博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

トイレの無い家

2005年10月05日 | 思い出
 以前、「血を吸う宇宙」という映画のレビューで「トイレの無い家」の事を書きました。書き終わった後、「トイレの無い家」というのは日本の原子力政策を揶揄する含意があったことを思い出しました。高レベル放射性廃棄物対策を確立しないままスタートして半世紀近くを経たことを揶揄する言葉です。原子力発電所は「トイレの無い超高級マンション」とも呼ばれています。私は以前高レベル放射性廃棄物対策関連(バックエンド対策といいます)の調査研究プロジェクトに従事したことがあるので、このことは他人事ではありません。
 
 もう一つは、よく考えてみますと私が小学生の頃はトイレの無い家って珍しくなかったんですよね。私の同級生でもトイレの無い家に住んでいる友人が、覚えているだけで2、3人いました。具体的に言うと家の中にトイレが無いという意味です。つまり数世帯で一つの共同トイレが屋外にあるということです。ある友人の家は、6畳+4畳半+台所の1軒屋が10軒ほどかたまった社宅で、10軒で1個の共同トイレを共有していました。また純然たる1軒屋でもトイレは家の外にあるという家も珍しくありませんでした。私の実家のあった埼玉県の旧大宮市では私が小学校5年生になるまで下水道が無かったのです。トイレも汲み取り式でしたから、ハエや臭気を避けるために家の外にトイレを設置したのですね。小学校、中学校も旧式の木造校舎では共同トイレは校舎の外にありました(渡り廊下を渡ってトイレに行くのです)。私の母校の中学校では、私が教育実習を行った1983年にはまだ懐かしい木造校舎が残っていました。(さすがに共同トイレは閉鎖されていましたが)
 そうした屋外トイレも1970年代に入ると下水道の普及とともに速やかに姿を消していきました。そういう意味では屋内トイレは私にとって、高度経済成長と豊かさの象徴以外の何者でもありません。同じように姿を消していったものは井戸、そして銭湯、石炭ストーブいろいろありました。
 最近読んだ本で、戦前の中国の上海フランス租界では、やはり下水道がなく、高層アパートが林立していても部屋ごとにトイレが無かった事情が書かれていました。人々は寝台の横に朱塗りに箱を置いて、そこに○○を貯めておき、朝になると家の前にその箱を出しておく。すると早朝回収業者が来て箱の中身をもっていくという話でした。回収業者は独占的な業者が居て、たいへんな富豪になったとか。

 原子力発電所も遂に今年から青森県六ヶ所村の再処理工場が完成し試験稼動をはじめました。これがうまくいけばトイレの無い高級マンションの汚名は(少なくとも半分は)返上できるかもしれません。
 原発のバックエンド対策が完成したとき(屋内トイレが整備されたとき)こそが私達が本当の豊かさを手に入れた時なのかもしれません。

 

 
 










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