羽花山人日記

徒然なるままに

ワサビダイコン

2022-11-29 19:36:18 | 日記

ワサビダイコン

ワサビダイコンは中欧から北欧にかけての原産,ステーキの付け合わせとして欧米諸国では根が利用されている。畑ワサビ,西洋ワサビ,ホースラディッシュなどいろいろな名前で呼ばれているが,学問的な和名はセイヨウワサビに定められている。ここでは,わたしが馴れ親しんだ,ワサビダイコンを使わせてもらう。

ワサビダイコンは明治時代に日本に入ってきているが,本格的な栽培は戦後である。畑で粗放な栽培に耐え,多収なのでワサビに比べて格安で,工業用の原料,特に粉ワサビや練りワサビの原料として使われる。ワサビとは同じアブラナ科に属するが遠縁である。根に含まれる辛み成分はワサビと同じだが,風味の点でワサビには劣る。

ここからは,わたしの父の話になる。

父は農協関係の仕事をしていたが,昭和30年代にワサビダイコンの事業を始めた。農家をまわって種芋を配布し,収穫物を買い取って,製糸工場時代に使っていたボイラーと生繭の乾燥設備を利用して芋のスライスを乾燥し,工業用の原料として販売していた。

わたしが大学と大学院で学業を続けられたのは,ワサビダイコンのおかげである。

ワサビダイコンは中国から安い製品が入るようになり,設備も老朽化してきたこともあって,父は昭和50年代に廃業した。

ちょうどそのころのある日,帰郷していたわたしは「ワサビダイコンは花が咲くのになぜ種子ができないか」と父に訊ねられた。

まことに迂闊なことだったが,わたしはワサビダイコンの種子形成に全く注意を払っていなかった。しかし,問われてその原因を推測することができた。

植物には「自家不和合性」という性質を示すものが多い。この性質は自家受粉を防ぐ仕組みで,他家受粉による種子ができるので,集団内の遺伝的な多様性が保たれる。アブラナ科には自家不和合性を示す種が多い。

ワサビダイコンは根による栄養体繁殖なので,すべての個体が分身になっていて,自家不和合性によって受粉が妨げられていることが考えられる。自家不和合性を打破するには,雌しべの中に受粉を妨げる物質ができる前に授粉させる,蕾受粉という方法がある。

そこで早速ワサビダイコンでこの方法をためしてみたが,得られた種子はすべてしいなであった。成熟種子から実生個体を育てるには,何らかの培養技術が必要と考えられた。

わたしにはその技術がなかったので,未熟種子をレスキューする技術のエキスパート,茨城大学農学部の丸橋亘助教授(当時)にお願いすることにした。

丸橋助教授は,蕾受粉で得られた未熟種子を試験管内で培養し,見事に本邦初のワサビダイコンの種子と実生を得ることに成功し,学会で発表した。

父にその話をしたところ,大変喜んでくれた。

この培養技術を使って,本邦初のワサビダイコンの交雑品種,「白宝」が育成されている。

わたしは,結果的にではあるが,ワサビダイコンを追うように,茨城大学農学部に赴任した。そして,ワサビダイコンの葉片培養で個体を育て,その集団の中の遺伝的な変異を調べる研究で,修士二人,博士一人の学位を習得させることができた。

父が亡くなってからほぼ30年が経つ。ワサビダイコンの普及のために,バイクに乗って筑摩野を走っていた父の姿に思いを馳せる。

 

タマネギ

タマネギを植えた。これで今年の植えつけ/播きつけはすべて終了。ネギ,ダイコン,ホウレンソウ,小松菜,芥子菜を収穫しながら,春を待つ。

リ  ン  ゴ

津軽からリンゴが送られてきた。美空ひばり歌う,不朽の名曲「りんご追分」を自然に口ずさんでいた。

 

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ワサビ

2022-11-27 21:12:37 | 日記

ワ  サ  ビ

昨日のNHKブラタモリは,安曇野が舞台だった。

私は,父が安曇の出身なので,血の半分は安曇である。懐かしい気持ちでテレビを見た。

番組に登場した案内役の元校長先生は,朴訥な信州人丸出しで,タモリをやや辟易とさせていておもしろかった。「安曇野はふぁんが多い」がキイワードで,この「ふぁん」は,日本語のファンと英語のfan(扇状地)のかけ言葉で,タモリが煙に巻かれていた。

安曇野を訪れる観光客は年間300万人を超え,山に囲まれた安曇野は扇状地が重層している。

この扇状地の伏流水を利用して,ワサビが栽培されている。番組では,安曇野最大の観光スポット,穂高町(現在は安曇野市穂高)にある大王のワサビ田が紹介されていた。

大王のワサビ田(2016年10月撮影)

ワサビは漢字で山葵と書く。日本在来の野生種から作物化された。学名は1属1種のWasabia japonicaと記載されていたが,ワサビ属は独立した属とはみなされなくなり,現在はEutrema japonicumとなっている。

野生のワサビは,山間の渓流に自生している。60年以上前になるが,上高地から徳本峠を越えて島々に下りた時に,一緒に歩いていた地元の方が,「この辺にあるはずだ」と,沢に分け入り,立派なワサビの株を掘り採ってきた。

ワサビは清潔で冷涼な水に育つ。水温が15℃を越えると腐ってしまう。そのため,栽培適地が限られていて,高価である。

穂高のワサビ田は扇状地の伏流水の湧水を利用しているので清潔な上に年間を通して水温が12℃前後で,周年栽培が可能である。伊豆のように渓流を利用した棚田ではなく,地面からの湧水による平地式の水田でワサビが作られる。

穂高のワサビは,伊豆に開発の遅れをとったため,当初は伊豆ワサビの補完物であった。しかし,1958年の狩野川台風で伊豆のワサビ田が壊滅して,一躍穂高ワサビが脚光を浴び,今や長野県はワサビ生産量全国一になっている。

民謡「安曇節」は謂う:

一夜穂高の山葵となりて,京の小町を泣かせたや

わたしは,ワサビ入りのソフトクリームが食べたい。

なお,練り山葵や粉山葵の原料の大部分は,ワサビではなくワサビダイコンである。これについては思い入れがあり,稿をあらためて書くことにする。

 

ジャパンカップ :またまた逃がした魚は大きかった

テレビの画面を撮影

このところ,惜敗続きだったが,今回もまた,三連複の一頭だけが外れていて,大魚を逸した。12月の有馬記念に今年最後の運をかけよう。

 

無念!ニッポン。コスタリカは粘り強かった。

 

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メロディー

2022-11-25 19:57:55 | 日記

メロディー

昨日の朝日新聞に,『差別と闘う「殉義の星」に』と題する記事が載っていた。

今年は,被差別部落出身者による日本初の人権宣言と言われる「水平社宣言」が出されてから100年になるという。この「宣言」とともに,部落解放運動を支えてきた「解放歌」の作詞者,柴田啓三さんに関する記事である。

柴田さんは1901年の生まれ,学業の途中で水平社創立大会の記事を読んで,運動に身を投じた。1913年に全九州水平社創立大会でこの歌が披露され,「解放歌」として全国に広がり,現在も部落解放同盟に歌い継がれている。

わたしがこの記事で驚いたのは,曲は旧制第一高等学校の寮歌,「嗚呼玉杯に花受けて」から借用したということだ。記事によるとこの曲は多くの労働歌に使われたということなので,その辺から「解放歌」のメロディーとして使われたのだろう。

当然のことだが,ネット上では,「解放歌」の作曲者は「嗚呼玉杯」と同じ楠正一さんとなっている。

これから連想するのが,「メーデー歌」である。「聞け万国の労働者」で知られるこの歌は,1922年の第3回メーデーで,大場勇作詞として紹介されたが,軍歌「歩兵の本領」の替え歌である。もっとも,「歩兵の本領」自体が,永井建子作曲の「小楠公」の替え歌だが。

エリートが歌う「嗚呼玉杯」と部落解放運動の「解放歌」,軍歌と労働歌,ある意味で対照的な場面で共通のメロディーが歌われているが,わたしにはこの二つの組み合わせのそれぞれが共通点を持っているように思われる。

「嗚呼玉杯」と「解放歌」はともに〈高い志〉を歌いあげ,「歩兵の本領」と「解放歌」は〈勇ましく進め〉というアジテーションである。

あるメロディーは人々に共通する感慨を引き起こし,T・P・Oに応じた異なる歌詞の歌が生まれるのではないだろうか。

なお,ネットでいろいろ調べていて知ったことだが,「メーデー歌」は北朝鮮で朝鮮人民軍功勲国家合唱団がカバーしている。歌詞は日本の「メーデー歌」の翻訳である。元歌が旧大日本帝国陸軍の軍歌だということは問題にならないだろうか。

 

FIFAワールドカップ

ドイツ対日本の試合は,前半を見ていて,まるで大人と子供が戦っているようで,もう寝ようかと思って後半の始まりを見たら,子供が成人していて,夜半の最後まで見てしまった。おかげで,日本チームの胸のすくような2本のゴールを見ることができた。

27日は競馬のジャパンカップ,サッカーの対プエルトリコ戦と忙しくなりそうだ。

ツツジの紅葉

阿見町にて撮影

 

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グリーンブック(映画)

2022-11-23 15:57:20 | 日記

グリーンブック(映画)

2018年にリリースされた,実話に基づいたアメリカ映画である。2019年のアカデミー作品賞,主演男優賞,助演男優賞を獲得している。11月14日にBSプレミアムで放送されたものを録画しておいて見た。

グリーンブックとは,黒人用の旅行ガイドブックで,黒人が利用可能なモーテル,ガソリンスタンド,レストランなどが示されている。この映画でも,主演の運転手がそれを参照しながら,移動している。

舞台は1962年,黒人差別が色濃く残っている時代である。

天才的な黒人ピアニストで,カーネギーホールの上のアパートメントに,召使とともに住むドン・シャーリーはアメリカ中西部からディープサウスを,8週間かけて演奏旅行することを計画する。そして,元クラブの用心棒で,失業中のイタリア系白人のトニー・ヴァレロンガを運転手として雇用する。

トニーには黒人差別の意識はないが,博士の学位を持っていて尊大なドンに反発する。ドンはトニーの粗野なふるまいに辟易し,しばしば叱正する。しかし,トニーはドンのピアノ演奏の見事さと,誇りを持ってもめごとに対処す態度に魅せられ,ドンはトニーのフランクな性格と職務に忠実な行動に心を許すようになり,二人の間には友情が芽生え,降りかかるトラブルを克服し,予定通りクリスマスイブにニューヨークに帰還する。

この映画の主題は「勇気」である。演奏家としては全米的に名声を博しているドン・シャーリーは,あえて黒人差別地域でのツアーに身をさらそうとする。旅行中に受ける不当な扱いに対しては,尊厳と非暴力で対峙する。

夜道を走っていた時,警官に止められ,黒人の夜間外出は禁止されていると文句をつけられ,かっとなったトニーは警官を殴り倒し,警察署に留置される。ドンはトニーの暴力をなじり,暴力では勝利は得られないと言う。そして,ロバート・ケネディ司法長官に電話して,知事から署長に圧力をかけさせて釈放させる。

車に戻ったドンは,司法長官に電話したことを恥じ入る。そんなドンにトニーは腹を立て,お前に比べれば,下町の長屋で,家族をやっと養っている「イタ公」の自分はもっと黒だと噛みつく。それに対し,車を降りて雨の中に立ったドンは,自分は演奏家として身分の高い人たちにちやほやされるが,そこを離れれば孤独なニガーに過ぎないと叫ぶ。

この場面と次の場面はこの映画のハイライトである。

最後の演奏地,アラバマ州のバーミンガムのホテルで,ドンはVIPとして迎えられる。しかし,与えられた楽屋は物置であり,トニーが一緒に食事をしようとしたレストランは,土地の風習だからと言って,ドンは入れてもらえない。ドンは,それならば演奏を拒否すると言い,困った支配人はトニーに金をわたしてドンへの説得を頼むが,激高したトニーは支配人を殴ろうとしてドンに止められ,ドンとともにホテルを去る。

その帰路,黒人が集まるレストランで食事をした二人は,余りにも立派な身なりで周囲から奇異の目で見られ,ドンのことを世界一のピアニストだというトニーの説明に,ウエイトレスに証拠を見せてとせがまれて,ドンはレストランのアップライトピアノでショパンの練習曲を弾く。

レストランの客はその音色に魅せられ,レストランにいたバンドマンたちとのセッションが始まり,ドンは孤独感から救われる。

難しいテーマを扱いながら,エンターテイメントとして演出したピーター・ファレリー監督の腕前は見事である。主演,助演のヴィゴ・モーテンセン,マハーシャラ・アリの演技はアカデミー賞に輝いただけのことがある。

一見の価値がある映画だ。(写真はいずれもテレビの画面を撮影)

 

源平咲き

赤と白を咲き分けた菊。源氏と平家が入り乱れている壇ノ浦というところか。(阿見町にて撮影)

 

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ビリンバウ

2022-11-21 17:10:30 | 日記

ビ リ ン バ ウ

テレビの画面を撮影

先週の『おんがく交差点』のゲストは,ビリンバウというブラジルの一弦琴を演奏する渡辺亮さんだった。

この楽器,元はアフリカのもので,木製の弓に金属の弦を1本張ったシンプルな構造で,ばちでこの弦を叩いて演奏する。

音にバリエーションをつけるために,ヒョウタンをくり抜いて共鳴器にし,お腹にあてて振動を調節し,弦の下に石を当てて音階を変える。

渡辺さんは,ブラジルの旅行中にこの楽器と出会い,師匠を探して自分を売り込み,練習したという。

楽譜がなく,大体即興で演奏する。番組でも渡辺さんは即興で演奏したが,素朴な響きの中に,アフリカの雰囲気がそこはかとなく感じられた。

番組ホスト役の大谷康子さんは,例によってサービス精神旺盛で,ブラジル国旗をあしらった帯を腰に巻き,ヴァイオリンの小径では,ピアノ伴奏の佐藤卓史さんのホイッスルを合図に,サッカーでおなじみのサンバ・ド・ブラジルを乗り乗りで演奏した。

渡辺さんとのコラボでは,バーデン・パウエル作曲の「ビリンバウ」が演奏された。二人の間の掛け合いは,初めてのセッションとは思えないほど見事で,それぞれの楽器がお互いの響きを尊重し合いながら,曲を作り上げていた。

ピンガを飲みながらシュラスコを楽しんだブラジルでの夕暮れ時を思い出し,しばし郷愁にひたった。

 

昨日の朝日歌壇から

「ちょっとだけ呑んでみるか」と病む妻に燗酒注ぎて霜月に入る

舞鶴市 吉富憲治様

情景と背景がそのまま浮かぶ,ほっこりとしたいい歌だ。燗酒をワインに置き換えれば,11月に入ったころのわが家の情景でもある。

 

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国際男性デー

2022-11-19 20:11:59 | 日記

国際男性デー

今日は国際男性デーである。わたしは,国際女性デーがあるのは知っていたが,昨日の朝日新聞の記事からその存在を初めて知った。

Wikipediaの記事によると,国際男性デーは、毎年11月19日を男性の記念とする国際的なイベントで,1999年からトリニダード・トバゴで始まり、現在36か国がその日を男性デーとして定めているとのことで,その目標は,以下の6項目からなるという。

  1. 正の男性のロールモデル(模範となる人物像)を促進すること。映画スターやスポーツ選手のような男性だけでなく、正しくまじめに生活している男性も含まれる
  2. 社会、コミュニティー、家族、結婚、育児、および環境への男性の積極的な貢献を祝うこと
  3. 男性の健康と社会的、感情的、物理的および精神的な幸福に焦点を当てること
  4. 社会サービス、社会的態度や期待、および法律の分野で男性に対する差別を明らかにすること
  5. ジェンダー関係を改善し、男女平等を推進すること
  6. 人々が安全で、潜在的な可能性を最大限に引き出して成長することができる世界を作成すること

日本でも,国分寺市,朝霞市,さいたま市などでセミナーなどの催しが行われている。

朝日新聞の記事では,3項目目の問題に焦点を当て,昨日は「男らしさ」の重荷による苦痛を,今日は「男らしく生きること」への挫折から生じる孤独感と犯罪が,それぞれ取り上げられていた。

わたしは,国際男性デーの掲げる目標についてほとんど考えたことが無かったが,そういう問題もあるのかと認識を改めた。

ネット上に,男性の日にちなんだ次のような設問があったのでそれに答えてみた。

①「男だから」「男らしく」に、あなたはモヤモヤ?好意的?

②男性は、異性と一緒にいるとき、男性ばかりでいるときで、言動が変わる?

③テレビやラジオにおける、「男だから」「男なのに」「男らしく」などの表現や取り上げ方についてどう思う?

①については「好意的」を選ぶ。②についてはイエスである。③については余り考えたことが無かったが,放送番組におけるロールモデルが,強くたくましい男らしさから,優しさと思いやりを持った男らしさに変わってきているような気がする。

わたしは,家庭的には姉妹3人の中の男一人として育ったせいか,「男らしく」という指向性が心の中に潜在していたと思う。虚弱児だったせいか,三島由紀夫がボディビルを始めた時はなんとなく共感した。

性差別につながる言葉は控えるようにしているが,ずいぶん前にある会議で,踏ん切りのつかない発言をしていたたら,同席していた女性の活動家から「女々しいわよ。男らしくしなさいよ。」と叱咤され,びっくりしたことがある。もっとも,その女性はその発言を冗談にまぎらせていたが。

わたしは,「男らしさ」「女らしさ」は,いい意味でならあった方がいいと思う。

 

晩秋の森で

11月19日,阿見町ふれあいの森にてカミさん撮影

 

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番組表

2022-11-17 19:06:14 | 日記

番  組  表

今週号のAERAに、同誌編集部の川口穰さんの『番組表に愛をこめて』という記事が載っていて面白かった。

テレビの番組表は新聞最終面の読みやすい特等席を占めている。朝日新聞では、以前は中面にあったが、読者の要望で、1972年8月から最終面に移動したという。

番組は、番組情報配信会社から各新聞社に渡され、掲載する放送局の選択は、新聞社の裁量である。

番組表の内容紹介文は番組を提供する放送局の担当者が書く。

文の長さは厳密に決められていて、1行10字、昼間の番組では1時間3行、プライムタイムなら6行が割り当てられる。

この短文に番組の内容と魅力を盛り込むのは、名人、達人の芸である。しかし、達人たちはそれに飽きたらず、遊び心でいろいろな仕掛けを仕込むことがある。

上の写真は9月18日の北海道で配られた新聞に掲載された番組表で、北海道放送の西島剛司さんが野球中継の紹介文を書いている。

この日の試合が、札幌ドームで行われる今年最後の日本ハムの試合である。しかも,来年からは日ハムのホーム球場は新しいスタジアムに移ることになる。西島さんは,何とか札幌球場への思いを紹介文に入れようとした。

紹介文の各行最初の字を下の方に縦読みし、最後の行を右方向に読むと、「16年の歴史に幕--思いは新球場へ」という文が浮かび上がる。このL字読みが,西島さんの仕掛けである。

西島さんは,今年紹介を担当した8試合すべてに,縦読みの仕掛けを仕込んだという。

わたしは,新聞のテレビ番組表は,一面に続いて読むことにしている。見たい番組のほとんどは,録画に予約する。その際,やはり番組の紹介文を参照している。

これからは,番組表制作者の方々の思いを心に浮かべ,時々は仕掛けを見つける楽しみも味合わせてもらうことにする。

 

ポーランドにミサイル着弾。二人の方が犠牲となる

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異常震域

2022-11-15 20:03:04 | 日記

異 常 震 域

昨日夕方,震度3にしては大きく感じられる地震があった。テレビを見ていたカミさんが,震源地は三重県と言ったので,関東地方に三重県なんて言う地名があったのかと思ったら,本物の三重県沖だった。間をスン抜けて振動が東日本に伝わったということだ。

東海地震はかなり離れたところの話と思っていたが,楽観禁物,桑原桑原。

 

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I am Sam(映画)

2022-11-15 18:56:39 | 日記

I am Sam (映画)

ビデオに録ってあった映画を見た。

2003年公開のアメリカ映画である。

主人公のサムは,知的障碍者で,7歳程度の知能しかない。コーヒーショップで働いている。

映画は,自分の子どもが生まれそうな病院に,サムが駆け付けるところから始まる。無事女の子が生まれるが,退院と同時に,母親の女性は子供を残して失踪してしまう。

サムは子供をルーシーと名付け,父子二人の生活を送る。

ルーシーの7歳の誕生日のパーティーで,行き違いからサムは客の子どもに手を出してしまい,居合わせた児童福祉局のエージェントに見とがめられ,ルーシーは施設に収容されてしまう。

サムは,ルーシーを裁判で取り戻そうと決意し,仲間と相談し,敏腕で売れっ子の女性弁護士のリタに弁護を依頼しようとする。

リタはサムを相手にしないようにするが,ある場面でサムの弁護を社会奉仕として行っていると見栄を切り,裁判を始める。

いやいや始めた裁判であるが,サムの障碍者としての誇り,人間性,そしてルーシーへの愛情に惹かれ,かつ自らが抱える家庭的な問題への悩みから,リタは逆にサムに癒され,立ち直る勇気をあたええられ,本気で裁判に取り組むようになる。

法廷の場面はこの映画の圧巻である。検事の「7歳程度の知能で,これから大きくなっていく子供の父親がつとめられるのか。」の問に,「私はサムだ。ルーシーの父親だ。」と,サムは胸を張って答える。

結局裁判では,サムは部分的な親権しか認められず,ルーシーは里親にあずけられ,限られた時間しかサムとルーシーは会うことができなくなる。里親の家の近くに引っ越してきたサムに里親は反発するが,サムとルーシーの間の深い愛情を見て,里親としての義務を果たしながら,二人が自由に会うことを承認する。

障害者の人権,情感と知性といった難しい問題を提示しながら,この映画は巧みにアメリカン・ジャスティスを貫徹させている。

主演のショーン・ペン,子役のダコタ・ファニングはいずれも好演である。ペンはアカデミー主演男優賞にノミネートされ,ファニングはいくつかの国際的な賞に輝いている。

サムの知的障碍者の友人の中の三人は,実際の障害者が演じているという。彼らは,ビートルズが大好きで,画面を通じてビートルズの曲が流れている。下のシーンはビートルズのCDジャケットを彷彿とさせる。

見てご損のない映画である。(写真はいずれもテレビの画面を撮影)

 

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翻訳という誤解

2022-11-13 16:21:47 | 日記

翻訳という誤解

昨日の天声人語は,「翻訳とは,しょせん誤解である」という,評論家の柳父章氏の言葉の引用から始まっている。

天声人語士は,「異なる世界を自分たちの言語に変換して伝えても,それは〈私たちなりの理解〉に過ぎない」とこの言葉を解釈している。「なるほど」と思った。

森鴎外が訳した『吟遊詩人』は,訳文の方がアンデルセンの原作より名文だという評を,聞いたか読んだかした記憶があるが,どうやって比較したのだろう。

D・H・ローレンスの『チャタレー夫人の恋人』は,原文と二種類の邦訳で読んだ唯一の小説だが,伊藤整訳と長峰勝男訳の違いに驚いた記憶がある。

日本語には,丁寧語や敬語のような外国語にはない表現があり,小説の場合は特に,この使い方でずいぶんニュアンスが違ってくるように思う。

C・ダーウィンの『種の起源』は,八杉龍一訳で最初に読んだが,かなり読みにくくて難解なところがあり,原文と照合して理解しようとした。2009年に渡辺政隆訳が出て,こちらの方は読みやすい文になっている。

わたしが好きな翻訳家は,もう故人となっている菊池光氏である。ハードボイルドの重鎮ロバート・B・パーカーや,競馬シリーズのディック・フランシスのほとんどは氏の翻訳によるが,原文を読んだ時のリズム感や歯切れの良さが,そのまま訳文に表現されているような気がした。これは「誤解」かもしれないが,それもまた楽しということか。

逆に,日本語を外国語に翻訳する時も,そうした「誤解」は生じるだろう。以前,『男はつらいよ』の翻訳をしているというアメリカ人と話をしたことがある。一緒にいた友人が,「結構毛だらけ,猫灰だらけ」をどう訳すのかと訊いたが,答えは聞けなかった。

外国の文化を翻訳によって日本に伝え,残してくれた〈先人たちの「誤解」に敬意〉という天声人語士の結びの言葉は同感である。

 

菊の絨毯

土浦市にて,O・M夫人撮影

 

恥ずかしい

どうしようもない失言で辞任した葉梨善法務大臣は,わたしが所属する選挙区の選出である。別にそうする必要はなくても,やっぱり恥ずかしい。

 

 

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