競泳空想科学

聞いたことがある。
人間が思い描いたことは実現できると。
あとは行動するだけだ。

ラストスイム

2012年09月17日 | 水泳

長い競泳人生が終わりました。

本当はまだこれからの選手ですが、自分で決めた人生ですから悔いはないでしょうね。
東アジア大会、ユニバーシアード、世界選手権など日の丸を背負って戦った試合の数々。

中京大を背負って戦ったインカレ。

岐阜の声援を受けて戦った国体。
その全てが素敵な想い出となったのではないかな。
こういえば聞こえは良いでしょうが、その実、菜月のレベルが上がるほど苦しみが増えていったのも分かっていました。
辛さや苦しさが増え、諦めたくなったでしょうね。
この国体前も肩が痛くなって、100mは思う様に泳げなかったですからね。
しかし最後の最後に、今まで経験した事が菜月を救ってくれました。
「肩が痛くて辛い」で終わってたら今回の50mの成績はなかったと思います。
「肩が痛くて辛いから、何を自分がすべきか。」を考え実践してきたからこそ、最後にそれが活きたのです。
「100mの結果が悪い」だけで終わっていては、ダメだったのです。
それを「どうリカバリーするか?今何をすべきか?」を考える力が養われていたからこその今回の成績がとれたのです。
菜月からたくさん学びました。
それを活かしてまた中京大のレベルが上がる事で菜月への恩返しにしたいと思います。
最後のレースで菜月の涙が悔し涙から嬉し涙で終われた事で全てが報われたね。
お疲れ様。


ブレリーダー

2012年09月17日 | 水泳
稲田の競泳が終了しました。
決して弱味を見せない稲田でしたが、人一倍繊細でした。
それが時に自分自身を苦しめたと思いますが、その稲田の繊細な人との接し方で救われた同期や後輩は数しれません。
「稲田さんを日本一のブレリーダーにする!」と宣言した後輩たちがそれを証明しています。
絶妙なバランス感覚でチームのスタビライザーになってくれた稲田には感謝の気持ちでいっぱいです。
逆にもっと稲田が自分の事に集中出来るようにしてあげればとも思いました。
とはいえ、これから先に待ち受けている社会の荒波に比べれば、これくらいの事で音を上げていてはいけません。
稲田は人を動かす事の出来る人物ですから、これから先とても大きな力を発揮する事が出来ます。
まずは自分探しの旅に出て下さい。
それを酒の肴にぜひプールサイドで語り合いましょう。
お疲れ様。

諦めなければ道は拓ける

2012年09月17日 | 水泳
夏のイベントが一通り終わりました。
インカレで悔しい思いをしても、次から次へとイベントが待っています。
一つの結果を引きずっても、切り替えてもどちらにせよイベントはやってくるのです。
だったら前向きに切り替えた方が良い結果に繋がると思うのです。
今年も(いや毎年?)悪い結果を引きずり、そのせいでさらに結果が出なくなるという悪循環に陥るパターンがありましたが、それは勿体無い事です。

京太郎もこれで引退です。
草薙コーチは何度も何度も折れそうになる京太郎を時に叱咤しながら最後までキャプテンでいさせました。
キャプテンとはどうあるべきかを指導してくれました。
もちろん忘れてはいけない存在の川越先生には年末年始つきっきりで指導してもらっていましたね。
私が思うのは、そういう人達の応援を忘れてはいけないという事です。
ふてくされたり、投げ出したりする人を応援していたなんて、応援してくれた人達を侮辱する行為です。

京太郎は何度も壁にぶつかりながらもやり遂げたわけです。
これがとても大切な事です。
気分が良い時に、耳触りの良い事を言う事なんて誰だって出来ます。
乗り越えた者にしか分からない事や口にしてはいけない事があります。
京太郎はこれから先悩んでいる後輩がいたら、ぜひ相談にのってあげて下さい。
後輩に「諦めなければ、道は拓ける。」と伝えて下さい。
お疲れ様。

今回のOB会幹事の挨拶

2012年09月16日 | 水泳
本日は多くのOB OGの皆様にご出席いただき、誠にありがとうございました。また出席出来ずとも、メール、電話等でご連絡をいただきました皆様、関東支部、OB会を取りまとめていただきました益子様にも重ねてお礼申し上げます。
また、至らぬ点、不手際がございましたら、この場をお借りし、お詫び申し上げます。

本日幹事として皆様のご様子を拝見し、お言葉を交わさせていただき、改めて中京大学水泳部のOBでいられることに、感謝の気持ちでいっぱいになっておりました。
 また、それと同時に深田先生、佐々木コーチ、草薙コーチ、そして高橋先生のように(全員のお名前を挙げられず申し訳ございません)、指導者として、教育者として素晴らしい選手を育てていらっしゃる皆様、三間さん、西戸智一君のように経営者や実業人として社会に貢献されている方、更には親として立派に家庭を支えてみえる皆様の姿は、学生時代の泳いでいる姿、キラキラと輝く姿と変わらない光を放っているように感じ、学生時代にそんな姿に憧れ、少しでも追いつきたいと練習したことを思い出しました。
~中略~
実は私、高校まで野球部に所属しており、本格的に水泳に取組んだのは大学からです。入学して半年間は毎日脚をつらせて練習したことを思い出します。それから22年が経過しておりますが、今でも実業団、マスターズ大会に出場しております。未だに水泳に打ち込んでいられるのは、中京大水泳部で学んだ努力を継続することの重要さが身体に染み込んでいるから、そして先述の通り、皆さんにまだまだ追いつけていないと感じているからだと思います。

 まず、私のような素人を強豪水泳部に受け入れていただきました鶴峯先生。私が入学するずっと以前にも、素人の方が入部を希望された際、未経験者はお断り!と。その時、「先生は泳げる人を更に速くすることは出来ても、泳げない人を泳げるようにすることは出来ないんですか?」と言われたことで、気付きがあり、それ以降、未経験者も入部を許されるようになったと聞いております。優秀な指導者であった鶴峯先生のそのご決断があったからこそ、今日の OB会に出席出来ているのだと。

大学3年の冬、部員数が増え、主力選手の練習環境を充実させるため、タイムの遅い選手はマネージャーとして、主力選手のサポートに当たらせてはということになりました。私はその第一候補でしたので、中部室内で日本選手権制限タイムを切れなければ、自らマネージャーとなると公言して試合に望みました。それからの2ヶ月間は休みの日もプールに通い、みんなが練習を終わった後もウェイトトレーニングを続けました。残念ながら、100も200もあと僅かで制限タイムを切ることが出来ず、レーズ後のミーティングで今日で選手からマネージャーとなりますと、挨拶をしたのですが、後日、高橋先生が「笠置をマネージャーにするより、他にする奴がいるだろ」とにおっしゃられたことで愛知県選手権まで選手として泳ぐことを許されました。そのお陰で、岐阜県代表として国体にも出場させていただくことが出来ました。野球部出身の私を最後まで泳がせることを許していただいた高橋先生の寛大さのお陰で、当然、結果がすべてですが、努力を継続することで、道が開かれるのではと信じることが出来ました。

今回、ご出席いただきました皆様、そして全国、私の一つ上の鬼先輩、茂さんや後輩の沢村君、亀井君達のように中国、アメリカなどの世界でご活躍されている皆様の姿は学生時代同様に輝かしく、私には眩しくさえ思えます。
そのような方々のいらっしゃる中京大学水泳部のOBでいられることへの感謝と誇り、また更に努力し皆様に追いつきたいと思える活力をいただきましたことに深く感謝し、お礼の言葉とさせていただきます。

ありがとうございました。

第35期
笠置 健之

フォローしていただきました藤森さん、佐藤さん、中嶋さん、ありがとうございました。

2016 「See You Again」

2015「繋心」

2015「HAC」

for you , to me