羽花山人日記

徒然なるままに

今週の「AERA」から

2024-05-30 20:00:07 | 日記

今週の「AERA」から

清潔感:俳優でモデルの杏さんが今週の「AERA」の表紙を飾り、記事に登場していた。3児の母で、パリと東京を行き来して生活しているとか。相変わらず美しい。

以前スペイン語の教室で、容姿についてだれかを例として説明する課題が出された。わたしは西田敏行さん杏さんを例にし、杏さんについて清潔感があると書いたつもりだったが、スペイン語では「彼女は清潔だ」というぶっきらぼうな表現になっていた。

同僚の日本人はそれで理解したようだが、メキシコ人の先生はさっぱりわからなかったらしい。「風呂に入って清潔になっている」というような風に受け取ったようだ。

杏さんの記事を読んでその話を思い出し、生成AIに相談してみた。

わたしー「彼女は清潔感にあふれて美しい」をスペイン語に訳してください。

Copilot-もちろんです!「彼女は清潔感にあふれた美人だ。」をスペイン語に訳すと、次のようになります:

"Era una chica tan guapa que todo el mundo se volvió para verla pasar."彼女が通り過ぎるとみんなが振り返るような美人だ。山人訳)

わたしー清潔感というスペイン語はないのですか。

Copilot-申し訳ありません、私の前回の回答に誤りがありました。スペイン語において「清潔感」を直接的に表す単語は存在しません。しかし、美しさや清潔さを表現するために他の言葉を使うことはできます。

例えば、「彼女は清潔感にあふれた美人だ。」をスペイン語で表現する場合、以下のような表現が考えられます:

“Era una chica tan hermosa que irradiaba limpieza.”(彼女は清潔さをほとばしらせるようなきれいな女性だ。山人訳)

その国の文化における感覚と言葉の関係を考えると、別な言語へ翻訳するのは難しいと改めて感じた。

生成AIに文学作品の翻訳をさせるにはかなりの対話が必要ではないだろうか。

人間だって生き物だ:シネマ×SDGsというページに、シリル・ディオン監督・共同脚本の『アニマル ぼくたちと動物のこと』という映画が紹介されていた。

16歳のベラとヴィブランという動物保護と気候変動の問題に興味を持っている少女少年が、世界中を旅していろいろな人と対話するところを描いたドキュメンタリーである。機会があれば観たい気がする。

人間嫌いに陥ったベラに、哲学者バティスト・モリゾがいう。

「人間だって生き物だ。動物の保護をしたいと思ったら、人間も保護の対象になる。」

考え込ませる言葉だ。

 

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集合A

2024-05-28 19:39:50 | 日記

集 合 A

久しぶりに東京に出て、友人と碁を打った。

大学時代からの友人で、以前は月に1回神田の学士会館に集まって烏鷺を戦わせていた。この集まり「集合A] と称し、最盛時は10人くらい集まっていたが、メンバーが鬼界に入ったり、体を壊したりして出席が減り、今日は3人だけだった。

「集合」というのは数学用語からの援用らしく、数理経済学が専門の仲間の発案で、賛否を問うたわけではないが定着した。

なんでこの集まりが始まったのか、理由はよくわからない。農学部3号館の中3階に学生自治会の部屋があり、なんとなくそこに出入りして顔なじみになったような気がする。政治的信条や志が同じだからということはないし、そんなことを突き詰めて話したこともない。学科も異なり、趣味もそれぞれである。碁を打たないのも何人かいる。しかし、お互いに信頼できる奴という感じを持っていて、一緒にいると愉快な気分だった。友人とはそういうものではないだろうか。

卒業後、進路を違えた仲間の消息は、直接あるいは間接に耳に入った。結婚式に呼んだり呼ばれたりした。何かあると集まり、わたしがパラグアイに行ったときは歓送会をしてくれた。仲間内の葬式や回忌法要で集まったこともあった。

現役を退いてから定期的に集まるようになり、仲間の一人が務めていた雑誌社の寮が熱海梅園のそばにあり、そこに泊まって飲み、しゃべり、碁を打っていた。その寮が閉鎖になって、以降は学士会館に場所を移すことになった。

コロナで途絶えていた集まりが復活したと思ったら、メンバーに欠員ができて間遠になり、ようやく今日の開催となった。集まる前はなんとなくこれが最後という気分だったが、こだわる必要はなく、気運が盛り上がったらまた、ということで別れた。

しかし実に楽しかった。自身や家族の健康の話が出るが、この仲間でしかできない会話を楽しみ、碁の腕を競った。全敗を覚悟していたが、一つ勝てたのはラッキーだった。

またやりたい。

2016年箱根での集まり。このほかに2人参加したが先に帰って写っていない。

 

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やったぜ!大の里

2024-05-26 20:15:25 | 日記

やったぜ!大の里

わが町二所ノ関部屋の大の里が夏場所で優勝した。

途中逃げる相撲を取ってやや中だるみしたが、親方の𠮟責で立ち直り、真っ向勝負で優勝を勝ち取った。

入幕3場所目にしての優勝、立派である。来場所は大銀杏を結って土俵に上がり、大関をつかみ取れ。

 

残念ダービー!わが姫は力及ばず

満を持しての日本ダービー。

好手ルメールが乗る紅一点のレガレイラに期待をかけたが、わずかに及ばず着外に落ちた。

オッズ39.9倍のダノンデサイル、58歳の騎手横山典弘、人馬一体の見事な走りでゴールを駆け抜けた。見事である。

ただいま厩務員の組合はスト中とか。それに連帯したつもりで馬券の購入額をいつもの5分の3にした。果たしてそれで連帯になったのかどうか。結果損が少なくなった。

 

みっともない!

立憲民主党の国会議員がパーティーを企画し、言い訳を並べていたが、風当たりの強さに軒並み取りやめている。

醜悪以外にいう言葉を知らない。

 

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読書備忘(39)ようこそ!富士山測候所へ

2024-05-25 19:32:07 | 日記

長谷川敦

『ようこそ!富士山測候所へ 日本のてっぺんで科学の最前線に挑む』

旬報社 2023年

 

富士山測候所については、2022年10月9日にこのブログの読書備忘で『富士山測候所のはなし』という本を紹介した。その本の編著者の一人で畏友の土器屋由紀子さんからこの本が送られてきた。

土器屋さんについては前のブログに書いたので省略させてもらう。

前の本は測候所の運営や研究に当たられている方々の執筆で、やや難解のところがあったが、この本の著者の長谷川さんは、巻末の紹介によればフリーライターで、いわば素人である。そして素人の目で資料に当たり、関係者の話を聞き、よく咀嚼して測候所のことをわかりやすく記述されている。読んでいて飽きることなく、一気に最後まで読み通した。

内容は2部に分かれている。

Ⅰ部では富士山測候所の前史から始まって、「NPO法人 富士山測候所を活用する会」の運営による研究が軌道に乗るまで経過、Ⅱ部では現在行われている研究内容のそれぞれが紹介されている。

日本一高い3776メートルの富士山の山頂に測候所を作ろうとする計画の嚆矢は、1895年に野中至という28歳の青年によって放たれた。厳冬の山頂で妻の助けを借りながら気象データを取り続けようとする彼の努力は、過酷な環境条件に阻まれて挫折するが、その志は後輩の気象研究者に受け継がれる。

1932年の国際プロジェクトに合わせて気象庁の「臨時富士山頂観測所」設置され、それを基盤に、何度かの廃止の危機を乗り越えて、1950年委「富士山測候所」が生まれる。

「富士山測候所」には1964年にレーダーが設置され、台風の予測が格段に改善される。それ以前は、伊勢湾台風のように5000人に上る死者が出ていたが、それ以降台風による1000人以上の死者は一回も出ていない。

著者はこうした歴史の中での気象研究者の努力や犠牲、過酷な環境条件の中で建設に当たる技術者の努力を記述するとともに、馬方や強力など地元の人たちの協力への目配りも忘れていない。

しかし、気象衛星などの出現によって、「富士山測候所」はその役割を終え、2004年に無人化される。

測候所はその施設を大気科学の研究者たちにも利用されていた。富士山は孤立峰であり、しかも立錐形で大気科学の研究にはほかにない条件を備えている。測候所の廃止は研究の中止につながる。そこで土器屋さんたちは『富士山高所科学研究会」という50人ほどの組織を立ち上げ、「富士山測候所」の存続を各方面に働きかけ、2007年「NPO法人富士山測候所を活用する会」が気象庁から測候所を借り受ける形で研究を継続することに成功した。

現在測候所は法人によって運営され、公的機関の補助は一切受けていない。(これは全くけしからんことだ。施政者は猛省を!)研究は公募し、利用者の使用料が運営基金になる。コロナ禍で利用者が減り、活動の継続がピンチになったときはクラウドファンディングで寄付を募り、300万円の目標を超える612万円が2週間で集まった。(日本人も捨てたものではない。)

測候所の管理・運営は法人が行っている。高地にはずぶの素人が研究に参加している。事故を起こさないための気配りも必要である。ヒマラヤ登山の経験者がその管理に大事な役を果たしている。2007年から始まって、延べ6000人が利用しているが、事故は一件も起きていない。

測候所の保全・維持、管理運営上の苦労など、貴重な研究をわずかな人員で支えている法人の方々の努力は驚異的ですらある。

Ⅱ部には。「富士山測候所」で実施されている6つの研究が紹介されている。

富士山頂は自由対流圏に位置し、偏西風が吹いている。中国で発生する2酸化炭素や硫黄酸化物、インドで発生するマイクロプラスチックも、測候所で採集する大気で分析できる。国際的な監視の役割を担うことも可能である。

そのほか、地の利を生かした雷の研究、大気中の微生物を核にした水蒸気氷結の研究、高地医学を実践的に登山の技術に応用する研究など、富士山頂だから、あるいは富士山頂でしかできない研究がわかりやすく紹介されている。

それにしても、1立方メートルの大気中に微生物が数十万個いるとか、プラスチックが分解したマイクロプラスチックが血液に入り込んでいるとか、そんな話を聞くとびっくりしたり怖くなったりする。

200ページ足らずの小冊子であるが、実に内容豊かで、読み終わって賢くなった気がする。

著者に敬意を表するとともに、「NPO法人富士山測候所を活用する会」の皆さんにエールを送りたい。

 

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関口宏さん(三たび)

2024-05-23 20:10:55 | 日記

関口宏さん(三たび)

今日の朝日新聞『オピニオン&フォーラム』に関口宏さんへのインタビュー記事が載っていた。

このブログでっ関口さんを取り上げるのは3回目である。1回目の時に彼のことを「昼行燈」と悪口を書いて悔いが残ったので、36年半続けた『サンデーモーニング』の司会を降りた時、お詫びを兼ねて感謝の記事を書いた。

今日のインタビュー記事はちょっと面白かった。

インタビューというのは、質問者によって面白さが決まってくる。今日のインタビューアー、朝日新聞編集委員の高橋純子さんはツボを心得ていて、関口さんの本音を引き出していた。

関口さんの言葉からいくつか拾い、感想を蛇足で述べる。

 「政治や行政をつかさどる人たちに『刺さる』番組をつくる方が、気分はいいかもしれない。でも、テレビがやらなければならないのは社会を『底上げ』すること。おじいちゃんもおばあちゃんも中学生も、いま何が問題になっているのかを知ろう。何でこうなるのか、みんなで考えよう。それがテレビの使命なんじゃないかと、僕なんかはずっと思ってやってきました」

蛇足:確かに。粋がって批判することで命脈を保とうとするコメンテーターにはうんざりする。

 「表現が難しいけど、ある時から、テレビの中の雰囲気が少し変わりました」

 ――安倍政権の時ですね。

 「ちょっと理屈っぽくなりますが、民放は国の認可をもらわないと電波を使えない。その弱みがある以上はどこかで忖度(そんたく)しなきゃいけなくなる。一方でメディアには権力監視の役割があって、このふたつはどうしたってぶつかる。可能な限りぶつからないように、うちの番組はなるべく真ん中にいようと」

 「そうしたらなんだかある時から、同じようにやっていたはずの番組がズリズリッて移動を始めて、気づいたらうちの番組が『偏向してる』と言われるようになっていた。私は全然偏向しているなんて思っていませんよ。周りが動いたんです」

蛇足:テレビ番組の「中立性」をうまい表現で解説している。自分は動かないが周りが動くというのは、うっかりすると傲慢になるが、彼が言うと説得力がある。わたしなど、世の中の右へのベクトルが強まると、動かないつもりでも引っ張られそうになる。

 ――①大きくて強くて悪いやつにはかみつく②弱い人に寄り添う③日本が再び戦争することに断固あらがう――が関口さんの神髄だとの解説を聞きます。

 「かみつかない」

 ――それはなぜ?

 「同じ土俵に上がることになるから。同じ土俵に上がるから、ケンカになるんです」

 「ケンカ嫌いなんですよ。本当にケンカが嫌い。それが戦争嫌いにもつながっています」

 ――じゃあ大きくて強くて悪いやつにはどうしますか?

 「指摘するだけ。間違っていることは、間違っていると」

蛇足:わたし自身は、若いときは気に入らない奴にはかみつく傾向があったが、同じレベルで対応することのむなしさに、年齢とともに気づくようになった。しかし友人の一人に言わせると、若い時から全く変わっていないそうだ。

後任の膳場さん。コメンテーターとの座席の物理的距離は小さくしたが、大体関口さんを踏襲している。膳場色がそのうち出てくるだろうと期待している。

 

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ルイセンコ

2024-05-21 19:13:31 | 日記

ルイセンコ

昨日の朝日新聞21面に、1978年5月20日の『天声人語』が再掲されていて、その中に「ソ連水爆の父」と呼ばれ、後に核実験反対を唱え、さらにスターリン体制を批判して弾圧された、ノーベル平和賞受賞者のアンドレイ・サハロフ博士のことが書かれていた。

この記事を読んで、アメリカのロバート・オッペンハイマー博士のことを連想すると同時に、一人のソ連似非科学者トロフィム・ルイセンコを思い出していた。

ルイセンコの名前を知っている人はもう少ないだろう。地方の農業試験場技師だったルイセンコは、春コムギの種子を低温処理する「ヤロビザツィア」と称する農法によって増収を得たということから英雄的に評価され、スターリンの支持を得て出世し、1965年に失脚するまで30年以上にわたってソ連科学アカデミー、ソ連農業科学アカデミーを牛耳って、3千人に及ぶ遺伝学者を弾圧した。

詳細は成書*に譲るが、「ルイセンコ学説」と称するものは、既存の伝統的遺伝学を「ブルジョア遺伝学」あるいは「ファシズム遺伝学」と決めつけて否定し、獲得形質の遺伝を主張するものであった。科学的根拠を欠く捏造されたデータに基づく彼の「理論」は、ソ連や共産圏において農業生産の停滞を招いた。

この理論にわたしが触れたのは、大学3年生の時だった。当時コミンテルンの影響下にあった前衛党のメンバーあるいはシンパの研究者が、「ルイセンコ遺伝学」に基づく理論を喧伝し、研究していた。学生サークルの交流会「全国農学ゼミナール」でも分科会が設けられていた。

わたしは文献を読み、研究報告を聞き、伝統的遺伝学者とルイセンコ遺伝学者の間の公開討論を聴いたが、どうしてもこの理論に納得できなかった。唯一それらしい実験結果は接ぎ木による接ぎ穂への台木の遺伝的影響で、「ルイセンコ遺伝学」の錦の御旗とされていたが、これとてもナス科の植物に限られ、環境による遺伝変異を実証するものとは思えなかった。(「接ぎ木雑種」による変異は、後に台木のDNAによる一種の形質転換で説明されている。)

「ルイセンコ遺伝学」は、ソ連におけるルイセンコの失墜、DNAの発見などによる伝統的遺伝学の進展などによって、急速に忘れ去られていった。わたしが納得できなかったのは、この似非学説を信奉し、喧伝していた研究者が誰一人として自己の過ちを認めないままに、遺伝学や育種学に「復帰」したことである。

政治的な「権威」によっていかに科学がゆがめられるか、党派などに属して教条を信奉することによって科学者の良心がいかに曇らされるか、学部から大学院に至る過程でそれを目の当たりにすることができ、わたしは貴重な経験を得たと思う。

そして、「ルイセンコ理論」をめぐる状況が、水俣病のような公害の問題、放射能汚染の問題などにみられるように、現在においても姿形を変えて存在していることに注意を払う必要がある。

科学的ということは、疑ってかかることを前提にする必要があるのではないだろうか。

2012年サンクトペテルブルクにて撮影

ソ連近代遺伝学の父、ニコライ・ヴァヴィロフ博士は、ルイセンコ一派によって1940年に農業科学アカデミー総裁の位置を追われ、シベリアに送られて1943年獄中で凍死した。世界中の遺伝学者、生物学者は深い哀悼の意を示し、ソ連に抗議した。彼の名前を冠したニコライ・ヴァヴィロフ記念全ロシア植物栽培研究所の玄関には、ヴァヴィロフ博士のレリーフが飾られている。

 

*ルイセンコ論争については何冊か読んだが、次の二つが優れていると思う。

中村禎里『日本のルイセンコ論争』みすず書房 1997年

ジョレス・A・メドヴェージェフ『ルイセンコ学説の興亡』 河出書房新社 1971

 

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癒しのコンサート

2024-05-19 19:41:47 | 日記

癒しのコンサート

牛久市で開かれた『飯田朋子60周年記念癒しのコンサート』に行ってきた。

主催者の飯田朋子さんは地元で活躍されているジャズピアニストで、緩和ケア病棟で音楽療法もされている。カミさんとは何年か前から手紙と電話で交流があり、出かけることにした。

会場は地元ファンで満席。朋子さんは娘のクラシックピアニストの薫子さん、ヴァイオリンとバンドネオン二刀流の啼鵬さんとともに、MCを兼ねながら約20曲、映画音楽を中心に演奏した。

大部分がなじみの曲で、『ひまわり』、『エデンの東』、『太陽がいっぱい』など、コカリナで吹いている曲もあり、肩の凝らないコンサートで、楽しい2時間を過ごした。

79歳の60周年。70周年目指してがんばれ!

 

今日の朝日新聞から

野蛮国?:日本人の女性ペアがカナダへの亡命が認められた。日本では同性婚者に対して差別や迫害があるとされたらしい。わが国は野蛮国か。ショック!

草笛光子さん:ご自身も90歳で、映画『九十歳何がめでたい』に主演されるそうだ。これが生涯初めての主演というから意外だ。光子さん曰く「何でも自分で面白がることが大事。わたしの良いところは何でも楽しめるところ。心は若いの。」そうありたい。

チューリップ:「とりどりの自由謳へやチューリップ(朝日俳壇から 長崎県波佐見町 川辺酸模様)近藤富子・井上武士作詞のチューリップの歌、「どの花みてもきれいだな」の歌詞には、人間に優劣はないとの思いが込められているとか。

オランダキューケンホフ公園にて2019年4月撮影

 

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長谷川宏さん

2024-05-17 20:31:02 | 日記

長谷川宏さん

朝日新聞今回の「語る 人生の贈りもの」は、在野の哲学者長谷川宏さんを取り上げていた。

長谷川さんは1960年代末から70年代にかけての大学の激動期に、東大全共闘の重鎮として活動されていたことを知っている。

全共闘と称する集団は、ノンセクトあるいはノンポリの学生が接着剤になって党派が取りこまれたような集団で、全共闘運動が沈静化するとともにノンセクトの学生は個に分散して生き方を模索し、それに伴って党派は党派としてそれぞれに分かれていくという経過をたどったように思う。

当時の運動についていろいろな総括を聞くが、あまり意味がないように感じる。むしろ、当時の思想・行動をどう自己に反映させて生きていくか、当時の状況に関しては個としての自己の総括しかなしえないのではないかと思う。その意味で、14回にわたる長谷川さんの語りはわたしにとって意義深いものであった。

長谷川さんは当時文学部の大学院生で、ノンセクトの立場で運動に参加されていたと記憶している。「人生の贈りもの」に記載されているが、運動の後大学には一切戻らないというけじめを自分に課し、在野の哲学者としての立場を貫いている。

学習塾を経営してたつきを立て、市井人・家庭人として暮らしながら読書会を組織し市民と交流している。在野の哲学者として矜持を持ち続け、難解な哲学書の翻訳で国際的にも高い評価を受け、大部の『日本精神史』を上梓する。

その生き方に「すごいなあ」と感心しつつ、どこかほっとしたものをわたしは感じている。

最終回で、長谷川さんは「最近気にかかるのは、出版界がわかりやすさばかり追っているように見えること、-----読者を甘く見ないほうがいい。」と言っている。なるほどと思う。

かといって『日本精神史』に取り掛かる勇気はない。数多い著書の中では何とか取り付けそうな『幸福とは何か』を読んでみようかなと思っている。

 

鉢植えのサトザクラ

カミさんの友達が写真を送ってくれた。

母の日に息子さんから贈られたとか。

 

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詐欺に遭う

2024-05-15 18:59:47 | 日記

詐欺に遭う

新しいパソコンへの引っ越しがほぼ終わり、ブログも投稿できるようになった。それはそれでよかったのだが、その途中で詐欺にひっかかりそうになった。

ブログのページを開けていた時、「開くの文字があるボタンが画面に飛び込んできて、うっかりクリックしてしまった。

「Microsoft・Security」のロゴらしきものが入ったページが画面を被い、このパソコンが危険にさらされているので、下記に電話をせよとの指示が書かれていた。あやしげなのでそのページ閉じようとしたが、にっちもさっちも行かない。(ここで{Ctrl}{ALT}{Delete}を押して画面を消すことができたのにと後悔している。)

やむなく書かれている番号にダイヤルしたところ、外国人なまりの日本語を話す人物が出てきて、指示通りにパソコンを操作するように言われた。その通りにしていると、画面のポインターが勝手に動き出し、電話の男はパソコンの検査の結果ハッカーに入り込まれて危険な状態にあるので、こちらで修復する。ついては、銀行口座に被害が出えていないか確認してくれと指示された。

ネットバンキングの暗証番号をこういう状態で入れることはできないというと、自分を信用してほしいといって、顔写真や肩書や履歴が入ったページが示された。

そこまでいうならと、暗証番号を入れ、口座残高に異常がないことを確認した。

次に、これからパソコンの修理を行うからと、メニューらしきものが示され、修理だけなら4万円、5年保証なら5万円、永久に保証なら10万円というような料金が書いてあった。

とりあえず4万円コースを頼んだところ。コンビニで4万円のカードを買ってくるように言われ、買い方まで細かく教えられた。

ここに至ってやっぱり詐欺だと考え、カミさんの助言もあってその段階で接触を打ち切ると先方に伝えたところ、もう修理を始めていて料金が発生しているので、払わないなら警察に連絡して40万円の請求が行くなどなど、懇願と脅迫をまじえた文句が連ねられた。

電話を切り、相手の妨害をかいくぐってパソコンの電源をオフにした結果事なきを得た。

ネットバンキングの暗証番号をすぐに変え、警察に電話して経過を説明した。係りの人の話では、マイクロソフトを名乗る同様の詐欺が頻発しているとのことである。

後で気がついたが、相手の電話番号はアメリカのものだった。その後、非通知の電話が数回かかってきたが、一切応対しないでいる。今のところ異常はない。

詐欺もいろいろと手が込むようになったものだ。桑原くわばら。

 

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心の会

2024-05-13 21:10:44 | 日記

 

心 の 会

心の会の集まりに行ってきた。コロナに隔てられてZoomで集まっていたので、5年ぶりの顔合わせだった。

50年来の旧知の仲間。会場が「心」という喫茶店だったのでこの名前がついた。

「心」が閉じていたので、今回は東京本郷4丁目にある「OGo's CAFE KIKUZAKA」という喫茶店が会場だった。

雨中だったが、久しぶりに東大の構内を散歩して会場に向かった。

古巣の東大農学部1号館

安田講堂裏手の理学部の建物が目障り

安田講堂前の楠は依然として元気だった

昭和一桁生まれを筆頭に、平均年齢は80歳を超えるが、7人のメンバー全員が集まった。

アルツハイマーの研究をしている人、労働環境問題に取り組んでいる人から、それぞれ興味深い話を聞き、共通の知人の新著などうわさ話に花が咲き、あっという間の3時間だった。楽しかった。

話題の一つに、毒ガス兵器は存在が許されないことになっているのに、それよりはるかに危険な核兵器は何故存在し、その使用が検討の対象になるのか、というのがあった。毒よりももっとまがまがしい名前をつけたらどうかという意見が出た。はて?

会場の喫茶店はハワイアンモードで、店内にはハワイの州旗が飾られ、大型テレビには現地のフラダンスが映し出されいた。

フラダンスは本来男が踊る闘いの踊りだということをはじめて知った。

次回は12月25日。楽しみである。お互い息災でいよう。

 

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