羽花山人日記

徒然なるままに

Chat先生

2024-10-30 20:13:26 | 日記

Chat先生

スペイン語クラスのIrma先生が、ご家庭の都合でお辞めになることになった。

この先生とのおつきあいはもう15年近くなる。

スペイン語は、JICAの仕事でパラグアイに赴任した時に習い始め、2回目の赴任から帰ってからも、パラグアイからの研修生らとの付き合いで話す機会があった。

しかし彼らが帰ってからはその機会もなくなり、「せっかく覚えた言葉を忘れるのはもったいないじゃない。」というカミさんの励ましもあって、スペイン語教室を探し、Irma先生と巡り合った。

先生は単に文法や会話を教えるのではなく、スペイン語でスペインやラテンの文化を楽しませるという教授方針で、一緒に学ぶ仲間とも気が合い、週一回の授業が楽しみだった。

先生がいなくなるにあたって今後どうするかを残された生徒で検討した結果、クラスをスペイン語同好会的なサークルとし、週一回の集まりを続けていくことになった。

堅苦しくないようにスペイン語を楽しむというのが趣旨で、小話集を持っている方から、コピーをいただいて読んだり、適当な話題を提供して話し合ったりと、滑り出しは順調である。

そこで問題は、間違いを指摘したり、ふさわしい表現を教えてくれた先生の役をどうするかということで、わたしは生成AIを頼ってはどうかと提案し、ChatGPTについて試みてみた。

以下、これまでに試みた結果を紹介する。

  1. テキストの作成:適当な場面、状況を設定して、スペイン語でテキストを作ってもらう。今回の衆議院選挙の結果についての解説記事を、ネット上の記事を参考としてインプットし、スペイン語で書いてもらったところ、A4版1枚の記事が提供された。
  2. 添削:わたしが書いたスペイン語の作文の添削を依頼したところ、間違った単語や表現を指摘し、訂正してくれた。
  3. 問題の作成:動詞の使い方についての問題作成を依頼したところ、たちどころに10題作ってくれた。ちょっと易しすぎたのでもっと難しくと注文したら、より複雑な問題が提供された。問題文の最後に、「スペイン語の勉強頑張ってください。」との付言があり、思わず笑ってしまった。

ChatGPTはこれらの仕事をいずれも30秒足らずで仕上げてくれた。

音声で対話すれば、会話の練習にも利用できるだろう。

うまく工夫すれば、ChatGPTは優れた外国語の家庭教師になってくれる。しかも授業料はただで!

 

秋になりました

阿見町にて10月28日撮影

 

STOP WAR!

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

敵失

2024-10-28 19:57:56 | 日記

敵  失

衆議院選挙の結果、野党が勝利した。自民絶対王国だったわが茨城県でも、野党が自民を上回った。

しかし、この勝利は、野球に例えれば、敵失による勝利である。

政治浄化がメインテーマの選挙とは、考えてみれば情けない気がする。

好投あり、好打ありの好ゲームのような国政選挙を経験したいものだ。

生きている間にそれが見られるかな?

 

STOP WAR!

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ペンギンが教えてくれたこと(映画)

2024-10-27 20:52:52 | 日記

ペンギンが教えてくれたこと(映画)

2020年にNetflixで公開された、実話に基づく、オーストラリア・アメリカの合作映画。

オーストラリアの海辺の町に住む、カメラマンのキャメロン・ブルームの一家はタイに旅行する。母親のサムは長男のノアに誘われて登った屋上から手すりが折れて転落し、下半身不随の怪我をおう。

退院した後もサムは鬱の引きこもりとなり、家族とも一緒に食事をしようとしない。

そんなある日、浜辺で遊んでいたノアは巣から落ちていたカササギの雛を見つけて家に持ち帰り、羽根の色が黒白のところからペンギンと名付ける。

ノアは親を失ったカササギの雛と、昔の素晴らしかった母親をなくした自分を重ね、ペンギンへの思い入れを一入深める。

父親も子供たちもペンギンに大喜びするが、サムだけは打ち解けない。

留守番をすることになったサムに、ノアはペンギンの世話を依頼する。

鳴き声をうるさがっていたサムは、ペンギンの動きに引き回さされているうちに、心が前向きになってくる。そして家族と一緒に食卓を囲むようになり、カササギの飼育に同意する。

しかし、母親に誘われて外食に出かけたサムは、そこで会った友人たちの活動を聞いて、昔に帰れない自分に腹を立て、家に帰ってから壁に飾ってある家族の写真を棒で叩き壊してしまう。

そんなサムを立ち直らせようと、キャメロンはカヤックの練習を提案するが、サムは自分は昔に戻れなければ満たされないといってキャメロンを批判し、二人は感情をぶつけ合う。

その時、それまで飛翔できなかったペンギンが家の中を飛び回り、空に向かって飛び立って行く。家族は全員で声をあげて応援する。

ペンギンに励まされたサムはカヤックの練習を始める決意をする。

カヤックのコーチで先住民のガイは、技術的な指導者にとどまらず、もともと海好きでサーフィンの名手だったサムを、セラピストとして水になじませ、心身の回復を図る。

サムの誕生祝に、一家はペンギンを伴ってサムの母親の家を訪れる。

ノアに窓を開けてもらって外に出たペンギンは、縄張りを侵されたカササギに攻撃され、おびえて飛び去ってしまう。

家族がペンギンを探しに行っている間に、サムはノアのパソコンをのぞき見して、ノアが自分を屋上に誘ったことに強い自責の念に駆られていることを知る。そして、自分に跳ね返ってノアとの間の障壁になっていたことに気づく。

ペンギンを外に出した責任を感じているノアにサムは話しかけ、自分を屋上に誘ったことに責任はなく、それは自分が決めたことで、自分の中に怒りやわだかまりがあったが、もう乗り越えて後悔しないことにしたといい、事故後初めてノアを抱きしめる。そして家族のつながりは、事故前の状態に復する。

その何日か後、外で食事をすませて帰ってくるとペンギンが家に戻っている。

ある日、ノアが復元した家族の写真を一人で眺めていると、そばに来たペンギンは、あたかもノアの完全な回復を見届けたように飛び立ち、巣立っていく。

逆光撮影を多用したカメラワークが雰囲気を盛り上げている。サムの心の陰影を演じ分けた主演のナオミ・ワッツの演技も見事だったが、カササギの「演技」を自然に引き出した演出とカメラに感心した。

あまりにも完璧な家族にいささか辟易したが、心温まるいい映画だった。

カミさんは半月ほど前に脳梗塞を発症して入院した。ようやく治療が終わってリハビリを始めようとしている。左腕が少し持ち上げられるようになり、わたしの手を握った指にかすかな力が感じられるようになった。しかし、退院しても何らかの障害は残るだろう。

そんなことを考えながらこの映画を観ていた。

 

秋 明 菊

牛久市I 夫人撮影

 

STOP WAR!

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書備忘(42)実録・苦海浄土

2024-10-25 20:10:10 | 日記

 

米本浩二

『実録・苦海浄土』河出書房新社 2024年10月24日

書評欄で内容を知り、町の図書館にリクエストして購入してもらった。

この類の本にしては珍しく一気読みであった。

石牟礼道子のことは『苦海浄土』の著者で、水俣病問題を広く世に知らしめ、被害者に寄り添って加害企業の告発にカリスマ的な役割を果たしてきた人と認識していた。

渡辺京二は、歴史家として『逝きし世の面影』著者で、硬派の左翼系論客として知られ、石牟礼道子の伴奏者として彼女の活動を支えてきた人物として知っていた。

著者の米本浩二は、本書によれば、石牟礼道子の評伝を書く目的で、2014年から彼女と渡辺のもとに通い詰め、二人から心の許しを得て、往復書簡から日記に至る資料の閲覧を許され、これまでに3冊の著書を上梓している。

