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羽花山人日記

徒然なるままに

戦争責任

2025-08-19 17:04:41 | 日記

戦 争 責 任

朝日新聞デジタルによれば、長崎市の原爆資料館の展示物をめぐって、運営審議会の委員から 「南京大虐殺の歴史的事実関係をどう考えているのか。裏付けは何もない。でっちあげ」との発言があり、市は同館のリニューアルに当たって、対象となる展示物とモニター音声をいったん撤去し、展示物についてあらためて検討していくことにしているという。

1988年に原爆資料館の老朽化に伴う建て替え方針が出され、建て替えに関わった元市職員の話では、展示物の内容には当時の市長本島等さんの意向が大きく反映したという。本島さんは、戦争に対する反省がないと、核兵器廃絶の主張が説得力をもたないと考えていた。

本島さんの理念は、後任の伊藤一長さんにも受け継がれ、「自らの反省なくしては核兵器廃絶の訴えは決して世界に届かない」と、加害展示の重要性を議会で指摘しているという。。

長崎原爆資料館の運営については、長崎市民が決定することで、わたしがとやかく言うべきではないかもしれないが、あえて感想として言うならば、両市長の考え方はとても大切なことだと考える。

南京事件に関しては、被害者の数に議論はあるが、民間人に多数の犠牲者が出たという事実は、日本政府も含めて認められている。冒頭に述べた資料館審議委員の発言は、わたしにはためにする議論のような感じを受ける。

この新聞記事は、戦時中の加害行為の展示をめぐって、各地で撤去・縮小の動きが続いていることも伝えている。

もう四半世紀も前になるが、パラグアイに赴任していた時、夕食を食べに食堂に入ったところ、テレビが戦争映画を映していた。画面は東南アジア、原住民に対して日本の兵隊が暴虐をふるい、アメリカ兵がそれを救出するというような筋立てだった。

わたしが食堂に入ってくるのを見て、店にいる人たちはハッとした表情になった。わたしは一切を無視して、食事をした。

その時思ったのは、日本ではこのような映画は公開されないが、日本軍を「悪逆非道」なものとして描いた映画は、世界のあちこちで流布しているのではないかということである。

現在の日本人の大部分は、日本が引き起こした戦争の当事者としての責任は負っていないかもしれないが、その戦争でどのようなことが行われたかを認識し、二度と日本にその道を歩かせないようにすることが責任として課せられているのではないだろうか。

筑波山夏の夕暮れ

 

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ゴキブリその後

2025-08-17 19:27:03 | 日記

ゴキブリその後

一昨々日の夜洗い物をしていたら、ゴキブリが足元に顔を出した。「虫相」から見て明らかにその前日に現れたのと同一個体である。

踏みつぶすことを躊躇している間に、素早く逃げられてしまった。

すでに「ブラックキャップ」という毒薬入りの餌が入ったトラップを仕掛けてあるのに、このゴキ君まだその餌は食べてないらしい。あるいはまだ毒が効いていないのか。

次の晩、カミさんとテレビを観ていたら、彼(女?)が目の前を横切っていくではないか。慌てて新聞紙を丸めたが、すでに部屋の隅に逃げ込まれてしまった。

そこで、以前にゴキブリ退治に使って効果があった中性洗剤を用意して、ゴキ君が現れるのを待ち構えていた。

ほどなくして彼(女?)が顔を出した。なかなか的中しなかったが、それでも彼(女?)の背中に中性洗剤を浴びせた。それで成仏かと思ったが、彼(女?)はしぶとく部屋の隅にまた逃げ込んだ。

しかしまたしばらくして、彼(女?)はヨタヨタと隅から出てきた。足元もおぼつかない様子で苦しそうなので、ここはその苦しみから解放してあげようと、新聞紙を丸めて引導を渡した。

それを食べた虫は明かりを求めて出てくる殺ゴキブリ剤があると聞いたことがあるので、あのゴキ君がのこのこ出てきたのは、仕掛けた薬のせいかと思い、チャット君に訊いてみた。

「ブラックキャップ」の有効成分は「フィプロニル」という物質で、これには虫を明かりの下に誘導する効果はないらしい。しかし、「フィプロニル」は摂取した虫の中枢神経に作用して麻痺や運動失調を引き起こすので、ふらついて結果的に明るい場所で見つかるのではないかということだった。

なお、ゴキブリは体の側面に並んだ小さな穴(気門)から空気を取り込んで、血管に相当する気管を通して体の組織に酸素を送る。体表に中性洗剤をかけると、体表面のクチクラ層が解けて気門をふさぎ、呼吸ができなくなる。ゴキブリにとって中性洗剤は恐ろしい毒物である。

それはさておき、中性洗剤をかけられて逃げ回るゴキブリを見ていたら、なんとなく哀れを催してきて、その晩はゴキブリの夢を見た。

盂蘭盆の最中の殺生。仏様どうかお許しを。

南無阿弥陀仏

 

ブラックキャップ

ゴキブリの通りそうなところに置いておく。四方に開いている穴からゴキブリが入ってきて殺虫剤の入った餌を食べる。わが家ではこれを12個仕掛けた。

 

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終戦時の思い出・政治家の仕事

2025-08-15 19:48:36 | 日記

終戦時の思い出

80年前の8月15日、わたしは国民学校4年生で9歳だった。

故郷の松本は爆撃にも遭わず、庭に作った防空壕には、警戒警報で1回だけ入った記憶がある。ある晩、廊下から外を見ていたら東の山並みのふもとで爆発があり、爆風で体が壁に押し付けられた。爆撃帰りのB29が落としそこなった爆弾を捨てて行ったらしいと後で聞いた。

わたしは結構軍国少年だったが、戦禍を直接見聞きすることはなく、戦争を身に迫るものとしては感じていなかったように思う。当然日本は戦争に勝つものと思っていた。戦局がひっ迫していることなど夢にも思わなかった。

だから、天皇の「玉音放送」があると聞いても、それが終戦の詔勅だとは全く考えなかった。

いわれたとおり、ラジオの前で直立して天皇の言葉を聞いたが、意味不明で、母や姉たちもわけがわからず、天皇自ら国民を鼓舞されたぐらいに解釈していた。

父が勤めから帰ってきて、日本が負けたことを知り、男の子はこれからつらい思いをするかもしれないといわれて、わたしは泣き出した。

敗戦の意外さや口惜しさは不思議と感じなかった。「鬼畜米英」と称され、自分でもそれを信じていたアメリカやイギリスの兵隊がやってくることへの恐怖心が先立っていた。

それから何日かして、表で遊んでいたときにジープに乗って鉄砲を持ったアメリカ兵が巡回に来たのを見て、一目散に裏庭に駆け込んだ。彼らも緊張していたのだろう、非常に鋭い目をしていた。

夏休みが終わって行った学校では、教科書の塗りつぶしをやらされた。修身の教科書は、何ページかまとめてはさみで切りとったので、ほとんど表紙だけになっていた。

先生からなぜそうしなければならないかという説明を聞いた覚えがないが、この作業はそれまでの戦争や教育が間違っていたということを刷り込む効果があった。自分の中の軍国少年は消滅していた。

隣村に軍用の飛行場があり、学期始めの朝礼で生徒が校庭に集まっているとき、グラマン戦闘機の大編隊が飛行場の接収のために頭上を通過した。生徒たちはパニック状態に陥った。その時朝礼台にいたO校長が「日本人たるものがうろたえるな!」と大喝し、騒ぎがおさまった。

O先生は気骨のある方でみんなから尊敬され、戦争中の諸行事は威厳をもって取り仕切っていた。戦後公職追放の憂き目にあい、職を失ったが、追放が解除されるまで村民がその生活を支えた。

わたしが中学生の時、O先生は追放解除になり、時の中学校長の計らいで生徒の前であいさつされた。「自分にとって、追放処分は愉快であった。君たちはこれから卑屈にならずに生きて行って欲しい。」といった趣旨の話をされたのを覚えている。

5年生になると「民主主義」という言葉が耳に入るようになり、新任の先生の下、生徒会のような組織が作られ、多数決による議決が行われた。

5年生の3学期(1947年)になって、日本ではいわゆるゼネストが計画され、授業中に先生からなぜストライキが必要かが話された。今考えるとかなり過激な話である。

先生から、「ゼネストをやれば吉田内閣は倒れる。そのあとにどんな政府ができると思うか。」という質問が出され、一人が「社会党の政府」との答えたのに先生は満足せず、ほかの答えを求めた。わたしだったかだれだったかは覚えていないが、「人民の政府です。」と答えたのに先生は大きくうなずいていた。

GHQの干渉で「2・1スト」は中止になったが、そのことについて先生は何も説明しなかったと思う。わたしはちょっとがっかりしたように記憶している。

民主主義が概念として形になったのは、中学で憲法について学んだ時だった。わたしにとっては、それが戦後の始まりだったような気がする。

 

政治家の仕事

朝日新聞に連載されている『戦争と政治家』の第1回に登場した福田康夫元首相の言葉が印象的だった。

〈「戦争をしなければいけない」という状況を作らないこと。それに全力を尽くすのが、政治家の仕事だ。〉

政治家たるもの肝に銘じてほしい。

 

空には秋の気配

8月14日撮影

 

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ゴキブリ・読書備忘(52)補遺

2025-08-13 19:29:52 | 日記

ゴ キ ブ リ

わが家にゴキブリが現れた。ここに住み始めてから30年間、一度も見かけなかった「珍客」である。

下水管を通って上がってきたのか、網戸の隙間から入り込んだのか、カミさんの叫び声で駆け付けたら、キッチンの床に立派な1匹が鎮座ましましていた。

恥を忍んで言うが、わたしはゴキブリを見ると足がすくんでしまう。これまで、ゴキブリに遭遇した時は、対処をカミさんに任せ、わたしは部屋の隅で息を殺していた。

しかし、今回は左半身やや不随のカミさんに頼むわけにいかない。新聞紙を丸めて「エイヤ!」と振り下ろしたが、へっぴり腰を見透かされて悠々と逃げられてしまった。

ところでこのゴキブリ、進化的には非常に古くから出現し、しかもその形態があまり変わっていないことから生きた化石といわれ、いわば尊厳置く能うべからざる昆虫である。自然生態系では、森林などで分解者として重要な役割を担っている。南米で遭遇したまだら模様のゴキブリは、実に堂々としていた。わたしは腰を抜かしそうになったが。

ゴキブリは体幹に沿って太い神経索を持っているので、神経生理の実験にはよく使われる。学生実験でもゴキブリが供され、必死の思いで授業を受けた覚えがある。学部4年生で卒論の研究室を選ぶとき、躊躇なく「害虫研究室」は敬遠した。

普段「昆虫との共生」などと偉そうなことを言っているが、ゴキブリと同居するのは気が進まない。ゴキブリトラップを買ってきて、部屋のあちこちに置くことにした。

ゴキブリの霊よ安かれ。

 

読書備忘(52)補遺

一昨日のブログ『読書備忘(52) 僕には鳥の言葉がわかる』に、わたしは、著者の鈴木俊貴さんの実験手法について、「実験にはかなり高度なIT技術が使われているが、基本は集団の観察である。」と書いた。

この部分について、一人の読者から、「使われているIT技術は高度とは言えない。むしろ、そういう技術を使って創意工夫をこらしていることに感心する。」というコメントをいただいた。

鳴き声を録音して編集し、鳥に聞かせるなんていう技術は、わたしから見れば「高度」に思えるが、今では大したことではないらしい。いずれにせよ鈴木さんの実験デザインは凄いと思う。

時代から取り残されていることを自覚し、寄せていただいたコメントに感謝する。

 

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残念松商学園!

2025-08-12 19:10:10 | 日記

残念松商学園!

全国高校野球甲子園2回戦、長野県代表松商学園は、岡山学芸館の前に0対3で敗退した。

ヒットの数では一時相手を圧したが、スクイズ失敗などで、得点に結びつけられなかった。

県予選失策0を誇った堅守にほころびが出たのは、やはり魔物が住むという甲子園のなせる業か。

結果は残念だが、選手諸君の健闘を称えたい。

明日からは、いつものように負けている方を応援して、テレビ観戦することにしよう。

 

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読書備忘(52)僕には鳥の言葉がわかる 

2025-08-11 19:08:43 | 日記

 鈴木俊貴

 『僕には鳥の言葉がわかる』 小学館 2025年

遊びに来た息子がこの本を貸してくれた。「評判になっている本だよ。」といわれて、奥付を見たら初版が今年の1月で、3月にはすでに6刷、表紙の袴には11万部突破と出ていた。自分の不明を思い知らされた。

著者は1983年生まれの東京大学准教授で、動物言語学講座を東大に創設している。

動物言語学とは動物が話す「言語」を対象とする学問で、テレビ・ラジオ・SNS上で取り上げられているので、知る人ぞ知る新しい分野である。

言語は人間だけが操るものと古来信じられてきたが、そう信じる人類というのは「井の中の蛙」であると著者は断じ、動物も言語を話すということを、シジュウカラの観察を通して見ごとに実証し世界中を驚かせたのである。

この本は著者初めての著作で、思い立ってから出版まで数年を要している。その間に新しい事実を発見し、その収録を待つことになったからである。

著者がシジュウカラの鳴き声に魅せられて研究を始めた学部学生時代から、大学院を経て超一流の国際誌に次々と驚愕的かつ鮮やかな論文を発表し、2022年に動物行動学の最高峰国際行動生態学会で基調講演を努め、2025年イギリスの動物行動研究協会から最も栄誉ある国際賞を授賞されるまでの軌跡が、この本には記載されている。

平易な文章で、興味深いエピソードが連ねられ、わたしはほぼ半日で258ページを一気読みした。

著者は学部の卒業論文にシジュウカラの鳴き声をテーマに選び、バイトで貯めた私費を投じて巣箱を作り、軽井沢をフィールドとして観察を始める。そして、シジュウカラの鳴き声にはいろいろな種類があり、それぞれ役割を担っていることに気づく。

その事実を綿密な計画に基づく実験によって実証し、「ジャージャー」という鳴き声がヘビに対する警戒音で、親の鳴き声を聞いた雛は巣穴から飛び出して避難するという事実を実証して、学位論文とし、学会誌と国際学会で発表して賞賛を浴びる。

ちなみに、「ツツピーツツピー」は縄張り宣言、「ヒヒヒ」は空にタカが現れた時の警戒音、「ヂヂヂヂ」は集合の合図である。巻末にはこれらの鳴き声が二次元コードで収録されていて、聞くことができる。

実験にはかなり高度なIT技術が使われているが、基本は集団の観察である。実証データを得るまでには数年を要している。その粘り強さと、対象とする集団(天敵も含めて)を大切に扱う著者の態度に感服する。

いろいろな面白いエピソードが書かれているが、前半部分にあった一つを紹介する。

著者に見知らぬ人からダイレクトメッセージが届いた。船員をしている人からで、船のマストにシジュウカラが巣を作り、雛を育てているが間もなく出航するので、親鳥から雛が離されてしまう。巣立ちには少し早そうで何とかならないかというのがその内容だった。

著者は船員にメールに添付して「ヘビ警戒音」を送り、それを雛に聞かせるように指示した。この「ジャージャー」音によって雛は巣から飛び出し、親鳥に導かれて見事に救出された。

この本のハイライトは、後半に出てくる「シジュウカラは言葉を話す」という驚愕的事実を実証した話である。

古来動物の発する音は進化の結果としてある本能的なもので、感情の表出に過ぎず、ヒトの話す言語とは異なるものだというのが定説であった。著者はこれをひっくり返そうとする。

先ず「ジャージャー」がヘビという具体的な対象を持つ名詞であるということを、模型を使って見事に実証する。

次に、「ピーツピ」(警戒せよ)と「ヂヂヂヂ」(集まれ)の二つを組み合わせた文「ピーツピ・ヂヂヂヂ」を聞かせると、シジュウカラはあたりを見回しながら集合してくる。

この二つの単語の順番を逆にしたり、別のスピーカーから聞かせたりするとシジュウカラは反応しなくなる。つまり、同一個体から文法に従って伝えられた時、この文章は意味を持つということが実証された。

この説に対して、言語学者からはいろいろな反論が寄せられたが、著者は一つ一つに丁寧に対応し、自説を納得させている。そして動物の「言語」を解明することの重要性で一致している。

わたし自身もこの本を読む前は、動物の発する音は単なる合図であって言語ではないと思っていたが、まさに目から鱗であった。死ぬ前にこんな大事なことを知ったのはラッキーである。

著者は先に述べた国際学会での基調講演で「動物言語学」の創設を提案し、賛同を得ている。

なお、著者はシジュウカラはゼスチャーで交信することも発見している。

この仕事は小学校の国語の教科書でも取り上げられ、人気を博しているという。動物は、同種内はもとより、異種間でも言語で交信しているらしい。

われわれヒトも、会話は自分たちだけのものと考えず、動物たちとの会話を試み、共生に役立てようではないか。

著書には著者自身のイラストも載っていて、ホッコリとさせられる。まだ読んでない方、Kindle版やAudiobookも発売されているので、是非お読みください。

 

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となりのトトロ

2025-08-09 19:08:46 | 日記

となりのトトロ

朝日新聞デジタル8月7日付の記事に、同紙ロンドン支局長藤原学思さんによる『舞台「となりのトトロ」、英国でなぜヒット? メイとサツキの答えは』と題する記事が載っていた。

宮崎駿監督によるジブリ作品の「となりのトトロ(My Neibour Totoro)」が、ロンドンの劇場でロングランの上演をつづけ、高い評価を得ているということだ。

「となりのトトロ」は、2022年10月~23年1月、23年11月~24年3月にロンドンで公演され、いずれもチケットを完売し、29万人を動員したという。今年の3月から無期限で公演中である。

この間、イギリス最高権威の「ローレンス・オリビエ賞」の最優秀作品賞をはじめ6部門を受賞し、ほかにもいくつかの賞に輝いているという。

劇のエグゼクティブプロヂューサープロデューサーは久石譲譲さんが勤め、主役の小学生サツキには母が日本人、父が英国人の奥村英衣未さん、妹で幼児のメイ役は、シンガポール人のビクトリア・チェンさんと、アジア系の俳優が起用されている。

わたしはジブリの作品では『となりのトトロ』が最も好きであり、このニュースを知ってわがことのように誇りに思った。

この作品は1988年の公開で、子供たちはもう大きくなっていたが、テレビで一緒に観て家中で楽しんだ記憶がある。主人公の父親が大学の教員だということが分かったシーンでは、子供たちに「お父さん、同業だから身を乗り出したね」と冷やかされた。

もっとも忘れがたいのは、当時5歳の孫のお守と留守番を頼まれたとき、持参したDVDでトトロを一緒に観て、画面とストーリーに共感した思い出である。

前にも書いたことであるが、娘に「ナウシカ派かトトロ派か」と訊かれ、ジブリファンにはそういう分け方があることを知り、文句なしにトトロ派を自認した。

『となりのトトロ』に描かれている1950年代の日本の田舎を舞台にした「家族愛」「子どもの想像力」「自然との共生」といったテーマがイギリスの人たちに理解され、共感されていることを知ると、本当にうれしくなる。

われら地球市民。

町内の民家の庭先で(既出)

 

残念明秀日立高校

甲子園第5日、茨城県代表明秀日立高校は、静岡県代表初出場の聖隷クリストファー高校の軍門に1対5で降った。

茨城県は県南に強豪が集まっているが、明秀日立高校はそれらを退け、3年ぶりの県北からの出場だった。残念至極。この上は長野県代表松商学園に期待しよう

 

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高校生が描いた被爆の絵

2025-08-07 19:38:13 | 日記

高校生が描いた被爆の絵

借りていた本を返しに公民館に行ったら、「広島の高校生が描いた被爆の絵」と題するパネル展示会が行われていた。

2007年以降広島平和記念館と広島市立基町高校が共同して原爆の絵の作成に取り組んできた。描き貯められた絵の何枚かが、写真パネルとして展示されていた。

高校生たちが、被爆者の話を聞き、その内容を油絵に表現したものである。

絵の中には目を背けたくなるようなものもあったが、わたしは若いい高校生たちが、被爆者の方々の思いを受け止め、原爆の非人道性を伝えようとする熱意に感激した。

主催者の許可を得て、そのうちの何点かのコピーをここに掲載する。

 

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ラッセル・アインシュタイン宣言

2025-08-05 19:47:21 | 日記

ラッセル・アインシュタイン宣言

ヒロシマ、ナガサキの日が今年もめぐってきた。

映画『オッペンハイマー』の公開、被団協のノーベル平和賞受賞と、原爆投下80周年の今年は、いろいろな思いが交錯する。

このブログで2回取り上げたが、「ラッセル・アインシュタイン宣言」のことをもう1回書きたい。

この宣言は1955年4月に書きあげられ、7月に11人の科学者が署名して公表された。

起草者の一人、アメリカに亡命していたアルベルト・アインシュタインは、ナチスドイツが原子爆弾の開発に着手した情報に接し、1939年、時のルーズベルト大統領に原子爆弾の開発を勧める書簡に署名した。この手紙は、後のマンハッタン計画の引き金となった。

自らの同胞であるユダヤ人を虐待するナチスへの憎しみが、アインシュタインがこの手紙へ署名したあ動機の一つになっていたことは、当然考えられることである。

1945年5月にナチスドイツが降伏した後もマンハッタン計画が進められていたことに、アインシュタインは強い危惧の念を持ち、後に「もしナチスが原爆の開発に失敗することがわかっていたら、大統領への手紙には署名しなかった。」と述懐している。

そして、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下と、それがもたらした惨状を知って、苦悶したという。

その反省に立って、アインシュタインは積極的に核兵器の開発と使用に反対する主張を繰り返した。

イギリスの哲学者にして平和主義者のバートランド・ラッセルとの連名で発表した「ラッセル・アインシュタイン宣言」は、彼の死の直前に起草がなったものであり、いわば遺言としての彼の思いを伝えているというべきであろう。

全文はこのブログ記事の最後に添付するが、その要点は次のようにまとめられるだろう。

核戦争の脅威:核兵器による戦争は、人類全体を絶滅の危機にさらす。次の大戦は文明の終焉を意味するかもしれない。

人類への問いかけ:「私たちは人間として生き延びたいのか、それとも絶滅を選ぶのか」という根本的な選択が迫られている。

科学者の責任:科学者は、自らの研究成果が人類に与える影響に対して道徳的責任を負うべきである。科学の力は戦争ではなく平和のために使われるべきである。

国家・イデオロギーを超えて:対立する国家や思想の枠を超え、人類共通の利害と生存を第一に考える必要がある。

戦争の放棄と平和的解決の提唱:国際紛争を武力ではなく、平和的・理性的な手段で解決することを求める。

政治指導者への呼びかけ:

世界の指導者たちに対し、核兵器の使用を回避し、戦争を未然に防ぐ責任があると強く訴える。

全人類へのメッセージ:恐怖ではなく理性と共感をもって、地球の未来を築こうと呼びかける。

この宣言は1957年、カナダのパグウォッシュで行われた会議で採択され、「パグウォッシュ会議」として科学者の平和運動へと引き継がれている。(詳細は、日本パグウ ォッシュ会議のホームページ(日本パグウォッシュ会議|Pugwash Japan)を参照されたい。)

核兵器と戦争の廃絶を訴えるこの宣言は、わたしには単なる理想論と片付けるには重い意味を持っている。

この宣言は人類の一員としての個人から発せられている。その個人は科学者として人類に責任を負っている。原爆というプロメテウスの火を解き放ったのは科学者である。その誤りを2度と繰り返させないようにしなければならない。

多くの人、特に科学者が、この根源的な反戦・反核の訴えを知り、理解し、行動してほしいとわたしは願っている。

 

ラッセル=アインシュタイン宣言

1955年7月9日 ロンドン

人類に立ちはだかる悲劇的な状況を前に、私たちは、大量破壊兵器の開発の結果として生じている様々な危険を評価し、末尾に付記した草案の精神に則って決議案を討議するために、科学者が会議に集うべきだと感じています。

私たちは今この機会に、特定の国や大陸、信条の一員としてではなく、存続が危ぶまれている人類、ヒトという種の一員として語っています。世界は紛争に満ちています。そして、小規模の紛争すべてに暗い影を落としているのが、共産主義と反共産主義との巨大な闘いです。

政治的意識の強い人のほとんど誰もが、こうした問題に思い入れがあります。しかし、できればそうした思い入れを脇に置き、自分自身のことを、こう考えてほしいのです。すばらしい歴史を持ち、その消滅を望む者などいるはずもない、そんな生物学上の種の成員以外のなにものでもないと。

私たちは、ある集団に対して別の集団に対するよりも強く訴えかけるような言葉を、一切使わないようにしたいと思います。すべての人が等しく危険にさらされています。そして、その危険の意味が理解されれば、それを共に回避する望みがあります。

私たちは新しい考え方を身につけなければなりません。私たちが自らに問うべきは、自分が好ましいと思う集団を軍事的勝利に導くためにいかなる手段をとるべきか、ということではありません。そのような手段はもはや存在しないからです。私たちが自らに問うべき問題は、すべての当事者に悲惨な結末をもたらすに違いない軍事的な争いを防ぐためにいかなる手段を講じることができるのか、ということです。

一般の人々だけでなく、権威ある地位にいる多くの人たちでさえ、核兵器が使われる戦争で何が起こるのかを理解していません。一般の人々は今なお、諸都市の消滅という次元で考えています。新型爆弾は旧型爆弾よりも強力であり、原子爆弾が1発で広島を完全に破壊できたのに対し、水素爆弾ならば1発でロンドンやニューヨーク、モスクワのような世界最大級の都市を跡形なく消し去ってしまう、ということは理解されています。

水爆戦争になれば諸々の大都市が消滅することに疑いの余地はありません。しかしながら、これは、私たちが直面しなければならない小さな惨事のひとつにすぎないのです。もしロンドンやニューヨーク、モスクワのすべての人が滅亡したとしても、数世紀のうちに、世界はその打撃から回復できるかもしれません。しかし、今や私たちは、とりわけビキニ実験以来、それ以前に想定されていた以上にはるかに広範囲にわたって、核爆弾による破壊がじわじわと広がっていくことを知っています。

非常に信頼できる確かな筋は、今では広島を破壊した爆弾の2500倍も強力な爆弾を製造できると述べています。そのような爆弾が地上近く、あるいは水中で爆発すれば、放射能を帯びた粒子が上空へ吹き上げられます。これらの粒子は死の灰や雨といった形でしだいに落下し、地表に達します。日本の漁船員と彼らの魚獲物を汚染したのは、この灰でした。

死を招くそのような放射能を帯びた粒子がどれくらい広範に拡散するかは誰にもわかりません。しかし、水爆を使った戦争は人類を絶滅させてしまう可能性が大いにあるという点で最も権威ある人々は一致しています。もし多数の水爆が使用されれば、全世界的な死が訪れるでしょう――瞬間的に死を迎えるのは少数に過ぎず、大多数の人々は、病いと肉体の崩壊という緩慢な拷問を経て、苦しみながら死んでいくことになります。

著名な科学者たちや軍事戦略の権威たちが多くの警告を発してきました。その誰も最悪の結果が確実に起こるとは言わないでしょう。そうした人々が言っているのは、その可能性があるということであり、それが現実のものとはならないと確信できる人は誰ひとりいません。この問題に関する専門家の見解が専門家各自の政治的見解や偏見に左右されるのを、私たちはまだ見たことがありません。私たちの調査で明らかになった限りにおいて、専門家の見解は、専門家各自が有する知識の範囲のみに基づいています。最もよく知る人が最も暗い見通しをもっていることもわかっています。

ここで私たちからあなたたちに問題を提起します。それは、きびしく、恐ろしく、そして避けることができない問題です――私たちが人類を滅亡させますか、それとも人類が戦争を放棄しますか1。人々は、この二者択一に向き合おうとしないでしょう。戦争の廃絶はあまりにも難しいからです。

戦争の廃絶には、国家主権に対する不快な制限2が必要となるでしょう。しかしながら、事態に対する理解をおそらく他の何よりもさまたげているのは、「人類」という言葉が漠然としていて抽象的に感じられることです。危険は自分自身と子どもたち、孫たちに迫っているのであり、おぼろげに捉えられた人類だけが危ないわけでないことに、人々が思い至ることはまずありません。人々は、自分自身と自分の愛する者たちがもだえ苦しみながら滅びゆく危急に瀕していることを、ほとんど理解できないでいます。だからこそ人々は、近代兵器が禁止されれば戦争を継続してもかまわないのではないかと、期待を抱いているのです。

このような期待は幻想にすぎません。たとえ平時に水爆を使用しないという合意に達していたとしても、戦時ともなれば、そのような合意は拘束力を持つとは思われず、戦争が勃発するやいなや、双方ともに水爆の製造にとりかかることになるでしょう。一方が水爆を製造し、他方が製造しなければ、製造した側が勝利するにちがいないからです。

軍備の全般的削減3の一環として核兵器を放棄するという合意は、最終的な解決に結びつくわけではありませんが、一定の重要な目的には役立つでしょう。第一に、緊張の緩和をめざすものであるならば何であれ、東西間の合意は有益です。第二に、熱核兵器の廃棄は、相手がそれを誠実に履行していると各々の陣営が信じるならば、真珠湾式の奇襲の恐怖を減じるでしょう。その恐怖のため現在、両陣営は神経質で不安な状態にあります。それゆえに私たちは、あくまで最初の一歩としてではありますが、そのような合意を歓迎します。

私たちの大半は感情的に中立とはいえませんが、人類として、私たちには心に留めておかねばならないことがあります。それは、誰にとっても――共産主義者であろうと反共産主義者であろうと、アジア人、ヨーロッパ人またはアメリカ人であろうと、あるいは白人であろうと黒人であろうと――なにがしかの満足をもたらすような形で東西間の諸問題を解決しようというなら、これらの問題を戦争によって解決してはならない、ということです。私たちは、このことが東西両陣営で理解されることを願わずにはいられません。

私たちの前途には――もし私たちが選べば――幸福や知識、知恵のたえまない進歩が広がっています。私たちはその代わりに、自分たちの争いを忘れられないからといって、死を選ぶのでしょうか?私たちは人類の一員として、同じ人類に対して訴えます。あなたが人間であること、それだけを心に留めて、他のことは忘れてください。それができれば、新たな楽園へと向かう道が開かれます。もしそれができなければ、あなたがたの前途にあるのは、全世界的な死の危険です。

決議:私たちはこの会議に、そしてこの会議を通じて、世界の科学者、および一般の人々に対して、以下の決議に賛同するよう呼びかけます。

「私たちは、将来起こり得るいかなる世界戦争においても核兵器は必ず使用されるであろうという事実、そして、そのような兵器が人類の存続を脅かしているという事実に鑑み、世界の諸政府に対し、世界戦争によっては自分たちの目的を遂げることはできないと認識し、それを公に認めることを強く要請する。また、それゆえに私たちは、世界の諸政府に対し、彼らの間のあらゆる紛争問題の解決のために平和的な手段を見いだすことを強く要請する。」

署名者:

マックス・ボルン
P. W. ブリッジマン
アルバート・アインシュタイン
L. インフェルト
F. J. ジョリオ・キュリー
H. J. マラー
ライナス・ポーリング
C. F. パウエル
J. ロートブラット
バートランド・ラッセル
湯川秀樹

 

STOP WAR!

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故郷に寄せて

2025-08-03 19:27:20 | 日記

故郷に寄せて

8月:8月に入った。1年のうちで一番故郷のことを思い出すのは、1月と8月である。どちらか言うと8月の方が密度が濃い。夏休みで家にいることが多かったせいもあるかもしれない。

東京に出てからも、お盆にはほぼ毎年帰省していた。松本駅で列車を降りると空気がさわやかで、澄んだ感じがした。どの家にもエアコンはなかった。35度以上を記録する今からは考えられないだろう。

松本ではお盆も七夕も旧暦で行っていた。8月7日の朝早く裏庭に行って、蕗の葉の上に転がっている露を硯に取り、墨をすって短冊に願い事を書いた。姉たちはその役目から卒業していて、妹と二人の仕事だった。

田んぼ道から見上げる夜空は銀河がくっきりと横切り、時々稲妻がまたたいていた。今見ることはは望むべくもないだろう。

上条恒彦さん:上条恒彦さんが㋆22日に亡くなった。長野県東筑摩郡朝日村の生まれ。わたしの母校の兄弟校、松本県ヶ高校の出身で、東京に出てから歌手デビューするまで、苦労を重ねられたらしい。

朝日村は今では数少ない村である。松本平西側の山すそにあり、わたしの生まれた村からは、一つ隔てた隣村である。カタクリが群生する雑木林があり、帰省した時に何回か訪ねたことがある。

上条という姓は松本地方に多く、上条恒彦さんの名前を聞くたびに懐かしさを覚えた。

故郷を永眠の地に選ばれた由。享年85歳。まだまだお若い。残念である。

YouTubeで『出発のうた』、『だれかが風の中で(木枯し紋次郎)』を聴いた。

ご冥福をお祈りします。

松本商業:夏の高校野球、長野県代表は松商学園に決まった。わたしにとっては、「松本商業」、「松商」といった方がしっくりくる。

このところだいぶ水が開いているようだが、かつては中信地区の野球ファンを二分するわが母校のライバルだった。わたしにとって松商は畏敬の対象である。

1928年夏の甲子園大会の優勝校。一時は強豪の名をほしいままにしていた。38回目の出場は北海高校に次ぐ出場回数を誇る。最近はちょっと振るわないが、古豪の名を大いにとどろかせて欲しい。

がんばれ松商!

 

松本平の西にそびえる峰々

松本の民芸品「鳩車」

 

STOP WAR!

 

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