3月11日、今日は日本中の人が心を一つにし、3年前のあの惨事を思うことでしょう。
今でも思い出すだけでも恐怖、日々拭い去れない恐怖を抱えている方も多い事でしょう。
遠く離れた東京ですら、あの揺れの恐怖は今でも鮮明に覚えていますし、原発事故も発覚し、それからの得体の知れない不安な日々・・・。
昨日の 3月10日は 新聞の紙面も 「明日が震災から3年目の日」 という記事で1面からいっぱいでした。
テレビのニュースもです。
3月10日は、 『東京大空襲』 の日なのに。今年で69年目。
テレビのニュースでも少しだけ取り上げられているだけでした。
読売新聞でも(他を確認していません) 全国版には見受けられず、都民版のページで特集記事があるだけでした。
『東京大空襲』 という惨事を身近に捉えられるようになったのは、父が体験者と知った時からでした。
4年ほど前に私が車を運転し、状況した両親と一緒にどこかへ出かける時でした。
「自分の下宿先は運よく無事だった。辺りは焼け野原だった。
上野公園には焼け焦げた本当に炭のようになった人間とも思えないような死体が集められていた。
先輩は遺体収集に駆り出されていた。
逃げ場が無いように計算された恐ろしい空襲だった。周りから火で焼け尽くしているのだから・・。一瞬にして10万人もの人が殺されたのだ。」 と。
戦争に駆り出される事も無かったのだから、いわゆる戦争体験はしていないのかと思っていましたので、驚きました。
その場はそれでやり過ごすような状況でしたが、頭から離れず、後になって、思いを巡らしました。
当時、15歳? 秋田の田舎から学校へ(高校)入る為に上京しひとり谷中で下宿をしていた父。
今のよう簡単に電話で話す事も出来ずに、その惨状を目にし、体験した恐怖を分かち合ってくれる人は居たのだろうか・・・どうやって癒していったんだろうか・・?
私に出来る事は?
まずは風化させることが無いように、このような場を使って語り継ぐ事かと思います。
10万人もの亡くなった人の周りにはどれだけの悲しみがあるのだろう・・・と思いを巡らしてもらう事。
東日本大地震も含め、忘れていない・・・というメッセージを送り続ける事は大切と思います。