いうなれば米本は石牟礼と渡辺から、その軌跡の後世への伝達を託された人物というべきだろう。

この本は、『苦海浄土』誕生に重要な役割を果たした『熊本風土記』という地方誌に焦点を当て、折節の日記や書簡の内容を引用しながら、石牟礼と渡辺の間の魂の触れ合いともいうべき交わりを描いたものである。

石牟礼道子は1927年水俣に生まれ、文学をこころざしてサークル活動に参加する。自分と他人との距離感に悩み、自殺を試みている。近代から疎外された世界に生きる庶民、そして近代の被害者水俣病患者のことを書くことに救いを見出す。

渡辺京二は1930年の生まれで、大連から引き揚げて熊本市に住む。旧制第五高校に進むが結核のため退学。遅れて法政大学を卒業し、出版社に勤めるが地方文芸雑誌の制作を目指して熊本に戻り、発行者兼編集者として、月刊の「熊本風土記」を1965年に発行する。

石牟礼と渡辺が知り合ったのは、この地方誌の編集者と寄稿者としてである。

水俣のサークルの集まりで石牟礼の発言を聞いた渡辺は、「世の中の見方が変わった」という啓示を受け、執筆を依頼する。それが『苦海浄土』のプロトタイプ『海と空のあいだに』であり、「熊本風土記」に連載される。

石牟礼は渡辺を心許せる人と感じ、しばしば熊本を訪れ、渡辺と会って話し、月刊誌の普及・販売に協力している。

『海と空のあいだに』は「熊本風土記」第11号まで8回連載され、1966年に第12号で雑誌は休刊になったため、未定稿で終わっている。

石牟礼は『海と空のあいだに』を単行本として出版し、印税を得たいとの希望を持ち、支払いが確実な出版社の紹介を東京の知人上野英信に依頼し、1967年講談社との契約を結ぶ。この間、単行本の原稿感性のほか、「朝日ジャーナル」の原稿執筆、ライフワークとした女性史研究者高群逸江の評伝準備と石牟礼は多忙を極め、渡辺とは手紙の往復はあっても会うことができなかった。

出版に当たって本の題名の変更を講談社から要求され、本人は乗り気でなかったが、夫と上野の協議で『苦海浄土』に決定する。

このように、石牟礼に寄り添って『海と空のあいだに』を進めてきた渡辺は、単行本化に際しては蚊帳の外に置かれる。石牟礼の事後報告兼詫び状には、いささか鼻白んだ返事を出している。

著者の米本は。日記や書簡に記されたことに基づいて、二人の内面に立ち入り、その人間性を描写している。著名な文化人と石牟礼との交流のエピソードも興味深い。

しかし、わたしがもっとも興味を感じたのは、石牟礼と渡辺の関係性である。

二人ともそれぞれ連れ合いがあり、子供がいる。一方、二人の間には生涯を貫く「愛」があった。では、彼らにとって家庭とはなんであったのか。著者にはその点をもっと掘り下げて欲しかった。

渡辺は書簡の中で、はっきりと石牟礼への愛を告白している。石牟礼は渡辺夫人のことを慮った言葉を手紙に記し、彼に対する愛をカムフラージュしているが、夫人は別にして、渡辺と自分以外の女性との関係にはやきもちを焼いている。

この「愛」をなんと呼ぶべきだろうか。米本は別の著書で「魂の邂逅」と呼びそれを浄化している。

本書は石牟礼道子(2018年)、渡辺京二(2022年)の死後に出版されている。後事を託された米本にとって、この本は二人への挽歌というべきであろう。

わたしにとっては、石牟礼道子、渡辺京二というこれまで描いていた人物像の深奥を垣間見せてくれた、興味深い本だった。

 

STOP WAR!

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

選挙公報

2024-10-23 19:45:39 | 日記

選 挙 公 報

聞の折り込み広告にはさまって、選挙公報が届いた。

ところが小選挙区の公報が、隣の茨城県第6区のもので、わたしの選挙区第3区のものではない。

新聞販売店に問い合わせたところ、「折込み業者」から配られたものを新聞にはさんでいるので、内容には関知していないという。

阿見町役場に問いあわせたところ、選挙管理委員会の係りの人が応対してくれた。

事情を説明すると、「選挙管理委員会は折り込み業者に公報の配布を委託しているが、そういうことが起きているとは知らなかった。重大な問題なので、調査して善処するようにしたい。」と、知らせたことに感謝された。

選挙公報は、以前は町内会を通して全戸に配られていたが、いつの間にか新聞にはさまれるようになった。新聞店の配達区域と、選挙区の線引きとは入り組んでいるから、よほど注意しないとこういうことが起きる。

ネットで調べてみると、選挙公報は投票日の2日前までに全所帯に配布することが法で定められていることが分かった。しかし、これを完全に実施するのは、人手と予算の不足があってなかなか大変らしい。

ネット上には、選挙公報が届かないというクレームが結構多くみられる。期日前投票に行くのに公報が届いていないというのが一番多い。これは、立候補届け締め切りまで公報の印刷を待たなければならないという事情があるらしい。

人手不足のため、新聞の折り込みが認められるようになったが、新聞をとらない所帯には公報が届かないことになり、その方法をとっている自治体も例えばポスティング業者に依頼して全戸配布をと試みても、業者が見つからなかったり、費用の点で折り合いがつかなかったりで、頓挫しているところが結構あるようだ。

2022年7月1日付の朝日新聞デジタルによれば、2021年の衆議院選挙の際、郵便による公報各戸配布が794自治体、自治会経由が516自治体、新聞折込みが472自治体で、そのほかにシルバーや業者への委託があるとのことである(総務省選挙課調査)。

インターネット上に公報を載せるという案もあったが、悪用される恐れがあるとして、東日本大地震の時に被災地域の選挙公報をネットで流したことがあったが、踏み切れないらしい。スマホを使って投票すれば若者の投票率がもっと上がるのにという意見もあるらしいが、同様の理由で実施されそうもない、法律というのは人間性悪説に則っているということか。

とにかく、公報がどのくらい読まれるかは別にして、配布にはしかるべき予算措置を講じて、全所帯配布を目指すべきである。投票率の向上にもつながるように思うが。

サフラン

昨年はこの場所で栽培されていた。土中に残った球根から育ったものだろう。土浦市の路傍にて撮影

 

STOP WAR!

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伝統の対決

2024-10-21 20:33:14 | 日記

伝統の対決

ドジャースがメッツを破ってワールドシリーズ進出を決めた。

MLBのポストシーズンが、これほど日本人の関心を集めたのはかつてなかったのではないか。

おりしも衆議院選挙を控えているが、関心はドジャースの試合により多く注がれていたと思う。困ったことではあるが、かくいうわたしも政見放送が始まるとテレビを消すかチャンネルを変えるが、MLBの方は試合が終わるまで観てしまう。

千賀投手には悪いが、翔君のドジャースがシリーズに進出して喜んでいる人が多いのではなかろうか。

ヤンキース対ドジャース。伝統の一戦である。かつてはニューヨークの野球フアンを二分した両チームだが、今は東海岸・西海岸の対決となっている。

これまでの戦績はヤンキースの8勝3敗。さて今度はどうなるか。

ワクワクしてその日を待っている。

 

エノコログサ

ネコジャラシとも呼ばれる。アワの祖先種で、中国で約1万年前にアワとして作物化されたとされるが、エノコログサ自体も食用に供されていた。

雑草としてのエノコログサの穀粒は不消化なので、動物に食されると糞と一緒にばらまかれて繁殖する。

わたしはこの草が愛嬌があって好きだ。

天使の梯子

自宅ベランダより撮影

 

STOP WAR!

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エモイ

2024-10-20 19:10:11 | 日記

エ モ イ

先週金曜日にNHKBS1から放映された『クラシックTV』は。音楽における「エモイ」がテーマだった。

番組のアシスタント鈴木愛理さんをMCにして、ホストの清塚信也さん、ゲストの音楽家富貴晴美さん、同じく江崎文武さんの三人が、「エモイ」とはどういうことかを話し合った。

わたしはこの言葉を聞いたことがあるような気がするが、何のことかわからなかった。語感からするとダサイと同じように感じるのだが、無知から来る誤解であった。

番組の冒頭に、「エモイとは感情が揺さぶられてなんとも言い表せられない気持ちになること」が辞書にある定義として紹介され、辞書なのに「何も言い表せない」とは何事かというクレームがつけられた。

番組が終わった後、ネット上で「エモイ」について検索したが、ChatGPTの回答が簡にして要を得ていたので、紹介する。なお、この言葉は2010年代の中ごろから使い始められたらしい。

「エモい」という言葉は、日本のインターネットスラングで、「感情的な」「感動的な」「心を揺さぶる」という意味で使われます。「エモい」は、英語の「emotional」(感情的な)を縮めた「エモ」から派生しています。

この言葉は、音楽や映画、アートなどの作品が強く感情に訴えかけるときや、特定の状況や光景が感動的で心に響くと感じたときに使われます。例えば、青春ドラマやノスタルジックな風景を見たときに「エモい」と表現することが多いです。

もともとは音楽のジャンル「エモ」(Emo)に由来しており、感情表現の豊かな音楽を指して使われていましたが、徐々にその意味が広がり、日常的な感情を揺さぶるもの全般に使われるようになりました。

(註:エモはメロディアスで感情的な音楽性、そしてしばしば心情を吐露するような歌詞によって特徴付けられるロック・ミュージックの1スタイルである。―Wikipedia―)

番組では「エモイ」曲について議論し、「エモイ」に込められた感情を言葉として表現しようとしていたが、個人によって受け止め方が異なり、結局冒頭の辞書における定義を超えることはできなかった。

番組中で引用された曲で知っていたのは、『もう恋なんてしたくない』、『木星』の2曲だけだったが、最後に出演者3人のピアノ連弾による『カノン』を聴いて、「エモイ」がなんとなくわかったような気がした。

感情や感慨を表現する言葉はたくさんあるが、そのうちのいくつかは歴史的に見れば新しく登場し、それが共通了解事項として定着してきたのだろう。

「エモイ」も包括的な感情を表現する便利なとして定着し、辞書に登録されていくのだろう。

わたしは自身は「エモイ」を使うのにはいささか面映ゆい気がする。

 

光害 再度

今日の朝日新聞「The Globe」に光害についての記事が載っていた。

光害については、2013年4月19日のこのブログに書いたが、今日の記事で新しく知ったことを紹介する。

  1. 太陽光を反射する人工衛星からの光が、天体望遠鏡による星の観察を困難にしている。星を撮影するためにシャッターを一定時間開放すると、人工衛星の軌跡が縞模様になって撮影される。
  2. このまま人工衛星が増加すると、2030年には夜空の明るさが250%増加し、約半数の星が視界から消える可能性がある。2013年に、ロシアの上空で小惑星が爆発し、衝撃波で1500人がけがをしたが、こうした小惑星の観察が困難になる。現在無秩序に打ち上げられている人工衛星の世界的な管理が必要である。
  3. 光害に取り組んでいるNPO国際ダークスカイ協会は、世界的に星空保護区の設置と認定を進めている。岡山県井原市美星町では、市に合併される以前からあった光害防止条例を維持し、夜間照明の制限や、照明漏れの少ない器具の設置などを進め、2021年に保護区に認定された。世界では200カ所以上が認定され、日本では美星以外に3カ所が認定され、1カ所が認定に向け準備中である。

われわれは明るさを豊かさの象徴として利用してきた。しかし、人工的な光が地球上の生態系や人間の健康に干渉するだけでなく、宇宙空間まで影響を及ぼしていることに思いを致すべきだろう。

 

STOP WAR!

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西田敏行さん逝く

2024-10-18 21:12:43 | 日記

西田敏行さん逝く

俳優の西田敏行さんが亡くなった。

この名優の死を悼んで、新聞・テレビは特集記事・番組を組んでいる。いずれも幅広い演技、あたたかな人柄をしのんでいる。

西田さんが出演した映画やテレビ番組はたくさん見たが、あえて印象に残ったものを選べば、『敦煌』で演じた朱王令、『ドクターX』の蛭間重勝病院長をあげよう。対照的な役柄を巧みに演じ分け、しかもそこに「西田敏行あり」を嫌みなく印象づけいた。

彼が歌った『もしもピアノが弾けたなら』は、カラオケでよく歌わせてもらった。難しい歌だった。

享年76歳。わたしより一回り下の子年だった。まだ若いのに残念だ。

このところ、声優の大山のぶ代さん、絵本作家の中川李枝子さんと訃報が続いている。「ドラえもん」も「ぐりとぐら」も、子供たちが大好きだった。

皆様のご冥福を祈ります。

 

こころ旅再開

火野正平さんの病気で休止していたNHKBSの『にっぽん縦断こころ旅』が、ピンチヒッターを立てて再開した。

第一週は俳優の柄本明さんが長野県を旅した。

火野さんに比べると足元がやや心細く、自転車もアシスト付を使っていた。

長野市から出発して、安曇野、伊那谷と信濃路を南下した。安曇野では出発点が穂高川のほとりにある「早春賦の歌碑」で、以前高校陸上部の仲間とここを訪ね、『早春賦』を一緒に歌ったことを思い出した。

北信の飯綱町、伊那谷の箕輪湖、飯田市の坐光寺麻績はいずれも行ったことのないところで、麻績という地名が松本平だけでなく、伊那谷にもあるとは知らなかった。

柄本さんは、一日目はかなり緊張してちょっとたどたどしかったが、四日目になるとすっかり落ち着いていい雰囲気を出していた。一週間で交代してしまうのが残念である。

 

STOP WAR!

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「人新世」いつから?

2024-10-17 19:42:51 | 日記

「人新世」いつから?

10月15日付けの朝日新聞デジタル版に、桜井太郎記者による『人間が地球を圧倒し始めたのはいつ? 地層記録を7700年分みた』と題する記事が載っていた。

人新世(ジンシンセイ、またはヒトシンセイ、Anthropocene)とは、人類の活動が地球環境や生態系に重大な影響を与え始めた時代を指す地質学的な概念とわたしは理解している。

この言葉はよく使われているので、人類はすでに新しい地質時代にいるのかとわたしは思っていた。ところが、公式には「人新世」はまだ認められておらず。われわれは最終氷期が終わった約1万2千年前に始まった「完新世」にいることになっているらしい。

「人新世」が認められない大きな理由は、始まった時期がはっきりしないことにあるという。その始まった時期を特定した研究がこの記事で紹介されている。

愛媛大、東京大、京都大などが参加する日豪の研究チームは、世界の137地点での地層記録などを過去7700年間にさかのぼって人の影響を示す痕跡を調べ、第二次世界大戦後間もなくの1952-3年が「人新世」の始まりである証拠を得たとしている。

研究チームは, プルトニウムやウランなど核実験由来の放射能汚染・PCBや鉛、球状微粒炭、マイクロプラスチックなどの環境汚染・温室効果ガスの濃度など約140項目について、世界137カ所の湖沼や海の堆積物、サンゴ、極地のアイスコア、樹木の年輪など338の環境・生物の記録を過去7700年間にさかのぼって人の影響を示す痕跡を調べ、過去前例のない急増が1952年ごろ(1948~1953年)を境に始まることを見いだした。そして、この時期に人間が様々な自然プロセスやサイクルに急速な変化をもたらし、地球システムを圧倒する力を持ち始めた、としている。

(研究結果は米科学アカデミー紀要に掲載され、次のウェブサイトから読むことができる。https://www.pnas.org/doi/full/10.1073/pnas.2313098121

この結果を聞いて、そんなに早い時期から、そんなに遅く、という相矛盾した感想をわたしは抱いた。

「そんなに遅く」という感想は、産業革命が「人新世」の始まるきっかけになっていなかったということから来ている。

「そんなに早い時期から」は、1952年が経済発展が特異的に早まった時期ではないのに、と感じるからである。

1952年といえばわたしの高校時代で、まだ戦後の香りがいっぱい残っていて、1972年のローマクラブによる「成長の限界」に示される経済活動の地球環境への負荷の問題は、社会的な問題にはなっていなかったように思う。

人類が地球環境への干渉を強めたのは、その問題が顕在化する以前から始まっていたということになる。1952年ころ、人類は産業活動の質に特異的な変化をもたらしたということになるのではなかろうか。

非常に重要な指摘に思える。そのメカニズムの解明によって、生産活動の正のフィードバックにブレーキをかける手段が見つかればいいと思う。

マンションの小公園で

コバナランタナ

タマサンゴ

ニワナズナ

タマスダレ

 

STOP WAR!

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トランボ ハリウッドに最も嫌われた男(映画)

2024-10-15 19:21:34 | 日記

トランボ ハリウッドに最も嫌われた男(映画)

BS1で放映されたものを収録し、ビデオで観た。

2015年に公開されたハリウッド映画。原題は『Trumbo』である。

1940~50年代に吹き荒れた、いわゆるマッカーシー旋風をかいくぐって過ごしたハリウッド脚本家、ダルトン・トランボの半生記である。

1930年代の世界恐慌の中で、アメリカでは共産党員が増加し、第二次世界大戦後さらにその数を増した。

ハリウッドで実力を認められていた脚本家のトランボは1943年に入党し、活動していた。右翼の論客ジョン・ウェインとの論争は世間の耳目を惹く。

共産主義の浸透に危機感を抱いて作られた下院非米活動委員会は、1947年9月トランボら10名の脚本家を召喚し証言させる。この証言を拒否した議会侮辱罪により、トランボは実刑に服することになる。

出所後トランボは業界から徹底的に干され、住んでいた家屋敷も失う。そんな中、温めていた脚本をイアン・M・ハンターに渡し、彼の名前で映画化することを依頼する。それが『ローマの休日』である。

トランボはいろいろな偽名を使って安売りの脚本を濫作し、家計を維持しながら復権を狙う。ブラックリスト10人の一人は、「正義」を忘れたとしてそんなトランボを非難する。

トランボを雇っているプロダクションに、非米活動委員会に同調する映画俳優組合から圧力が加わるが、オーナーは屈服しない。

トランボは温めていた構想を、ロバート・リッチの名前で脚本化し、映画にする。この『黒い牡牛』が1957年のアカデミー賞に輝く。

リッチはトランボだといううわさが広がるが、自身はそれを否定せず、1959年のテレビインタビューでそうであることを公表する。そして、ブラックリスト10人の脚本家への不当な扱いを非難する。

その年、俳優のカーク・ダグラスから映画『スパルタカス』の、オットー・プレミンジャー監督から『栄光への脱出』の脚本をそれぞれ依頼され、ダルトン・トランボの名前で公表される。

これには映画俳優組合から圧力が加わるが、ケネディー大統領が『スパルタカス』を称賛したことで、非米活動委員会への非難が高まることになり、ブラックリスト10人の復権が果たされる。

1970年、トランボは全米脚本家組合から顕彰される。その受賞挨拶で、彼は受難の時代を要旨次のように総括する。

「ブラックリスト10の時代は悪の時代であり、言いたくないことを言わされ、みんなが傷ついた。自分がここに立っているのは、そのことを非難するためではなく、和解するためである。」

重いテーマであるが、監督のジェイ・ローチは歯切れのよいテンポの演出で、娯楽映画に仕上げている。

主演のブライアン・クランストンの熱演、トランボの妻を演じたダイアン・レインの抑えた演技は見事にかみ合っていた。

ジョン・ウェインやカーク・ダグラスを演じる役者が、特徴をうまく表現しているのに感心した。また、『ローマの休日』などの引用された映画に、そんな裏話があったのかと驚いた。

お決まりのようなアメリカン(ハリウッド)・ジャスティスはいささか鼻につくが、観て気持ちの良い映画だった。

 

STOP WAR!

 

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする