前回に引き続き浜松市の東隣・磐田市見付より、
磐田市のシンボルともいわれる建造物の一つ、旧見付学校です。
旧見付学校は明治5年(西暦1872年)の学制発布を受け、翌年8月に宣光寺、
省光寺などを仮校舎として開校しました。
新築工事は明治7年(西暦1874年)10月に工事着手、翌年8月7日に落成、
開校式が挙げられました。
現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎で、国の史跡に指定されています。
当時の授業風景です。
当時は筆記用具として石版と蠟石(石筆)が使用されていました。
そういえば「赤毛のアン」ではアンがギルバートの頭を石板で殴るシーンが
ありましたね。
校長先生。
明治7年の見付学校の生徒数は男子179名、女子116名。
就学率45.8%、男女の比率は約6:4でした。
全国的には就学率28.1%、男女の比率が8:2ですから、
いかに見付地区の就学率が高かったか、特に男子に匹敵する女子の就学率には
目を見張るものがあります。
当時の子供は絣(かすり)の着物で通学していました。
絣は、値段も安く洗濯にも強くて丈夫なため、明治から昭和前期まで普段着
や野良着として使われました。
家庭では勉強机が親から子、兄弟、姉妹と受け継がれていきました。
2階の窓からは隣の淡海国玉(おうみくにたま)神社が見えます。
旧見付学校に隣接して磐田文庫があります。
淡海国玉神社の神官大久保氏が寄付と私財を合わせて設立した私設図書館です。
旧見付学校と共に国の文化財に指定されました。
今回紹介した旧見付学校は磐田市により無料で公開されています。
何から何まで有料でセコい事NO.1の浜松市とは大違いですね。
最後に、話題はガラリと変わって、
飲兵衛昔取った杵柄で時事狂歌など一首。
うっ!暗いな 輝き無くしたプーチンの
ハゲた頭に降る春の雪
「うっ!暗いな」って分かるかな~(笑い)
>現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎で、国の史跡に指定されています。
↑↑
外観〜、とても洋風で、素敵ですね〜💖
お教室風景では、等身大みたいなお人形さんの存在により・・・、先生と生徒さん達の様子が、わかりやすくって、楽しめました〜👍
旧見付学校のお教室〜、
当時の、リアル感あって、興味深いので、いつか、このお教室を、見に行ってみたいですね〜😊
記事最後とその上の、お写真が、とっても美しいです〜😍
「うっ!暗いな」・・・これは、
すぐにわかりましたよ〜♪
明治8年に完成した磐田市の旧見付学校、見事に保存されて
いました。
等身大の人形により当時の授業風景が再現されていて、分り
易かったですね。
この学校は地上3階建ての上に、楼閣の様に小さな部屋が
4階、5階とつながった、随分と変わった5階建てになって
いました。
最後の「うっ!暗いな」
駄洒落でごめんなさいね~。
明治7年に建てられた校舎がまだのこってるとは凄いですね~
自分が通ってた小学校は明治5年だそうですが?もう既に新しい校舎です。
何回目?
当時は小学校も就学率はそのくらいだったのですね~
彼らに逆らうものは全員悪役
フセインや東条英機のような運命になるのかな?
正力松太郎のように寝返りすれば生き延びれるかも(笑)
明治初期にあのようにモダンな建物ですから、通学した
生徒さん達もさぞかし鼻高々だったでしょうね。
それにしても当時は、女子教育など必要ない、というのが
一般庶民の考えでしたから、見付地区の女子の就学率の高さには
感心させられました。
アフガニスタンのタリバンに見せてやりたいですね。
飲兵衛が狂歌など戯れ歌を始めたのは、不祥事続きの第一次安倍内閣
の時でした。
その時の歌を一首。
小泉の清きに魚の住みかねて
流れ濁りて安倍川となり
素敵な⁉︎お洒落な⁉︎学校ですね。
浜松屋飲兵衛様の説明で「なるほど…」とうなずくばかりでした(^◇^;)
最後のダジャレ、わかりましたよ〜👍
明治の初めにこのようにお洒落な学校が、
それも当時の記録によると現磐田地区だけでも同様のデザインの
学校が3校も建てられたとといいますから、
いかに明治政府が教育に情熱を注いだかわかりますね。
最後の狂歌は駄洒落で失礼しました~。
言われなければ学校だと分かりませんでした。
明治の初めに建てられたのですね
江戸時代から明治時代に代わったばかりでもう時代の先端を行くような時代を先取りしたかのような洋風のお洒落な建物が建てられていたんですね
立派な建物ですね
貴重な建物はいつまでも残っていてほしいです。
プーチンさんちょっと前までは
若々しいイメージでしたが
久しぶりに見たらびっくりしました。
維新が成ってからまだ日の浅い日本・
まだまだ不穏な空気も有ったころ
子女の教育は最大の日本の資源と言うことですよね。
それでも女に学問は要らないと言われた時代に
旧見付地区の就学率は素晴らしいですね。
勿論 最後のオチは十分分かりましたとも。
明治初期に、この様にモダンな洋風校舎は、さぞかし磐田見付の
人達の注目を集めた事でしょうね。
「国家百年の計は教育にあり」
明治政府の教育対する熱意がひしひしと伝わってきますね。
又この貴重な校舎を保存、無料公開している磐田市にはただただ
感謝の一言ですです。
時の権力者を茶化しおちょくる、これぞ狂歌の醍醐味で、
世の中を斜めに見る飲兵衛、つい昔の癖で一首詠んでしまいました。
明治初期、世間一般では女子教育など必要ないという風潮にも関わらず、
見付地区の女子の就学率の高さには目を見張るものがあります。
浜松は先の戦争で徹底的な空爆にあい、当時の建物や資料が喪失して
しまいました。
おそらく同じ様に就学率が高かった事と推定されます。
飲兵衛遠州人として我が郷土を誇らしく思います。
最後の狂歌、駄洒落でごめんなさいね。