博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

「死の海」からの復活

2013年03月12日 | 九州の風物

 写真は、うららかな早春の陽射しの中の洞海湾です。海を渡る風が爽やかで空も青々と晴れわたっています。海ではクルマエビ漁も行われています。洞海湾はまるで川のような陸地に入り込んだ細長い湾で、少し奥の方に行くと工業地帯にも関わらず緑も豊かです。

 こんな素敵な洞海湾ですが、私が小学生の頃、1960年代には公害の「死の海」と呼ばれていました。北九州工業地帯の真っただ中で、大量の汚染物質が流れ込み、黄色や赤茶色の毒々しい色が広い海面を染め、悪臭が充満していました。湾内の魚介類は戦中の昭和17年には死滅していたそうです。60年代には大腸菌のようなバクテリアですら住めない死の海と化していました。何しろ金属でできた船のスクリューが汚染物質の酸で溶け出したり、船底に付着した貝類が死滅してつるつるになったり、うっかり海に転落した人が汚染物質で中毒死したりといった話を聞いたことがあります。そして工場の煙突からの「七色の」ばい煙は空を覆っていました。当時、「アジアで最悪の」公害都市と言われていたそうです(「北九州市環境対策ハンドブック」より)。中国の経済発展に伴う公害で汚染された最近の中国の河川の写真を見たことがありますが、当時の日本は正に今の中国のようでした。

当時の洞海湾の写真を紹介した北九州市役所のサイトです ⇒http://www.city.kitakyushu.lg.jp/kankyou/file_0264.html

 しかし、1973年に福岡県、北九州市が厳重な環境規制を開始し、湾の浄化を始めた結果、10年後の1983年にはには魚介類が住めるまでに環境は回復したそうです(現在でも海底のダイオキシン濃度が規制値を超過することはあるそうですが)。

当時の対策の様子を伝える西日本新聞社のサイトです ⇒http://www2.nishinippon.co.jp/kitakyushu/rensai/111007/post_18.shtml

 今日では海を渡って中国からの汚染物質が日本に飛来する時代ですが、上記の日本の経験を中国の対策に生かすことで日本と同じように中国の環境問題も解決できるでしょう。


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