3月29日「番所(ばんどこ)庭園」に行ってきました。和歌山市雑賀崎番所の鼻(さいか
ざき ばんどこのはな)JR和歌山駅より和歌山バスに乗り「雑賀崎遊園」バス停下車歩いて
15分ほどです。
10:50 バス停に着きました。 今月2度目の和歌山です。交通費ハンパない。(^^♪
今月は2度もICOCAをチャージしてやったぜ。ワイルドだろ~。 !(^^)!
右の道ね。下のパネルではこの道も前回歩いた府道151号線(海岸通り)です。
♬ 夜明けの海が悲しいことをあなたから教えられた海岸通り あなたの言うとおり妹のまま
でいたほうがよかったのかもしれない。♫ アンコールにお応えしました。 (^^♪
同じバスに乗り合わせたグループの方たちです。聞こえたお話によると「これから灯台に
いってそれから日本のアマルフィと云われる雑賀崎の港へ~」行くそうです。
こちらは「雑賀崎港」と番所庭園をはさんで反対側にある「和歌山下津(しもつ)港」
MAPによるとコスモ石油の石油タンクらしいです。 紀伊国屋文左衛門が江戸に蜜柑を運
んだ説の船出の地とされているとか。 (^^♪
そうなのね。因みに海抜は近隣の海面を0mとして、標高は東京湾の平均海面を0mとして
高さを表しています。その東京湾の平均海面というは「日本水準原点」から決めているそ
うですがややこしいので説明はここで打ち切りということで。 (^^♪
桜が咲いています。さすが和歌山、もうじき満開みたいね。
「雑賀崎台場遺跡」
江戸時代末期に紀州藩が設置した砲台跡です。「紀伊水道」を望む「トンガの鼻」と呼ば
れる岬に築かれています。先に行けそうですが、やばそうなのでやめときます。 (^^♪
こちらは「下津港」と反対側の「日本のアマルフィ」と呼ばれている「雑賀崎港」です。
「奥和歌大橋」が見えています。平成3年(1991)10月完成、全長165mの斜張橋(しゃ
ちょうきょう)です。斜張橋とは塔から張ったケーブルを橋桁に直接つなぎ支える構造
だそうで。 (^^♪
「アマルフィ」とはイタリアのソレント半島南岸の小さな港から断崖上に形成されている
街のことです。この建物を港から見上げると「アマルフィ」に見えるのね。 (^^)/
漁船並んでます。漁港の風景です。
階段の方へ行くと灯台ね。右折れと。
ここからね。
「番所庭園」の有るここは、地図にも出ている様に「番所の鼻」と言い、平坦に海に長く
突き出た紀州藩は海の防備見張りのため、遠見番所を設けました。藩領の長い海岸線十数
ヶ所に番所がありましたが、ここはその中で和歌山城に最も近い場所として、狼烟場と共
に重要な場所でした。~HPより なるほど。
では中へ。「吹上有限会社」という民間会社の経営か管理らしいですが、詳しいことはわ
かりませんでした。
「ロケの聖地」みたいね。「水戸黄門」「科捜研の女」「吉田類の酒場放浪記」などなど。
廃線となった和歌山市電の軌道の敷石が589枚使われているそうです。これがそうかな。
松、きれいに剪定されている。 (^^♪
み熊野の 浦の濱木綿(はまゆう) 百重(ももえ)なす 心は思えど 直(ただ)に逢わぬかも
柿本人麿(万葉集 巻四ー四九六) かんたんに逢えなかったのね。 (^^♪
置いてある石は紀州青石(緑泥片岩)、岬のある岩盤も紀州青石で構成されているとか。
昭和40年(1965)7月 開園 滋野左右吉 築庭。 滋野氏は和歌山県の医師だった人で
1917年に整備を開始して1965年の開園にいたったそうです。
芝生が見えます。
面積約15000㎡、殆ど360度海に囲まれた芝生と青石の庭園です。
ロケしはったのね。「三屋清左衛門残日録」このドラマおっちゃん好きです。北大路欣也
さんはもちろんかっこいいですが、息子のお嫁さん役の優香さんが可愛い。 (^^♪
よく整備されているきれいな庭園です。食事設備はないですがお弁当を持ち込んでの園内
での食事は可能だそうです。ゴミ箱はないのでゴミは持って帰ってね。 (^^♪
下にいけるのね。
紀州青石やね。 表面が青い。 (^^)/
「住友大阪セメント」さんの船です。 岩礁がいい色やね。 (^^♪
透きとおってる。 きれい。 (^^♪
左の山の上に突き出ているのが「雑賀崎灯台」です。
昭和35年(1960)初点灯。塔高14m、単閃発光 毎8秒に一閃光、光度75000カンデラ、
光達距離34㎞。令和元年8月27日に灯台展望広場がオープンし夕日の観える観光名所と
なっています。(^^♪
「バーベキューエリア」 予約制です。今日は誰もいない。まだ寒いもんね。それに風が
吹いたらお肉が飛んでいくもんね。 (^^♪
あの広告塔は庭園入口に隣接している温泉旅館「双子島荘(ふたごじまそう)」さんです。
ベンチに座ってと。
先端へと。
この先ですが、やばそうなので行くのやめました。 !(^^)!
紀の国の 狭日鹿(さひか)の浦に 出で見れば 海人(あま)の燈火 波の間ゆ見ゆ
藤原卿(万葉集 巻七ー一一九四)
あれは大島(男島)です。
鷹さんですかね。
ここは「釣り場」、チヌとかタイとか釣れるそうです。 (^^♪
タイが泳いでるの見えそうね。 (^^♪
いい風景。 (^^♪
「明日が見えますか?」 見えまへんなぁ (^^♪
岬にて 潮の匂いの 春の芝 (^^)/~~~
3月1日「和歌浦天満宮(わかうら てんまんぐう)」に行ってきました。和歌山市和歌浦西
南海電車「和歌山市駅」より和歌山バスに乗替え「和歌浦口」バス停下車、歩いて15分です。
09:50 バス停に着きました。わが家を出てから3時間弱、やっぱり和歌山は遠い。(^^♪
県道151号線(海岸通り)を歩いて行きます。 あなたが船をえらんだのは私への思いやり
だったのでしょうか 別れのテープは切れるものだとなぜ気づかなかったのでしょうか ♫
ちょっと口ずさんでみました。〜妹のままでいたほうが良かったのかもしれない ♬
「紀州東照宮」さんのおとなり。新和歌浦の港まで近いのね。
「紀州東照宮」元和7年(1621年)創建。家康公と十男の紀州藩初代藩主「徳川頼宜(より
のぶ)公」をお祀りしています。
ご本殿は「雑賀山(さいかやま)」を登るみたいね。 やめとこ。 (^^♪
「三つ葉葵」 !(^^)! 葵紋の元になった「双葉葵」は呼び名の通り葉が二枚で,三枚葉
は架空のものだとか。
すぐとなりに公園があります。
「和歌山市立 御手洗池(みたらいいけ)公園」 面積23000㎡。17世紀中頃は、和歌の浦の
入江がこの辺りまできていたそうです。
朱色の橋 シンメトリー (^^♪
おはようさんです。
天満宮の楼門が見えました。遠目ですが石段かなりの急傾斜です。(^^♪
「和歌浦天満宮」康保(こうほ)年間(964〜968)に学問の神・菅原道真をまつって創建
し、関ヶ原の戦い(1600)後に紀州に入国した浅野幸長(あさの よしなが)が、慶長11年
(1606)に再興した。豪華に装飾された社殿は、後に江戸幕府の大棟梁(建築部門の総監
督)となった平内政信(ひらうち まさのぶ)がてがけた。〜 なるほど。
楼門から振り返ると、和歌の浦から紀伊水道まで一望できるそうです。
では境内へ。(^^♪
狛牛さんね。 近くでみてもかなり急傾斜ですな。上がれるかしら。 (^^♪
「白藤巳(呼称不明)大明神」昨年7月の巳の日にあたる19日、手水舎だった処に祠を建
て白蛇さんをお祀りしています。数年前から手水舎に白蛇が何度も現れたそうで、それや
ったら来年巳年やしお祀りしましょうということで祠を建てたそうです。わりかたシンプ
ルな動機ね。 (^^♪
見頃と云っていいかな。。五十段の石段にそって境内を含め約30本の梅林です。(^^♪
さすが南の地、紀州でございます。南部(みなべ)梅林は絶賛見頃中とか。 (^^♪
(^^♪
標高約93m 和歌浦天神山の中腹にご本殿があります。手摺りがあるしいってみるべ。(^^♪
左に分かれているのがゆるやかな石段です。
帰りはこちらのほうでと。
石は「紀州青石(きしゅう あおせき)」鉱物名「緑泥片岩(りょくでいへんがん)」美し
い外観のため庭石などとして使われている火山岩の一種です。左がゆるやかな方ね。(^^)/
傾斜角かなりきつい。 Oh my God! いざ出発 (^^)/
「楼門」この楼門は四本の太い丸柱をもち、一間一戸、入母屋造、本瓦葺、の建物である。
墨書によって慶長十(1605)年に再建されたことがわかっています。〜。
途中のせまい踊り場でびびりながら振り返ると、御手洗池公園は見えるけど、和歌の浦ま
では見えませんな。 きょうは曇りであります。 (^^♪
楼門、到着しました。 やっぱり曇り。 (^^♪
「和歌浦天満宮の風景から見る歴史」
字が小さい、疲れる、読む気、起きない。スルーでと。 すんましぇん。 (^^♪
「唐門」拝殿になるのかな。
梅もいい感じ。 いい香りです。
こじんまりしたお宮さんです。
「お守り授与所」
きれいなお守りです。
「絵馬納め所」デザインは道真公ね。
おひなさん仕様かな。
「鷽鳥(うそどり)」
前回の「綱敷天満宮」でフクロウかなと紹介しましたが、「鷽鳥」というのね。御由緒も
ちゃんとある。浅学菲才、おっちゃん間違っていました。 すんまそん。 (^^♪
ここにも鷽鳥 !(^^)!
「多賀神社 本殿」
こちらはお稲荷さんです。
向かって右「紀土(きっど)」平和酒造株式会社。左、「紀伊国屋文左衛門」BC酒造株式
会社。 どちらも和歌山の酒蔵さんです。
「鷽鳥」 !(^^)!
「筆塚」りっぱね。 (^^)/
上はなんやろ。 下はお便所ね。(^^♪
徒歩3分やけど、手摺りないからやめとこ。 (^^♪
宮司さんお出かけですかね。 (^^♪
青石を ふり向く先は 梅見頃 (^^)/~~~
12月10日「淡嶋(あわしま)神社」に行ってきました。和歌山市加太(かだ)南海
電車「和歌山市駅」より南海「加太線」に乗換え終点の「加太駅」より歩いて20分
ほどです。
09:50 駅に着きました。
きれいな電車。 (^^♪
きれいな駅です。(^^♪
今年は加太線開業(1921年)111周年です。ということで2016年から「加太さかな線
プロジエクト」の一環で南海7010系電車を改装した観光電車「めでたいでんしゃ」が
運行中です。行きはノーマルの電車でしたが帰る時は観光車両でした。
加太を代表する海の幸「鯛」が電車になりました。ピンク・水色・赤・黒、4種類の
カラフル車両が運行してます。 (^^♪
水色の「めでたいでんしゃ」です。 (^^)/
これは行きのノーマルの電車です。 でも めでたいの「め」 !(^^)!
