携帯電話を持たないお休みを頂きました・・・。
お陰様で、しっかりお休みが出来ました。
TVも新聞も読まないでいたので、しばし、頭を空っぽに出来ました。
(いつも同時進行で抱えているとパンクしそうになり、危険です。)
ブログの更新もしばらくしていませんでしたので、アクセス0・ゼロでもおかしくないのに、毎日見て下さる方がいて・・。
ありがとうございます。
そんな中、盲導犬のニュースには胸が痛みました。
今までも日々、急に足を出される、だとか、ガムをくっつけられていた、だとか、悲しくなる現実がある事、更に今回の事件の報道により、
『痛くても訴えられないように躾られていることが虐待、と責められる』 だとか、『本当に泣かないか試してみる人がいる』 だとか、本当に目を覆いたくなるような・・・・。
健気に何事も無いように歩き続けたのはあの子(オスカー君)の意思だと思います。
躾 = 命令 ではなく、ご主人を守り抜く、という意思があったから。そしてそれが喜びで。
『気付いてあげられなくて・・・』 という思いは、言葉が話せない動物に向かい合った際、みなさん感じるものです。
目の前で行われていた事を止められなかった、そして犯人の顔を見られない事の恐怖。
オスカー君の傷(心も)と共に心の傷は深い事でしょう。
私自身も飼い犬(ミニ柴並の柴犬)を不注意で外に出してしまい(一緒に出社していたのですが、入口(当時はビルの一室)のドアが開いているのに気付かず)、目の前で保健所の人に捕獲されたのです。
名前を呼んでも私の方に来てくれず逃げ回り、保健所の人に、ニコニコと近づいて行ったので、抱き上げてもらえるのかと思ったのですが、首に針金の罠(?)を架けられ,「キャーン!」 と悲鳴を上げました。
一瞬の事でした。あまりの驚きですぐさま抱き上げて、、でも、もがくと余計にきつく締まる仕組みで、、、
私自身もトラウマで、思い出したくもないのですが、それ以来、誰かが撫でようと上から手を出すと 大きな叫び声を上げ、一度はリードをつけようとして激しく噛まれました。
疑うことを知らず、人間を信じていたのに・・・怖かったよね、ゴメンね・・・
そんなこともあったね・・と今は天国で思っていてくれるかな・・・。
オスカー君、どうぞ、心無い人間ばかりではありませんから、安心して と言ってあげられるように周りの方は見守ってあげましょう。
よろしくお願いします。