羽花山人日記

徒然なるままに

さらば塩川喜信君

2023-07-31 19:56:49 | 日記

さらば塩川喜信君

塩川喜信・啓子夫妻の散骨に行ってきた。今年は喜信君の死後7年目,啓子さんの七回忌に当たるそうで,もうそんなに経つのかと思った。喜信君は生きていれば,米寿を迎えたはずである。

在りし日の塩川夫妻(2016年1月撮影)

ご遺族の許可を得て掲載

 

散骨の前日は喜信君の命日にあたっていて,夫妻をしのんで参列者が夕食を共にした。4人のお子さん始め,ご遺族の皆さんが,夫妻の思い出をそれぞれ大切に心に温められていることを知り,とてもうれしい気持ちにさせられた。

以下,塩川喜信君の思い出を記して,あらためて彼を追悼したい。

彼を初めて間近に見たのは,1958年大学4年の時,東大の銀杏並木の集会で演説をしている時だった。ダンディーでおしゃれな彼は,「ダブルの背広の全学連委員長」と言われていたが,その時もダブルのスーツできめていた。アジテーション演説ではあったが,極めて論理的で,引用する話が状況にぴったりで説得力があり,学生運動家の絶叫型とは大きな違いがあった。

その後,何回も彼の演説を聞いたが,「すべての論理はアジテーションである」といった羽仁五郎の言葉を,いつも彷彿とさせるものだった。

彼は,文学部の東洋史学科から,農学部の農業経済学科の大学院に進学した。この学科には,わたしが親しくしていた友人が何人もいたので,彼らを通じて塩川君と言葉を交わすようになった。わたしにとって彼は伝説上の人物で,はじめはやや腰が引けたが,その気さくさにすぐ打ち解けることができた。

ほぼ同時期に助手となり,1960年代末から70年代にかけての大学の激動期に,苦楽を共にすることになった。

確固たる信念に基づく明晰な状況判断で,彼は常にリーダーだった。共通の友人の一人が,「生まれながらにして将たる器」と彼を評していたが,至言である。

しかし,彼は好んで人の上に立とうとせず,泥臭さに徹しようとしていた。ある時彼に,「君は器用さを承知しながら不器用に振舞っているんだね」といったら,「分かってくれるか」と答えた。

彼の大きな特徴の一つは,包容力である。論敵であろうと,失礼なことをいう相手であろうと,決して拒絶せず,相手の立場を認めて包み込んでいた。

その包容力と識見から学生たちにも慕われ,彼の自宅はいつも訪問者であふれていた。啓子夫人はそれに決して嫌な顔を見せなかった。わたしも彼の家で夜を徹し,朝飯をご馳走になったことが何度かある。

60代になって,彼は何度も病魔に見舞われた。しかし,生来の明るさから,それを克服した。舌癌に罹って,放射性のコバルト60の針を舌に刺し,隔離されたことがある。「これで本当の危険人物になったね」と冷やかした。

最後は,間質性肺炎で力つきた。彼の温かい友情で,わたしは何度救われたことか。

散骨の後,心をこめて「コンドルは飛んで行く」をコカリナで吹いた。

君を友として持てたことは,わたしにとって得難く,そして大きな誇りである。

さらば塩川喜信君。「あの世」というものがあるなら,また会おう。

 

STOP WAR!

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最上川

2023-07-29 17:12:33 | 日記

最  上  川

NHKBS3放映の今週の『こころ旅』は山形県だった。カミさんの両親は荘内出身で,山形県はいわば彼女の「ルーツ」に当たるので,毎朝この番組を観ていた。

訪問先に,JR陸羽西線の清川駅が写されていた。ここは,カミさんが5歳の時,母方の実家に一人で縁故疎開していた場所で,最上川のほとりにある。カミさんは母親が作ってくれた人形を抱いて,川辺に立って東京の家族のことを思っていたという。

30年くらい前に,カミさんと二人でルーツを訪ねる旅をした。

最上川の舟下りの時,船頭さんが『最上川舟歌』を歌ってくれて,国際的にと称して,英訳の歌詞でも歌ってくれた。「酒田さ行ぐさげ 達者(まめ)でろちゃ」のところを「アイ ゴー トゥー サカタ」と,とつとつと歌い出した途端,わたしは急におかしくなって,歌の途中抱腹絶倒し,カミさんを顰蹙させた。

清川は,幕末勤王の志士とされる,清河(齋藤)八郎の出身地である。この人物,新選組の創設にかかわりながら,「同志」を見捨てて江戸に戻り,勤王派に寝返ったため毀誉褒貶はあるが,志士として明治新政府からは扱われ,清川にある「清河八郎記念館」には,明治の元勲の揮毫が飾られている。

清河八郎のつれあいは「おりんさん」といったが,故郷の斎藤家では,出自を嫌って嫁としては受け入れなかった。八郎は遺言に,せめておりんの墓は自分の墓のそばにおいてくれと言い残した。

齋藤家菩提の「歓喜寺」にある八郎の墓の隣には,おりんさんの墓がひっそりと立っていた。

 

4万2千年の眠り

シベリアの永久凍土から見つかった2種類の線虫が,解凍されて生き返り,それぞれ4万2千年,3万2千年前のものだということが分かったという。これまで最古とされていたワムシの記録を2倍以上更新したことになる。繁殖してDNAを調べたところ,新種であることが分かった。(シベリアの永久凍土で4万6000年も眠っていた線虫が復活し繁殖、ゲノム解析で「新種」と判明 (msn.com)

細胞の中に氷ができると,その細胞は死んでしまう。だから,細胞や生体を保存するときは,結晶が出来ないように凍結し,解凍しなければならない。特に解凍の技術は難しいと聞いている。凍土で眠っていた線虫も,上手に目覚めさせられたのであろう。

ヒトの精子や卵子も永久凍土の中で何万年も保存することが可能だということになるが,人類絶滅のあとAIがこれを利用して人類を再生させるなんて考えるのは,楽しい夢ではないね。

 

STOP WAR!

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

裏方

2023-07-27 15:48:57 | 日記

裏   方

日曜日の夕方,NHK1チャンから放映されるアニメ,『青のオーケストラ』をビデオに録って観ている。

アニメは,ジブリ作品以外はほとんど観たことが無かったが,『クラシックTV』のMC清塚信也さんの「口車」に乗せられて見始めた。

世界的なヴァイオリニストを父に持つ青野一という少年が,父から手ほどきを受け,コンクールで優勝を続けながら,両親の離婚でヴァイオリンに情熱を失い,無気力になる。しかし,友人や教師の影響でヴァイオリンへの興味を取り戻し,オーケストラでは全国的に屈指の高校に入学し,入部する。

思春期の悩みと,それをめぐる友人との交流を描くストーリーで,練習で流れるビゼーのカルメンや,ビバルディ―の四季のメロディーも楽しく,動画や会話の表現に度肝を抜かれた当初の戸惑いも薄れ,楽しんでいる。

この番組の始まる前の5分間に,『5分で楽しいクラシック』という番組が挿入されていて,クラシック演奏のマメ知識が紹介されている。23日には,オーケストラの裏方さんたちの仕事が取り上げられていた。

舞台のセッティングの担当者は,マニュアルを見ずに,演奏者によって高さや形が違う椅子を所定の位置に置き,譜面台も高さ,傾き,椅子からの距離などを調節して,舞台を整える。

楽譜を管理する人は,演奏順にめくりやすいように楽譜を整えて譜面台に置いてゆく。N響ではこの係は一人しかいなくて,膨大な楽譜が保管されているライブラリーも管理している。楽譜の印刷がかすれて不鮮明になると,手書きで補修する。

タイムキーパーは,楽団員に進行時間を徹底し,舞台への「出」のタイミングも指示する。最後に指揮者には,「toi toi toi」と言葉をかけて送り出す。この言葉はドイツ語で,「幸運を/良い演奏を」というような意味があり,ドイツやオーストリアで使われていたのを,N響も真似をしたものらしい。

何事によらず,素晴らしい仕事には,目立たない縁の下の力持ちの人たちの存在が欠かせない。

番組でこの仕事のモチーフについて問われた裏方さんは,「愛です」と即座に答えていた。

憎いね。ミューズの神々もご照覧あれ。

 

冒     涜

ビッグモーターの社長の記者会見をテレビニュースで観た。

「その中でも衝撃的で一線を越えている。ゴルフボールを靴下に入れて振り回して、水増し請求する、これは許せません。ゴルフボールで傷をつける、ゴルフを愛する人への冒瀆です。」の発言を聞いて,わが耳を疑った。

偽傷行為そのものが,許せないことなのだ。傷つけられた車を作った人,ゴルフボールの作成者,それを包んだ靴下を編んだ人,そうした人たちへの冒涜は彼の頭にはないのか。感性の全き欠如という他ない。

今日の「天声人語」氏も,同感のようだ。

 

ありがとう!霞ヶ浦高校球児たち

甲子園に向けての茨城県決勝戦,最後までリードしていた霞ヶ浦高校は,土壇場で土浦日大高校の猛攻に屈した。

残念だろうが,わが阿見町を代表してベストを尽くした,霞ヶ浦高校の球児たちに拍手を送りたい。

 

ビールビールビール

2019年4月,ブルージュの街角にて撮影

 

STOP WAR!

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書備忘(24)字幕翻訳者が選ぶオールタイム外国映画ベストテン

2023-07-25 14:19:20 | 日記

読書備忘(24)

映画翻訳家協会編『字幕翻訳者が選ぶオールタイム外国映画ベストテン』

ACクリエイト株式会社/AC Books 2011年

先日のブログで,映画字幕の翻訳についての戸田奈津子さんの講演録を紹介したが,その時この本があることを知り,取り寄せて読んだ。期待通り面白かった。

本が出版された2011年当時,映画翻訳家協会の会員は21名で,この内18人の方が,それぞれ印象に残った10本(ベストテンと言うべきか)の映画をあげ,それを選んだ理由とともに,それぞれの字幕翻訳家としての「映画人生」を紹介している。

個性豊かにしてプロフェッショナルの映画を観る目は,実にバリエーションに富んでいて,お互い重なり合うのが少ない。わたしが観たことのない映画だけをあげている方もたくさんいる。わたしが観た観た映画を一番たくさんあげていたのは,戸田奈津子さんの8本だった。

比較的多くの方が共通にあげていて,わたしが観ていないのは,『21世紀宇宙の旅』と『狼たちの午後』で,生きている間に観なければというような気分にさせられる。一方,『天井桟敷の人々』と『地獄の黙示録』も割と多くの方が推奨していて,ここちらは観ているので,「ああよかった」と思っている。

18人の映画翻訳家があげた映画を合計すると157作品で,それぞれに短い解説がついている。この内わたしが観たのは,26作品で,少ないというべきか,多いというべきか。自分としては,映画好きを自認する割合には少なすぎるような感じで,人生やり残したことがたくさんあるような気分になっている。それにしても,『ローマの休日』をだれもあげていないのは,いささか不思議である。

この26作品から,わたしなりにベストテンを選べば,次のようになる。

駅馬車,第三の男,禁じられた遊び,裏窓,わが青春のマリアンヌ,黒いオルフェ,ゴッドファーザー,天井桟敷の人々,ブエナビスタソシアルクラブ。

この内,『わが青春のマリアンヌ』は思い出深い。YouTubeにアップされていることが分かったので,早速観た。70年振り近くの再会。主演のマリアンヌ・ホルトは,やはり「わが青春のマリアンヌ」であった。

この本には,映画翻訳家の対談や談話が載っていて,いろいろなことを知ることができた。例えば,日本で制作される映画の9割は,外国語の字幕/吹き替え版がつくられている;日本語の字幕は20世紀の終わりころまで手書きだった;輸入映画の題名は,輸入した配給会社の意向によることが多く,例えば『おくりびと』は”Departure”,『たそがれ清兵衛』は “Twilight Samurai”が採用された,等々。

寝っ転がって読んで楽しめる本である。

 

フェンスを彩る(土浦市の薬局にて)

ベゴニア

ニチニチソウ

ペチュニア

ジャスミン

 

STOP WAR!

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年齢

2023-07-23 17:01:36 | 日記

 年      

昨日の朝日新聞の《多事争論》に,同紙記者岡崎明子さんの『「何歳ですか」聞いて聞かれて輪切りにされて』というエッセイが載っていた。

この方,二日前が誕生日で,小学校高学年の娘さんに初めて自分の実年齢を教えて,誕生日を祝ったそうだ。

実年齢を言わなかった理由は,自分が高齢出産で大抵のママ友より年上なので,実年齢が娘の口から伝わると,途端に敬語を使われるのがいやだったからだそうである。

そんな人もいるのかとちょっと驚いたが,このエッセイの中に新聞記事における年齢記載の話が取り上げられていた。

新人の記者は先ず。取材相手の年齢と生年月日を確認するよう叩き込まれるそうである。新聞は客観的な事実を伝える役割があり,年齢がその人の背景の理解に役立つのだから,年齢を確認するのは当たり前と,ご自身は「思考停止」してきた。しかし,ここ数年取材相手から難色を示されることが多くなり,絶対に年齢が必要かどうか疑問を持つこともある。

わたしは,「年齢がその人の背景の理解に役立つ」という理由はその通りだと思う。

あらためて今日の新聞紙面を眺めてみた。政治面,経済面,外交面,スポーツ面に登場する人物は,一人例外はあったが,年齢は付されていない。社会面になると登場するのが政治家の場合は別にして,氏名のあとに年齢が書かれている。論説の著者は生年月日が分かるようになっている。俳壇・歌壇の投稿者は氏名だけである。

政治活動,経済活動あるいはスポーツは,結果が重要であって,特別の場合以外はかかわった人物の年齢は重要でないと言うことであろう。社会面では,出来事に関連した人物の年齢は,その人がもたらした結果に関係するから,明示が必要という気がする。後期高齢者の自動車事故はその例である。俳・歌壇の投稿者には年齢表示の許諾が必要という事情があるかもしれないが,詠まれた作品から作者の年齢を想像する楽しみもある。

こうしてみると,新聞は年齢の記載にある基準を設けていて,岡崎さんが心配するような「何が何でも」というのは杞憂のような気がする。

ひるがえって自分のことを考える。うちのカミさんは,自分の年齢を言うのに消極的である。理由はよく知らない。わたしは,わりと積極的に自分の年齢を明らかにしている。そうすることで,自分の立ち位置をはっきりさせられるような気がする。「この歳でもこれだけ元気だ」,「この歳だから大目に見て」という両極端の間の立ち位置である。

どうあろうと,それは人それぞれであり,いい悪いの問題ではないだろう。

 

反田 恭平

7月20日にEテレで放映された『クラシックTV』のゲストは,ピアニストの反田恭平さんだった。同じピアニストで,ホスト役の清塚真也さんとの会話が楽しかった。最後の連弾に,練習曲のモーツァルトのピアノソナタハ長調を選び,ピアノ最高峰のお二人が軽やかに音楽を楽しませてくれた。

反田さんは12歳からピアノを習い始めたが,練習が楽しくて,ストレスがたまった時はピアノを弾いて解消していたそうである。

その話を聞いて,不遜にもわたくしは,ストレスがたまった時コカリナを吹くと,さらにストレスが溜まる。やっぱり天才は違う,と思った。そして,「反省」した。要するに凡才は,うまくなろうと思わない方がいいのであって,下手は下手なりに楽しめばいい。

とはいえ,やっぱり上手になりたいという気持ちはあって,そこがまた凡の凡たる所以であろう。

 

路傍の花(つくば市にて7月21日)

アフリカホウセンカ

アラゲハンゴンソウ

ペンタス

 

STOP WAR!

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

洒落男

2023-07-21 19:28:34 | 日記

洒  落  男

前にも書いたことだが,何かの拍子に,昔歌っていた歌を口ずさんでいることがある。

ここ2,3日,エノケンこと榎本健一さんが歌っていた,「俺は村中で一番,モボだと言われた男-------」を,気がつくと口ずさんでいる。ここでモボというのは,死語かもしれないが,モダン・ボーイの略,モダン・ガールはモガである。

この歌,1番の歌詞はしっかり覚えているのだが,2番以下はすこぶるあやしい。そこで,ネットで調べようと,「モボの歌」で検索したところ,この歌について全く知らなかったことがいろいろ出てきた。

この歌の由緒はアメリカのルー・クライアン作詞,フランク・クルーミット作曲によるポップス・ジャズで,1928年にクルーミットが歌ってレコードが作られ,大ヒットした。原題 は”A Gay Caballero”で,日本には1929年に紹介され,坂井透さんが「洒落男」という題で翻訳した。二村定一さんやエノケンさんが単独あるいは掛け合いで歌い,1930年に大ヒットしたとのことである。なお,坂井さんの訳詩では,モボは東京の銀座に登場するが,元歌のCaballeroは,ニューヨークではなく,ロスアンゼルスにやってきたそうである。

YouTubeで聴いたら,あの端正そのものの歌手,藤山一郎さんが,おちゃらけで歌っているのでびっくりした。

こんなことでも,知識が増えると,人生が豊かになったような気になる。

 

洒  落  男      ルー・クライアン作詞,坂井透訳

 

俺は村中で一番  モボだといわれた男

うぬぼれのぼせて得意顔  東京は銀座へと来た

 

そもそもその時のスタイル  青シャツに真赤なネクタイ

山高シャッポにロイド眼鏡  ダブダブなセーラーのズボン

 

わが輩の見染めた彼女  黒い眸でボップヘアー

背が低くて肉体美  おまけに足までが太い

 

馴れ染めの始めはカフェー   この家は妾(わたし)の店よ

カクテルにウイスキーどちらにしましょ 遠慮するなんて水臭いわ

 

いわれるままに二三杯  笑顔につられてもう一杯

女はほんのり桜色  エッヘッヘ しめたぞもう一杯

 

君は知ってるかい僕の  親爺は地主で村長

村長は金持で 伜の僕は  独身でいまだに一人

 

この後まだ4番続き,モボの運命は悲喜劇に終わるが,元(あるいは今も)田舎者のわたしが馬鹿にされたようで好きでない。だから省略する。

珍     客

畑で摘んだ紫蘇の葉にくっついてお出でになった。丁重にお引き取りいただいた。

 

STOP WAR!

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

介護保険

2023-07-19 19:19:14 | 日記

介 護 保 険

昨年の7月,カミさんが転倒して歩行不能になった時から1年が経過した。以来お世話になっていた介護保険の適用が,要介護3を卒業し,要介護1に認定された。ほぼ全快だが,まだ少し不安定というところか。

当初は戸惑ったが,良くなるということを信じて頑張った甲斐があったと思う。子供たちも応援してくれた。ブログにコメントを寄せてくださった天野さんが,ご自分の経験から大丈夫と励ましていただき,どれだけ力になったことか。カミさんともども,本当に感謝している。

折角いただいた認定,お世話になってリハビリに務めることにしたい。

 

オルゴール

20年近く前。ウィーンの街角の小さな店で,目が合って欲しくなり,9ユーロ弱で購入した。耳元でハンドルを回すと,アイネクライネナハトムジークの一節が聞こえてくる。一息入れて,鳴らしている。

 

STOP WAR!

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コカリナピクニック

2023-07-18 19:40:26 | 日記

コカリナピクニック

昨日は,石岡市の公民館,「ひまわりの里」で開かれた「筑波山麓コカリナピクニック」に参加してきた。

常磐線を土浦より北まで乗るのは2年ぶりで,沿線に広がる青々とした蓮田と稲田は,農業県茨城ならではの眺めで,冷房車で酷暑から隔てられて見ると,むしろ涼やかであった。

「筑波山麓コカリナピクニック」は茨城県及び近県のコカリナサークルが集う発表会で,コロナ禍で3年ほど中断していたが,昨年復活,今回で18回目を数える。わたしは,パーカッションによる伴奏で第2回くらいから参加し,途中からコカリナも吹くようになった。今回はコカリナとパーカッションの2足のわらじで,「ラヴピース」,「ひびき」の二つのサークルのメンバーとして演奏した。

今回は,千葉県も含めて,18サークルが参加した。地元の石岡市周辺にに新しいサークルが誕生しているのは頼もしいが,メンバーが固定するか減少し,高齢化が進んでいるサークルが多くなっているのがやや気になった。しかし,コロナ明けの昨年に比べると,各サークルとも演奏の質が向上しているように感じた。

千葉県山武市から参加の「さんぶの森コカリナ隊」

「ラヴピース」の曲目は,NHKテレビ番組の主題歌『小さな旅』,ペドロ&カプリシャスのヒット曲『五番街のマリーへ』,貧しい画家の女優への恋心を歌った『百万本の薔薇』の三曲で,『小さな旅』では,クラベスとウィンドチャイムで伴奏した。いずれも,リーダーのギタリスト真木ひろしさんの編曲で,ギターの伴奏に乗って,気持ちよく演奏できた。

「ひびき」の1曲目は吉原勇人作曲の『鬼怒の流れとともに』,2曲目はラテンのスタンダードナンバー『アマポーラ』で,一曲目をトライアングルで伴奏した。リーダーの黒田さんは目がご不自由にもかかわらず,暗譜して熱心に指導してくださる。その期待に応えるのはなかなか大変だが,昨日は何とか無事に演奏し終えた。

趣味としての音楽は,一人で演奏を楽しむこともできるが,仲間とアンサンブルを組み,皆の前で演奏するのもモチベーションが上がって,また楽しい。

わたしは教師として人前で話すことには慣れていたが,楽器を人前で演奏するのはずいぶん緊張して,自分がこんなにあがり症であるとは思わなかった。ようやく,それもまた楽しいと思うようになり,肩の力が抜けてきたようだ。昨日の演奏を終わって,そんなことを感じた。

あと何年指が動いてくれるか分からないが,コカリナを友として大切にして行きたい。

 

STOP WAR!

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京天馬会

2023-07-16 16:17:28 | 日記

東京天馬会

昨日は、東京天馬会の例会で、神田の学士会館まで出かけてきた。

天馬会というのは、母校陸上競技部OBの組織である。

この競技部、創立は100年以上前で、当時松本中学に赴任していた、日本陸上競技界の草分け、野口源三郎先生の指導で創設された。

わたしが在籍していたころの陸上競技部は、地元では強豪振りを発揮していて、800mリレーの信越代表でインターハイに出場している。

マネージャーだったわたしは、入賞して掲揚されることを期して、校旗を持参して横浜市の三ツ沢競技場まで応援に出かけたが、残念ながら予選敗退となった。

閑話休題。

天馬会の東京支部が東京天馬会で、わたしはその会長を仰せつかっている。

前の会長は、元宮内庁長官、日赤名誉社長の藤森昭一さんで、終身会長をお願いしていたが、ご高齢で辞任され、落差の大きさに怖気付いたが、押し付けられ、そのままずるずる続いている。

毎年7月の第二土曜日に渋谷の東急REIホテルで例会を開いていたが、今年は会場と日程の都合が合わず、昨日の開催となった。

コロナに妨げられて、実に4年ぶりの開催である。

三連休の初日でもあり危ぶんだが、例年の半分以下とはいえ、11名の参加が得られた。

最年長はわたし、最年少は41歳、残念ながら、令和卒業の顔が見られなかった。

常連が多く、お互い顔見知りで、人数が少ない分話が通りやすく、盛り上がった。

恒例の近況報告では、それぞれ活躍を披露していたが、補聴器のわたしには半分程しか理解できず、残念だった。

ともあれ、「若い」後輩の息吹に触れ、楽しい2時間だった。

来年は、かつては参加最多を誇った同期の仲間の復帰を期待したい。

 

STOP WAR!

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

外来種を食べる

2023-07-14 19:45:48 | 日記

外来種を食べる

今日の朝日新聞25面に,お笑い芸人のさかな芸人ハットリさんによる,『31種の「命」,食べて考えた』という記事が載っていた。

ハットリさんは,昨年,毎日外来種を食べるというチャレンジを半年続け,31種を調理方法や味付けを変えながら食べ終えた。環境省が生態系に被害を与えると選んだリストにある種を対象にした。すべての外来種が悪いわけではない。イネも外来種である,と彼は言う。

ハットリさんはもともと外来種の問題には興味があり,オオクチバスの釣りが楽しかったが,心の中で矛盾を感じていた。そして,バスを食べたことで釣り人からバッシングを受け,もっと外来種のことを知りたいと思った。「生き物を殺めた以上は無駄なく食べる」を信条としてきたし,駆除される外来種がかわいそうという気持ちがずっとあったので,多くの人が食べることで外来種を減らしていければよいのではないかと考えた。そして,駆除のように命を奪うことに葛藤がある人が,生態系の保全にかかわっていく入口に,食べるとか利用するとかがあってもいいのでは,という。

彼がチャレンジを通して考えたことは,外来種は環境の問題だけでなく,人と人との問題なのだということだ。生物多様性を守るために悪影響のある外来種は駆除するが,それを受け入れ難い人もいる。多様性の保持のためにどうしたらよいか,様々な立場の人と対話を続けていくことが大事だ。。

わたしは,ハットリさんの考えは非常に面白いと思い,わたしの考えとどこか通じるものがあると感じた。

2021年1月20日のブログで,わたしはニセアカシヤ駆除の愚劣さを批判した。そこで引用したフレッド・ピアス 著『外来種は本当に悪者か? 新しい野生THE NEW WILD』( 草思社 2016年)にあるように,外来種には在来種の回復を助け,荒れ地などの多様性をもたらす働きをしているものが多い。

頭ごなしに,「生態系の破壊」,「多様性の保持」を叫んで,外来種すなわち悪と断じるのは愚かである。生態系は破壊されるものではない。変遷し新しい生態系が出現する。その変化がどんな影響をわれわれにもたらすかが問題なのだ。生物多様性とはなにか。どうやって多様性を評価するのか。単純に種の数が増えるのが多様化というならば,外来種の生態系への付加は多様性の増大ともいえるのではないか。

言葉を単なるお題目として受け取り,あるいは振り回すのではなく,その意味するところを考えるのが大事だ。ハットリさんの言うように,食べたり利用したりすることが,その契機になり得るだろう。

 

夏を彩る

(阿見町にて撮影)

セイヨウノコギリソウ

ダリア

キイチゴ

サルスベリ

クサキョウチクトウ

アルストロメリア

 

STOP WAR!

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする