すんけい ぶろぐ

雑感や書評など

星護「笑の大学」

2005-09-24 08:46:50 | 映画評
菅野隊員


「笑の大学」を見ました。


三谷幸喜原作の「ラヂオの時間」とか「12人の優しい日本人」は好きなんだが。


「笑の大学」も、二つの作品と同じように、場面は基本的に一箇所。そこで繰り広げられる濃密な人間関係を中心として、物語が進展していきます。

役所広司はもちろん、稲垣吾郎の演技も、決して悪くなかったと思うんだが。


だが、どうも、全体的に青くて…………。

「ラヂオの時間」「12人の優しい日本人」に限らず、三谷幸喜の作品って、けっこう健全的な青さがありますけどね。
それにしても「笑の大学」は青すぎたなぁ。


もし、これをいきなり見せられたら、「こんなに場面を限定して物語を進めるなんて、スゲェーなぁ」と単純に感動したのでしょうけど、やはり三谷幸喜という、これまで赫々たる経歴をお持ちの方の作品となると…………、ちょっと厳しくなってしまいます。


もっとも青さが気にならないタイプの人は、手放しで楽しめると思います。



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塩野七生「ローマ人の物語 (20)」

2005-09-21 08:56:34 | 書評
石原慎太郎が「これからの日本は、まだまだ良くなる!」と言っている姿を、ちょくちょく拝見するが、その根拠はどこから来るんだろうと不思議に思いつつも、ああまで自信たっぷりに発言することが大事なんだろうなぁと感じたりします。


「ローマ人の物語 (20)」読了。

今回は、暴君で名高いネロ帝のお話。

その治世に嫌気がさして、遂に反乱したヴィンデックスという人物についての経歴。
 父を継いだヴィンデックス自身も、元老院議員になっている。それどころか、ガリアの属州の一つの「ガリア・ルグドゥネンシス」(リヨン属州)の総督に任命されていた。ローマ化の進んでいた「ガリア・ナルボネンシス」(南仏属州)と比較すれば文明化か遅れているとローマ人が見た、「長髪のガリア」(中北部フランス)の有力者の元老院入りを認めたクラウディウス帝の法成立から、わずか二十年しか過ぎていない。征服者ローマ入の、被征服者への開放ないし同化路線の進度の速さは特筆に値する。植民地時代の朝鮮の総督に、日本人でなく朝鮮人を起用するのと同じことであった。
塩野七生「ローマ人の物語 (20)」204頁 新潮文庫

今のアメリカや中国の唐王朝にしても、人材登用の間口の広さには、恐れ入ります。
ローマも然り。

世界帝国と呼ばれる歴史上の国々で、異民族を排除して成り立ったのは、モンゴル帝国くらいか?(だから、短命だったのだろうけど……………)

日本は、トヨタに代表されるとおり、いくら世界企業になっても、外国人の受け入れには消極的だもんなぁ。
カルロス・ゴーンにしろ、ソニーの新社長にしろ、業績がにっちもさっちもいかなくなって、仕方なく受け入れているからな。

まぁ、世界帝国を目指すわけじゃないのだから、それでいいのかもしれないが……………人口が減っていくことが目に見えている現状では、そうも言ってられないのか?


それは、ともかく。
これまで、塩野七生「ローマ人の物語」を語るときは、「つまらないわけじゃないが、どうも深みが足りない」と難癖をつけてばかりいました。

が、構成の見事さは、褒めずにはいられません。

今回のローマの人材登用の巧みさについて語っている点などは、「ローマ人の物語」の初期の段階から、何度も説明しております。

超長編でありながら、場当たり的・その場しのぎ的に記述するのではなく、後々の歴史への影響を考えて構成を組み立てているのは、さすが作家の力量。

カリグラ帝からは、ユダヤ人・キリストについて徐々に触れ始めており、後に巨大な影響力を持つことになるキリスト教についても、しっかりと布石をしております。

歴史の解説書でありながらも、作者の伏線を張り巡らした記載によって、楽しく読めちゃうんだろうなぁ。


これまでの感想。
塩野七生「ローマ人の物語 (17)」まぁ面白いんだけどさ
塩野七生「ローマ人の物語 (18)」男の夢
塩野七生「ローマ人の物語 (19)」努力が報われないタイプ


ローマ人の物語 (20)

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塩野七生「ローマ人の物語 (19)」

2005-09-20 08:47:33 | 書評
努力が報われないタイプ


塩野七生「ローマ人の物語 (19)」を読み終わりました。


これまでの感想。
塩野七生「ローマ人の物語 (17)」まぁ面白いんだけどさ
塩野七生「ローマ人の物語 (18)」男の夢


内容としては、暴君カリグラが殺されて、その後を継いだクラウディウス治世の話。

肉体的に政治向きではなかったクラウディウスは、もともとは誰からも期待されておらず、歴史研究に没頭するしかない人間だったのですが、カリグラの刺殺という事件によって、タナボタで皇帝の地位に就きました。

以後は、まずまずの善政だったのですが、キャラが地味なせいか人気は出ず。

そして、ローマ皇帝であったにもかかわらず、彼の著作は、すべて消失しております。
そのことを述べた、くだり。
ローマ皇帝の手になる歴史叙述という、史的価値ならば一級史料になったにちがいないこれらの著作は、すべてが消滅してしまって断片すらも残っていない。その原因を学者たちは、クラウディウスの残した演説や碑文等の文体から推察して、よく調べ知識も豊富だが、歴史叙述を文学作品に昇華させるに不可欠なヒラメキとスゴ昧に欠けていたからではないか、と言う。〝学者の著作〟であったから後世に遣らなかったのだと、学者たちが評しているのだから、この評価は信用置けそうである。
塩野七生「ローマ人の物語 (19)」30頁 新潮文庫
確かに、純粋な学術書は、けっこう読み通すのがきつかったりするからなぁ。

その点、本書は、面白く読めるんだけれども、さて「歴史叙述を文学作品に昇華させるに不可欠なヒラメキとスゴ昧」があるかどうかは、……………「読んだ人による」と言ったところか。


ローマ人の物語 (19)

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塩野七生「ローマ人の物語 (18)」

2005-09-19 09:19:35 | 書評
男の夢



塩野七生「ローマ人の物語 (17)」に続いて、18巻を読んでいます。
感想は以前と同じ。
おもしろいけど、ちょっと浅いかな? てな感じ。


本の内容としては、ティベリウスの晩年と、カリグラの短い治世について。


で、義務感が強く、非常に有能であったものの、官僚的な治世しかできなかったティベリウス。
そのため、非常に不人気であり、数々の伝説をつくられてしまったのだが、その例。
 第一に、酒飲みであったこと。葡萄酒を水や湯で割って飲むのが普通であったギリシア人やローマ人にしてみれば、ストレートで飲むのを好んだというだけで、大酒飲みにされてしまう。飲む量も、多かったようではあるけれど。
 第二は、淫猥な性行為を発明し、実際にさせたこと。各地から集めた少年少女たちを、少年と少女のチーム別に分け、それにこの道の達人を一人ずつ付け、この三人にティベリウスの見ている前で性行為を実演させるのである。チーーム別に分けたのは、各チームはそれぞれ体位のちがう性行為を行うことが課されていたからだった。この目的は、スヴェトニウスによれば、ティベリウスの衰えた性欲を刺激することにあったという。
 第三は、総面積ならば七千平方メートルもある敷地内の森や洞穴のあちこちに、牧神や妖精に扮した少年少女たちをかくし、ティベリウスがそこに行くと、その前で彼らが性行為を実践して見せるという趣向を発明したというのである。総面積七千平方メートルというのは事実だが、しかし、あの地には森も洞穴もない。樹立ちぐらいはあったにしても。
 第四だが、ティベリウスはとくに幼い少年少女たちを選び、自身はゆったりと広いローマ式の浴槽に身を沈め、彼が「小さな魚たち」と呼んだこの幼児たちに、股の間を泳がせては、「魚たち」の舌や歯で性器に触れさせては愉しむという快楽である。そのうえ老いてもティベリウスの性欲は盛んで、神々に犠牲を捧げる祭儀をあげていたとき、それを手伝っていた奴隷の美しさに魅かれ、犠牲式も終らないのに別室に連れこみ、そこで性行為におよんだこともあったという。
 そして、これらのティベリウスの淫行の犠牲者たちは、役目が済めば海抜三百メートルの崖の上から海に突き落とされるのが、一人の例外もない運命であったとは、現代のナポリっ子までが信じこんでいる「ティベリウス伝説」であった。
塩野七生「ローマ人の物語 (18)」73~75頁 新潮文庫
今では、あくまでも「伝説」として一笑に付されているそうです。

