『ぼくと魔法の言葉たち』
Primevideoで配信された映画『ぼくと魔法の言葉たち』を見た。
2016年に制作されたアメリカ映画で,自閉症の子供の成長を追った記録である。2017年のアカデミー賞の短編ドキュメンタリー映画部門にノミネートされた。
ウォールストリート・ジャーナルの記者を父に持つオーエン・サスカイドは,2歳の時に言葉を失い,自閉症と診断される。彼の日常はひたすらディズニー映画を見ることで,特にピーターパンが好きである。
7歳になったある日,一緒にビデオを見ていた父親は,オーエンが発している意味不明の叫びが,画面のキャラクターの台詞であることに気づく。父親がキャラクターの物まねをして台詞を言うと,オーエンは台詞の言葉で反応する。彼は,ディズニー作品の台詞を全部暗記していたのだ。こうして,オーエンは言葉によるほかの人とのコミュニケーションができるようになっていく。
特別なクラスが用意された大学に進学し,卒業する。卒業式で家族に祝福されるシーンは感動的で,涙腺が緩くなった。
卒業後,オーエンは介護付きの自立ハウスで独立生活をはじめ,ガールフレンドとの出会いと別れを経験し,大好きな映画館での受付係として職を得る。
カメラは,中学時代からのオーエンに密着し,言葉と表情を拾う。オーエンの将来を心配する家族の悩みも紹介し,問題が単純なきれいごとではないことも示される。
父親のロンは,ピューリッツァー賞をとったジャーナリストで,オーエンは経済的に恵まれ,理解ある家族の愛に見守られ,支援制度の利用に不自由がなく,自閉症当事者の方々から見れば恵まれすぎていると覚えるかもしれない。しかし,わたしはこの映画には貴重な示唆が含まれていると思う。
オーエンは,フランスで開かれた自閉症問題のセミナーでスピーチをする。彼は言う。人々は自閉症の患者は他人とのコミュニケーションを拒んでいると考えているが,それは間違いである。コミュニケーションをとりたいのだ。ただ,間違った方法でそれを引き出そうとすると拒絶されるのだ。僕は鏡に映る自分を見て,誇りに思っている。
自閉症は病気である。病気であれば治療の対象である。では治療するとはどういうことか。その人を外からの力で直そうとするのではなく,その人の求めるものを理解し,寄り添うことから始めるのではないのか。
昨年の11月2日と12月11日のブログに紹介したことであるが,障害を負った人たちには独自の世界があり,独自のかがやきを発揮しているのだ。
映画を見て,あらためてそう感じた。
文 旦
今年も四万十からの文旦が届いた。甘くてジューシー。当分楽しめる。
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