駅を出ました。
「県道7号 粉河(こかわ)加太線」を歩いていきます。
ファンキーなお店や、
整っているお店。両店とも参道にふさわしいお店です。 (^^♪
そうだ。ホームの水引(みずひき)付のトラッシュボックスもきれいでした。 (^^♪
右へ。
レトロな煉瓦造りの倉庫です。旧「まる治 醤油」さん。
「加太大橋」が見えてきました。
「友ヶ島汽船乗船場」友ヶ島へ向かう遊覧船の発着場です。
この海域は「紀淡(きたん)海峡」と云われ、大阪湾と紀伊水道を幅11㎞の海峡で
つないでいます。友ヶ島は紀淡海峡に浮かぶ無人島群の総称です。その無人島の一つ
「沖の島」には廃墟になった旧日本軍の要塞施設があり、いまは観光資源となつてい
ます。遊覧船も出てるし。 (^^♪
鷲さんかな。近づいてきました。 ちょっとこわい。 (^^♪
鳥居が見えました。 (^^♪
「淡嶋神社」創建年不明。「淡嶋神(あわしまのかみ)」をお祀りしている全国約
1000社あまりの神社の総本社です。淡嶋神は婦人病治癒や安産・子授け・裁縫上達・
人形供養など女性に関するあらゆることに霊験のある神とされています。 (^^♪
土産物屋さんやお食事処 (^^♪
「明るさに 顔耐えている 流し雛」 榎本冬一郎(えのもと ふゆいちろう)
御本殿へ。秀吉の紀州征伐(天正13年 1585年)により焼失。その後、再建修復を繰
り返し、現在の社殿は昭和54年(1979年)に造営されたものです。
御祈祷されるのかな。 (^^♪
御本殿の周りお人形さんいっぱいです。 (^^♪
「人形供養」 いらなくなった使わなくなったお人形さんをそのまま捨てるのは忍び
ない抵抗があるという方に対して、人形を供養して廃棄することです。日本独特の文
化風習らしいですな。 (^^♪
「市松(いちまつ)人形」 昔の着せ替え人形。きれいね。 (^^♪
こちらは「日本人形」 (^^♪
いろんなお人形さんあるね。 (^^♪
「手水場」
「授預所(じゅよしょ)」ここで人形を預かってもらう手続きをするのね。
勝手に人形を置かないでくださいて書いてあるもんね。 (^^♪
お雛さんが見える。本殿には御祈祷する以外の人は入れないそうです。残念 (^^♪
カエルさん。
淡嶋神社では毎年3月3日 本殿でお祓いしたお雛さんを小舟にのせて加太の海に流す
「雛流し」の神事が行われます。他のお人形さんはお焚き上げするのかな。 (^^♪
白蛇さん (^^♪
雛人形・市松人形・フランス人形・ダルマ・たぬき その他さまざま2万体あると云
われています。 人形供養をする神社仏閣はいくつかありますが、境内にお人形さん
を飾っているのはここだけだそうです。 (^^♪
「針塚」毎年2月8日 針供養が行われます。
お雛さんは本殿のなかだけかな。 知らんけど。 (^^♪
みんなきれいね。野ざらし、風雨にさらされている感はありませんな。雨の日なんか
