羽花山人日記

徒然なるままに

人間力

2023-04-30 17:26:07 | 日記

人  間  力

友人がブログで,「ChatGPTに対抗する人間力とは?」とChatGPTに質問して得た答えを披露していたので,借用して以下に紹介する。

人間には、直感力、創造力、感情理解力、倫理観、価値観、道徳観など、ChatGPTが持っていない重要な能力があります。また、人間はコミュニケーションや社会的スキルを持っており、他の人との関係を築き、チームで働くことができます。
人間力を高めるためには、以下のことが役立ちます。
1.直感力や創造力を鍛えるために、自己表現や芸術活動、アイデア出しの練習をする。
2.感情理解力を高めるために、他者の感情を共感することや、自分自身の感情を認識することを意識的に行う。
3.倫理観や価値観を深めるために、読書や哲学的思考、倫理的な議論に参加することをする。
4.コミュニケーションスキルを磨くために、積極的に人と交流し、相手の意見を聞くことを心がける。
5.自己成長のために、定期的に挑戦的な新しいことに取り組むことを意識する。

 これはこれで有益なアドバイスである。わたしも真似をして,「AI に対抗する人間力とは」と訊いてみたところ。回答は次の通りであった。

AIに対抗する人間力とは、AIが持つ特定の能力や機能に対して人間が持つ優位性や価値を指すことがあります。具体的には以下のようなものがあります。

  1. 創造力:AIは過去のデータから学習し、予測を行うことができますが、創造的な思考やアイデアを生み出す能力は人間にしかありません。
  2. エンパシー:AIは感情を持ちません。しかし、人間は感情を持っており、相手の気持ちや感情を理解し、共感することができます。
  3. 視野の広さ:AIは特定のタスクに特化したプログラムであり、広範な知識や経験を持っているわけではありません。しかし、人間は多様な経験を積み、広範な知識や見識を持っています。
  4. 倫理的判断:AIは事前に与えられたルールに従って行動しますが、倫理的な判断をすることはできません。人間は自己意思決定ができ、倫理的な判断をすることができます。
  5. これらの人間力を活かし、AIと共存し、協力し、相補的に役立てることが重要です。

先の回答と内容的には似通っているが,答え方に微妙な差がある。そこで,「AI に」と「ChatGPTに」と,対抗する対象が違う場合には,答え方が違うのかを訊いてみた。回答は:

理由は、両方の質問が異なる意味を持っているためです。最初の質問は、あなたの友人がChatGPTに対抗するために必要な人間力について尋ねたもので、それはChatGPTと同じまたは同等の認知力や知識を持つ人間の能力を指す可能性があります。一方、2番目の質問は、AI全般に対抗するために必要な人間力について尋ねたもので、これはAIの限界や欠点を補完し、人間的な価値や能力を活用することができる能力を指す可能性があります。したがって、両方の質問に対するChatGPTの回答は異なる可能性があり、前者には自己言及的な回答が含まれる可能性が高く、後者には人間の特性や能力を強調する回答が含まれる可能性が高いと言えます。

どうもわかったようで,はぐらかされたような気になる回答で,釈然としない。ただ感じたことは,質問の仕方によって,同じ内容の問題でも微妙に違った回答をChatGPTがすることがあるということだ。ちなみに,BingにAIに対する人間力とBingに対する人間力との間に違いがあるか訊いてみた。回答は:

Bingに対抗する人間力とAIに対抗する人間力との間には違いがあります。

Bingに対抗する人間力とは、Bingが提供する情報やサービスを利用しながら、自分の判断力や批判的思考力を維持したり、Bingができないことを行ったりする能力のことです。

AIに対抗する人間力とは、AIが得意としない分野での人間の能力や特徴のことです。例えば、人間はAIよりも柔軟に新しい環境や状況に適応したり、創造的なアイデアを出したり、感情や価値観を共有したりすることができます。

Bingに対抗する人間力は、Bingを使うことで高めることができます。Bingはあなたの質問に答えたり、あなたの創造性を刺激したりすることで、あなたの知識やスキルを広げることができます。

AIに対抗する人間力は、Bingを使わないことで高めることができます。Bingを使わないことで、あなたは自分で情報を探したり、自分で問題を解決したりすることで、あなたの適応力や創造力を強化することができます。

