summer diary

日記らしきページ

今日、真夏?

2024年10月02日 | Weblog
 10月2日。 このところの早朝は少し涼しい感じがしていて、いよいよ秋らしい?と思っていたが、今朝はすでに暑い。 日差しが強く、風もないし、夏と違う気がしない。 今日も最高気温は30度を超えて、夏日になる所も多くなる様子だ。 10月に入ってもこの暑さは変わる事がないし、果たして、何時から涼しくなるんだとうと・・・。 今日はすでに洗濯物も干し終わって、朝ごはんも済ませて、のんびりとPCに向かっている。 借用している駐車場の料金を振り込んで、預金から引き落とされている金額などを確認して、投資信託などの変動も確認してと。 
今日の午前中にはインフルエンザの接種予約をすることにする。 昨日はいつも予防接種やワクチンの接種をする病院が休日だったので、予約できなかったので、今日は午前中に予約を入れる。 今月に接種予約できるならいいが、できないなら、来月になる。 まっ、仮にバイト日であっても、明けの日でも午前中の10時頃なら問題ないので、予約はいつでも出来る。 
この病院は土日でも接種可能なので、おそらくは、土日の方が混雑しているのだろうか? インフルエンザはバイト先から接種するように要望があるので、去年から接種しているが、それ以前の契約社員の時には接種することは無かった。 それ以前の60歳までの現役時は会社で接種出来るので、ある意味では強制的に接種していたが。 
65歳以上の接種は市からの助成金があり、1000円で接種出来るし、バイト先からはこの1000円も負担してくれるので、実際には無料で接種が出来る。 
インフルと同時にコロナワクチン接種の助成金と予防接種の案内があり、こちらは、2000円の負担になる。 まだコロナ感染も完全に収束されていないので、コロナワクチンも接種しておこうかな・・と思うが、今のコロナウイルスは株が変異する速度が速く、適切なワクチンが追い付いていない状況らしく、ワクチンの効能が低いとの話である。 
さてと、今日はバイト。 バイトだからと言っても、日中は家でのんびりとギターなども弾いて過ごすので、仕事と言うような感覚は無いが。
昨日は息子達の布団を干して、今週末に帰省する息子や孫娘達が使用する前にはシーツを付けて準備する。 
帰省して泊まる前には必ず布団を干して準備している。 もちろん、帰った後でも干してから圧縮袋に入れて、押し入れに入れるのである。 毎回、こうしたことをしているが、果たして、これもいつまで出来るだろうか。 
孫娘達が幼い時期に限られるだろうか。 ある程度の年齢になったら、この爺、婆の家で寝泊まりする事があるだろうか・・・。 

それにしても、近年の天然災害、気象変動による甚大な被害などは、日本だけではなく、世界的に頻発していると言っても良いだろう。 
アメリカやネパール、フィリピンや中国などでも豪雨による洪水、土砂崩れなどで家屋の倒壊などで大きな被害が起きている。 
間違いなく、地球温暖化による気候変動だろう。 年々台風の規模が拡大していて、想像を超える被害に繋がっている。 果たして、数年後、数十年後、数百年後の地球の環境、未来はどのような姿になっているだろうか? このまま温暖化が進行すると、人間が平常に生きるには厳しい世界が待っている気がする。 
今、世界では未だに戦争などで国同士が争っているし、経済的な敵対関係や、一方的な領土搾取なども進められるような状況だ。 テロも未だに消える事などないし、今はネット上でも脅威が広がっているし、将来は宇宙戦争などとSFの世界だと思っているような事態も想定される。 
人間はこうしていつかは滅亡の道を歩むのか? 今はまだ平和に思える日本やアメリカや、欧州、その他の国家であるが、果たして、こんな平和がいつまで続くだろうと・・・。 戦争はもちろんだが、その前に気候変動と言う、人間では手に負えないような脅威が訪れる日もそれほど遠くない気もする。 
まっ、高齢の私などはそんな未来を見る前に死んでいるので、ある意味では幸いかも? ただ、孫娘やそのさらにひ孫や、玄孫や、さらに・・。 この青空がいつまで続くだろうか? この平穏な日常がいつまで続くだろうか? 
日本は食料や燃料、その他の物資の多くを海外からの輸入に頼っている。 果たして、日本にこれまで通りに物資を提供する事が可能だろうか?
世界的な食料危機になった時、世界的な物資不足になった時、さらには、こうした状況で、経済的な安定は維持できるのか。 
未来を楽観することは簡単だし、何事もポジティブな意識を持つことは大切だが、果たしてそんなお気楽な気分でいられるような世界が続くだろうか? 

さて、今日もいつも通りの日常だ。 ギター練習も、筋トレも、バイトも。 私の人生がいつまで続くのかは未定だし、いつまで生きて居るのかも分からないが、仮にいつか人間が滅亡するにしても、それはある意味では自然な成り行きで、これは生物的だけではなく、宇宙的な生命の運命なんだろうと達観することも出来るだろう。 滅びることは憂う事ではない。 人間だけではなく、宇宙にはそうした失われる生命もいるだろうし、新しく生まれる生命もいるだろう。 惑星の消滅や、恒星の消滅や、新しい惑星の誕生や、そこに生まれる生命もいるだろうし、そうした宇宙の営みも無限に続くだろう。 宇宙の起源や宇宙の時間軸から計算しても、人間の誕生から絶滅(するか)までの時間など、本の数秒にも満たないような存在なのかもしれないし、そうだろうと思う。 さらに言えば、人間一人の人生などと・・。 これは塵ほどの存在すらないだろう。 まっ、こうした考えは極端な意識だと思うが、何かに対して心を動かされたり、すぐに反応したりすることは、時に良くない方向に進むことになる。
どんな状況でも達観できるような意識が持てるなら、物事の良し悪しの判断を間違うよな事も少なくなるだろうが、所詮は人間の嵯峨は消えないのである。 
どんなに悟りの境地に到達できたとしても、最後は所詮は人間の根本的な意識を変えることは出来ない。