博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

家族が家族でない

2013年08月28日 | 読書・映画

 写真の『インベージョン』(オリヴァー・ヒルシュピーゲル監督 2007年 アメリカ)という映画を見ました。

 この映画の原作はアメリカSFの古典的名作「盗まれた街」(ジャック・フィニィ著 1955年発表 ハヤカワSF文庫)です。原作の発表の翌年にはドン・シーゲル監督によって『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』として映画化され大ヒットしました。その後本作を含め実に3度リメイクされているのです。2作目がフィリップ・カウフマン監督による1978年の『SFボディ・スナッチャー』。この2作目はレナード・ニモイ、ジェフ・ゴールドブラムといった個性的な俳優が出演し、ある意味ユーモラスな「人面犬」が登場するなど割と有名になった作品です。そして1993年にはアベル・フェラーラ監督による3作目『ボディ・スナッチャーズ』が制作されています。

 それにしても原作発表後52年間に4度も映画化されるとは!

 一応内容をご存じない方のために解説しますと、宇宙人が密かに地球人一人一人の心身を乗っ取り、本人に成り代わって何食わぬ顔で生活する。周囲の家族や友人は、姿かたち、そして声も本人なのだけれど何か違和感を感じ漠然とした恐れを覚えるというお話です。そして「夫が夫でなくなった」、「妻が妻でなくなった」、「自分は頭がおかしくなったのか」といった訴えを精神科医の主人公にする訳です。原作が発表された1955年は米ソ冷戦が深刻化していた時代で、つい昨日まで味方として第二次世界大戦を戦ったソ連が戦後突然敵になったとか、職場の仲間がいつの間にか共産主義者になっていた(と思い込む)といった時代背景が良く説明されます。同様のコンセプトで、1954年にフィリップ・K・ディックは短編「お父さんのようなもの」(短編集『人間狩り』所収 論創社 2006年)を発表しています。

 しかし今は冷戦も遠い昔のことですよね。自分の家族が、ある日突然未知の存在に変貌するという恐怖は時代を超えて人々(特にアメリカ人)の心を捉えるのでしょうか。

 私は41年前の小学6年生の時に、当時定期購読していた学研の「学習」の付録で初めて児童向けの「盗まれた街」を読み、18歳の時にハヤカワ文庫版を読みました。映画化された4本の作品も全て鑑賞しています。今回見た「インベージョン」の主人公の女性精神科医の姓が原作と同じベネル(原作では男性の設定)であるとか、本作で最初に主人公に異変を訴える女性患者は、2作目のカウフマン監督版にも出演していたなとかいろいろ面白いことに気づきます。そういえばカウフマン監督版には一作目のシーゲル監督が端役で出演していました。

 さて本作の感想ですが、俳優も豪華ですし、撮影にも相当コストがかかっていそうですし、ストーリや設定に面白いひねりがあちこちにあったのですが、何だか前3作と比較して物足り無い感じがします。何が物足りないのか考えてみたら分かりました。本作では宇宙人の正体がウィルスという設定になっていて、前3作で出てきた「豆の莢」が出てこなかったのです。前3作では宇宙人は巨大な豆の莢のような形をしていて、宇宙空間から大気中をふわふわと降下してきます。そして近くにいる地球上の植物や動物のコピーをその豆の莢からゼリー状物質を分泌して作り出すという方法で地球生物の乗っ取りを行います。人間の場合は、睡眠中の人体をコピーして当人に成り代わるという設定でした。この設定が独特の気持ち悪さを醸し出していたのですが(本作では別の方法で気持ち悪さを演出していましたが、ネタバレになるので書かないことにします)、それが本作では出てこなかったのですね。そこがちょっと残念でした。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。