Bingはあなたの人間力をサポートするパートナーです。

ここに列挙した回答はいずれもAIが作り出したもので,その正当性や十分性が満たされているかは別問題である。それこそ,それを判断するのが人間力であろう。過大評価も過小評価もせず,マイペースで使うことが肝要であろう。

 

残念天皇賞

またもや長蛇を逸した。例によって,三連複の2頭まではあてるのだが,3頭目に予想しない馬が入ってくる。ディープポンドとは,人気では6番目だが,そこまでは手が回らなかった。それにしても,1番人気のタイトルホルダーが途中棄権とは,驚いた。次は,5月28日のダービー。懲りずに夢を追いかけよう。

 

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読書備忘(21)『三四郎』

2023-04-29 19:54:43 | 日記

読書備忘(21)

夏目漱石『三四郎』角川文庫クラシックス(1951年)を底本とする電子書籍

版権の切れた著作物が、電子書籍として無料でダウンロードできる。

わたしは、島崎藤村と夏目漱石の何冊かの著作を、スマホのKindleに溜め込んでいる。

手軽に運べて、空いた時間に適当な本が読めて、甚だ便利である。

今日は、そんな中から、最近読み終えた、夏目漱石の『三四郎』について記す。

わたしが読んだ漱石の作品の中で一番好きなのが『三四郎』である。折に触れ5回くらい読んでいるだろうか。

熊本の田舎から東京に出てきた小川三四郎の見聞きし,経験することへの感慨に、やはり田舎から東京に出てきたわたしが共感できるからではなかろうか。

物語は大した波乱もなく進む。

途中で同宿した女性に、度胸がないと揶揄されながら上京した三四郎は、入学した帝大の池のほとりでひとりの女性に会い,心惹かれる。

この才媛にして小悪魔的な里見美禰子と三四郎との絡みが、物語の骨格である。

軽佻浮薄な学友の佐々木与次郎,茫洋たる知識人で高等学校英語教師の広田,郷里の先輩で物理学者の野々宮,画家の原口など,三四郎が初めて知るような人とたちが美禰子との共通の知人であり,その人たちの会話が,物語に厚みをつけ,三四郎と美禰子の人物像を浮かび上がらせている。

菊人形を見にいって,三四郎と美禰子は二人で帰ることになり,道端に腰を下ろして,話をする。美禰子は三四郎に迷子のことを英語で何というか訊ね,ストレイ・シープ(stray sheep)と教える。

後日,はがきが三四郎の元にとどく。署名にストレイ・シープとあり,2匹の羊が描かれている。三四郎は嬉しい気持ちになる。

三四郎は与次郎が作った借金の埋め合わせに美禰子から金子を用立ててもらい,それを返そうとするが,美禰子は受け取らず,使って欲しいという。

原口は美禰子をモデルにして大作に取り掛かっている。その制作現場を,意を決した三四郎が訪ねる。帰路を一緒にした,三四郎は美禰子に「あなたに会いに来た」と打ち明けるが,美禰子は「お金はどうでもいい」とはぐらかす。その時,二人の前に上品な紳士が車から降りて現れ,美禰子に話しかける。雰囲気を察した三四郎は,黙って立ち去る。

与次郎から美禰子が結婚することを聞いた三四郎は,教会から出てくる美禰子を待ち受け,金を差し出すと美禰子はそれを受け取る。結婚のことを訊かれた美禰子は小さな,しかし三四郎に聞こえる声で,「我はわが咎を知る。わが罪はわが前にあり。」という。

小説の最後で,原口画伯の美禰子像が展覧会で展示される。画題は「森の女」。絵を前にして,三四郎は与次郎にこの題名に異を唱え,「ストレイ・シープ,stray sheep(迷える羊)」と心の中でつぶやく。

美禰子と三四郎の心の内についてはことさらには述べず,しかしそれを浮き上がらせる漱石の手法はさすがである。

死ぬまでには,まだ何回か目を通すだろう。遠くに過ぎ去った青春の懐かしさを想起させる作品である。

空に浮かぶstray sheep

 

コカリナ師匠の玄関で

ペチュニア

ウキツリボク

 

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二つの世界

2023-04-27 16:48:00 | 日記

二つの世界

昨夜のテレビ朝日で,2007年にミャンマーで取材中に凶弾に倒れたフリージャーナリスト,長井健司さんの最後まで握っていたカメラが,16年の年月を経てに遺族の手に渡されたニュースを観た。

カメラに残された最後の5分間の映像は,どうにもやりきれないものだった。

世界を戦争や紛争がある地域(A)と,ない地域(B)の二つに分けると,Bに住む私たちはその幸運に感謝しなければならない。

しかし,あえてAに身を投じ,そこに住む人々と私たちとの懸け橋になろうとする日本人がいる。永井さんは映像を通してミャンマーの実像を私たちに伝え,アフガニスタンで倒れた中村哲さんは,日本で得た浄財を現地の農民に用水路として提供した。

スーダンにいた日本人58人が無事国外に逃れたことを喜びたい。しかし,国境なき医師団のスタッフとして,なおも現地に残る日本人が一人いる。この方の安全を心から祈りたい。

(この方が,スーダン国外に出て,エチオピアに滞在というニュースもある。)

 

ラ  ッ  コ

ラッコが水族館で見られなくなるという記事を読んだ。

1994年には122頭いたラッコが,2000年委は88頭となり,現在は高齢化した3頭だけとなっているという。

2000年に,ラッコは絶滅危惧種に指定され,国際取引は困難で,2003年にロシアから輸入されたのが最後となっている。

国内での交雑から生まれた子供は,多くがひ弱で9頭中3頭しか生き残っていない。

動物の集団で近親交配を避けるためには,最低500個体が必要ということを,統計遺伝学の教科書で読んだ記憶がある。現状では,人工交雑によってラッコを繁殖するのは絶望的であろう。

あえて残そうとするには,バイテク技術によって個体のクローンを作出するしかないのではなかろうか。ジュラシックパークの恐竜のように。

余談であるが,史上最初の家畜となったイヌは,落ちこぼれオオカミが人間によって飼いならされたことから始まったという説がある。とすれば,落ちこぼれオオカミの初期集団は小さかったはずで,それがどうやって繁殖したのであろうか。

 

寂     寥

 H・K君の訃報が届いた。

わたしには,「集合A」という農学部同期の仲間があり,熱海温泉での集まり,月一回の囲碁の手合わせ,メールのやりとりなど,心温まる付き合いを続けてきた。

昨年11月のY・T君に継ぐ訃報,残るは5名になってしまった。

寂しい。

 

早    苗

田植えが始まった。始まった。

 

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リハーサル

2023-04-25 14:56:20 | 日記

リハーサル

昨日,5月7日に行われるファミリーコンサートのリハーサルに,横浜まで行ってきた。

このコンサートは,高校同期のM・M子さんの家族が主催するもので,2020年4月に予定したものがコロナのために中止になり,3年ぶりに開かれることになった。

M子さんからその話を聞いた時,半分以上冗談で,そこでコカリナを吹きたいと言ったら,逆に是非々々と言われて尻込みしてしまい,それでも師匠の小杉先生に相談したら,そんな素晴らしい機会はないから,おやりなさいと励まされて,吹かせてもらうことにした。

先生から3曲選んでピアノ伴奏も編曲しもらい,特訓を受けた。

予定していたコンサートが中止となって,半分ホッとし,半分がっかりしたところ,今回改めてご招待いただき,ありがたく参加させてもらうことにした。

3曲のうちの2つはコカリナの総帥,黒坂黒太郎氏の作曲による『夜の森 愛の歌』と『木立をぬける風の音』,残りの一曲がモーツァルトの『アベ・ベルム・コルプス』。

昨日は,M子さんのピアノ伴奏で吹かせていただき,至福の時を過ごした。

こんな得難い機会を恵んでくださったM子さんご一家に心から感謝している。ご迷惑をかけないように心しなければ。

 

メ  ロ  ン

カミさんが友人の車に便乗させていただいて,産直店から買ってきた。品種はクインシー。今年は例年より収穫が早まっているとか。食べごろになるのが待ち遠しい。

なお,メロンについての若干の蘊蓄を,2021年5月10日のブログで傾けているので,以下に再掲する。

メロンが旬を迎えている。茨城県はメロン生産量ではぶっちぎりの日本一である。写真の品種はネット系赤肉のクインシー。当地では同じくネット系青肉のアンデスメロンと人気を二分している。

メロンの原産地はインドとされている。そこからシルクロードを経て東西に伝わり,西はヨーロッパでメロンとして結実し,東は日本で瓜として親しまれるようになった。メロンも瓜も学名はCucumis meloの同一種である。

メロンは日本では高級果物として,庶民の口に入りにくかった。このメロンを大衆化しようと,戦後になってウリとメロンの交雑が行われ,困難を克服してマクワウリ×メロンの一代交雑品種のプリンスメロンが1962年に坂田種苗(現サカタのタネ)によって育成され,露地栽培非ネット系メロンとして普及し,メロンが庶民の果物になった。

これを嚆矢として,露地栽培,温室栽培,ハウス栽培,ネット系,非ネット系の多彩な品種がリリースされ,われわれを楽しませてくれている。

日本のメロン品種群は,東西に分かれて育ったCucumis meloの末裔が,日本で邂逅して花開いたロマンの文化だとわたしは考える。

〈蛇足〉アンデスメロンの名前は,作っても,売っても,買っても安心ですの「アンシンデス」からシンを抜いて命名された。アンデス山脈とは縁もゆかりもない。

 

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墓移し

2023-04-23 19:30:23 | 日記

墓  移  し

昨日から、移した墓の開眼式と両親の納骨に、松本へ行ってきた。

家保有の墓地を廃し、墓を菩提寺,無極寺の墓地に移したのである。住職の丁重な回向に送られて,取り出してあった両親の遺骨をかろうとに納めた。

これで、死に支度の一つを済ますことができ、カミさんとわたしの永住の場所も定まった。

行きの新幹線は満員で、上野から乗車のわたしたちが予約した席を,大柄の外国人ペアが占領していたのにびっくりした。指定席と自由席の区別がつかなかったらしい。

信濃路はすっかり春模様。冠雪を残した山を背景に、緑が萌え上がっていた。

松本市街から常念岳を望む

松本駅から乗鞍岳を望む

昨晩は、浅間温泉の甥が経営する梅の湯に一泊。参列してくれた姉妹、息子と歓談を尽くした。

 

奈良岡朋子vs.仲代達也

今日の新聞に,先般亡くなった奈良岡朋子さんを偲ぶ,仲代達矢さんのインタビュー記事が載っていて,故人には申し訳ないが,なんとなく可笑しかった。

仲代さんは3歳上の奈良岡さんのことを「先生のようで,姉のよう」と称している。仲代さんが72歳の時,お二人は『ドライビング・ミス・デイジー』の舞台劇で共演した。

あの名優,モーガン・フリーマンとジェシカ・タンディが主演した,アカデミー作品賞のハリウッド映画の翻案であったろう。この映画は大好きで何回も見ているが,お二人が主役の舞台劇も,想像するに面白そうである。

この舞台劇で,仲代さんは奈良岡さんにずいぶんしごかれたという。あの仲代さんがである。最後の上演が終わって楽屋を訪ねてきた奈良岡さんに,仲代さんは畳の上に正座して,「ありがとうございました」と,頭を下げたという。大スター二人が,畳の部屋で素の姿で向き合っている光景を想像すると,なんとなく可笑しくなる。

 

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DNA

2023-04-21 16:52:50 | 日記

DNA

今日の朝日新聞19面に,『二重らせん 発表から70年』と題する記事が載っていた。

ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックが,Natureの誌上に,遺伝子の本体であるDNAが二重らせん構造をしていて,細胞分裂を通じて遺伝子が複製される過程の説明に適合することを発表したのが,1953年だったということだ。

このタイトルを見て,あれから70年か,という感慨を先ず覚えた。わたしが高校2年生の時である。

しかし,教養学部および農学部の講義を通じて,DNAは全く登場しなかった。1958年には,遺伝情報がどのようにタンパク質の構造に翻訳されるかという「セントラルドグマ」の構想が提唱されていたにも関わらずである。

ここでは,大学教授の怠慢を云々するつもりはない。当時の思い出を記すことにする。

わたしが大学院に進学した当時,研究科は基礎的な学問分野による学部横断型に組織されていた。わたしが所属した農学専門課程は,理学部の生物系の課程および医学部の課程とともに生物系研究科を構成していた。

そこで,理学系の院生との交流を通じて,DNAについての啓蒙を受け,研究室に戻って外国の啓蒙書を輪読してDNAについて勉強した。

そのころ,蛾の幼虫の腹腔にDNAの溶液を注射して,成虫の翅の鱗片の色に変異が現れるという,いわば形質転換の現象を報告した論文が発表され,それを読んだ理学系の院生から,植物で同じことをやってみないかという誘いを受けた。

今考えると無鉄砲もいいところで,やりましょうということになり,DNAの抽出と材料の育成にトウモロコシを選び,実験を始めた。

DNA抽出の方は,トウモロコシの種子から胚の部分を集め,教科書と首っ引きで行った結果,見事に成功した,試験管の中からガラス棒に巻き付いたDNAの糸が,キラキラと光を反射して現れた感激は今でも覚えている。

昔々の話である。今では,DNA抽出は小学生でもできるようになっている。

しかし,材料作りの方は完全に失敗した。たくさんの遺伝子座について潜性(劣性)の性質を表すような系統を作り,それをDNA溶液で処理し,そのどれかに顕性(優性)の性質が現れれば,形質転換が証明できるのではないかと考えたのであった。

しかし,他家受粉性のトウモロコシを自家受粉すると,子供はどんどん弱勢になり,おまけに屋外の栽培では1年に1世代しか進められないとあって,別テーマで進めていた学位論文の作成に追われて,この無謀な企てはあえなく頓挫したのである。

駄弁のあとで,DNAについての二人の言葉を引用する。

進化学者のリチャード・ドーキンスは,すべての生物はDNAの乗り物に過ぎず,それを自覚できるのはヒトだけであると言っている。

歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリは,生命現象はDNAに発するアルゴリズムであると規定し,政治も,宗教も,芸術も,その他もろもろも,このアルゴリズムがもたらす,実体のない現象だと考えられるという。

しかし,上の二人は決してニヒリストではない。

 

春  爛  漫

モッコウバラ

プリムラ

フジ

ボタン

シャガ

(いずれも阿見町にて撮影)

 

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光害

2023-04-19 15:44:36 | 日記

光      害

2015年11月東京丸の内にて撮影

4月14日にNHKから放映された『ドキュメントへようこそ 星降る夜を取り戻せ』を収録ビデオで観た。

フランスで2022年にリリースされたドキュメントで,原題は「Switch the sky back on the global fight against light pollution」。このlight pollution の日本語訳が「光害」である。

番組は光害の実態を示し,その軽減に向けた世界的な取り組みを呼び掛けている。

昭和20年代に田園地帯に住んでいた人は,夜空に輝く銀河を覚えているだろう,しかし現在,そんなことは望むべくもない。地上の光に遮られて,夜空の星の数は減少している。番組では,専門家の予想として,2050年には夜空の星が全て消えてしまうという。

この問題に先ず警鐘を鳴らしたのは,天文学者と写真家である。天文台が役に立たなくなり,新たに設置できる場所も限られてくる。ピレネー山脈に設置した天文台からは,バルセロナの灯りが遠望され,これ以上周辺に灯を増やさないようにと,研究者は当局に訴えている。

しかし,光害は天文学者や写真家だけの問題ではない。バクテリアを除く,ほぼすべての生物は体内時計を持ち,明暗の交代はこの体内時計を調節するのに大きな役割を持っている。

体内時計によって,生物は時間や季節の変化を知る。

体内時計に調節されたコンパスで星を定位し,渡り鳥は道をたどっている。この星が隠されたり,強い光に邪魔されたりすると鳥は方角を見失ってしまう。

ニューヨークでは毎年9月11日に,テロの犠牲者を悼んで,2本の巨大な光の柱を天空に照射する。この光に惑わされて,渡り鳥は高密度で集まり,命を失うことが観察された。そこで,光の柱に沿って望遠鏡で観察し,鳥が集まり始めたら20分間光を消して鳥が集合しないようにしている。

フロリダ州の海岸にアカウミガメの産卵場所があるが,照明が水際まで届くと,ウミガメは警戒して上がらなくなる。また,孵化し子ウミガメは進路を見誤り,海に戻れないままに死ぬものが出てきた。そこで,照明の位置を低くし,球形の照明を使わずに地面に向けて光を照射するようにして,アカウミガメの産卵場所を確保するようにした。

植物もまた体内時計をもち,季節や時間の経過を計っている。明暗交代が自然の状態から離れると,花を咲かせる時期が違ってきて,受粉を媒介する昆虫の出現とタイミングがずれてしまう。

ホテルの前で1年中終夜照明を浴びていた木は,葉がいつまでたっても緑のままだった。日が短くなって冬が到来するのを感知できないのだ。落葉は樹木が寒さを迎える身支度で,それが整わないうちに冬が訪れると,障害を受けることになる。

過剰な光は,人間の健康にも影響する。睡眠中に弱い光を当てると,脳波や鼓動に影響するという研究が始まっている。テレビは就眠の1~2時間前に消し,黄色のような温かい光で読書をしてベッドに入るのがいいと,専門家は推奨する。

番組は,人工衛星にも言及する。やがて5万機を超える人工衛星が空を飛び交うことになり,地上にとどく星の信号が乱されることになりかねないと。

ロスアンゼルスにあるグリフィス天文台の台長クラップ博士は言う。光害について発言する人はまだ少ない。しかし,問題は深刻になりつつある。自然やわれわれの健康が脅かされることになる。この問題の解決はそんなに難しくない。照明を暗くし,不必要な照明は撤去すればいい。そうすれば,電力,そしてエネルギーの節約にもなる。

わたしは,植物の光周期反応を研究テーマの一つにしてきた。生態系に与える人工光の影響については,かねがね気にしていたところである。街路樹を満艦飾に飾り立てた光景は,きれいだと思うが,ストレスにさらされる街路樹に申し訳ないと心の中で呟いている。

この番組を観て,胸のつかえが大分軽減された。そしてゴッホの描いた『星月夜』を思い浮かべていた。

2015年12月霞ヶ浦湖畔にて撮影。

 

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心温まる記事

2023-04-17 20:09:58 | 日記

心温まる記事

昨日の朝日新聞に,ちょっと心温まる記事が出ていた。

千葉市の西織哲大さんが「男のひといき」に投稿した記事を読んだ,元幼稚園の保母をしていた宗像(旧姓,遊佐)キクさんが,投稿者の名前から自分が幼稚園に就職して初めて持ったクラスの園児だったのではないかと考え,その投稿文の内容にも惹かれて,朝日新聞社に手紙を出した。

投稿は今年の2月5日に『93歳の母の底力』と題して掲載されたもので,西織さんがやや記憶力の落ちたお母さんをご自分の奥さんを相手にした歌留多取りに誘い,最後にお母さんが圧勝し,皆が笑いに包まれたという内容だった。

宗像さんが書いたのは,園児時代の西織さんのことをよく覚えていて,彼の投稿を読んだことを西織さんに伝えて欲しいという内容の手紙だった。

この手紙は西織さんに届けられ,かくして79歳の遊佐先生と63歳の哲ちゃんとの間の,56年間の時空を超えた再開が実現した。

西織さんは,園児だった自分を先生が覚えていてくれて,投稿に書いた内容に対してエールを送ってくれたことに感動した。

宗像さんが保母として働いたのは3年間だけで,病気のために退職されている。それだけに,その間に受け持った園児のことは顔も名前も覚えていて,思い出すたびに,元気でそれぞれの幸せの中でいてくれたらと願ってきた。西織さんが昔の哲ちゃんのままで,温かく接してくれたことに心身が活性化され5歳は若返ったと信じている。

人と人とのこうした繋がりは,ささやかなものかもしれないが,心を温かにしてくれる。

わたしは,2021年8月18日のブログに書いた,国民学校時代の恩師,A・K先生のことを思い出している。

 

残念皐月賞

わたしにとっての今年の競馬の幕開け,皐月賞は,例によって,三連複の三頭目が外れ,長蛇を逸した。カミさんの方は堅実に稼ぎ,わたしの損失分まで取り戻してくれた。ソールオリエンスの末脚の切れ味は素晴らしかった。さすがにキタサンブラックの血筋である。

次はダービー。今年の三歳馬は,強豪ぞろいだ。

 

キヌザヤエンドウ

キヌザヤエンドウが花を着けた。5月の収穫が待ち遠しい。

 

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潮騒(映画)

2023-04-15 16:07:46 | 日記

潮騒(映画)

一昨日に続いて,若い時に観た映画の思い出を,いささか恥ずかしいが書くことにする。

高校最後の年だったと思う。街の映画館で『潮騒』が上映された。三島由紀夫原作のこの話は,何回も映画化されているが,わたしは谷口千吉監督による最初のものしか観ていない。他の作品を見ると,最初の作品を冒涜するような気持ちになるのだ。

伊勢湾の小島に住む漁師の少年と島に里帰りした少女との恋を描いた作品は,わたしにとっては初江を演じた主演の青山京子に尽きる。新治を演じた相役の久保明は漁師というにはちょっと都会的な雰囲気が気になったが,その雰囲気が逆に純朴で健康な漁村の少女を引き立てていた。

少女の胸に着いたほこりにを見て少年が戸惑うシーン,濡れた衣類をたき火で乾かし,眠りから目覚めた新治に「その火を飛び越えてこい」と初江が叫ぶシーン。いずれも瞼の底にしっかりと残っている。

この映画を見てから,わたしは約三日間ボーっとしていた。それは表情にも出ていたのだろう。母がどうしたのかと尋ねたのに,理由は恥ずかしくて言えなかった。

どうしてそうなったのか忘れたが,体育の女の先生にそんな話をしたら,原作の文庫本を,「お読みなさい」と貸してくれた。読みながら映画のシーンを思い出し,またボーっとなってしまった。

あんな気持ちになったのは,最初で最後である。

青山京子が小林旭と結婚した時は,なんとなく面白くなかった。しかし,2020年の1月に彼女が小林と添い遂げて亡くなったニュースを知り,ほっとしたような気持ちになった。

 

世代交代

右のコーヒーカップは,亡くなった姉からの贈り物である。ちょっと高級感があり,使うのを惜しんでいたが,使わないうちに死んでしまったらと,毎日の喫茶に使い始めて10年が経過し,材の疲れかどこかにあてたのか,かすかなひびが入って,カップからコーヒーが滲み出すようになった。

後継のカップ(写真左)は,前のカップの高級感を損なってはと,ちょっと張り込んで購入した。使い主より長生きするよう,大切にあつかってコーヒーを味わうことにする。

 

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野菊の如き君なりき(映画)

2023-04-13 20:11:09 | 日記

野菊の如き君なりき(映画)

一昨日のブログに,『野菊の如き君なりき』を話題にしようと,ChatGTPとBing に問いかけたが,いずれも役に立たなかったので,一人で思い出を書くことにする。

わたしは映画好きを自認し,高校・大学時代には週に8本観ることもまれではなかったが,劇場に7回足を運んで観たのは,これだけである。そしてそのたびに,特にヒロインの民子の臨終の場面で,涙を流した。70年近く前のことだが,よく覚えている。

川面に浮かべた小舟に座る老人の,若い時に過ぎ去ったほのかな恋の思い出が映画のストーリーである。

十台でいとこ同士の政夫と民子は,幼い時から睦みあってきたが,やがてお互いにほのかな恋心を抱くようになる。山畑で,お互いのことをリンドウと野菊に例えて,慕う気持ちを告げあうシーンは秀逸である。

しかし周囲はその仲を許さず,意に沿わない結婚を押しつけられた民子は病を得て実家に戻され,亡くなる。その手にはリンドウと政夫からの手紙が握りしめられていた。

映画は,咲き乱れる野菊を眺めながら,かすかに涙する老人の姿を映して終わる。

老人の思い出のシーンは,白地に開いた楕円形の窓の中に描かれ,リリシズムという言葉を思い浮かばせる。

伊藤左千夫の『野菊の墓』がこの映画の原作であるが,それを映像としてあざやかに具現化した木下惠介監督の手腕は本当に素晴らしい。

老人に扮した笠智衆の演技は,この人以外には不可能という心に響く見事なものだったが,それ以上に当時の若者の心をつかんだのは,民子に扮した有田紀子だった。農村の純朴で可憐な乙女の姿に,まだ十台だったわたしはすっかり心を惹かれた。

当時,一人の東大生が有田紀子の鎌倉の実家を訪ね,紀子さんをお嫁にくださいと申し出た話は,その申し出を謝しつつ,まだ若いからと,若者の心を傷つけないように諭した紀子の母親の言葉とともに当時評判になった。

わたしの友人はこの学生を知っていて,真面目で普通の東大生だったと言っている。

わたしは彼を軽蔑する気持ちにはならなかったし,今でもそうである。

無鉄砲であろうと,恋をするのは青春時代の特権である。

 

ツツジが満開

シャクナゲもツツジの仲間。いずれも阿見町にて撮影。

 

STOP WAR!

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