早川書房

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グッドラック―戦闘妖精・雪風

早川書房

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戦闘妖精少女 たすけて!メイヴちゃん

バンダイビジュアル

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アンドリュー・ラウ/アラン・マック「インファナル・アフェアII」

2005-03-22 00:59:27 | 映画評
困ったら過去を引き伸ばすのは、古今東西のお約束


かつては東洋のハリウッドと呼ばれた香港映画も、往年の勢いがなくなったと言われます。
それでも「少林サッカー」みたいな作品が出てきて、まだまだ健在のようです。(ウォン・カーウァイの「2046」は、どんなもんだったのだろう?)


で、同じように「香港映画ここにあり」とアピールした作品の一つである「インファナル・アフェア」。その続編である「インファナル・アフェア II」を見ました。


うーむ。続編は、やっぱり難しいね。
「インファナル・アフェア II」は、ファンディスクかな。
つまらないわけじゃないんだけど。


「インファナル・アフェア」は、警察と黒社会(中国マフィア)が、互いにスパイを内部に潜りこませて、戦いを繰り広げるという話。その戦いの中で、二人のスパイが組織への忠誠に励みながらも、自らの複雑な立場に悩み、さらには仲間と仕事をしながらも周囲から疑われたり、逆に信頼されたりといった過程・やり取りが面白かったのになぁ。

「インファナル・アフェア II」では、二人がスパイとして潜りこんだばかりのお話になっております。続編でありながら時代的には前作より前となっております。ドラクエIIIみたいなもんです。

二人の人間が、二つの組織に属しているという設定は特に活かされておりません。
単に「あの登場人物たちの驚愕の過去が明かされる」といった感じです。


画面は、青みがかった抑えた色調。
汗臭い男たちのドラマは、前作譲り。
作品のテンポは速く、レベルは高いです。

ただし、今作だけでは意味が分からない作りになっています。

前作を楽しめた方なら、余禄としても楽しめるのでは?(IIIも日本では今年公開ですが、さぁーて)


インファナル・アフェア

ポニーキャニオン

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インファナル・アフェア II 無間序曲

ポニーキャニオン

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クエンティン・タランティーノ「Kill Bill Vol.2」

2005-03-21 00:08:53 | 映画評
神話少女


まぁ、分かってましたけどね。


「キル・ビル Vol.1」は映画館で見ました。なんつーか、………二時間を切っているはずなのに、映画がえらーくながーく感じました。

うーーーん。

で、「キル・ビル Vol.2」を見ました。
なんとなく「Vol.1」を見ているから、義務感で「Vol.2」を見ました。

うん、分かってましたましたよ。

「Vol.1」の見所が、ルーシー・リューの日本語だとすると、「Vol.2」はパイ・メイかな。
中国の奥地にいけば、パイ・メイ(ゴードン・リューという役者です。有名?)みたいな老人は必ずいるよね。

ユマ・サーマンとパイ・メイの拳法のやり取りなんか、鳥肌もんの素早さでした。もうジャッキーも引退かな。

…………………。


馬鹿設定でおしゃれ雰囲気でも、「オースティン・パワーズ」は、嫌いじゃないんだけどね。
でも、コメディではなく、シリアスになると、どうもついていけません。

「ほーら、これがカッコいいだろう?」みたいな監督の意図が透けて見えるというか、なんと言うか。


「Vol.1」「Vol.2」で、散々引っ張られてもなぁ。オチは、これか。

「KILL is LOVE」? あぁそうだね。
愛しているけど、殺さなくてはいけない? うん、まぁ、そうかもね…………。


でも、好きな人は、好きな映画なんでしょうねぇ。
という映画でした。


キル・ビル Vol.1

ユニバーサル・ピクチャーズ / ジェネオン エンタテインメント

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キル・ビル Vol.2

ユニバーサル・ピクチャーズ / ジェネオン エンタテインメント

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キル・ビル Vol.1 & 2 ツインパック

ユニバーサル・ピクチャーズ / ジェネオン エンタテインメント

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河合隼雄「人の心はどこまでわかるか」

2005-03-20 17:18:51 | 書評
地下鉄サリン事件から10年かぁ


俗に「鼻がでかいと、アレもでかい」などと言われます。
例によってうろ覚えなんですが、「鼻はアレの象徴」みないなことをフロイトが言っていたような気がします。そんなわけで、「鼻がでかいと、アレもでかい」という話は、そっから来たんじゃないかと個人的には推測しております。

心理学と言いますと、「突起物=アレ」(鼻は、ほら、顔の中の突起物だから。………うーん、天狗って意味深)にしてしまう学問という印象もありますが、そんため、怪しげな印象を持ってしまいます。


私のいまの面接の基本は、あまり世俗的なことにとらわれないということです。通常は、学校へ行っていない子どもなら、行ったほうがいいとか、金が儲からないより儲かるほうがいいとか、みんなそう考えています。それを忘れてはいませんが、私はそういうところを超えたところでクライエントと会っています。(河合隼雄「人の心はどこまでわかるか」43頁 講談社+α新書)
実際、幻聴に悩む芸術家に、「幻聴が取り払われると、作品から独創性が失われるかもしれませんよ」とアドバイスをしたということを、著者は本書で述べております。

まぁ、人生相談をすることが心理療法ではないのだから、引用文のようなスタンスを取らなくてはいけないんでしょうが、これはなかなか怪しいです。

そもそも、この本で「心理療法の真髄は無為だ」などと言っており、怪しさ満点です。
他にも、頑張り過ぎてはいけないが、患者を粗末にしてはいけないが、時には父性的な強さを見せ付けなくてはいけないが、入れこみ過ぎてはいけないが、場合によっては踏みこむことも必要……………、という感じ。

結局、マニュアル化できなってことなんでしょうね。
「人間の心」よりも、「人間の存在」(社会との在り様)まで考えて、治療を施そうとするんだから、そりゃ、怪しくなっちゃうんでしょうなぁ。


全体としては、中堅どころの心理療法家数人がいくつかの質問をぶつけて、それを著者が答えていくというスタイルです。
読んでいくと、著者の治療に対する真摯な姿勢がよく分かる本です。
タイトルから期待するような人間心理の探求みないなことよりも、人間が人間を救うことの難さがよく分かる本です。でも、ご本人の人柄からか、決して暗い雰囲気に陥ることなく、文章が進んでいきます。

「おれは人の役に立っているんだぜ!」みたいなことを思っているウザイ方に読ませるには、ちょうどよろしいのではないでしょうか?


人の心はどこまでわかるか

講談社

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