はシートでもするんですかね。 (^^♪
こちらは「日本人形」 紀伊国屋文左衛門が江戸に移り住む前に奉納したお稲荷さん
もあるとか。 (^^♪
「干支瓦」銀色で美しい。「いぶし瓦」と云って淡路島の特産品だそうです。(^^♪
加太の浦 愛でた想いが しずむ海 (^^)/~~~
4月22日「子安地蔵寺(こやすじぞうじ)」に行ってきました。和歌山県橋本市菖蒲谷
(しょうぶたに) 南海電車高野(こうや)線「御幸辻(みゆきつじ)駅」より橋本市
コミニュティバスに乗り、「菖蒲谷」バス停下車、歩いて10分です。
09:10 バス停に着きました。後ろは「山藤」です。和歌山県には高野山以来3年
ぶりであります。 (^^♪
山藤の 風すこし吹く 盛りかな 「飯田 蛇笏(いいだ だこつ)」
お出かけ再開であります。!(^^)! ようやくカメラぶら下げて歩けるようになった
次第でございます。完治とはなっていませんが、膝はぼちぼち だましだましやって
いく所存でございます。よろしくであります。 (^^)/
この道をまっすぐにと。 お花咲いてます。
杜若(かきつばた)ですな。 (^^♪
県道105号 山田御幸辻停車場線を歩いていきます。
田舎道。 (^^♪
大きな牡丹 (^^♪
柿の木かな。 曲がりがアートですな。 (^^♪
見えてきました。
藤 見頃のようで。 (^^)/
「安産祈願」・「紀伊之国十三佛霊場」・「関西花の寺霊場」 (^^♪
パンフレットによると「赤長藤」と云う品種だそうで。 長いもんね。 (^^)/
いい色、いい香り。 (^^♪
ボリューム満点であります。
拝観受付へと。
吹出して 春の外まで 藤の花 「加賀千代女(かがのちよじょ)」
キティちゃんとドラえもん。 (^^♪
「易産山 護国院(いさんざん ごこくいん)地蔵寺」天平9年(737年)創建。開基は
行基上人。高野山真言宗の古刹。ご本尊は行基が自ら刻んだと云われる「地蔵菩薩」
女人安産守護の仏です。子安地蔵寺は通称、「子安」とは安産の意味とか。
樹齢百年の古木を含め8種類20本の藤の名所です。
小さいお池。 いろんなお花咲いてます。
クロフネツツジ (^^♪
手前は平戸ツツジ 奥は霧島ツツジです。
これは小手毬(こでまり) (^^♪
「水子地蔵」
かっこいいデザインね。 (^^♪
それでは御本堂へ。
階段途中より。
お参りをと。 なかで赤ちゃん連れのご家族が御祈祷してはります。
風が強いです。五色幔幕(まんまく)いい感じでゆれています。 (^^♪
「九尺藤」
お地蔵さんと。 (^^♪
本堂横から。
いい香り (^^♪
藤の花 長うして雨 ふらんとす 「正岡子規(まさおかしき)」
お庭に戻ってきました。
住職さん歩いてはります。御祈祷で大忙しなようではや足であります。 (^^♪
奥のほうへ。
「口紅藤」
いい垂れ具合で。 !(^^)!
きれいですね。 (^^♪
下から。
五色布 藤紫(ふじむらさき)と 色合わせ (^^)/~~~
10月31日「高野山」に行ってきました。「壇上伽藍 根本大塔(こんぽんだいとう)」
よりpart2のご案内でございます。 (^^♪
「根本大塔」貞観(ていかん)18年(876年)頃の完成とされる高野山真言密教修行場
のシンボルとされる塔です。その後5回の焼失を経て現存するのは昭和12年(1837年)
に再建されたものです。
「蛇腹路(じゃばらみち)」のほうへ歩いて行きます。
「愛染堂(あいぜんどう)」を通り
「不動堂(ふどうどう)」にお参りして
「蛇腹路」伽藍の入口から伽藍内の「東塔(とうとう)」まで向かう道です。
壇上伽藍の紅葉の名所です。 (^^♪ 高野山全体を俯瞰した時に壇上伽藍を頭として、
蓮華院をまでを空海師が「東西に龍が臥せるがごとく」と例えられ丁度この小路が
龍のお腹の処にあたることから空海師自らが名づけられたとか。 (^^♪
紅葉が透けて見えます。 (^^♪
地面も紅く染まっています。 (^^♪
ここが伽藍の入口です。
蛇腹路を抜けて「常喜院(じょうきいん)」さんへ。
「ほとけのみ手」すわると御利益あります。では失礼をば。 (^^♪
となりは「大師教会」。一般の人の写経や座禅の体験道場です。かなり大きい。
「高野山観光センター」前の駐車場。満車のようです。(^^♪
あと0.1㎞。「金剛峯寺(こんごうぶじ)」へ。右へと。
入口に来ました。
「金剛峯寺」標高800m 総面積約120ha(三十三万坪)の台地にある真言密教根本
道場の総本山です。
「大玄関」
参拝の人、途切れずに来てます。
「鐘楼」
右側より拝観します。
広そう。 (^^♪
室内はきれいな襖絵がいっぱいです。 しかし撮影禁止です。
「枯山水」
お坊さまのあとから (^^♪
「蟠龍庭(ばんりゅうてい)」きれいなお庭です。(^^♪
なるほど。
「台所」
「煙抜き」吹き抜けになってました。
大きな竃(へっつい)さんだ。(^^♪
「二石釜」3つで2千人分のお米炊けるのね。(^^♪
「下門」から出てきました。
車数珠繋ぎです。 (^^♪
人もいっぱいです。 (^^♪
14:00 お腹減ってきた。 お昼ご飯でもと思いましたが、食堂どこも並んでいます。
「高野山宿坊協会」なんか人の出入りが多い.ipadで調べると5000円分のクーポン券
を2000円で買える「聖地高野山応援プレミアム付き商品券」なるものを発売中です。
なかなか太っ腹ですな。 (^^♪ それで食堂あんな混んでるのね。みんな使いますわな。
ということで、おっちゃんご飯食べれそうになく、歩くのもしんどなったし、
メイン処はみな観たしということで帰ることにしました。(^^)/
ケーブル駅に来ました。どんどん人来てます。これからだと宿坊に泊まりはるのかな。
では高野山道中記もこの辺でということで。
(^^)/~~~