これらの淫行は、当時のローマ男の夢が仮託されているのではないだろうか? と作者は書いております。

「小さな魚たち」かぁ…………。あんまり楽しくなさそうだなぁ…………。


ABC(アメリカン・バカコメディ)振興会では「金髪ギャルの双子とXXXするのは、昔からアメリカ男のファンタジーって言われてるんだよ」と書かれております。

うーむ。
あんま、楽しくなさそうだなぁ。

と言うか、一度に二人も相手をするような、そんなに自信がないし、特定のパートナーがいない現状では、双子と言わず、一人でいいので、お願いしたい。


ローマ人の物語 (18)

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塩野七生「ローマ人の物語 (17)」

2005-09-15 08:48:36 | 書評
まぁ面白いんだけどさ


「陳舜臣の「小説十八史略」を読んで以来、中国史は好きです」という話は、以前書いた通り。

そっから、歴史ものが全般的に読むようになりました。


で、塩野七生「ローマ人の物語 (17)」を読みました。


うーん。
文章も上手で、サクサクと読めます。

でも、決して軽い、というわけではなく、なんとなく「ほぉー」と読めます。

そもそも、つまらなかったら、十七巻目を読もうななどと思うわけもなく。


が、どーも、薄い。

いや、「薄い」というよりも、「深みがない」と表現するべきか?

どうにも「ほーら、この本には、現代の混迷を解明する、ヒントが隠されているよ?」とか「こうやって、リーダーたちの生き様に触れることで、あなたの会社経営に、一筋の光明がさすでしょ?」という作者の隠れた意図が見え隠れするような…………。

まぁ、「三国志に学ぶ部下との接し方」みたいな本ほどでは、ないんですけどね……………。


 人間は、安全となれば定着する。「移動」と「定着」の場合のエネルギーの活用度と富の蓄積度の差を考えれば、定着のケースの有利は明らかであろう。ティベリウスの時代よりも五十年も昔にすでに、カエサルによってゲルマン民族の侵略の怖れから解放されたガリア人が、それまでの狩猟民族から農耕民族に変ったという史実まである。そして〝インフラ〟の普及は、農畜産物の流通を促進した。
 このように経済が向上しつつあった時代、緊縮財政策と言ってもすべての分野で経費を削減する必要まではなく、単なるムダか、それとも必要不可欠ではないとされた分野の経費削減で、充分ではなかったかと思う。不景気には至らなかったのだ。しかし人間とは眼で見、手でさわれるもので判断しがちである。実体経済では不景気でないのに、不景気感というものもある。アウグストゥスと比べてティベリウスには、「ケチ」の評価が定着したのであった。
塩野七生「ローマ人の物語 (17)」106頁 新潮文庫
カエサルやアウグストゥスといった英雄たちの疾風怒濤の時代を経て、安定と平和に移ろうとしています。それを引き継いだ、ティベリウスについて語った文章です。

的確………というほどローマ史に詳しいわけではないのですが、中々示唆に富んだ人間評・社会評・人物評だとは、思います。
が、それだけに、ちょっと功利的な臭いがしちゃうんだよな。

「それのどこが悪いの?」
と言われると、
「別に悪くは、ないけどね」
と答えるしかないんですけど。


高校時代に出会ってたら、メチャクチャはまったんだろうなぁ。


ローマ人の物語 (17)

新潮社

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雁屋哲/花咲アキラ「美味しんぼ (92)」

2005-09-12 06:12:19 | 書評
「マスターキートン」の絶版については、雁屋哲に何を食わせれば納得してくれるのだろう?(それとも、もう納得したのだろうか?)


なんだか知らないが家に転がっていた「美味しんぼ (92)」を読みました。

「美味しんぼ」も、ついに92巻かぁ~。

…………それ以外の感想は、特になし。


十年一昔と言いますが、「美味しんぼ」だけは永遠不滅。
相変わらず、しょーもないことで喧嘩しています。

同期会を開くことになって、東西新聞社の飛沢と難波が打ち合わせをした際の会話。
飛沢「寮じゃ会社の延長でみんなの心が開かないよ。」
難波「会社の延長かめへん。安くついた方がええやんか。」
飛沢「けちな奴だな!
   金では換えられないものがあるだろう!」
難波「おまえこそ
   その料理屋からいくらかもろうとるんちゃうか!?」
雁屋哲/花咲アキラ「美味しんぼ (92)」7頁 小学館
で、「美味しんぼ」ですから、取っ組み合いです。

そして、なんだかんだあって、海原雄三が知恵を貸して、みんな仲直り。

こんな社員を雇って、よく東西新聞社もつぶれないもんだ。


しかし、双子のガキもでかくなったなぁ…………


美味しんぼ 92 (92)

小学館

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林真理子「着物をめぐる物語」

2005-09-11 08:01:17 | 書評
滅びの美学


林真理子「着物をめぐる物語」を読みました。
短編小説集です。タイトル通り、着物をめぐる物語が、十一篇展開します。

内容は職人の娘についてだったり、戦争時代の着物に執着する姉についてだったり、花柳界に生きる男だったりして、なかなか多岐に渡っています。
また一つ一つの作品は、主人公が男性であったり女性であったり、一人称で語られたり、神の視点で書かれていたりと、読者を飽きさせない工夫がしております。

文章に難もなく、サクサクと読ませてもらえます。

が、読み終えると、あんまり印象に残らないなぁ。
単に年をとり、記憶力が衰えてしまったからなのかもしれませんが。


全体としては、暗いです。明るい話は皆無と言っていいでしょう。

横溝正史の原作の映画には、日本家屋が舞台となっていることが多いですが、普通の家のはずなのに、どうしてか不気味に映るものです。
それと同じで、「着物」というものを扱っているだけで、全体の色調が暗くならざる得ないのでしょうか?(それとも、これが林真理子の色なのでしょうか?)

主人公の職業や設定はいろいろと趣向を凝らしてはいるのですが、全体的には「知人の死」と「往時の懐旧」として語られることばかり。
「着物」という滅び行く文化を扱うから、こうなってしまうのかなぁ……………。


で、印象に残った箇所。
ある日、馴染みの客の娘がやって来て、唐突に、その常連の死を知らされた場面。
「お知らせいただけたら、ご葬儀にうかがいたかったのですが……」
 そう言うのが精いっぱいでした。
「いえ、母は急にいけなくなりましたので、葬式も身内の者だけで簡単に済ませました」
 切口上というのはこういうことを言うのでしょうか、私はもしかするとこの方に憎まれているのではないかと思ったほどです。しかしたいていの呉服屋は、顧客の娘や息子に憎まれるものなのです。母の心をこれほどとらえてしまったものが許せなくなるのです。
林真理子「着物をめぐる物語」222~223頁 新潮文庫
着物屋が「顧客の娘や息子」(後、旦那と舅)に恨まれることは、よくあることです。でも、それは「母の心をこれほどとらえてしまったものが許せなくなる」のではなくて、単に家計を圧迫するからです…………。


着物をめぐる物語

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近藤仁「経理部長が新人のために書いた経理の仕事がわかる本」

2005-09-10 07:56:59 | 書評
王道なし!


忙しいこともあり、本を読んでいませんでした。…………というのは半分嘘で、実は経理の勉強をしなくてはいけないので「経理部長が新人のために書いた経理の仕事がわかる本」を読んでいました。だいたい一ヶ月くらいかけて……………。

ようやく読み終えたんですが、いい本でしたよ。
決して難しくなく、かと言って、端折っている箇所が(多分)あるわけでもなく。

が!

