先進国の人間が、後進国に行って感動しているのは、どうも苦手
以前、梁石日「夜を賭けて」を読了したので、そのつながりで開高健「日本三文オペラ」を手にしてみました。
物語は「夜を賭けて」の第一部と同じで、大阪の兵器廠跡で鉄屑を盗もうとする朝鮮人と、警察との戦いが描かれています。
これは現実にあった事件です。当時、反権力の姿勢を鮮明にした彼らのことは、アメリカ原住民のインディアンになぞらえて、「アパッチ族」と言われてたようです。
この警察と朝鮮人の抗争は、作家の創作意欲を刺激するものだったらしく、開高健や梁石日の他にも、小松左京の「日本アパッチ族」があります。こちらも、機会があったら読んでみたいです。
「夜を賭けて」と同じストーリーと書きましたが、大きな違いがあります。それは「夜を賭けて」の主人公が在日朝鮮人であるのに対して、「日本三文オペラ」は日本人であるということです。
冒頭の「そのとき」というのは、「屑鉄を盗んでいるとき」です。
両作品とも、屑鉄を拾い、奪い、盗むことを描くことで、社会的な弱者やあぶれ者たちの善悪を超えた、勇ましい生き様を活写しております。「夜を賭けて」では、それが在日朝鮮人と中心にしているのですが、「日本三文オペラ」では、特に限定はされいません。日本人もいれば、朝鮮人もいます。
そのせいなのか、なんとなく開高健の視点が、ぼけているような気がします。て言うか、無責任、覗き見趣味に堕している、…………か?
つまりは、引用文の「哲学者」というのが、まさしく開高健なんですよ。
文庫の解説を読みますと、作者の開高健自身が、アパッチ族と起居を共にしたこともあったらしいです。
一緒に暮らすことで、
「この浅ましいまでの率直な生き方こそ、人間の生の開花だ!」
と感動している作者の姿が見えるんですが、当事者からすると、余計なお世話じゃないのかな~?
それが、どうしても小説の行間から臭ってくるような気します。
ちょっときつい評価になってますが、同じ開高健の作品で、「輝ける闇」は文句がなく楽しめたので、辛い採点になってしまいました。
「輝ける闇」は、作者がベトナム戦争に従軍した体験を小説形式で述べているんですが、こっちは傍観者の適当さや悲哀、諦念が、しっかりと書かれています。
それと比べちゃうと、「日本三文オペラ」は、読んでいると「なんか高い視点だね」という反感が出ないでもないです。
日本人が書いたのだから、日本人の視点になってしまい、日本人の小説になってしまうのは、しょーがないことなんでしょうけど。
まぁ、以上のことは、どちらかといいますと、あらさがしに類するものです。
個人的には、「夜を賭けて」と併せて読んでみることをお勧めします。
以前、梁石日「夜を賭けて」を読了したので、そのつながりで開高健「日本三文オペラ」を手にしてみました。
物語は「夜を賭けて」の第一部と同じで、大阪の兵器廠跡で鉄屑を盗もうとする朝鮮人と、警察との戦いが描かれています。
これは現実にあった事件です。当時、反権力の姿勢を鮮明にした彼らのことは、アメリカ原住民のインディアンになぞらえて、「アパッチ族」と言われてたようです。
この警察と朝鮮人の抗争は、作家の創作意欲を刺激するものだったらしく、開高健や梁石日の他にも、小松左京の「日本アパッチ族」があります。こちらも、機会があったら読んでみたいです。
「夜を賭けて」と同じストーリーと書きましたが、大きな違いがあります。それは「夜を賭けて」の主人公が在日朝鮮人であるのに対して、「日本三文オペラ」は日本人であるということです。
もしもそのとき誰かがそこにいたら、たちまちこの男を三つの現行犯と一つの予防措置考慮で告発することができるのである。しかしもしその誰かが哲学者であって、およそ地球上に存在するものはいっさいが有用であり効率をもつものであるという理論を証明しようと考え、その理論の成立をさまたげるいっさいのものを排除しようという情熱をもっていたら、この男の行為と、その薄暗い眼に起き上がってきたある表情を見て、いささか手荒いが生産的な実践者の誕生を知って、ちょっぴりたのもしい気持になったことだろう。(開高健「日本三文オペラ」41頁 新潮文庫) |
冒頭の「そのとき」というのは、「屑鉄を盗んでいるとき」です。
両作品とも、屑鉄を拾い、奪い、盗むことを描くことで、社会的な弱者やあぶれ者たちの善悪を超えた、勇ましい生き様を活写しております。「夜を賭けて」では、それが在日朝鮮人と中心にしているのですが、「日本三文オペラ」では、特に限定はされいません。日本人もいれば、朝鮮人もいます。
そのせいなのか、なんとなく開高健の視点が、ぼけているような気がします。て言うか、無責任、覗き見趣味に堕している、…………か?
つまりは、引用文の「哲学者」というのが、まさしく開高健なんですよ。
文庫の解説を読みますと、作者の開高健自身が、アパッチ族と起居を共にしたこともあったらしいです。
一緒に暮らすことで、
「この浅ましいまでの率直な生き方こそ、人間の生の開花だ!」
と感動している作者の姿が見えるんですが、当事者からすると、余計なお世話じゃないのかな~?
それが、どうしても小説の行間から臭ってくるような気します。
ちょっときつい評価になってますが、同じ開高健の作品で、「輝ける闇」は文句がなく楽しめたので、辛い採点になってしまいました。
「輝ける闇」は、作者がベトナム戦争に従軍した体験を小説形式で述べているんですが、こっちは傍観者の適当さや悲哀、諦念が、しっかりと書かれています。
それと比べちゃうと、「日本三文オペラ」は、読んでいると「なんか高い視点だね」という反感が出ないでもないです。
日本人が書いたのだから、日本人の視点になってしまい、日本人の小説になってしまうのは、しょーがないことなんでしょうけど。
まぁ、以上のことは、どちらかといいますと、あらさがしに類するものです。
個人的には、「夜を賭けて」と併せて読んでみることをお勧めします。
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