すんけい ぶろぐ

雑感や書評など

ドストエフスキー「悪霊」

2005-03-24 05:33:55 | 書評
同志!


ぼくは規律を抜きにしちゃものを考えられない。だってぼくはペテン師で、社会主義者じゃありませんからね。は、は! いいですか、ぼくはもうそういう連中をすっかり数えあげてあるんですよ。子供たちといっしょになって、彼らの神や揺籃を嘲笑する教師――これはもう同志です。教育ある殺人犯を、彼のほうが被害者より知的であり、金を得るためには殺人を犯さざるをえなかったのだと言って弁護する弁護士――これも同志です。感覚を体験するためと称して百姓を半殺しにする中学生――これも同志です。犯人を片端から無罪にする陪審員――やはり同志です。自分が十分にリベラルでないことを恥じて、法廷でびくびくしている検事――もちろん同志、同志です。行政官、文士たち、いや、同志は大勢いますよ、おそろしく大勢いて、自分じゃそうとは気がついていないんですよ!」(ドストエフスキー「悪霊 (下巻)」129頁 新潮文庫)


久しぶりに硬骨の小説が読みたいと手に取ったドストエフスキーでしたが、ページを開いた瞬間に、衝撃を受けました。字が小さい。こりゃ眼鏡屋の陰謀かと思えるほどのサイズ。最近は古典・名作を新装版と称して、冊数を増やしたり本に厚味を出して、いくらかでも高く売ろうという気配もあるのだが、実際は、………あれね、目にやさしいよ。
昔ならこの大きさでも気にならかったのだろうが、今ではすっかりぬるま湯にならされてしまい、最初は特に難儀しました。二十代の最後にこれでは、四十五十になったらドストエフスキーは物理的に読めないかもな。そのころには、分冊化されているような気がするが………。

ともかく、大分な小説でして、当初の目論見通り、やはり硬骨でありました。

「神を見捨てた・神から見放された世界で、神(新たな世界)をつくろうという壮大な喜劇」とでも、まとめればいいのでしょうか? 神が不在の世界で、人であるものたちが神をつくろうという矛盾。その大前提において、新しい世界の地ならしのため、ただ破壊だけを目的とした意思と行為は、雄々しくも滑稽な暴走と自壊となって結実します。

そこから、連合赤軍やオウムを思い起こすのも良し、現在進行中の混沌のイラクをリンクさせるのも良し、という感じです。百年以上前の作品ですが、いまだに現代性を失っていない神話的な寓意を多く含んだ恐ろしい長編です。
近々、眼鏡を買い替える予定のある方など、どうでしょうか?


悪霊 (上巻)

新潮社

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悪霊 (下巻)

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