博多住吉通信(旧六本松通信)

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ドイツ以外のユダヤ人迫害の歴史

2013年08月30日 | 読書・映画

 写真は『黄色い星の子供たち』」(ローズ・ボッシュ監督 フランス 2010年)というDVDです。1942年7月16日に起こった、ドイツ軍占領下のフランスでユダヤ人約1万3000人がフランス警察に検挙され、全員が競輪場に押し込められ5日間飲まず食わずの状態に置かれた後に貨物列車でドイツの強制収容所に送られた「ヴェロドーム・ディヴェエール事件(冬季競輪場事件)」を描いています。捕まった人たちの中で、戦後まで生き残ることができたのはわずかに400人だったそうです。特に4000人以上が子供だったのですが、子供たちは一人も生還できなかったそうです。当時のフランス政府は対独協力を基調としたヴィシー政権でしたが、ドイツからフランス国内のユダヤ人を検挙し、ドイツの収容所に送れという指令に特に抵抗することもなく従っていました。最初はドイツからフランスに脱出したユダヤ人を連れ戻すという口実だったようですが、フランス国籍のユダヤ人も多数逮捕されました。映画の題名は、ユダヤ系市民を差別しやすいように強制的に着用させた黄色い「ダビデの星」のことです。第二次大戦中のユダヤ人迫害は、ドイツ以外でも行われていたことは意外と日本では知られていないようです。フランスにも1894年のドレフュス事件(ユダヤ系軍人が冤罪を着せられた事件)に象徴されるような、独自のユダヤ人迫害の歴史があります。ハンガリーでも親独的な矢十字党政権下で国内のほとんどのユダヤ人を収容所に送るということが起こっています。

 しかし恐ろしいのは、民主主義の元祖とでもいうべき、フランスでそのような事件が起こったということです。映画の中でも、あの独特の帽子(ケピ帽)とマントをまとった大勢のフランス人警察官がユダヤ人の逮捕と収容、監視にあたっている様子が描かれていて悪夢のようでした。彼らの中には収容者の逃亡を黙認する警察官もいて一抹の救いはありました。また大勢のパリ市民も検挙予定者のうち1万人近くを匿うということをしています。一方で、ヴィシー政権の軍事組織「民兵団(ミリス)」などは嬉々としてユダヤ人を迫害している様子を描いています。ドイツ占領下とはいえ、ヴィシー政権も抵抗しようと思えばできないことなかったはずなのです。例えばアフリカなどの海外植民地や仏海軍の艦艇をドイツに引き渡すことは拒否していましたから。事件の膨大な死者の数を考えると、これはフランスの恐るべき国家犯罪ということになりますが、戦後のフランス政府は長らくその責任を認めなかったそうです。事件はドイツの手先となった裏切り者の仕業という理屈でした(責任者であるヴィシー政府のラヴァル副首相は戦後死刑になっています)。しかし、昨年7月の事件の70周年記念日にオランド仏大統領は「事件はフランス人の手でフランスで行われた」と責任を認め謝罪の発表を行いました。フランスの人々にしても歴史を客観的に評価することは難しかったという教訓なのだと思いました。


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