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2012年三内丸山遺跡にて撮影
もはや旧聞だが,去る26日,北海道・北東北の縄文遺跡群の世界文化遺産への登録のユネスコへの勧告が決定された。7月には登録が決定される見通しという。
遺跡群の一つ三内丸山遺跡には2回行っている。先ず,5900年から4200年前の,この遺跡がカバーする時間の長さに圧倒された。もうひとつ感銘を受けたのが,出土したものに人を殺したり傷つけたりする道具がなく,戦を示唆するものがないことであった。この感慨は,それからあまり間隔を開けずに訪れた弥生時代の吉野ケ里遺跡に残る,殺し合いと戦の生々しい遺物を見た時に,一層強められた。2000年近くの悠久の時の流れを,縄文人たちはゆったり過ごしてきたのだろうか。
もうひとつ縄文の遺物から感銘を受けるのは土器である。茅野市尖石縄文考古館見た縄文のビーナスや,国立博物館の展覧会で観た縄文土器の数々は,縄文人の豊な感性を示しているように思える。
縄文時代に関する最近の大きな発見は,土器についている圧痕から,ダイズとアズキが日本に自生していた野生種から栽培化されたということである(中山誠二 2015年)。以前から栗が栽培されていたことが推測されていたが,豆類の栽培化は科学的な根拠に基づいた発見である。日本では縄文中期に独自の農業が始まっていたのだ。世界史的に農業発祥の地として日本が加えられなければならない。
狩猟採集の民のものとして縄文文化は語られてきたが,これは大きな変更を求められるだろう。どんなことが語られるか楽しみだ。考古学はロマンだ。
2018年国立博物館のJOMON展で撮影