8月23日「枚岡(ひらおか)神社」に行ってきました。東大阪市出雲井町(いずもいちょ
う)近鉄奈良線「枚岡駅」よりすぐです。
09:30 駅に着きました。
ほんとにすぐであります。ホーム越しに参道の石段見えております。 (^^♪
地下道を通って石段前に来ました。 「二の鳥居」です。「一の鳥居」はMAPを見ると、反対
側ホームのずっと先にあるみたいです。
「神事宗源(しんじそうげん)」主祭神としてお祀りされている「天児屋根命(あめのこや
ねのみこと)」は「日本書紀 神代巻(じんだいのまき)」に「神事をつかさどる宗源者なり」
と記されています。 神事を行った最初の神をお祀りしている神社さんね。 (^^♪
「二の鳥居」に来ました。提灯ならんでます。 この画いい感じです。 (^^♪
近くに「松尾芭蕉 句碑 」があります。現在の大阪市中央区で亡くなるひと月前、 暗がり
峠を越したときに詠んだ句です。大坂についてすぐ病になられたとか。
菊の香に くらがり登る 節句かな
壮観 !(^^)!
「注連柱(しめばしら)」に掛かっている注連縄は「あげまき結び」という特殊な結び方
です。
手水場、開放的ね。 (^^♪
鹿さんからお水。春日大社に御祭神二柱を分祀したことから「元春日」と呼ばれています。
それで鹿さんね。 (^^♪
こちらは「なで鹿」さん。
御祭神「武甕槌命(たけみかづちのみこと)様」が神鹿に乗って旅立たれた故事(鹿島立)
に因みます。弘化三年(1846)名工 日下の小平次 作で左右の親鹿が仔鹿を優しく育んで
います。 健康と家族の平安、子どもの幸せ、旅行の安全等を念じて撫でてください。
なるほど。 ではピンピンコロリを念じて なでなでと。 (^^♪
注連縄掛神事(お笑い神事)笑いにより春を誘う神事。~神事では石段下の注連縄柱に大
きな注連縄を掛け渡し、その下で神職と氏子総代が春の到来を念じて高笑いを行う。
~HPより。 「天の岩戸開き」になぞらえた神事だとか。なるほどね、日本最初のエンター
ティメントだと云われるどんちゃん騒ぎに因んでいるのね (^^♪
「御拝殿」へ。
「枚岡神社」創建年 神武天皇即位前3年と伝わります。皇紀2600年の祝典が1940年だから
紀元前663年ですか。神話の時代やね。
神武天皇御東征の砌、神武天皇の勅命を奉じて、天種子命(あめのたねこのみこと)が平
国(くにむけ)(国土平定)を祈願するため天児屋根命・比売御神(ひめみかみ)の二神を
霊地神津嶽(かみつだけ)に一大磐境を設け祀られたのが枚岡神社の創祀とされています。
~HPより。 なるほどね。 (^^♪
緑に白い提灯がよく似合っております。 (^^♪
「授与所」 巫女さんおきれいです。
お守りもきれいです。 お買い求めはしませんでいたが。 (^^♪
「夏灯しの夢まつり」 明日の開催です。 傘ぐらい見れるかなと思ってきましたが、まだ
準備してはりませんでした。 残念。 (^^♪
「鶏鳴殿(けいめいでん)」御祈祷受ける人の待機場所ですな。 (^^♪
「御本殿」 正面からは拝見できません。正面から見れるのは御祈祷受ける人だけみたいね。
ではお写真で。 (^^♪
向かって右より「第二殿 比売御神」・「第一殿 天児屋根命」・「第四殿 経津主命(ふつぬしの
みこと)」・「第三殿 武甕槌命」です。
風鈴 ちりん ちりん (^^♪ 末社のほうへ。
ちりん ちりん ちりん (^^)/
「一言主(ひとことぬし)神社」
一言願えば叶うお札です。
もはやアートですな。 (^^)/
一言か。 やっぱりピンピンコロリかな。 (^^)/
「飛来天(ひらいてん)神社」
健康長寿・生産・縁結びに御神徳があります。 まぁ長生きは適当なところで。 (^^♪
勾玉(まがたま)の絵馬ですな。
「感謝と祈りの道」本宮まで40分か。 パスね。 !(^^)!
若干ピンボケ、 風が吹いていたのか、手振れだったのか。 おそらく手振れ。 (^^♪
なんか下から声が聞こえる。
「禊場」 瀧に打たれてはります。 なんと唱えてはるのかな。 (^^♪
「禊行研修会」を月に一回されているのね。 今日がその日みたいね。
「はてなブログ」へのデータの引っ越し完了しました。しかし記事の書き方がまだ把握で
きておりません。よって「はてなブログ」さんからの記事のアップは次回か次々回くらい
になる予定です。はてなブログさんでもよろしくお願いします。 (^^)/
石だたみ ゆれる風鈴 夜を待つ (^^)/~~~
8月16日「長田(ながた)神社」に行ってきました。 神戸市長田区長田町 神戸市営地下
鉄 西神(せいしん)・ 山手線「長田 (長田神社前)駅」から歩いて5分ほどです。
その前に、地下鉄への乗換駅のJR神戸線「長田駅」で「鉄人28号」を見に行きます。
白い建物の裏ね。 (^^♪
「鉄人28号モニュメント」2009年10月設置 神戸出身の漫画家「横山光輝」さん原作の漫
画です。震災復興のシンボルとして作られました。これ これ これ見たかったの。 (^^♪
鉄骨構造・仕上げ素材 耐候性鋼板・直立時設定 18m(高さ15.30m)・総重量 50㌧・胴囲
20m・足長 4m・顔の長さ 2.2m・こぶしの大きさ Φ1.7m でかい かっこいい。 !(^^)!
交番も鉄人28号です。 しゃれてるね。 (^^♪
ビルの街にガオー! 夜のハイウェイにガオー! テレビアニメ見てました。 ガオ~。
前のおねぇさんもかっこいい。 ガオー !(^^)!
で、9:30 駅に着きました。
オナガドリね。北野の風見鶏と坂から見下ろした街並みを描いてるみたいね。 (^^♪
西出口から地上に出てきました。 参道前鳥居が見えます。
「長田神社前商店街」を歩いていきます。 前の道路はMAPによると市道「長田線」です。
盆踊りあるのかな。 (^^♪
あそこね。 左へ。
「長田神社」神功(じんぐう)皇后元年(201)創建。御祭神は「事代主神(於天事代於
虚事代玉籤入彦厳之事代主神 あめにことしろそらにことしろたまくしいりひこいつのこと
しりぬしのかみ)」なが~い。 おまじないみたいなお名前ね。 (^^♪
鳥居横「絵馬殿」 駐車場になってるみたい。
「和敬清寂(わけいせいじゃく)」清潔で静かな空間における、和(なご)やかだけど折り
目のある関係性という意味で茶室の理想をあらわす言葉だとか。そうね親しき仲にも礼儀
ありの同意語でええんかな。 (^^♪
「手水舎」
センサーなのね。 あっ 出た出た。 (^^♪
すごい。 (^^)/
「長田神社のクスノキ」いろんな木がくっ付いているみたい。 (^^♪
「御社殿」寛文元年(1661)造営。大正13年漏電により焼失 昭和3年再建。本殿・幣殿
・拝殿・前拝・東西楽舎と連なっています。
御神紋は「菱菊(ひしぎく)」です。
なかなか広い。 (^^♪
それでは、お賽銭をと。 (^^♪
神功皇后の新羅遠征の帰還の途中、武庫の水門に於いて「吾を御心長田の国に祀れ」との
お告げを受けて創祀された神社さんとか。読めんので、HPからかなり端折って書いており
ます。 (^^♪
きれいな、かえる股。
江戸時代はこんな感じだったのね。 (^^♪
末社「楠宮(くすみや)稲荷社」
御神木「 楠」 は瀬戸内に生息する赤鱏(あかえい)が苅藻川を遡り化身したと伝えられ、
以来常食であった美味な赤鱏を断って願を掛けると願いが適うと信仰されている。~
なるほど、御神木になっちゃったのね。 (^^♪
なかに入ってもよさそう。 (^^♪
赤鱏の絵馬。 シンプルでカワユイ。 (^^♪
見えているのが御神木です。
摂社「松尾社」 お酒の神様のようね。 (^^♪
えびす像・大黒像
鉄人28号 !(^^)!
「社務所」
エイのひれ がまんし呑兵衛 なに願う (^^)/~~~
8月9日「岸和田(きしわだ)城」に行ってきました。 大阪府岸和田市岸城町(きしき
ちょう)南海電車「岸和田駅」より歩いて15分ほどです。
9:40 駅に着きました。
天井のステンドグラス改札まで続いています。だんじり祭りですな。 (^^♪
駅前すぐ「岸和田駅前通商店街」ここを歩いていきます。 全長265.72m 幅員9.15m 屋根
最高部10.6m 昭和25年頃 現在の商店街の原型が形成されたようです。
今年のだんじり祭りは9月13・14日。 だんじりがこの商店街を通るんですかね。 (^^♪
商店街を抜けてと。右は府立岸和田高校です。近所のはずやけど天守が見えないな。あん
まり高くないのかな。
見えた見えた。 なかなかかっこいい。 !(^^)!
お濠ばたを歩いて行きます。
夾竹桃(きょうちくとう)です。 葉が竹、花が桃に似ていることが名称の由来とか。(^^♪
「岸和田城」別名 千亀利(ちぎり)城。応永年間(1394~1428)に築城されましたが放棄
された後、秀吉の紀州征伐の拠点として再築城されました。明治4年(1871)廃城。現在の
連結式望楼型3重3階の天守は昭和29年(19564)に再興されたものです。
本丸と二の丸をあわせた形が機の縦糸をまく「縢(ちきり)」に似ていたことから「蟄亀利
城」のちに「千亀利城」と呼ばれるようになったとか。 (^^♪
天守西側 「国指定名勝 岸和田城庭園 八陣の庭」
昭和28年 作庭家 重森 三玲(しげもり みれい)氏 設計及び作庭
庭園の平面は、三重の屈曲線で仕切られた上・中 ・下 三段で構成されています。これは
諸葛孔明の「八陣法」をテーマとしてもので、中段には「虎」、「風」の各陣を配置し。下段
には「天」、「地」、「雲」、「竜」、「鳥」、「蛇」の各陣を「配置しています。これらの石組は
360度どの方向からみても観賞できるように設計されています。 なるほど。 (^^♪
では、、ちょっと上から。ここからもかっこいい。 (^^)/ 八陣法とは「三国志演義」に
書かれている架空の陣体形です。 「鶴翼の陣」とか「魚鱗の陣」とかと一緒みたいなもん
かな。
ここから城内へ。 1階2階は郷土資料の展示室。最上階以外撮影禁止です。
屋上展望所より、三階建ての白い建物の左の緑が「岸城神社」です。岸城神社は千亀利城
の鎮守社でした。千亀利「契り (ちぎり)」のお宮さんということでに恋愛・結婚などご
縁を結ぶ神社となってます。なるほどね。 (^^♪
「岸和田天神宮」・「弥栄(いやさか)神社」との三神社がだんじり祭りの「氏神社」です。
いずれおじゃまいたします。 (^^♪
「撮影スポット」 オクトパス !(^^)!
岸和田駅の次の「蛸地蔵(たこじぞう)駅」に駅名の由来になっている「蛸地蔵 正式名称
(天性寺 てんしょうじ)」があります。そこにまつわる「蛸地蔵伝説」というのがあるそう
で、蛸を一切食べず願をかける絵馬が奉納されているとか。そこからですかね。 知らんけど。
城の庭 八陣に吹く 風熱し (^^)/~~~
岸和田城を出て「岸和田だんじり会館」に行ってきました。岸和田市本町(ほんまち)岸
和田城より歩いて2・3分ですかね。
提灯が見えます。 前の道路は府道204号「堺阪南「さかいはんなん)線」です。
道路の向かい側からと。
「岸和田だんじり館」平成5年(1993)にオープンした岸和田だんじり会館では、現存する
最古の「岸和田型だんじり」や木彫、岸和田各町の法被などの展示、大迫力の大型マルチ
ビジョンでの祭礼映像、体験コーナーなど「岸和田だんじり祭」がすべてわかる博物館です。
HPより なるほど。 (^^♪
1F ショップ。 展示は2F~4Fです。
「歴代年番ポスター」だんじり祭の運営は各町から選出される「年番」で運営されていま
す。曳行時間、コースの決定・市、警察など諸団体との折衝・事故、トラブルの処理など
など。現在は28人体制とか。ごくろうさんです。 (^^♪
迫力ありますな。 !(^^)!
2F ここからね。 2F~4Fは吹き抜けになっています。
「紙屋町(かみやちょう)だんじり」このだんじりは紙屋町で曳行されていたもので天保
12年(1841)に完成したと伝えられています。現存するだんじりのなかでも非常に古く彫
り物に安土桃山時代以前の主題を選ぶなど江戸期のだんじりらしい装飾的な特徴をあらわ
し、近代になって作られただんじりとは明らかに異なったおもむきを感じさせます。
幕末・明治・大正・昭和の各時代を通じ、祭りの華形として活躍し続けその間2度の大修理
を経て、平成2年の祭りを最後に現役を退けました。 なるほどね。 (^^♪
江戸時代は幕府に遠慮して豊臣時代をモチーフとした彫り物はされずもっぱら三国志とか
源平合戦なんかを題材にしたそうで。 お上の機嫌はとっとかんとね。 (^^♪
「沼町だんじり」明治34年(1901)完成。製作費2000円ですか。当時はうどん一杯2銭3銭
の時代やったそうで、それから換算すると6000万円くらいですかね。 (^^♪
これ「巴御前」だったかな。 ガイドの人に聞いたけど忘れてしまった。 (^^♪
「祭礼町会 提灯ミニチュア」
上から。
「美似(ミニ)山車倶楽部」
写り悪いですが、こんなん飾ってましたということで。 (^^♪
「体験コーナー」 鳴り物体験できます。
こちら「大工方(だいくかた)」体験コーナー。 山車の屋根の上で指図してる人ね。
こわくてよう乗らん。 (^^♪
きれいな吹き抜け、きれいな階段、きれいな法被。 !(^^)!
項羽か劉邦です。 (^^♪
「庄福工業株式会社 寄贈」市内に本社があるカーペットなどを作ってる会社さんです。
ですからこれもカーペット。 すごいな。 (^^♪
獅子ささえ だんじり走り 軒壊れ (^^)/~~~
8月2日「春日(かすが)神社」に行ってきました。 和歌山県海南(かいなん)市大野中
(おおのなか) JRきのさき線「海南駅」より歩いて20分です。
09:50 駅に着きました。
2面4線の高架駅。 大きな駅ね。 (^^♪
色々と飾ってある。 「みかん・お菓子発祥の地」ミカンの原種であり、お菓子の起源とい
われる橘(たちばな)が市内下津町「六本樹(ろっぽんじゅ)の丘」に植えられたという
のが、これがお菓子の起源、ミカンの起源の根拠あるとのことです。学術的な文献にある
のか伝説のようなものかは調べきれませんでしたが、まぁそこらへんはええとしょ。 (^^♪
「紀州漆器」前の駅の黒江地区は会津漆器・山中漆器と並び日本三大産地の一つです。
「海南市観光物産センター」 きれいね。 (^^♪
おしゃれなパッケージ。 (^^♪
「海(かい)ニャン」海南市のキャラクターのようね。 (^^♪
物産センターのおねぇさんに観光MAPをもらって駅から県道18号「海南金屋(かいなんか
なや)線」に出て山側に方に歩いてきました。
ここから右へ。
まっすぐと。
ここは「熊野古道」なのね。 渡辺津(わたなべのつ)から田辺までの「紀伊路(きいじ)」
のコースになるのかな。
年の緒や いく七廻り 千代の春 容膝軒一入子(呼称不明)
急な坂。裏参道みたい。
こちら「石鳥居」 表参道ね。 御本殿まで急な石段 174段。
急坂or石段174段。 坂にしとこ。 (^^)/
「天然記念物 春日の森」春日の森は標高43mで三波川(さんぱがわ)変成岩と呼ばれる結晶
片岩からできています。紀北地方では数少ない、よく保存された低地性のシイ(ツブラジイ
林)です。古くから鎮守の森として樹木を切ることもなく~。 守られてきたのね。 (^^♪
きれいな傘が見えてきました。 (^^♪
真っ平らなり 万葉の 大干潟 木下敦子
「庁舎」が見えました。境内MAPによると、庁舎・拝殿・祝詞殿・本殿と続いています。
「手水盥(ちょうず だらい)」盥
「疫病退散」であります。 ちりん ちりん。 (^^♪
きれな和傘 映えております。 !(^^)!
春日風鈴祭・ちの輪くぐり 八月一日~十五日まで開催中であります。 !(^^)!
こちらは「参集殿」 左は「東司」です。
祠は何をお祀りしてるのかな。MAPに書いてないな。
「八 九」 厄(やく)のことやろね。 やっぱり。 (^^♪
それではお参りを。御拝殿の奥やから正面は祝詞殿かな。 (^^♪
「春日神社」創建年不明。聖武天皇(在位 724~749 )より代々の勅願所であったことから
奈良時代に創建されていたと考えられています。「紀伊国 神名帳」に和歌山県でただ一つの
「正一位春日大神」と位置づけられている格式の高い神社さんとか。 (^^♪
御祭神は「天押帯日子命(あめおしたらしひこのみこと)」です。
いいね。きれいね。 (^^♪
海南市日方(ひかた)地区はこちらも「岐阜和傘」「金沢和傘」と並ぶ日本三大和傘産地の
ひとつ「紀州和傘」の産地でした。最盛期には200軒を超える製造業者さんがいたとか。
MAPを確認しましたが先ほどの黒江地区とともに神社さんからはお隣さんといってもいい
処です。(^^♪
こちらお守り授与所。御神紋は「上り(のぼり)藤」です。
奈良の「春日大社」を総本社とし「春日」を社名を持つ全国約千社のなかの神社さんです。
いろいろあるんですな。 (^^♪
庁舎より。「庁舎」というのは官庁や役所の建物のことですが、神社の建造物にも使うんで
すな。MAPに書いてるしあんまり気にせんとこ。 気にしとるやないかい。 (^^♪
お守りもきれいです。 (^^♪
ふうりん 色々。 (^^♪
願い事を書いて奉納するのね。 (^^♪
風が吹いて境内の何種類もある風鈴が一斉に鳴りだしました。 アンサンブル。 !(^^)!
こちらは撮影スポットです。 (^^♪
てるてる坊主いい感じです。 (^^♪
前の2本は撮影用にご自由にお使いください。とのことで正面に置いてと。いたれりつくせ
りやね。 (^^♪
そこ座り かぜで風鈴 傘は手で (^^)/~~~
7月27日「元興寺(がんごうじ)」に行ってきました。 奈良市中院町(ちゅういんちょう)
近鉄奈良駅より歩いて15分ほどです。
09:00 駅に着きました。 鹿さんおはようございます。 (^^♪
せんとくんもおはようございます。 (^^♪
「まほろば 大仏プリン本舗」ここのプリンお気に入りです。買って帰りましょっと。 (^^♪
「東向(ひがしむき)商店街」を歩いていきます。
そこそこ歩いてはります。
「9月 采女祭(うねめまつり)」采女とは天皇の御世話をする女官の職名です。
「悲恋の采女と衣掛柳下(きぬかけやなぎ)の伝説」 昔、平城の帝に寵愛を受けた采女が
が帝の関心が薄れたことを悲観し猿沢池に入水した霊を慰めるためにはじまったとか。
帝も大変ですな。迂闊にやんちゃはできませんな。 (^^♪
「猿沢池」帰りはここを通ってきました。映っているのは「ホテル天平 ならまち」さん。
「興福寺」まで鹿の写真撮りに行こうと思っていましたがここで撮れたのでよかった。
暑いもんね。これで心置きなく帰れます。 (^^♪
東向商店街を抜けました。まっすぐ行くと「猿沢池」、お店はよもぎ餅の高速ぺったんこ
でおなじみの「中谷堂(なかたにどう)」さん。 まだ開店前の準備中のようです。
これが帰り10時半頃のお店の様子です。ならんではります。儲かってはるみたいですなぁ。
けどお客さんが多いのとお店儲かるのは比例せえへんからね。お客さん増えたらそれなり
の人手増やすとか設備投資とかしなあかんし。おっちゃん よけいなしんぱいをしてしまい
ました。すんまそん。 (^^♪
「餅飯殿(もちいどの)センター街」へ。
伊勢、京都、奈良、大阪、柳生、各街道に通じる「ならまち」の中心の商店街です。
「餅飯殿」の由来を調べました。 なるほどそういうことね。 けど長くなるので書くの
やめます。 (^^♪
「レンガレンキ」トルコ雑貨のお店です。
きれい。 (^^)/
センター街を出て「ならまち」へ。
平安京遷都後、平城京の多くは風化しましたが、外京は国家鎮護の仏教寺院を多く有して
いたため町を維持することができました。その旧市街地の南側1/4程度が、元興寺の旧境内
を中心とした「ならまち」界隈です。
江戸中期には猿沢池界隈が「お伊勢参り」の宿場町として栄え、明治~昭和時代には奈良の
商業の中心地となります。~閑静な住宅地に変貌した1980年代に若者が中心となって「まち
づくり」が始まり、現在訪客の絶えない町に至ります。ならまち情報サイトより 要約
なるほど。 (^^♪
「天迦久珈琲(あめのかく こーひー)ならまち本店」さん。ロゴマークいいね。鹿の神様
の「天迦久神」が店名の由来とか。 お店の写真だけでブログひとつできそうです。(^^♪
「 大和工房(やまとこうぼう)ならまち店」手作り雪駄販売の専門店さんです。黒格子に
雪駄のロゴ。 いいね。 (^^♪
「吉田蚊帳(よしだ かちょう)株式会社」大正十年(1921)創業。蚊帳生地でふきんや
暖簾など多彩な製品を製造販売してはります。
いい感じのお店を通りすぎながら、左かな。 (^^♪
ここね。「南大門」から入ります。
「元興寺 (山号なし)」推古天皇元年(593)創建。開基 「蘇我馬子(そがのうまこ)」
日本最初の本格的伽藍である法興寺(飛鳥寺)が平城遷都にともなって曽我氏寺から官大
寺に性格を変え移築移転されたのが、元興寺(仏法元興の場、聖教最初の地)です。
~ HPより 仏法元興とは「仏法の勢いが盛んになり栄える」ことだそうで。
「極楽堂(本坊)」7年ぶりのお参りです。 ハスは終わっちゃってるみたいね。御本尊は
智曼荼羅(ちこうまんだら)。真言律宗のお寺さんです。
「扇塚」今年の扇供養は4月26日に行われました。日頃、舞台や稽古で使用した扇に感謝し
技芸上達を祈願します。 (^^♪
一つだけ残ってた。(^^♪
「浮図田(ふとでん)」昭和63年(1988)境内の別の場所に積み上げられていたのを、現在
の場所に並べ直されました。 浮図とは仏陀のことで仏像、仏塔が稲田のごとくならぶ場所
です。 (^^♪
手水場より。前回は桔梗が見頃の時期だったんですが、桔梗も終りかけのようで。
これぐらいですな。 まぁええとしょ。 !(^^)!
「獅子国型仏足石」75㎝四方・15㎝厚 庵治石(あんじいし)製。お釈迦さんの足跡です。
ありがたや。正式名称「黒雲母細粒花崗閃緑岩(せんりょくがん)」香川県産の墓や石碑な
どに使われる高級品とか。 お釈迦さんの足やからね。高級品に彫らんとね。 (^^♪
8月23・24日は「万灯供養」です。 (^^♪
「眺処」ここから振り向いて屋根を観ます。
左が「禅室」右が御本堂です。瓦の色の境目がわかるでしょうか。
本堂の北流と西流、禅室の南流は丸瓦も平瓦も重なり合って葺かれています。飛鳥時代の
古式瓦を伝えているとか。色が違う以外どこが違うのか見た目わかりゃん。 (^^♪
けど空がきれいだ。 !(^^)!
本堂北側。 百日紅はこれからね。
撫子(なでしこ)ね。 (^^♪
白珠は 人に知らえず 知らずともよし 知らずとも 吾れし知れらば 知らずともよし
万葉集 巻6‐1018 元興寺僧
白珠は人に知られない。しかし知られずともよい。たとえ人が知らなくても、自分自身が
知っているなら、人は知らなくてよい。 自分がわかっとったら人がなに言おうとかめへん
がな。という意味かな。 違うかな。 違うような気がする。白珠ってなんやろ。 (^^♪
ききょう咲き 仏のかげと 重なって (^^)/~~~