summer diary

日記らしきページ

2010年02月06日 | Weblog
朝起きると一面が雪でした。 この辺では年に1度あるかないかのことです。 子供の頃はこの辺でも結構冬季には雪日が多かったと記憶していますが、ここ何十年の間に雪が降ることはめったにないことになりました。 子供たちは雪が降ると当時でも今でも結構うれしくてワクワクして外で雪合戦をして楽しんでいます。 雪の朝は子供たちの「キャーキャー」言いながら遊ぶ声が聞こえてきます。 昼近くになってもいまだに雪がちらついていて雲も覆っているので、今日は一日中こんな天気が続くのかなーっと思います。

ここ一週間程前にトイレの便座の保温機能が壊れてしまいトイレに行く度に冷たい思いをしていた。 今日はその修理に来てくれる日ですが、保温機能の壊れるタイミングと修理のタイミングとこの天候(雪)がなんだかすでに決まっていたかのように結びつきを感じる。 
こうしたことは結構ありがちな事ではあるが、人生を振り返ったりするといろんな場面や出来事がある種の必然性から成り立っているような気がしてなりません。
その必然性とはある意味の運命みたいなものですが、人との出会いとか、事柄なども予め決まっていたかのような繋がりを持った必然であるともいえるのではないだろうか。

トイレの便座の話から人生の運命感に結びつけるのはちょっと異色な感じかも知れないけど、
意外と物事の真実はたわいのない出来事が人生と言う路線を決定している道筋(点)だったりするような気がします。
仮に(仮定の話は「たら、れば」であり、結果論でしかないが)・・・であったら、現在は違った道を歩いていたであろうという事柄は誰にでもあると思う。
ほんの一瞬の決断ややる、やらない、出来る、出来ないの判断がその後の人生を左右する必然となる要因であることは確かなことです。
どちらでも結果として現在は同じあるということはないでしょう。 もしそうなら、人生は予め決められている運命なので、何をどのようにしても同じであるということになってしまいます。
人生は運命あると思いますが、その運命は一つ一つの自分自身の意思や決断や行動の結果であり、現在を運命とするなら、その一つ一つの事柄(点)と事柄(点)を繋げて観て見ると、やはりそこに必然性を感じるのではないでしょうか。
その必然こそが運命(決められた人生)を感じるのではないだろうか。