羽花山人日記

徒然なるままに

縄文遺跡

2021-05-31 19:24:58 | 日記

2012年三内丸山遺跡にて撮影

もはや旧聞だが,去る26日,北海道・北東北の縄文遺跡群の世界文化遺産への登録のユネスコへの勧告が決定された。7月には登録が決定される見通しという。

遺跡群の一つ三内丸山遺跡には2回行っている。先ず,5900年から4200年前の,この遺跡がカバーする時間の長さに圧倒された。もうひとつ感銘を受けたのが,出土したものに人を殺したり傷つけたりする道具がなく,戦を示唆するものがないことであった。この感慨は,それからあまり間隔を開けずに訪れた弥生時代の吉野ケ里遺跡に残る,殺し合いと戦の生々しい遺物を見た時に,一層強められた。2000年近くの悠久の時の流れを,縄文人たちはゆったり過ごしてきたのだろうか。

もうひとつ縄文の遺物から感銘を受けるのは土器である。茅野市尖石縄文考古館見た縄文のビーナスや,国立博物館の展覧会で観た縄文土器の数々は,縄文人の豊な感性を示しているように思える。

縄文時代に関する最近の大きな発見は,土器についている圧痕から,ダイズとアズキが日本に自生していた野生種から栽培化されたということである(中山誠二 2015年)。以前から栗が栽培されていたことが推測されていたが,豆類の栽培化は科学的な根拠に基づいた発見である。日本では縄文中期に独自の農業が始まっていたのだ。世界史的に農業発祥の地として日本が加えられなければならない。

狩猟採集の民のものとして縄文文化は語られてきたが,これは大きな変更を求められるだろう。どんなことが語られるか楽しみだ。考古学はロマンだ。

2018年国立博物館のJOMON展で撮影

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鼻の差

2021-05-30 16:40:59 | 日記

日本ダービー

テレビの画面を撮影

期待の牝馬(16番)が鼻の差で着外に落ち,大魚を逸した。しかし,いいレースだった。

 

今日の朝日歌壇から三首

「県境を越えるな」と言い国境を越える五輪を止めない都知事  観音寺市 篠原俊則 様

オリンピックを招致の人が東京へ来ないでという緊急事態  浜松市 松井 恵 様

見に行くな見ても喋るな拍手せよ腫物のごと聖火来県  大阪市  村上 明美 様

小池さんも本当は来て欲しくないのではないかな。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初ジャガ

2021-05-29 17:36:50 | 日記

枯れ葉が目立つ株があったので,ちょっと早いかなと思ったが,掘ってみた。手頃な大きさのジャガイモが現れた。早速チンして塩をつけて食べた。こんなにうまいジャガイモ,85年の人生で初めてだ‼

今年に入っての収穫物:ダイコン,ネギ,ホウレンソウ,菜花,カラシナ,サヤエンドウ,コマツナ,タマネギ,そしてジャガイモ。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白桜忌

2021-05-28 19:19:28 | 日記

白 桜 忌

天声人語を読んで,今日が与謝野晶子の命日,白桜忌であることを知った。

魅力的な女性である。11人の子供を育てたというから,まさにスーパーレディだ。

「君死にたまふことなかれ」は最も人口に膾炙した詩であろう。その第3段,

「君死にたまふことなかれ

  すめらみことは戦ひに

  おほみずからは出でまさね 云々」

は,すごいことを言ったものだと思う。大町桂月からは厳しく批判されたらしいが,発表したのが1930年代だったら,ただでは済まなかったろう。

60年以上前に,晶子の次男と結婚した与謝野道子著の『どっきり花嫁の記』を読んだ。姑としての晶子の日常が描かれていて面白かった。

わたしが知っている数少ない彼女の歌から,好きな3首を記す。

    その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな

     鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな

     ほととぎす嵯峨へは一里京へは三里水の清滝夜の明けやすさ

 

家庭菜園の地主さんから白菜の芯をいただいた。外側の葉っぱが枯れて,売り物にならなくなったものから採ったものだ。柔らかくてすこぶる美味だった。スーパーや八百屋では買えない。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

答責性

2021-05-27 16:48:24 | 日記

答責性

今日の朝日新聞朝刊13面の,法哲学者井上達夫東大名誉教授へのインタビュー記事は,短いが重みがあった。

氏は「答責性」という概念をキーワードにして,今のオリンピック強行に向けての動きを批判している。わたしにはこの記事の最下段にある氏の発言が大変参考になった。

曰く。「答責性の本質を探っていくと,僕が長年研究してきた正義の概念と,深いかかわりがある。正義は,自己の権力欲や他者へのパッシングを合理化するイデオロギーではない。逆だ。自分の他者に対する行動が,たとえ相手の視点に立ったとしても正当化できるか,その反転可能性を自己批判的に吟味してみることである。

(中略)

答責性は,だから実はすべての人に課せられる。互いに批判し合い,変わってゆく寛容さ。公共性にとっては不可欠な,対話の営みのことなのだ。」

≪逆興に耐える力≫とか言って日本人をおちょくり,菅首相がオリンピック中止といっても,それは個人的な意見だといってのけるようなでIOCの幹部たちに,上の言葉を言って聞かせても,馬の耳に念仏だろうか。

 

スーパームーン皆既月食

昨夜のスーパームーン皆既月食は雲にさえぎられて見られなかった。次にスーパームーンと皆既月食が重なるのは,12年後の10月。ちょっと無理かな。来年の11月の皆既月食が見られたら,それで我慢しよう。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オレタチ

2021-05-26 16:37:12 | 日記

50年以上前になるが,何気なく眺めた科学雑誌の目次にHuman-mouse hybrid(ヒト‐ハツカネズミ雑種)という見出しを見てびっくりした。神を恐れぬ所業と思って読んでみると,試験管で培養しているヒトとネズミの細胞を融合して,雑種細胞を作ったということで,ネズミ人間が生まれたわけではなかった。

自然界で細胞が融合するのは雌性(卵)と雄性(精子)の性細胞同士であって,このように体を構成している体細胞同士が融合したものは体細胞雑種と呼ばれる。性的には交雑できない遠縁同士でも雑種が得られる可能性があるということで,植物でも体細胞雑種を作る試みが始まった。植物の細胞は細胞壁に囲まれているので,これを取り除いて裸にする必要がありやや厄介である。一方動物とちがって植物では培養細胞から個体を得ることが可能である。

1970年代半ばにドイツの研究者がバレイショ(ポテト)とトマトの体細胞雑種を作出し,ポマトと名付けた。しかし,地下でジャガイモを,地上でトマトをという目論見は,どちらも貧弱で実現しなかった。

この成功を見て,日本でも体細胞雑種作出の試みが1980年代にかけて盛んにおこなわれ,いくつかの雑種が作られた。ヒエ∔イネ=ヒネ,メロン+カボチャ=メロチャ,オレンジ∔カラタチ=オレタチ等々。しかし,作った方には申し訳ないが,いずれもぱっとしなかった。ヒネはひねこびた小さな植物にしかならなかったし,メロチャは成長につれてメロンの染色体がメロメロになって細胞核から抜け落ちてカボチャになってしまった。

オレタチは立派な木に成長し,果実をつけた。わたしはそのご賞味にあずかったが,味は今一,果皮がやたらと厚かった。この果皮を使ってオレタチのマーマレードを売りだしたらどうかと提案したが,取り上げてもらえなかった。

1990年代以降,体細胞雑種は品種改良の手段としては,注目されなくなっていった。しかし,細胞融合技術は研究手段として命脈を保っているようだ。

夢の実現は難しい。(写真はBingからダウンロード)

                                    

                                                                                                                     

                                                                                             ジャガイモにトマトを接ぎ木したもので,ポマトではない。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幼馴染

2021-05-25 16:23:27 | 日記

松本にいる姉から,幼馴染のHさんが亡くなったとの電話が入った。

Hさんはわたしより一つ年上で,生家のななめ前の家の子だった。弟さんと歳が離れていたので幼い頃は一人っ子のようで,わたしを弟のようにかわいがってくれた。どちらかいうと臆病で泣き虫のわたしには頼もしい兄貴だった。

Hさんはわたしとは別の高校に進学し,家業の農業を継いだので,会って話す機会は減ったが,わたしが帰郷して顔を合わせると,「元気か?」と笑顔で話しかけてくれた。へっぴり腰で梅の木の剪定をしていると,「見ちゃいられねえわ。」といって,はしごに乗って枝を下ろしてくれた。子供時代,その木に巣をかけた鳩の卵をそっと覗きに行ったことを二人して思い出し,懐かしがった。

松本の家屋敷を整理した時に,一番悔しがったのはHさんである。お別れにお宅に伺った時,手彫りの仏像を餞別にいただいた。「これはお守りだで,仏壇には置かなんで,どっか見えるところに置いとくりや。」といわれた。書斎の書棚に飾ってある。

その後墓参りで帰郷した時に,Hさんを訪ねることはしていない。お別れした時に抱いた感慨を,胸の中でそのままにしておきたいという気持ちがそうさせている。

郷里の知人がまた一人減った。信州弁で言わせてもらう。”Hチャ,あばね”

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書備忘(7) 野菜の花と虫

2021-05-23 16:48:58 | 日記

カミさんの友人のご夫君から写真集が送られてきた。

植松國雄 『野菜の花の写真館』 敬文舎 2021年

上の写真にある表紙を飾る花が何の花かわかる人はなかなかのものである。答えはサトイモ。このほかに,ゴボウとかサツマイモとか珍しい「花」が収録されている。それだけではない。オカワカメ,セルバチコ,ボリジ,ローゼルなど,あまり聞いたことのない作物の花も見ることができる。全部で157種類の作物の花が写真集に載せられている。花だけではない。これらの花を訪れている動物,主として昆虫,も一緒に撮影されている。

わたしは作物には親しんできたが,興味の対象は主として収穫物であり,花はどちらかといえば添え物であった。花に焦点を当てた写真集には意表を突かれた思いであり,自身の不明を恥じるとともに,作物への愛着があらためて増す気持ちになった。

著者の植松さんは,出版社の週刊誌編集長,取締役という要職を経て,引退後この仕事に取り組まれた。昆虫の訪花は一瞬のできごとであり,その瞬間をとらえるのはまさに千載一遇のチャンスである。もはや若いとは言えないお歳にもかかわらず,その瞬間を待ち続け,164枚の写真に収められた粘り強さは驚嘆としか言いようがない。

写真はプロの腕前のものである。さらに素晴らしいのは,収録されている作物についての解説文である。来歴,利用方法など,簡潔にまとめられた内容は,よくぞこれだけ調べられたものと,これまた驚嘆に値する。見て楽しく,読んで楽しく,勉強になる。(なお,ダイズは日本のツルマメから縄文時代に栽培化されたことが最近明らかにされている。もちろん中国伝来のものもあるだろうが。)

昆虫は植物の後を追って4億年以上前に陸上に進出し,以来この両者は,相互適応的な関係をもって,共進化を遂げてきた。地球生態系,生物多様性に果たした両者の役割は極めて大きい。この写真集は,そうした植物と昆虫の接点をとらえた貴重な資料である。

植松さんは毎年撮りためられた写真をカレンダー仕立てにして送ってくださった。この写真集はその集大成であろう。家庭,学校,大学,図書館に置いて,多くの人に見てもらいたい。早速,町の図書館に推挙しよう。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

残念

2021-05-23 16:48:58 | 日記

オークス

テレビの画面を撮影

白馬の姫君には本命の荷が重すぎたのか,圏外8着に終わった。彼女が来ていれば天皇賞に次ぐ連勝だったのに。神様はそう甘い顔ばかりは見せてくれない。

 

マンションのアプローチのサツキがほぼ満開になった,品種は「大盃」。街路に植わっているサツキの大部分がこの品種である。排気ガスに強く,咲きそろいが鮮やかだ。

 

タマネギ

タマネギの初採り。葉っぱが折れて,採り時を教えてくれる。例年より一ヵ月早い収穫だ。今夜は新玉ねぎで一杯。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヘニング・マンケル

2021-05-22 17:39:03 | 日記

北欧ミステリー界の帝王とも巨星ともいわれるヘニング・マンケル(1948-2015)の人気作,クルト・ヴァランダーシリーズの終結編,『苦悩する男 上・下』(柳沢由美子訳,創元推理文庫)が,ようやく昨年8月に翻訳・出版された。早く読みたかったのだが,ぐずぐずしていてやっと先日読み終わった。

ヘニング・マンケルを知ったのは,町の図書館でたまたま見かけた『流砂』(柳沢由美子訳,東京創元社,2016年)というエッセイ集でであった。癌の告知を受け,死期の近いことを知って書き綴った67編の文章は私の心の琴線を揺さぶった。同書でマンケルが世界的に有名な推理作家であることを知り,彼の『北京から来た男』(柳沢由美子訳,創元推理文庫)が同じ図書館にあったので,借りて読んですっかり魅せられ,以降その著昨を追っかけることになった。

ヴァランダーシリーズは11作からなる。主人公のクルト・ヴァランダーはスウェーデン,イースター署の警部であり,決して切れ者ではなく短気だが,部下からの信頼が厚く,粘り強く事件を解決してゆく。小説はヴァランダーの目で見た風景や出来事と,その心への反映として書かれている。父,元妻,娘,恋する女性との関係の記述が,主人公に厚みを増している。北欧のミステリー作品に共通する北国の陰鬱ともいえる背景の描写が,わたしは好きである。

マンケルは劇作家であり演出家である。特にアフリカでの演劇活動に力を入れていた,国際人でもある。そのためか,田舎の警察署におけるヴァランダーの捜査に国際的な事件を絡ませ,作品のスケールを大きくしている。『白い雌ライオン』では南アのネルソン・マンデラ暗殺事件が,『ファイアウォール』では国際的な金融システムが作品の柱になっている。また,『苦悩する男』では,東西冷戦時代の情報合戦が事件の鍵になっている。政治や外交には関心がないヴァランダーがこうした事件に挑む姿が巧みに描かれている。

ある女流作家が,作者は作品の主人公に恋をしている,と述べているのを見たことがある。インタビューでヴァランダーという人物をどう思うかと問われたマンケルは,「友達にはなりたくないね。」と答えていた。しかし,作者は主人公に並々ならぬ愛着を持っていたように思える。完結編の『苦悩する男』で,作者は,ヴァランダーの最愛の人バイバとの再会と哀しい別れを描き,定年を前にしてアルツハイマー病に冒されていく主人公をきれいにフェイドアウトさせている。

訳者の柳沢由美子さんはストックホルム大学のスウェーデン語科を修了していて,北欧作家の作品の多くがドイツ語などへの翻訳からの二重翻訳であるのに対し,マンケルの作品は原文のスウェーデン語から訳されている。大変読みやすい訳文である。現在,マンケル最後のミステリー,『手』を翻訳中とのことで,出版が待たれる。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする