羽花山人日記

徒然なるままに

愛の賛歌 Hymne á l’amor

2024-07-31 19:25:29 | 日記

愛の賛歌 Hymne á l’amor

昨日は小杉佐知子先生による、コカリナレッスンの日だった。この先生の教えを受けるようになって13年が過ぎている。ここ数年は月一回になったが、以前は月二回のレッスンでもう100曲以上をあげていると思う。

昨日の課題曲は3ヶ月前にいただいた『愛の賛歌』。いつものレッスン前のおしゃべりで、この曲がパリ・オリンピックの開会式で歌われたことが話題になった。

話は知っていたが、そのシーンをわたしは見ておらず、また歌手のことも知らなかったので、もっぱら先生のお話をお聞きした。

「歌手のセリーヌ・ディオンは世界的に有名だが、進行性の難病を患っていて活動を休止していた。その時にならなければ声が出せるかどうかわからないのを、決意して開会式で歌うことを引き受けた。その絶唱に本当に胸が打たれた。」

帰宅後さっそくネットの動画で、開会式のセリーヌ・ディオンの歌を聴いた。

わたしは『愛の賛歌』は越路吹雪が歌っているのしか聴いたことがなかったので、こういう絶唱もあるのかと感動した。

せっかくだからとインターネットでこの歌についていろいろ調べてみた。その付焼刃で少し蘊蓄を傾ける。

『愛の賛歌 Hymne á l’amor』は、フランスのシャンソン歌手エディット・ピアフが1947年に歌い、1950年にレコードとして発売された。

1952年に越路吹雪が日劇で歌ったのが日本初演である。岩谷時子はこの時越路のマネージャーで、フランス語の詩を日本語に訳した。彼女にとって訳詞の初仕事だった。

歌詞はピアフ自身による許されぬ恋を断ち切るために歌うという内容であったが、日本語に訳した岩谷がそれを甘い内容にしたので、日本では結婚式の披露宴などで歌われて知られるようになり、越路の歌唱を吹き込んだレコードやCDは200万枚を超えたという。

『愛の賛歌』は越路吹雪以外に、多くの歌手がカバーしている。YouTubeで聴き比べてみたが、エディット・ピアフは別にして、やっぱりわれらがコーチャン、越路吹雪の歌唱が断然抜けている。

ところで、昨日のレッスンでわたしが吹いた『愛の賛歌』は小杉先生からお褒めの言葉をいただき、暗譜して持ち歌としてどこでも吹けるようにしなさいと励まされた。

最後は先生のピアノ伴奏で『愛の賛歌を』吹き、至福の時を味わった。

エッフェル塔とセーヌ川。2002年9月撮影

 

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読書備忘(40) 亡国のハントレス

2024-07-29 19:18:21 | 日記

 

ケイト・クイン(加藤洋子 訳)

『亡国のハントレス』

ハーパーコリンズ・ジャパン 2021年

 

原題は“The Huntress(女狩人)”である。

テーマは狩り。人が人を狩る話である。

第二次大戦中、ポーランドに「ザ・ハントレス」と呼ばれる女性がいた。ナチス高級将校の愛人で、森で人を狩り、ユダヤ人の子供や兵士を冷酷に殺した。戦後行方をくらましたこのザ・ハントレスを探し、狩り出そうとする物語である。

アメリカのボストンで骨とう品店を営むダニエルの店に、アンネリーゼと名乗るオーストリアの難民で子連れの女性が装飾品を売りに現れ、妻を亡くしていたダニエルはこの女性に一目ぼれして再婚する。

ダニエルの娘でカメラマン志望のジョーダンは、継母とその娘のルースが家族になったことを喜ぶが、ふとしたことからアンネリーゼの身の上に疑問を持って問い詰め、彼女がナチス将校の娘で難民の孤児を自分の子供と偽って、アメリカに逃れてきたことを告白する。ダニエルとジョーダンはそのことを認めて、家族として過去を問わず他人にも内密にすることを約束する。

この段階で、読者はアンネリーゼがザ・ハントレスであることに気づくだろう。

一方、ザ・ハントレスを追跡するのは、ナチハンター組織の一員で、元記者のイギリス人イアン、その助手で元アメリカ軍兵士のトニー、それにイアンの名目上の妻で元ソ連空軍女子士官のニーナの3人である。この3人はそれぞれザ・ハントレスを許せない理由を持ち、その探索に執念を燃やす。

トニーは戦後、ポーランドの難民収容所で偶然ニーナと会い、イギリス軍兵士だった弟のセブがニーナの眼前でザ・ハントレスに虐殺された話を聞き、自分の妻としてニーナを収容所から引き取り、ザ・ハントレス追跡を共にすることになる。

ニーナは大戦中にソ連から政治亡命してポーランドの森に潜んでいたところ、捕虜収容所を脱出してドイツ軍兵士に殺されそうになっていたセブを助け、一緒に行動していたのである。

トニーはユダヤ人で、自分の親族がナチの迫害を受けて殺されたことから、ナチハンターの一員としてイアンを助ける。

ウィーンで仕事をしていたイアンたちは、かすかな手がかりからザ・ハントレスが偽名でアメリカのボストンにいることを突き止め、ボストンに移り住み追跡を続ける。

小説は、ジョーダン、イアン、ニーナそれぞれの名前を冠した章を順繰りに並べる構成になっている。ジョーダンの章は1946年のボストンから、イアンの章は1950年のウィーンから、ニーナの章は戦前のバイカル湖畔からそれぞれ始まり、それが1950年にボストンで合流し終章へと進む。

時代も場所も異なる独立した物語を、相互の関係を暗示しながら書き進める著者の筆力は見事である。エピソードの一つ一つが無駄なく意味を持ってくる。文庫本にして770ページ余りの長編だが、飽きずに最後まで読んだ。

著者が「あとがき」にも記しているが、ナチスの犯罪に対する追求は、1949年にニュルンベルク裁判が終了してから急速に下火になり、規模が縮小した。この小説はそうした状況下でのナチハンティングの困難さを示し、戦争犯罪を忘れるべきではないという著者の気持ちが込められているように思える。半世紀以上も前の資料を丹念に探索し、あり得た形で小説に仕上げた労作である、

とはいえ、なんといっても読んで楽しめる娯楽作品である。著者ケイト・クインの前作『戦場のアリス』は、ミリオンセラーとなって全米を席巻したという。順序が逆になったが、そちらも読んでみたい。

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遺影

2024-07-27 20:04:12 | 日記

遺     影

今日の朝日新聞「ひととき」欄に、『私らしい遺影は』と題する投書が載っていた。

94歳、八女市の牛島てるみさんという方で、義理の弟さんの葬儀で見た遺影から、自分の遺影はとふと思い浮かべる内容だ。

牛島さんは畑で仕事をしながら(すごいね!)、自分のアルバムにはない、畑でスイカを抱いているような遺影はどうかと想像する。

読んでほほえましい気持ちになった。

わたしも自分の遺影はと考える時があった。

以前孫にカメラを渡して、わたしの遺影になる写真を撮るように頼んだが、とてもいやそうな顔をされた。無神経なことだったと反省している。

考えてみると、葬式をやってくれるか、遺影を飾ってくれるか決めるのは残された人たちで、わたしはあれこれ言うまいと決めている。どうせ大した顔ではないので、どうでもいいと思っている。。

ちなみに、両親の遺影は、故郷の公民館の落成祝いに、高砂夫婦として列席した両親を、近所の方が撮影し、出来が良かったからと額に入れてくださったのを仏壇に飾っている。

 

同じく今日の朝日新聞be版の『はじまりを歩く』という欄に、日本での豚の飼育の始まりについての記事が出ていた。

約2500年前の弥生時代の遺跡から明らかに猪とは区別される豚の頭蓋骨が見つかり、以来猪と思われていた頭蓋骨を調べなおして、弥生時代にはあちこちで飼育されていたことが分かった。この豚のグループは弥生豚と呼ばれ、おそらく大陸から導入されたものと考えられる。

しかし、豚は猪から家畜化されたのであり、日本でも猪の飼いならしが行われていた可能性がある。伊豆大島の8000年前の縄文遺跡から猪の骨が見つかり、さらにほかの伊豆諸島からも猪の骨が見つかった。

伊豆諸島に野生の猪が生息していたことは考えられないので、飼いならされた猪がよそから持ち込まれたと推定できる。

つまり縄文人は猪を飼いならして豚飼育に相当する畜産を始めていたことになる。

縄文人は大豆や小豆も野生種から作物化している。なかなかやるものである。

ついでに豚の思い出を。

実家では豚を飼っていた。高校生の頃のある日、お勝手の窓から白い動物がわが愛犬と戯れているのが見えた。よく見るとそれは子豚ではないか。子豚のジャンプ力恐るべし。豚小屋の柵を飛び越えて散歩していたのだ。

お勝手口から外に出て捕まえようとすると、子豚君一目散に逃げだした。「脱兎のごとく」という言葉があるが、「脱豚のごとく」という言葉があってもいい。

ようやく木の根元に追い込んで、グルグル追い掛け回していてふと気づき、後ろを振り向いてかけてくる子豚を抱きとめることができた。

わたしは豚より頭がよかったようだ。

 

おめでとう霞ケ浦高校

今日は高校野球茨城県予選の決勝戦で、つくば秀英高校と霞ケ浦高校が対戦した。試合はやや荒れ気味だったが、9-3で霞ケ浦が勝利を収め甲子園への出場を決めた。霞ケ浦高校は昨年の決勝戦で最終回逆転負けで長蛇を逸し、その恨みを見事に晴らした。

わが阿見町代表。甲子園での活躍を期待する。

 

双子の卵

朝、卵かけご飯にしようと割ったら、黄身が二つ入っていた。

たっぷりかけておいしく頂戴した。

 

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サッカーとマテ茶

2024-07-25 19:25:22 | 日記

サッカーとマテ茶

昨夜トイレに起きて、時計を見たら午前1時半。パリオリンピックの日本対パラグアイのサッカー試合が始まる時間だと思い出し、テレビの前に座り込んで、そのまま試合終了まで観てしまった。

日本のサッカーチームはパラグアイチームと国際試合で死闘を繰り広げ、苦杯をなめてきた。

2004年のアテネオリンピックでは、パラグアイは予選第一試合で日本を4-3で降し、銀メダルを獲得した。2010年のワールドカップでは0-0のPK戦の末に日本はパラグアイの軍門に下り、ベスト8への道を阻まれた。

今回パラグアイはブラジルを抑えての南米1位をぶら下げて登場ということで期待したが、結果は惨敗であった。

この組み合わせ、知人からはいつもどっちを応援するか尋ねられ、思い半ばしている。

試合開始早々パラグアイは日本ゴールに速攻で襲い掛かりあわやと思わせたが、先取点を取られ、レッドカードで一人退場となってからは精彩を欠き、0-5の思いがけない惨敗となった。

朝から日本快勝のニュースがテレビをにぎわしているが、パラグアイがさらし者になっているようで可哀そうである。

おりしも、知人のH・M子さんからマテ茶の包みが送られてきた。前にもブログに書いたことではあるが、この方わたしがパラグアイ赴任中の1982年にわたしの家族と同道して、パラグアイに遊びに来てくれ、マテ茶を一緒に楽しんだ。アルゼンチンが英領フォークランドに軍事侵攻する前日に一緒に対岸のアルゼンチンにわたり、軍隊から厳しい検問を受けたのも思い出である。

以来M子さんは折節にマテ茶を送ってくださる。

マテ茶は、パラグアイ、アルゼンチン、ブラジル、ウルグアイで広く飲まれているお茶で、Yerba Mate(日本語ではマテチャノキと訳されている。)の葉を焙煎して作られる。マテという器に茶葉を詰め、お湯を注いでボンビージャという先端に茶漉しがついた金属の管で吸い飲みする。

マテとボンビージャ。マテは瓢箪をつかうことが多い。

数名が車座になり、ホストがマテに湯を注いで一人に渡す。渡された人は吸い終わると器をホストに返し、ホストは湯を注いで次の人に回す。この飲みまわしは全員が十分というまで続けられる。その間おしゃべりが続き、マテ茶はコミュニケーションに欠かせないものである。

農家の庭先で、夕暮れ時に土地の人たちの仲間に入れてもらってマテ茶を楽しんだのは忘れられない記憶である。

マテ茶を冷水で滲出させたのをテレレという。マテより苦みが少なく飲みやすい。わが家では茶漉しがついた器でテレレを作り、清涼飲料としている。

テレレを飲みながら、パラグアイ、日本両サッカーチームのこれからの健闘を祈るとしよう。

 

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年縞(ねんこう)

2024-07-24 19:10:34 | 日記

年縞(ねんこう)

7月16日付けの朝日新聞デジタルに、『「10年に1度」の気象が頻出する理由 奇跡の湖が伝える暴れる気候』と題する、立命館大教授で古気象学研究センター長中川毅さんへのインタビュー記事が載っていた。

話の中心にあるのは「年縞(ねんこう)」である。

年縞とは、湖底への堆積物によって作られる1年刻みの縞模様をいう。

年縞ができる条件は非常に限られている。湖への大量の土砂の注入がないこと、水深が深く酸素が不足し生物がいないため湖底の攪乱がないこと、湖底が沈降するため堆積物がたまらないことなどの条件を満たさなければならない。

福井県の三方五湖の一つ水月湖がこの条件を満たし、「奇跡の湖」といわれる所以である。

2006年に中川さんたちは英国からの資金援助と長崎県のボーリング会社の協力を得て、水月湖湖底のボーリングを行い、年縞を示す45mの湖泥の柱を採掘した。これは7万年にわたる年縞を含んでいる。

年縞博物館ホームページからダウンロード

途方もない快挙である。2012年にこの年縞は年代の世界標準の物差し(IntCal)と認定された。(この年縞は福井県若狭町の年縞博物館に収められている。)

年縞を1年ごとに調べることによって、過去にどんなことが起きたかを、場合によっては月日の単位で明らかにすることができる。九州南部の縄文文化を壊滅させた7300年前の鬼界カルデラ火山の大噴火の際の火山灰が含まれている。1581年に生じた天正の大地震の痕跡も示されている。

花粉の化石が含まれているので、過去の植物の分布の変遷が分かり、気候の変動が推定できる。このことについての中川さんの話は特に印象的だった。

過去の地球では、もし現在生じれば壊滅的な影響を受けるような3~5℃の気温の上下のある「暴れる気候」が普通であった。10万年に1回くらいの割合で安定した気候が生じることがある。

年縞を調べると、1万2千年前を境にして氷期の「暴れる気候」から安定した気候に移行し、それが現在まで続いている。これは人類が農業を開始し、以降の文明を発達させてきた時期に一致する。

つまり、われわれはこの安定した気候の継続という「幸運」の上に乗っかって、文明を発展させてきたのだ。

太陽と地球との位置関係からすれば、すでに氷期に入っているはずがそうなっていないのは、地球温暖化で氷期を遅らせているからだという説もある。しかし中川さんは現在生じている、温暖化がもたらす「10年に1度」の気候変動が、安定期の終焉を早めているのではないかと危惧している。

氷期は必ず地球に訪れ、「暴れる気候」は出現する。われわれが目の当たりにしている「10年に1度」の気象は「暴れる気候」の前兆であるかもしれない。

過去の気象を研究し「暴れる気候」のメカニズムを検証するとともに、温室効果ガス対策のような現在的な方策だけでなく、中長期的な対策も準備しなければならないと中川さんは警告している。

大切な指摘だ。

 

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Why non-alcohol?

2024-07-22 19:34:35 | 日記

Why non-alcohol?

昨日の朝日新聞GLOBE欄には、「Alcohol 醒め行く時代」と題する特集が組まれていた。

記事の基調は人々、特に若い世代のアルコール離れが世界的に進んでいるということであった。英国やドイツではお酒なしのしらふのイベントが開催され、「ソバー・トリップ」とか「ドライ・トリップ」とか呼ばれる酒なしのツアーが組まれている。

世界的に酒類の需要が減ってきていて、フランスのボルドー地方ではブドウの木を引き抜くことに補助金が出され、オーストラリアやアメリカ・カリフォルニア州の産地でも引き抜き計画が進められているという。

ビール大国のドイツでは、ビールの売り上げが落ちる一方、ノンアルコールビールの生産が2012年から2023年にかけて倍増したという。

アイルランドでは2026年5月から、国内で販売するアルコール飲料のラベルに、「飲酒は肝臓病の原因になり、致死的な癌との間に直線的な関係がある。」という表示を義務付けることにした。

アイルランドは20年前に公共の場での喫煙を禁止し、それが世界に広まっていった。業界は同じようなことがアルコール飲料でも起きるのではないかと警戒している。

こうしたアルコール離れの現象は、ソーシャルメディアでの交流が増加して、家にいる時間が増加していること、飲酒に伴うリスクが見直されて知られるようになってきていることなどが挙げられている。

わたしはこの記事を読みながら、やや憮然とした気分になった。

記事の中にも書かれているが、酒は人類太古の昔から親しまれてきたものであり、歴史の中で果たした役割は煙草の比ではない。極地の住民は別にして、あらゆる民族が酒を文化の大切な要因として育んできた。

キリスト教徒は赤葡萄酒をイエスの血としてあがめ、神道では酒はお神酒として神前にささげられる。アンデスの民は、民族の酒チーチャを大地にそそぎ神に感謝する。酒は神との交わりに必要なものでもあった。

その見方が変わりつつあるらしい。

わたしにとって酒は、人との交わりの潤滑油であり、生活のうるおいであり、それはこの70年間続いている。今夜もワインを飲みながら、トンカツを楽しんだ。

だから、酒を締め出し、あえてノンアルコールの世界を作ろうとする動きには、それが新しい文化かもしれないが、さみしい気持ちを抱く。そんなに目くじらを立てずに、気楽に楽しめばいいのにと思う。

 

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放流

2024-07-20 18:46:36 | 日記

放    流

7月10日付の朝日新聞デジタル版に『「バケツ放流」もうやめよう 善意の結果が悪影響 見直しへの動きも』という記事が載っていた。

北海道庁が発行する冊子に、ヤマメやニジマスなどの放流を検討している人たちに、道や専門家に事前に相談してほしいという呼びかけが載せられた。この制度は以前からあったが、今回は改めてヤマメとニジマスという具体的な種名を書いて呼びかけたという。

この背景にあるのは、放流に潜在するリスクである。本州からのヤマメが道本来のものと交雑する遺伝的な汚染の可能性があり、ニジマスは外来種で生息領域を制限するという前提がある。また、病気の移入も心配される。

放流が魚類集団に悪影響を及ぼすという研究結果があり、日本魚類学会では、シンポジウムを開いて放流に潜む危険性を市民に呼び掛けている。

小学生などのバケツ放流を、命の大切さを教えるほほえましい行事として報道してきたマスコミは、考え直すべきではないかと、この記事を書いた小坪遊記者は反省している。

こうした動きに大きなきっかけを与えた研究結果が今年の2月アメリカの科学アカデミー紀要に掲載された。ノースカロライナ大学や北海道大学などの共同研究の成果である。

わたしはこの論文の摘要だけ目を通したが、小坪遊記者が要領よくその内容を紹介しているので、それに従ってかいつまんで述べる。

研究は2種類。一つはコンピューター上のシミュレーションで、10種の魚種についていろいろな母数を設定し、32のシナリオを仮想上の千本の川に適用して、群落の長期的な消長を計算した。

その結果、多くの場合に放流した同種および異種の間の競争が激化し、集団は不安定化し、種数や密度が減少するという結果が得られた。放流量が増えると悪影響が強まる傾向があった。

もう一つは、北海道のサクラマスを放流していない河川から、年間24万匹放流している河川までの31河川について、1999~2019年の21年にわたって集められたデータを解析した。シミュレーションの場合と同様に、放流量が多いほど、サクラマスやほかの魚の種数や密度が低下していることが明らかだった。

この結果は著者の予想を超えて諸方面にインパクトを及ぼし、放流を取りやめたり再検討したりする動きが出ているという。

専門家も指摘していることだが、すべての放流を中止すべきだということではない。漁業のための放流や、生態系の維持のための放流はあり得るだろう。

ただ、命を大切にとか、自然に親しもうとか、生態系を守るためとか言ったスローガンで、無前提あるいは無媒介に放流を善とすることは慎まなければならない。

自然や生態系は人が干渉すれば変容する。その変容がどういう結果をもたらすのかを見極めるのが大切である。

放流について提起された問題は、その好例である。

 

筑波山夕焼け

自宅ベランダから撮影

 

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山の郵便配達(映画)

2024-07-18 15:56:09 | 日記

山の郵便配達(映画)

1999年に公開されたフォン・ジェンチイ監督による中国映画。話には聞いていたがテレビで初めて観た。

1980年代の中国湖南省西部の山間に点在する村々をまわって、郵便物を集配する配達人父子の物語である。

集配は徒歩で3日間を要する。20年間この仕事を続けてきた父親は足を痛め。郵便局長の指示で24歳の息子にその職を譲ることになった。

息子が初仕事に出発する前夜、父親は郵便物の仕分けを丹念に点検する。

出発の朝、配達の道案内と手伝いに欠かせない次男坊という犬を息子に付き添わせようとするが、父親が家に残っているため、次男坊は息子の後を追おうとしない。

やむなく父親は次男坊とともに息子に付き添うことにする。

配達で留守がちだった父親を、息子はなんとなく怖い存在と感じていた。しかし、道中で会話を交わすうちに親子の情が少しずつ芽生えてくる。

集配所に行く道を逸れて、父親は一軒家に一人で住む目の見えない老婆を訪ね、遠くに暮らす孫からの手紙を渡す。

老婆は封筒から取り出した金を懐に入れ、一緒に入っていた白紙を父親に渡し、「手紙」を読んでくれと父親に頼む。父親はそれらしく読みあげ、後半を息子に託す。老婆は息子が後を継ぐことを知り、孫への返書を書いてくれるよう依頼する。

そこまでしなければならないかと息子はやや不満だが、最初の集配所で、父親が引退することを知った村人が別れを告げるために集まってくる。息子は父親の偉大さと仕事の大切さに気付く。父親は息子を村人に誇らしげに紹介する。

途中難所の川では、息子は父親を背負った瀬を渡り、二人は犬が集めてきた薪を燃やして火にあたりながら煙草をのみかわす。

トン族の村に集配で立ち寄った二人は婚礼の宴席に招かれる。若い娘たちと語り、歌い、踊る息子を見ながら、父親は昔配達の途中で見染めた妻との思い出に浸る。

犬の次男坊に助けられながら帰宅した二人を、母親は暖かく迎える。

2回目の配達に出かける息子の後を追おうとして、父親が残っていることに気づいた次男坊は、自宅に戻ってくる。

そんな犬を叱咤して父親は息子の後を追わせる。

映画はここで終わる。

ストーリーに大きな起伏はない。しかし、全編に流れる人と人、人と犬とのふれあいに心が満たされる。

弦楽器が奏でる音楽とともに写し出される画面は詩情に溢れている。

テレビ画面を撮影

愛おしさ、嬉しさ、寂しさをわずかな表情の動きで表現する主演のトン・ルゥジュンの演技は素晴らしい。

観て良かった。

 

孫の作品です

 

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トイレの話

2024-07-16 17:32:10 | 日記

トイレの話

7月13日の朝日新聞「多事耕論」に、トイレについての伊藤裕香子編集委員のエッセイが載っていた。

その中でトイレメーカーのミュージアムが公募している川柳が紹介されていた。中の一句「帰国してやっと便秘が解消し」は、日本の清潔なウォッシュレットトイレに座ってほっとしている様子を巧みに表現している。

この温水洗浄トイレは、日本では80%の普及率になっているが、諸外国では韓国を除いてあまり普及していないようだ。その理由を含め、いろいろなトイレ談義を生成AIと交わした。全部を紹介すると非常に長文になるので、かいつまんで記載する。

温水洗浄トイレが外国に普及していないのは、それぞれの国の文化的背景、コストや手数の問題、その存在がまだあまり知られていないなどの理由がある。しかし、徐々に認知が広がりつつあり、例えばアメリカでは10%、中国では5%に達しようとしている。また、温水洗浄トイレの製造も、中国、韓国、アメリカ、ドイツ、スイスなどで始まっている。

わたしの子供のころは、便所は汲み取り式で、農家では排泄物を肥溜めに運んで熟成させ、肥料として利用していた。また、都市部の排泄物は業者が買い取り、農村の耕作地に還元していた。糞尿を肥料として利用するのは日本だけでなく、アジア、ヨーロッパを問わず広く世界で行われていた。

汲み取り式のトイレでは、排せつ物を再利用して生態系の循環の中に組み込むことによって、水洗トイレに比べて環境への負荷が小さいのではないかと考えられる。

汲み取り式と水洗式トイレの利害得失について、ChatGPTは要旨次のように述べている。

「環境への影響という観点からは、汲み取り式便所と水洗便所にはそれぞれの長所と短所があります。汲み取り式便所は水資源の節約や有機肥料の再利用という点で有利ですが、衛生管理や廃棄物処理の問題があります。一方で、水洗便所は衛生面や快適性に優れていますが、水やエネルギーの消費が多く、インフラ整備が必要です。」

水洗便所の清潔さと利便性に馴れたわれわれは、もう汲み取り式に戻ることは不可能であろう。では水洗式で持続可能的に排泄物を再利用する方法はないのか。

ChatGPTは次の方式を挙げる。

「水洗便所の排泄物を肥料として再利用することは技術的に可能であり、持続可能な資源利用に貢献できます。エコトイレやコンポストトイレ、バイオガスシステム、分離トイレ、集中型処理システムなど、さまざまな方法があります。これらの技術を適切に導入し、管理することで、環境負荷を減らしながら資源を有効活用することができます。」

そして、こうしたシステムを都市計画に取り入れている国として、スウェーデン、ドイツ、オランダ、インド、ケニアを挙げている。

冒頭に挙げた論者の伊藤さんは、日本のトイレを「世界の最先端」と位置づけ、その名に恥じることのない使用をと呼び掛けている。この「恥じることのない」の中に、エコトイレやコンポストトイレのような考えを取り入れることはできないだろうか。

 

ムクゲ

マンションの植え込みで撮影

 

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Lucía con Ohtani

2024-07-14 20:02:36 | 日記

Lucía con Ohtani

今回の「おんがく交差点」(テレビ東京)のゲストは、パラグアイアルパ奏者のルシア塩満さんだった。

ルシアさんについてはこのブログでも紹介したが、パラグアイで出会ったアルパに魅せられ、高校卒業後単身でパラグアイにわたって修業を重ね、世界的にも有数のアルパ奏者として現在に至っている。

わたしは高校時代の友人、今は亡き相沢幸男君の紹介で彼女を知り、以来ファンクラブの会員としてその音色を楽しんできた。

テレビに登場したルシアさんはパラグアイの民芸品のニャンドゥティで作られた豪華な衣装に身を包み、ホステスの大谷康子さんは、これもパラグアイの民族衣装のアオポイをまとって出迎えた。

ルシアさんのソロ曲は、アルパ名曲中の名曲「カスカーダ」。小さな滝をモチーフにした曲だそうだが、20年以上前に別れを告げたイグアスの滝を連想する。

大谷さんが選んだ独奏曲は、パラグアイの作曲家アウグスティン・マンゴレ作曲の「フリア フロリダ」、コラボ演奏はルシアさんが病床で作曲した「ひとりごと」だった。

いつも感心するが、コラボの時の大谷さんは、相手の楽器に見事に調和させてヴァイオリンを響かせる。今回も演奏を聽きながら、わたしはパラグアイへの郷愁をかき立てられた。

8月10日は、ルシアさんのサロンコンサートが予定されている。久しぶりのライブ演奏を楽しみにしている。

 

東京天馬会

昨日東京の学士会館で行われた松本深高校陸上競技部OB会「東京天馬会」に出席してきた。

コロナ禍からの復活2回目である。出席者は10名で去年より一人減っていた。最年長のわたしより46歳下が最年少で、令和卒業はゼロだった。何かのきっかけで若者の参加が欲しい。

会の直前に、天馬会会長で東京の会合にはいつも出席されていた小松茂美さんの急逝が伝えられ、新しく会長に就任された清水是昭さんからの追悼文が朗読され、全員で黙祷をささげた。

例によってそれぞれの近況報告があり、懐旧談を中心に話の花が咲き、3時間を和やかに楽しく過ごした。

なお、この日高校野球長野県予選でわが母校は3回戦の華と散っていた。

昨晩は会場の学士会館に泊まり、帰路東京ステーション・ギャラリーで開催されている「ジャン=ミッシェル・フォロン展」に立ち寄った。

このベルギー出身の画家(1934-2005)の作品を観るのは初めてだった。都会の孤独、環境問題、戦争など現代的な問題を、抽象的に鮮やかな色彩で描いた作品は柔らかく、しかも深刻に訴えるものがあった。

展覧会の副題、「空想旅行案内人」の意味がなんとなく理解できた。

 

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