面白くない…………。本当に「新人のために」書いた本なので、親切ではあるのですが、面白いエピソードや裏話なんかは、ほとんど書いておらず、ただただ経理に必要な単語を網羅的に、そして真面目に解説しています。

だから、大して厚い本でもないのに、読み終えるのに一ヶ月もかかってしまいました。


経理課長や財務課長の方には、新人を体系だって指導していく際の「指導育成書」としても、ご利用いただけるものと思います。
近藤仁「経理部長が新人のために書いた経理の仕事がわかる本」1頁 日本実業出版社
「思います」となっていますが、謙遜です。
この引用通りの本になっています。


経理の勉強をしたい方には、入門書としてうってつけと思われます。

ただし、大企業の経理に必要なことも、多く書かれています。
ので、中小企業の「小」側で生きている人間にとっては、「う~ん、そこまで知る必要は、一生ないだろうなぁ」という記述もしばしばあったことも付け加えておきます。


経理部長が新人のために書いた経理の仕事がわかる本

日本実業出版社

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滝沢敏文「SAMURAI 7 第5巻」

2005-09-08 08:51:24 | 映画評
けっこう、まだまだあるな~


完全惰性で見続ける「SAMURAI 7」の五巻目。
「岩窟王」の方が評判がよろしいと聞きまして、そっちが見たいなぁ~と思いながらも、また見てしまいました。


今回、ついに野伏せりと直接対決する場面があります。
野伏せりは、簡単に言いますと、モビルスーツみたいな馬鹿デカイロボットに乗っています。
それに対して、カンベエたちは、刀一本。

「どうやって戦うんだ?」と思っていましたが、きわてアニメらしく、超人的なジャンプ力で、ロボットによじ登ると、刀で真っ二つでした。

……………まぁいいや。
マガジンの「SAMURAI DEEPER KYO」も、同じ感じだし。
多分、サムライって、そういうもんなんだろう…………。


後、第十話に出てくるメカが、「ガンダム」(Zだったか、ZZだったか思い出せん………)に出てくるモビルアーマーに良く似ていたね。


…………そんくらいの感想しか思い浮かびません。


これまでの感想。
滝沢敏文「SAMURAI 7 第1巻」三船敏郎の菊千代を超えるのは大変だろうなぁ
滝沢敏文「SAMURAI 7 第2巻」なんとなくの感想
滝沢敏文「SAMURAI 7 第3巻」惰性だな…
滝沢敏文「SAMURAI 7 第4巻」やはり、なんとなく


SAMURAI 7 第5巻 (通常版)

GDH

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野村芳太郎「砂の器」

2005-09-05 08:48:14 | 映画評
中居正広のテレビ版の原作は、小説「砂の器」じゃなくて映画「砂の器」だな


映画の「砂の器」を見ました。

昭和49年公開という、けっこう古い作品です。
感想としては、傑作…………とは言えずとも、良作と言っていいでしょう。


小説どころか、中居正広のテレビ版も見ていますから、都合三度目の「砂の器」体験。
もうネタは知り尽くしているので、途中までは、
「二時間に収めるには、あれを削って、これをつなげて、それでまとめちゃうんだぁ~」
と、明らかに斜めから作品を見ていました。


が、終盤の父と子が放浪する場面、つまりは、和賀の犯行の遠因を解説する場面では、僕が酒を飲んでいたこともあって、ちょっとウルウルと来るものがありました。

小説だと、この親子二人だけの放浪場面は皆無だし、中居正広のテレビ版では、ちょっとくど過ぎ(そもそも村八分で、全国を放浪することになったなんて、ちょっと理由としては、…………ねぇ?)。
しかし映画だと、しっかりと、らい病という過酷な現実が描かれていて、まさしく「宿命」という言葉が、しっくりと来るようになっています(エンディングの言葉は、いかにも付け足しだけど)。


ミステリー映画と言いますと、ネタバレのシーンで「あぁ? …………はいはい」と、げんなりすることが多々ありますが、この作品は、それを犯人の悲しい経歴と結びつけることで、最後までテンションを落とさずにまとめていました(ネタを知っていても)。


小説版における「砂の器」という言葉に、単なる犯罪者の浅はかな努力という意味しかなかったのに比べて、映画版には人間存在の悲しみというニュアンスを加えることに成功していると思います。

原作を、うまーく食っているという意味でも、良作でした。


ちなみに小説の感想。
「砂の器 (上)」我は砂の器なり
「砂の器 (下)」犯人が分かっていると、面白さが半減するなぁ

Wikipediaの「砂の器」の項を見たら、同じようなことが書かれていました。(当然のことながら、あっちの方がしっかりまとまっているけど)


砂の器 デジタルリマスター版

松竹

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