ストローハットの行ってきました

あっちこっちお出かけ写真です。

西本願寺

2022年08月31日 | 京都府

8月28日「西本願寺(にしほんがんじ)」に行ってきました。京都市下京区堀川通花屋
町(はなやちょう) 京阪電車「七条 駅」より歩いて20分くらいです。



08:30 一番出口より上がってきました。



「七条大橋」を渡ります。



鴨川しずかに流れています。 今日は曇り、暑いのちょっとまし。 (^^♪



七条通をまっすぐ西へ。目的地まで一本道です。



京都タワー見えてきました。 左の建物は「APAHOTEL KYOTO」です。 (^^♪



こちらは「東本願寺」さん 通り過ぎてと。西本願寺さんから300mくらいの所にJR
京都駅から出るバスの停留所があるんですが、最近お散歩あんまりしてないので
ウォーキングということで老体にムチ打って歩くであります。 (^^♪




ではまっすぐにと。 (^^♪





「Wine蔵しおり」さん。 ワインとお肉のレストランです。いい感じの佇まい。 (^^♪



「西本願寺」さん見えました。



京都のお寺さんですな。お寺さんの前は「堀川通」自動車走っています。東本願寺
さんの前もこんな感じです。「二条城」の前もこんなんやね。(^^♪




「堀川」水は流れてません。戦後の下水道整備工事で水流はほぼ消滅。平成になって
から水流を復活させる工事がおこなわれました。整備区間4.4km。この辺は暗渠にな
ってるみたいです。




「西本願寺 御影堂門(ごえいどうもん)」の前につきました。



「龍谷山(りゅうこくざん)本願寺」文永7年(1272年)開山は顕如上人。親鸞の廟堂
として京都東山大谷に創建されました。その後点々と場所を変え、天正9年(1591年)
秀吉の寄進により大坂天満(石山本願寺)からこの地に移ってきました。浄土真宗大谷
派本山。通称「お西(にし)さん」です。 (^^♪




道路をはさんでこちらは「総門」です。いまよりお寺さんだいぶ広かったのかな。 



境内に入りました。大きなお堂です。



因みに、お東さんの正式名称は「真宗本廟(しんしゅうほんびょう)」東本願寺は
通称です。二つに分かれた経緯を調べました。信長との「石山合戦」が元々の原因
らしいのですが、書くと原稿用紙1枚は超えるので割愛ということで。 (^^♪




西本願寺さんも通称です。境内で西本願寺と書かれたものはこのパネルしかありま
せんでした。(^^♪



広いね。お東さんとは仲違いで別れたのですが、いまでも仲悪いのかな。 (^^♪



「和顔愛語」仏教用語。やわらかな顔で愛情のこもった言葉で話す云う意味です。
人と話す時はこうありたいものですな。おっちゃん修行足らんからなぁ。すぐ顔に
でるからなぁ。 (^^♪





大きなイチョウ (^^♪



なるほど。



「逆さ銀杏」なるほど天に根を広げてる !(^^)! 



樹齢400年 !(^^)!


それでは「阿弥陀堂」へ。





「阿弥陀堂」宝暦10年(1760年)再建。東西42m・南北45m・高さ25m。






堂内撮影OK。



ご本尊は「阿弥陀如来像」です。



こちらは「阿弥陀堂門」



六角灯篭 美しい。 !(^^)!



渡り廊下を歩いて。 



外から見るとこんな感じ (^^♪



「御影堂」 寛永13年(1636年)再建。東西48m・南北62m・高さ29m ・ 畳441枚
柱227本・瓦115000枚 !(^^)! 世界最大級の木造建築 !(^^)!





「親鸞上人」の木造が安置されています。



襖絵もきれい。 



「蔀戸(しとみど)」日光や風を防ぐものですな。



「阿弥陀堂」にもどります。



朝のお勤めかな。 (^^♪





「唐門」とか「飛雲閣」とか他に見るとこあったんですが、気づかずに帰りました。
境内図も見とったのに。夏バテ気味ということで、今日はこれでええとしょっ。 (^^)/



風はいり  仏も涼む  長廊下  (^^)/~~~








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伏見稲荷大社Ⅱ

2022年08月24日 | 京都府

8月22日「伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)]に行ってきました。京都市伏見区
深草薮之内町(ふかくさ やぶのうち ちょう)京阪電車「伏見稲荷駅」より歩いて5分です。



週末雨模様でしたので月曜日に行ってきました。 さすがご隠居さん生活。 (^^♪



駅のなかも外もきつねさんいっぱいです。(^^♪

コインロッカーも !(^^)! グッジョブ  !(^^)!

08:10 駅を出て参道へ。 通勤時間帯は過ぎたのかな。さすが平日やね。 

7年ぶりにやってまいりました。 (^^)/

きれいなお店ならんでいます。 箸屋さんね。

「手作り箸工房 遊膳(ゆうぜん)伏見店」さん。お箸に名前彫ってくれるのね。(^^♪



橋を渡ってと。

こちら傘屋さん。「喜来々(KIRARA)」 

鳥居をくぐります。 逆光 (^^♪



改修工事してはるね。



境内にはいりました。 きれい (^^♪



身を清めてと。

御本殿へ。



「楼門(ろうもん)」天正17年(1589年) 秀吉が再建しました。

なにを咥えてるのかな。

「伏見稲荷大社」東山三十六峰最南端の「稲荷山」の麓にある全国に三万社ある
と云われる稲荷神社の総本社です。五穀豊穣を意味する「稲が成る」からイナリと
いう名が付いたとか。農耕の神様ね。(^^♪



「外拝殿」



「内拝殿」奥に御本殿がありますが、撮影禁止です。お賽銭をと (^^♪



「おみくじ授与所」



では「千本鳥居」へ。



神さんならんではります。 





この上ね。



境内には合わせて1万基の鳥居があると云われています。





ここから「千本鳥居」です。右側通行。



なかなかの色 なかなかの光 (^^♪



こちら往路の鳥居 間隔ピチピチ。 (^^♪



キツネはお稲荷さんの眷属といわれています。神の使いですな。(^^♪



出口がみえます。



これは稲穂ですな。キツネさんは、赤い前掛けをしています。狛犬はしてないのにね。

理由を調べたけどよくわかりませんでした。(^^♪



「奥社奉拝所」撮影禁止であります。こちら「おもかる石」。
お賽銭をあげて、灯籠の上の石を持ってと。 (^^♪



重い (^^)/ 努力が必要ですか。おっちゃん努力とか頑張るとか性格にあわんしなぁ。
適当とかボチボチとかいうワード好きやしなぁ。座右の銘は「明日できることは今日
しない」やしなぁ。どないしょ。  (^^♪




「稲荷山」へ。



「根上りの松」



さわると御利益あるのね。 (^^♪



これなにかな。おさるさんでもなし。ライオンさんでもキツネさんでもなし。はて (^^♪



横から。



右へ。





前回に引き続きここで後戻りです。お山をめぐると一時間ぐらいかかります。
おっちゃんの体力の限界を超えておりますので。ごめんちゃぃ (^^♪



帰るときはこっち。一方通行。







きつね座し 出迎え守る 神の域 (^^)/~~~ 
キツネの季語は冬なんですが、まぁええか  (^^♪




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野見神社

2022年08月17日 | 大阪府

8月14日「野見(のみ)神社」に行ってきました。大阪府高槻市野見町  阪急電車
京都線「高槻市駅」より歩いて8分くらいです。



「EMIRU TAKATUKI(エミル タカツキ)」エキチカショッピングセンター 2020年11月

20日 リニューアル開業 きれいね。出口7へ。



駅前交差点から。こちら「高槻センター街」にぎやか。



こちら「城北通り(じょうほくどおり)商店街」ちょっと寂しい こっちの方が
近いのね。 ではこちらから (^^♪



「城跡公園」のすぐ近くということで 左へ。



街路灯 なんかいい (^^♪



「高槻カトリック教会」 りっぱなチャーチね。そうね。高槻城城主キリシタン大名
の「高山右近(たかやま うこん)」さんの地元やもんね。



「高山右近記念聖堂」が教会内にあります。上の画像の建物がそうなのかな。 (^^♪




こちらレリーフ。




神社さんの前に着きました。初参りですな。おめでとうございます。 (^^♪



「野見神社」宇田天皇(887年~897年)の時代、この地に疫病がはやりご神託により
「須佐之男命(すさのおのみこと)」を祀ったところ疫病が治まったので社殿を造営
したのが始まりとか。




「花手水」 綺麗  !(^^)!



まずは拝殿(平成15年改築)へ。ご本殿(天和2年 1682年 再建)はこの奥かな。
お賽銭をと。





暑いし いつ雨ふるかわからんし 近場で いうことでやってまいりました。(^^)/
風鈴きれい (^^♪




城北商店街の「石田花店」さんが毎週奉納してくれてはります。お盆だから「鬼灯
(ほおずき)」ね。HPを見ると色彩豊かな花手水の写真も載ってたんですが、これ
はこれでいいかも シンプル (^^♪






御朱印もきれい。 (^^♪



「ご神木」かな。



神々しい。(^^)/

  

神社のもう一つの御祭神は「野見宿禰(のみのすくね)」日本で初めて相撲を行った
神とされています。それに因んでのことと思いますが、



子供さんの成長を祈願する神事「泣き相撲」が行われている神社さんの一つです。(^^)/
今年は4月29日(昭和の日)に行われました。開催地によってルールがまちまちなようで
先に泣いた方が勝ちとか反対に負けとか、泣くか笑うかどっちでも先のほうが勝ちとか
負けとか色々あるそうです。 (^^)/



こちらは「永井神社」ほかに「小島神社」などの摂社が境内にあります。



では境内を出て「高槻城跡」へ。



あれがそうね。



なんか大きな工事中です。



公園のリニューアルなのね。「安満遺跡公園」とか高槻市さんは公園整備にリキ
はいってますな。いいと思います (^^)/






「城址公園」リニューアル後は「高槻城公園」になります。野見神社は、高槻城の
守護神社でした。でも高山右近が城主になって、城内の社は取り壊されたそうです。
御災難でしたな。 (^^♪




緑の池 いい感じ。 (^^♪



「高山右近 像」



松永久秀や荒木村重・信長・秀吉と主家を変えながら戦国時代を生き残ってきました
が、徳川幕府のキリシタン禁止令によりマニラに追放となりました。1615年2月3日 
享年63歳 マニラ到着40日後に息を引き取りました。波乱万丈だったみたいね。






橋を渡ります。



カメさん 甲羅に水草ですかコケですかね 付いてますよ。あんまり動きはれへんの
かな。じっとしてるとなんでもくっ付きますよ。 おっちゃんもあんまり普段動きま
せんです生活してるんで
色んなものがくっ付いています。
なにがくっつくねん。 (^^♪







こちらは児童公園かな。 遊具いっぱい。タコさんすべり台 (^^♪  
やっぱり雨ふってきました。撮るもん撮ったし早々に帰りましょっと。(^^)/





ほおずきに 風鈴ひびいて 水ふるえ     (^^)/~~~




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東福寺Ⅱ

2022年08月10日 | 京都府

8月7日「東福寺(とうふくじ)」に行ってきました。京都市東山区本町 京阪電車
「東福寺駅」より歩いて10分くらいです。



09:00 駅に着きました。JR西日本 奈良線「東福寺駅」がとなりにあります。 



伏見(ふしみ)街道を東福寺さんへ。



「伏水街道(呼称同一)第二橋」東山山麓から流れる川に4本の橋が架けられて
いました。一ノ橋とこの二ノ橋は川が暗渠化されたため親柱だけが残されています。




「伏見街道」 五条通りを起点として伏見区の京町通りにつながる街道です。秀吉に
よってひらかれ西国大名の参勤交代の道ともなりました。




「北門」からはいります。



ここから本堂まで塔頭寺院さんがならんでいます。



「霊源院(れいげんいん)」水子供養のお寺さんです。



お地蔵さん かわいい (^^)/



二十五の塔頭寺院さんが点在しています。



「退耕庵(たいこうあん)」・「霊雲院(れいうんいん)」などの塔頭さんを通り
すぎ、「臥雲橋(がうんきょう)」を渡ります。



「通天橋(つうてんきょう)」が見えます。(^^♪





ワンちゃんおしりかっこいい。(^^)/



「日下門(くさかもん)」より本堂へ。




手前は「仏殿(本堂)」後方は「三門(さんもん)」です。



「慧日山(えにちさん)東福寺」嘉禎(かてい)2年(1236年)創建。開基「九条
道家(くじょう みちいえ)」開山「聖一国師 円爾(しょういちこくし えんに)」
臨済宗東福寺派の大本山です。御本尊は「釈迦如来」紅葉の名所です。 (^^♪



それでは「通天橋」へ。by the way 開山と開基の違いのウンチクをと。簡単にいい
ますと開山は初代住職。開基は創建の資金援助 スポンサーになった人ですな。(^^♪



境内主要伽藍の北に「洗玉澗(せんぎょくかん)」という峡谷があります。そこに
先ほどの「臥雲橋」とこの「通天橋」さらに「偃月橋(えんげつきょう)」の三本
の橋が架かっています。



4年ぶりにやってまいりました。前回は「天得院(てんとくいん)」さんの桔梗が
お目当てでしたが今回は、




通天橋の風ぐるまです。 涼しげ。 (^^♪



上も涼しげ。 映え〜 (^^♪



JR東海 夏の観光キャンペーン「京の涼さがし」の一つです。そうね新幹線の京都駅は
JR東海さんの管轄やもんね。 そよ (^^♪




お庭のみどりとの色合いが抜群ですな。

ゆら (^^♪

回りだした。 くる (^^♪



お庭から。





臥雲橋が見えます。 紅葉の季節はこの橋が人でいっぱいになります。 (^^)/



通天橋を出てお庭へ。



百日紅 いい色 !(^^)!



こちらは「開山堂」上にあがるのね。 前回行ったからやめとこ。 (^^♪




「洗玉澗」へ下りていきます。



水は流れてないね。橋を見上げて、いい緑 (^^♪



これは「通天橋」ね。



上ってきました。



それでは「方丈」へ。



お庭を観に行きます。



「方丈八相(はっそう)庭園」昭和14年(1939年)完成。作庭「重森三玲(しげもり
みれい)」。

「南庭」枯山水ですな。雄大 (^^)/



向かいの門は「恩賜門」です。明治天皇の皇后「昭憲(しょうけん)皇太后」の
寄進とされています。

和むなぁ。 (^^♪

「西庭」 お庭は撮影OKですが室内は撮影NGです。



皐月の刈り込み後です。 (^^♪



「北庭」



「方丈」を出ます。



「仏殿(本堂)」明治14年(1881年)焼失。昭和9年(1934年)再建。高さ25.5m
間口41.4m。 大きい (^^)/ 御本尊が安置されています。お参りしてきます。
中には入れないみたい。外からお賽銭をと。



仏殿の正面は「三門(さんもん)」です。



これも大きい (^^)/



「三門」応永(おうえい)32年(1425年)室町幕府第4代将軍「足利義持(よしもち)」
が再建しました。現存する禅寺三門としては日本最古ものです。



「思遠池(しおんち)」のハスをみて帰ろう。



咲いてる 咲いてる (^^)/

全開です。 (^^)/

三門 正面をのぞむ。 (^^♪







かざぐるま そよと目で聴く 風のこえ     (^^)/~~~




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金戒光明寺

2022年08月03日 | 京都府

7月30日「金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)」に行ってきました。京都市左京区
黒谷町(くろだにちょう) 京阪電車「祇園四条駅」より京都市バスに乗りかえ
「岡崎道(おかざきみち)」バス停下車、歩いて10分かからんですかね。



バス停のある丸太町通りから岡崎通りにはいります。



しばらく歩くと道標がありました。右は「くろたに」。左は「ちおんいん」かな。
方角あってるかしら。 (^^♪



「高麗門(こうらいもん)」が見えてきました。09:05 参道のお店開いてるみたいです。



こちら昭和2年(1927年)創業「大前石材店」さん。キティちゃん (^^♪



はす向かい、享和元年(1801年)創業「花忠商店」さん。 きれい (^^♪



「高麗門(こうらいもん)」から入ります。



参道を歩いてと、緑がきれい。 (^^♪



「山門」が見えました。



桜と紅葉のイラスト。でも今は夏。 石段も多いみたい。 あかんがな。 (^^♪



りっぱな山門だ。 (^^)/  山門の扁額「浄土真宗最初門」は第100代(北朝第6代)
後小松(ごこまつ)天皇の宸筆(しんぴつ)です。宸筆とは天皇が書いた文字です。
ありがたいのね。 (^^♪



「山門」応仁の乱で焼失 万延元年(1860年)再建。京都府指定有形文化財。



山門をくぐりました。 正面石段上は「御影堂(みえいどう)」本殿です。



「紫雲山(しうんさん)金戒光明寺」承安(しょうあん)5年(1175年)法然(ほう
ねん)上人が開山した浄土真宗の大本山。比叡山西塔の黒谷にならってこの地に庵を
むすんだのが始まりとされています。通称は「くろだにさん」です。 (^^♪



「勢至丸(せいしまる)」像 法然上人の幼名です。賢そうなお子さんですな。 (^^♪





では、ご本殿へ。



「鐘楼」
 


昭和9年(1934年)火災により焼失 昭和19年(1944年)再建。 戦争中に大変やった
ろうね。法然上人七十五歳時の座像が安置されています。



まずは身と清めてと。「花手水」 あら今日はお花ではないのね。(^^♪


あひるさんとカラフルボール。(^^♪ 中央あひるさんの頭のボツボツは仏像の「螺髪
らはつ)」をまねしてるのね。(^^)/



それではお参りを。 りっぱなご本殿です。 本殿内撮影禁止。



会津藩第9代藩主「松平容保(まつだいら かたもり)」(当時28歳)が、文久2年
(1862年)に幕府より「京都守護職」を命じられたとき、会津藩本陣となったお寺
さんです。会津藩おかかえの「新選組」の旗です。!(^^)!



では本殿廊下より撮影をと。中央のお堂は「阿弥陀堂」 右は「納骨堂」です。



京都タワーがみえます。 (^^♪





本殿横「直実鎧掛けの松」熊谷直実(くまがい なおざね)が鎧を洗いそれを掛けた
という松です。元の木は枯れてこれが三代目だとか。



〜人間五十年下天のうちをくらぶれば夢 幻のごとくなり〜 幸若舞「敦盛」のもと
になるエピソード、源平合戦「一の谷の戦い」で平清盛の甥、平敦盛(あつもり)と
の一騎打ちで知られる源氏方の武将です。その後出家して法然の弟子となり「法力
房蓮生(ほうりきぼう れんせい)」と称しました。熊谷一族の墓地もこのお寺さん
にあります。





こっちのほうが「螺髪」よく見える。 (^^♪



「極楽橋(ごくらくばし)」渡ると極楽浄土にいけるのかな。 (^^♪



ハスがきれいです。





「五劫思惟(ごこうしゆい)阿弥陀仏」さんへ。通称「アフロ阿弥陀」さんです (^^♪





「文殊塔」あそこまでいかなあかんのかな。



よかった途中にあった。



ほんにアフロだ。 螺髪もごりっぱ !(^^)!  
阿弥陀仏が法蔵菩薩の時、もろもろの衆生を救わんと五劫の間ただひたすら思惟を
こらし修行され阿弥陀仏となられました。五劫思惟された時のお姿をあらわしたものだとか。


「劫」とは時の長さのことで、一劫とは約四十里立方(約160㎞)の大岩に天女が百年
に一度舞い降りて羽衣で撫でその岩がなくなるまでの長い時間です。五劫ですから
その5倍ですな。 落語「寿限無」の〜寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行
末雲来末〜の五劫のことです。それで髪の毛そんなに伸びたのね。
(^^♪



こらしんどそう。 檀家さんかな お掃除してはるし、邪魔になったらあかんし と、
登りたくない理由を探してウダウダ云いつつ おっちゃんやっぱりこれはあかん。
引き返そう (^^)/



本殿までもどってきました。



休憩処「快庵」さん。アイスでもと思いましたがまだ開いていないようで (^^♪



涼しげ アフロ阿弥陀さま (^^♪



来てみれば 森には森の 暑さかな  「加賀千代女(かがのちよじょ)」
来なくても  夏は夏です  暑いです  「麦藁帽子(ストローハット)」



(^^)/~~~




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする