先週の木曜日、午後から広報紙の読み合わせがあったのでへ
窓の外を見ると、今からプールに入ろうとしている子どもたちが体操をしていた
そう言えば、息子が5,6時間目に着衣水泳するとか言ってたっけ。
読み合わせが終ったとたん、私はプールの方へ
思えば、こんなことでもなかったら、私はプールの授業を今まで見たことがなかった。
ふと校門の方を見ると、マイミクのリコピョンが来ていた
リコピョンの長女ちゃんも6年生で、一緒に入っていたのだ。
一緒に並んでプールを見ていたのだが、リコピョンがふいに聞いて来た。
「なぁ、Iさんって知ってる?」
「あぁ、あの」
知ってるも何も。
ご近所じゃぁ有名な6人の娘のお母さんでございますでしょー
しゃべったことはないんですが、いつもうちの前のごみ捨て場におんぶひも、脇に一人抱えた状態でゴミを捨てに来ていた姿が印象的。
スーパーで見かけても、まさに御一行様状態。
「7人目入ってんねんて」
「うそっっ!!」
まさに「スゴイ」の一言に尽きる…。
よっぽど男の子が欲しいのかなぁ。
興奮冷めやらぬまま1日が過ぎ、金曜日。
仕事から帰ってきたら、ポストに回覧板を入れようとしていたKさん…Kさん?
あれ?班長さんはお隣のOさんのハズ…※うちの地域では、回覧板は全世帯にプリントで配布されていて、配布するのは各班の班長なんです。うちは3月で終わったとこだったの。
「あのぉ、私がこれを持ってるのは訳がありまして」
Kさんはしながらしどろもどろにしゃべりだした何も聞いてないのに
「この間Oさんが家へ来られて「引っ越すので班長を引き継いでやってもらいたい」って言われたので」
「えぇっっ?!」
お隣のOさんは、アッパ君の先輩(私と出会うきっかけを作った人)が勤めていた会社の社長。
アッパ君は、「嫁さんも家も紹介してもらった」と、Oさんにも頭が上がらない様子だった。
とても大きな家で、通りすがりの人達の中には、うちがO宅の「はなれ」と思ってる人がいたようだった
優しくて面倒見の良い奥さんは、1おすそわけをすると10になってお返しが来るようなカンジ。
子ども達が小さい頃はよくお茶に誘ってもらったので、うちの息子が日本の学校に通ってても唯一「ヒョンニンのオンマ、アンニョンハセヨ」(お兄ちゃんのオンマ、こんにちは→O家には、息子より3歳年上のお兄ちゃんがいる)だけは今も使う韓国語だった(笑)
あの、例の前の職場の奥様と大の仲良しで、口を聞いてくれたのもOさんだった
道場に行こうとしていたら、家のチャイムが鳴り、出るとOさんだった。
「オンニ、何かKさんに聞いたんやけど…」
「あぁ、聞いた?何かバタバタと決まったから」
駐車場だった裏の土地(Oさん所有)にいつの間にか家が建ち、ガレージに並んでいたベンツが1台、2台となくなり、そのがらりと空いたガレージの奥に、事務所用の机やいすたちがギッシリ入り…イヤでも不況の煽りを受けたのかと余計な詮索をせずにはいられなかった
Oさんは多くは語らなかったが、この家が無事売れたので、区内に持っているマンションに引っ越すとのことだった
10年間、お世話になりっぱなしだった。今はOさんに感謝の気持ちでいっぱいです。
↓新居はチャリンコで5分ほどなんだけどね。「ポチッと!」お願いします
窓の外を見ると、今からプールに入ろうとしている子どもたちが体操をしていた
そう言えば、息子が5,6時間目に着衣水泳するとか言ってたっけ。
読み合わせが終ったとたん、私はプールの方へ
思えば、こんなことでもなかったら、私はプールの授業を今まで見たことがなかった。
ふと校門の方を見ると、マイミクのリコピョンが来ていた
リコピョンの長女ちゃんも6年生で、一緒に入っていたのだ。
一緒に並んでプールを見ていたのだが、リコピョンがふいに聞いて来た。
「なぁ、Iさんって知ってる?」
「あぁ、あの」
知ってるも何も。
ご近所じゃぁ有名な6人の娘のお母さんでございますでしょー
しゃべったことはないんですが、いつもうちの前のごみ捨て場におんぶひも、脇に一人抱えた状態でゴミを捨てに来ていた姿が印象的。
スーパーで見かけても、まさに御一行様状態。
「7人目入ってんねんて」
「うそっっ!!」
まさに「スゴイ」の一言に尽きる…。
よっぽど男の子が欲しいのかなぁ。
興奮冷めやらぬまま1日が過ぎ、金曜日。
仕事から帰ってきたら、ポストに回覧板を入れようとしていたKさん…Kさん?
あれ?班長さんはお隣のOさんのハズ…※うちの地域では、回覧板は全世帯にプリントで配布されていて、配布するのは各班の班長なんです。うちは3月で終わったとこだったの。
「あのぉ、私がこれを持ってるのは訳がありまして」
Kさんはしながらしどろもどろにしゃべりだした何も聞いてないのに
「この間Oさんが家へ来られて「引っ越すので班長を引き継いでやってもらいたい」って言われたので」
「えぇっっ?!」
お隣のOさんは、アッパ君の先輩(私と出会うきっかけを作った人)が勤めていた会社の社長。
アッパ君は、「嫁さんも家も紹介してもらった」と、Oさんにも頭が上がらない様子だった。
とても大きな家で、通りすがりの人達の中には、うちがO宅の「はなれ」と思ってる人がいたようだった
優しくて面倒見の良い奥さんは、1おすそわけをすると10になってお返しが来るようなカンジ。
子ども達が小さい頃はよくお茶に誘ってもらったので、うちの息子が日本の学校に通ってても唯一「ヒョンニンのオンマ、アンニョンハセヨ」(お兄ちゃんのオンマ、こんにちは→O家には、息子より3歳年上のお兄ちゃんがいる)だけは今も使う韓国語だった(笑)
あの、例の前の職場の奥様と大の仲良しで、口を聞いてくれたのもOさんだった
道場に行こうとしていたら、家のチャイムが鳴り、出るとOさんだった。
「オンニ、何かKさんに聞いたんやけど…」
「あぁ、聞いた?何かバタバタと決まったから」
駐車場だった裏の土地(Oさん所有)にいつの間にか家が建ち、ガレージに並んでいたベンツが1台、2台となくなり、そのがらりと空いたガレージの奥に、事務所用の机やいすたちがギッシリ入り…イヤでも不況の煽りを受けたのかと余計な詮索をせずにはいられなかった
Oさんは多くは語らなかったが、この家が無事売れたので、区内に持っているマンションに引っ越すとのことだった
10年間、お世話になりっぱなしだった。今はOさんに感謝の気持ちでいっぱいです。
↓新居はチャリンコで5分ほどなんだけどね。「ポチッと!」お願いします