羽花山人日記

徒然なるままに

うるう年

2024-02-29 19:45:17 | 日記

うるう年

今日は2月29日のうるう日である。

次のうるう年は4年後。果たしてそれに巡り合えるかどうか甚だ怪しいので,うるう日のブログを書けるのはラストチャンスかもしれない。

ということで,ネットで話題を探しながら,急遽駄文を弄することにした。

先ず「うるう」の意味。これは知っていた。「うるう」は漢字で「閏」と書き,暦の上で,平年より日数や月数が一つ多いことをいう。

閏日,閏月というのは知っていたが,閏週というのがあるのは知らなかった。太陽暦で1年を52週・364日と定め,季節とのずれを修正するために閏週を何年かに一度挿入して1年を53週・371日とする。この「週」で「年」を決めるやり方が,どこであるいはどんな場合に使われるかは分からなかった。

閏秒というのもある。平均太陽時と原子時計で計った国際原子時とのずれを調整するために加えたり引いたりされる1秒とのこと,これをまとめた閏分というのもあるらしい。

わたしは生まれた年が1936年のうるう年で,これまでに22回うるう日を経験している。その分だけ長生きしたような気分になる。だが,これはうるう年に生まれたかどうかは関係ない話だと,すぐ気がつく。

昨日のテレビで,気象予報士の平井さんが,2月29日の気象データの平均値は,2月28日と3月1日のデータを足して2で割ったものだと説明していた。なぜ,過去の2月29日のデータの平均値ではいけないのだろうか。標本数が少なくなってデータの信頼性が落ちるということだろうか。ちょっと腑に落ちない。

最後に中学の受験問題を。

【問題】2098年以降で最も早いうるう年は何年ですか?

お受験には,うるう年の決め方まで求められるのか。2100年と答えてひっかかりそうだ。

 

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放射線誘発突然変異

2024-02-28 19:43:55 | 日記

放射線誘発突然変異

今日送られてきた「一般社団法人日本育種学会」のメールに,『突然変異を利用した作物育種の安全性と重要性に関する声明』の案内があり,さっそく読んでみた。ちなみにわたしはこの学会の約70年にわたる会員である。

なお,「声明」は下記WEBサイトサイトで閲覧できる。

突然変異を利用した作物育種の安全性と重要性に関する声明 | 日本育種学会 (jsbreeding.jp)

声明を出したきっかけは,「突然変異に対する誤解に基づく懸念の声がSNSやネット上で散見され」るようになったということである。

そこでまず,「この誤解や懸念の声」をネット上で拾ってみた。

こうした声が上がってきたのは,イオンビームの照射で得られた「カドミウム低吸収」突然変異遺伝子を持つ品種が,例えば秋田県で従来の「あきたこまち」に代わって,「あきたこまちR」として置き換えようとしていることにあるらしい。このほか,「コシヒカリ環1号」という同様の品種が兵庫県などで採用されようとしていて,これにも反対の声が上がっている。

秋田県では鉱山からの排水の影響で,水田土壌中のカドミウム濃度が高く,栽培上の対策を講じてきたが,国際的な基準を満たす意味もあって,「あきたこまちR」には期待するところが大きいという。しかし,反対の声が上がり,農家に不安もみられるので,導入にはモラトリアムを置くことにしたらしい。

理解した範囲での反対理由は,①高線量の放射線をイネに照射することは,イネに障害を与えることで,そんなイネから採れる米は不健全だ,②自然突然変異と放射線による人為突然変異は異なり,未知のタンパク質などが付随するのではないか,➂カドミウム低吸収は同時にマンガンの吸収を少なくし,他の微量要素の欠乏する可能性がある,といったところである。

育種学会の声明を以下に要約する。

突然変異はどれも危険だというものではなく,むしろ生物の進化にとって必要なものである。突然変異を選抜することを通じて,野生植物から作物が生まれ,品種が生まれてきた。

放射線による突然変異と自然突然変異の間には差がない。自然突然変異は低頻度でしか起きないが,放射線や化学物質によってその頻度を高め,利用しようというのが突然変異育種である。

放射線やイオンビームは種子に一回照射するだけで,その後代の植物体や収穫物には放射能は残らない。

放射線による突然変異育種は1950年代から始まり,イネのレイメイ,ナシのゴールド20世紀など,優れた品種が生まれてきた。放射線やイオンビームの照射から生まれた品種は危険だという説は,70年以上にわたって栽培されてきたレイメイやその後代を考えれば,誤解である。

わたしは「声明」の趣旨は了解できる。しかしあえて言えば,欲張りすぎて冗長になっているうらみがある。声明の対象は,いわゆる一般人である。分かりやすく,簡潔にを心がける必要がある。

育種の過程は,検証と選抜である。有害あるいは望ましくない変異を示したものは淘汰される。上に述べた「懸念」①は,よしんばそんなことが起きたとしても,育種の現場はそれを取り除く過程である。また➂は,栄養学上の問題で,カドミウム低吸収生が他の微量要素にどう影響されるか,また,米からの微量要素供給が栄養的にどう評価されるかを説明する必要はあるかもしれない。

放射線と聞くと,何か恐ろしいものと感じる人は多い。それはやむを得ないことで,むしろ必要である。そうした懸念に対しては,無知・誤解と頭から否定するのではなく,丁寧に対応することが肝要で,秋田県が「あきたこまちR」の導入にモラトリアムを置いたのは賢明である。

ネット社会では,思わぬことが流布するものだと改めて感じた。

 

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学生寮

2024-02-26 19:42:49 | 日記

学  生  寮

やや旧聞になるが,京都大学の吉田寮に居住している学生に出した,大学側の退去命令が無効であるとの判決が出て,大学側は控訴せず問題を話し合っていくことにしたらしい。

大学の学生寮は,わたしたちの頃のものとはすっかり様変わりしている。大学在職中に学生寮を新築したのだが,文部科学省の基準でいうと,確か「新々々寮」だったと記憶している。ユニットバス,キッチン,ベッド,デスク,椅子,ロフト付きの個室だった。

今どきの学生には,相部屋形式は敬遠されるらしい。多少寮費が高くても個室が好まれるとのことである。

以前に北海道大学の恵迪寮(けいてきりょう)の様子をテレビで観たが,相部屋形式の自治寮で,昔ながらの蕃風が漂っていた。京都大学の吉田寮は築107年とかで,やはり自治寮で相部屋形式とのこと,わたしのような古い人間は,こうした学生寮が残っていると,どこかほっとした気持ちになる。

わたしは,教養学部時代の2年間を駒場寮で過ごした。布団を担いで,割り当てられた部屋に入った時,床一面に散らかっているゴミと,部屋の薄暗さに,人が住むところかと逃げ出したくなった。住めば都,畳が敷いてある木製のベッドが居住空間で,机,本立てが備え付けられていて,まわりをカーテンらしきもので囲ってプライバシーを保った。

一部屋6人,サークル別になっていて,寮生はどこかのサークルに属さなければならない。人気のあるサークルは3部屋くらいを占領していた。

大学の構内にあるので,授業時間ぎりぎりまで寝ていることができ,教室には素足にゴム草履をはいて出かけた。

完全な自治寮で,寮委員会が管理していたが,寮生の行動にほとんど制限はなかった。コンパの酒の勢いで,ストームと称して徒党を組んで高歌放吟しながら廊下を練り歩いたり,隣の寮に向かって罵り合戦をしたり,適当にフラストレーションを解消していた。

学園祭(駒場祭)の時は寮も解放される。廊下側の窓に,意匠(?)を凝らした飾りつけをし,寮デコと称して覇を競った。

わたしのところは,1年目は不参加,2年目は参加したが理屈っぽい洒落があまり受けなかった。記憶にある寮デコは,可と不可だけが連ねられた成績表(本物である)を飾って「カフカ全集」,五線譜に蜜柑を貼り付けて「未完成交響曲」,当時森永のヒ素入りミルクが問題になっていたのをもじって五線譜に森永の粉ミルク缶を貼り付けて「悲愴交響曲」,ビキニ姿の女性の切り紙の後ろにスルメを配して「エロイカ」など,ひたすら感心した。

70年近く前の話である。貧しいが,楽しい時代だった。

駒場寮は寮生の反対を押し切って撤去され,研究棟が建てられている。

 

寮     歌

学生寮には,旧制時代に作られた寮歌が残っている。一般にはほとんど知られていないが,第三高等学校の寮歌「琵琶湖周航の歌」は,加藤登紀子さんが歌っているので有名だ。

以前に,OBのおじさんたちが集まって,「寮歌祭」というのをやっていたが,旧制高校出身者が少なくなって中止になった。わたしはあの雰囲気にはついていけなかった。

わたしが一番好きな第一高等学校寮歌は「新墾(にいはり)の」。駒場にあった東京大学農学部と,本郷にあった第一高等学校が土地を交換し,学寮も駒場に移った二年目の1937年に作られた。歌詞に「玉杯」のような偉ぶったところがない。今でも時々口ずさんでいる。

 

旧制第一高等学校第47回記念祭寮歌「新治の」

作詞 田中隆行

作曲 服部正雄

新墾の此の丘の上

移り來し二歳(ふたとせ)の春

綠なす真理欣求(まことと)めつゝ

萬巻書索(よろづふみさぐ)るも空し

永久(とこしえ)の昏迷(まよい)抱きて

向陵(おか)を去る日の近きか


追懐(おもひで)

旗薄(はたすすき)野邉に靡きて

片割れの夕月落ちぬ

燦きの星は語らい

微香(ほのかお)る大地(つち)囁けど

玉の緒は繋ぎもあえず

ひたぶるの男の子の苦惱(なやみ)

三(みつ)の城燈(ひ)も消えゆけば

逝きし友そぞろ偲ばる

 以下略

 

梅一輪

阿見町にて2月23日撮影

 

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ウクライナ侵攻から2年

2024-02-24 17:25:19 | 日記

ウクライナ侵攻から2年

ロシアのウクライナへの軍事侵攻から2年が経過し,依然として戦争が継続している。この間に,ガザへのイスラエル軍の侵攻が始まり,胸傷むことに止むことがない。

昨年の今日,わたしは自身の気持ちを次のように表明した。

  1. 武力による領土侵略は断固として認められない。
  2. ロシア軍の侵攻に係る,プーチンおよびロシア施政者,そしてロシア議会の追随者の責任は,徹底的に糾弾されなければならない。
  3. 侵攻に際しての,戦争犯罪行為は断罪されなければならない。
  4. 直ちに停戦し,ことの解決を,例えば国際司法裁判所のような,あるいはもっと強力な権限を付与された第三者に委ねるべきである。
  5. 戦争犠牲者,特にウクライナ人民への支援に協力する。

この立場を改めて確認し,ささやかにせよ人道支援に協力するとともに,ウクライナに平和が戻るまでこの気持ちを持ち続け,祈り続ける。

 

村山富市さん

もと総理大臣村山富市さんが,3月3日に100歳の誕生日を迎えるそうである。めでたいことだ。毀誉褒貶はあるだろうが,彼が閣議決定を経て残した「村山談話」は大きな意味をもっている。侵略戦争と植民地支配についての反省と謝罪の基本姿勢は,歴代内閣の暴走にブレーキをかけている。

村山さんは,首脳サミットに出席した時,議長役のクリントン大統領が記者会見を終わって席に戻る時,襟もとから白い丸首シャツを覗かせながら,「やあ,ごくろうさん,ごくろうさん」と口に出して日本語でねぎらっていた。けれんみなしの堂々たる態度に感心した。

今の政界には,このような人物が見当たらないのが残念だ。

 

孫の作品

海洋プラスチックを警告した孫の作品。ジジ馬鹿のわたしは,いつの間にこんなことができるように成長したのかと,感激しきりである。

 

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AIと和食を語る

2024-02-23 20:10:15 | 日記

AIと和食を語る

 

「和食展」を見たついでに,ChatGPTとおしゃべりをしてみた。言っていることが全部正しいかどうかは確信できないが,考えの整理には役だった。この方結構おしゃべりなので,記事が大分長くなった。お気が向きましたら,どうぞお読みを。

You

和食と和食文化について教えてください。

ChatGPT

もちろんです。和食は日本の伝統的な食文化であり、その特徴は季節の変化を反映した食材の利用、バランスの取れた栄養、見た目や器の美しさ、そして食事の儀式やマナーにあります。

和食の主な食材には、米、魚、海藻、野菜、豆類が含まれます。これらの食材は、季節や地域によって異なる風味や料理法で調理されます。例えば、刺身や寿司のような生の魚、天ぷらや揚げ物、煮物、焼き物、お吸い物など、さまざまな調理法があります。

和食は、そのバランスの取れた栄養で知られています。一般的に、和食には五つの主要な味覚が含まれています。それは甘味、塩味、酸味、苦味、そして旨味です。これらの味を組み合わせることで、料理は豊かな味わいを生み出します。

*旨味の成分を発見したのは日本人である。- 山人

また、和食には食事のマナーや儀式があります。例えば、お茶の点て方や茶道、お盆や正月などの特別な行事における料理の作り方や食べ方などがあります。食事を通じて人々が感謝の気持ちや敬意を表すことも一般的です。

和食文化は、日本の歴史や地域の特性、宗教や季節の変化など、さまざまな要素に影響を受けて発展してきました。そのため、和食は多様性に富んでおり、地域ごとや季節ごとに異なる料理が楽しめます。

 

You

和食と日本食ではイメージするものがちがうように思えるのですが,どうでしょうか。

ChatGPT

和食と日本食は、一般的には同じものを指す場合がありますが、微妙な違いがあります。和食は日本の伝統的な食文化を指し、その特徴は季節の変化を反映した食材の利用やバランスの取れた栄養、食事のマナーや儀式に焦点を当てています。一方、日本食は日本の料理全般を指す広い概念であり、和食だけでなく、洋食や中華料理なども含みます。

つまり、和食は日本の伝統的な食文化や料理法に特化した用語であり、その特徴には和食文化の要素が含まれます。一方、日本食は日本の食文化全体を包括する広い概念であり、和食だけでなく、日本国内外で人気のある多様な料理を含みます。

 

You

例えば,カレーライスやラーメンは,日本食かもしれないが和食ではないと考えていいでしょうか。

ChatGPT

はい、その通りです。カレーライスやラーメンは、日本で非常に人気があり、日本食として広く認知されていますが、和食の伝統的な範囲外にあります。これらの料理は、他の国や文化からの影響を受けて日本で発展しました。例えば、カレーライスはインドやイギリスのカレーに由来し、ラーメンは中国の麺料理に由来します。

和食は、日本固有の伝統的な食文化を指し、季節の変化を反映した食材の利用やバランスの取れた栄養、食事の儀式やマナーを重視します。したがって、カレーライスやラーメンは日本食として位置付けられるものの、和食の伝統的な定義には含まれません。

 

You

すき焼はどうでしょうか。日本人が日本の食材で味付けした日本独特の料理のように思いますが。

ChatGPT

すき焼きは、和食の一種として考えられることが一般的です。すき焼きは、日本の伝統的な料理であり、主に和牛の肉や野菜を甘辛いたれで煮込んだ料理です。この料理は日本国内で非常に人気があり、季節の行事や特別な機会に家庭やレストランで楽しまれます。

すき焼きのたれには、醤油、みりん、砂糖、日本酒などが使われ、これらの調味料は和食に特有のものです。また、すき焼きに使われる具材も日本の食材を中心にしています。したがって、すき焼きは日本の食材と調味料を使用し、日本独自の料理法で調理されるため、和食として分類されることが一般的です。

 

You

和食の「和」という漢字に込められた意味があるように思いますが。

ChatGPT

「和」の漢字には、いくつかの意味がありますが、和食という言葉においては特に重要な意味が含まれています。

  1. 調和・均衡: 「和」は調和や均衡を表すことがあります。和食は、異なる食材や調味料を組み合わせてバランスの取れた料理を作り出すことが特徴です。例えば、五つの味覚(甘味、塩味、酸味、苦味、旨味)を調和させることで、料理に豊かな味わいが生まれます。
  2. 和やかさ・平和: もう一つの重要な意味は、和やかさや平和を表すことです。和食は、食事を通じて家族や友人との絆を深めたり、自然との調和を感じたりする機会を提供します。和食の食事は、共に過ごす時間を大切にする日本の文化や価値観を表しています。

和食という言葉には、これらの意味が含まれており、和食の本質を表現しています。

 

You

「和」には日本を表す意味もありますが,日本人といわずに和人という,日本食といわずに和食という。この違いは何でしょうか。

ChatGPT

ChatGPT

和食は日本の伝統的な食文化を指すため、その名称に「和」という漢字が用いられます。

一方、「和人」という表現には、「和」が日本人を指す場合がありますが、一般的にはあまり使われません。日本人を指す場合、一般的には「日本人」という表現が用いられます。これは、言葉の使われ方や歴史的な背景、文化的な慣習によるものです。

つまり、「和食」という言葉は、日本の伝統的な食文化を表すために「和」が用いられており、その語感から日本独自の食文化であることを強調しています。「和人」という表現は、一般的ではなく、「日本人」という表現がより一般的であると言えます。

 

You

日本人というと日本という国家に属し,和人というと日本の歴史や風土に規定されるように思いますが,どうでしょう。

ChatGPT

おっしゃる通りです。一般的に、「日本人」は国籍や国家に属する個人を指し、その人が日本国民であることを示します。一方、「和人」という表現は、より歴史的な側面や日本の風土、文化的な要素を強調する場合に使用されることがあります。

「和人」は、日本の歴史や伝統、風土に根ざした文化や精神を持つ人々を指す場合に使用されることがあります。この表現は、日本の古い時代や文化的な背景を強調する際に用いられることがありますが、一般的な日常会話や文章ではあまり使われません。

したがって、「日本人」と「和人」は意味や使用法に微妙な違いがあります。前者は国籍や国家に関連し、後者はより歴史的な側面や文化的な要素を強調します。

 

You

大和といわずに日本というようになったのはいつごろでしょうか。

ChatGPT

日本が「大和」と呼ばれていた時代は古代から中世初期にかけてのことでした。一方で、「日本」という名称が使用されるようになったのは、主に7世紀後半から8世紀にかけてのことです。

この時期、日本列島において国家統一が進行し、中国の隋や唐などの国との交流が活発化しました。中国の史書や外交文書において、当時の日本は「倭国(やまとのくに)」と記されていましたが、この「倭」の字には、後に否定的な意味合いが持たれるようになりました。そのため、708年に日本の皇族が使節団を中国に派遣した際、国号を「日本」と名乗ったとされています。その後、この名称が徐々に定着し、やがて日本を指す一般的な名称として使用されるようになりました。

 

You

「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花」という和歌があります。日本人には,大和といって自分の国あるいは自分を誇らしく思うところがあるのではないでしょうか。

ChatGPT

はい、その通りです。和歌の中で表現されているように、「大和」は日本の古い名称であり、日本人にとっては国や文化、歴史への誇りを表す象徴的な言葉として捉えられることがあります。

日本の歴史や文化は長い間独自の発展を遂げてきました。古代から中世にかけての大和時代は、日本の国家形成や文化の基盤が築かれた時代であり、その影響は現代の日本にも受け継がれています。

また、「大和心」という表現は、日本人の心の在り方や価値観を指すことがあります。これは、協調性や謙虚さ、美意識などの日本文化の特徴を指し示す言葉として用いられます。

そのため、多くの日本人は、自らを大和人として誇りを持ち、日本の文化や伝統、歴史に対して深い愛着や尊敬の念を抱くことがあります。

 

 You

ありがとうございました。

ChatGPT

どういたしまして。他に何か質問があれば、いつでもお気軽にどうぞ。

 

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和食展

2024-02-22 19:19:18 | 日記

和  食  展

国立科学博物館で開催されている「和食特別展」に行ってきた。

和食はユネスコの無形文化遺産に登録されていて,今年で10年目になり,その記念の意味もあったようだ。

和食とか和食文化について,一定のイメージはあるが,言葉にしようとすると難しいところもある。わたしが和食の献立で即座にイメージするのは,大根おろしを添えたサンマの塩焼き,香の物,みそ汁,ご飯であろうか。人さまざまであろうし,世代によっても傾向は異なるであろう。

そんなこんなの思いから,管理栄養士の資格を持つカミさんと一緒に出かけてきた。あいにくの雨の日だったが,会場は結構混雑していて,年齢も小学生から私たちのような老人まで多岐にわたっていた。若い人たちが多いのが目立った。

和食を育んだ日本の自然条件,天然あるいは人工の食材,時代に伴う変遷が,文章と模型で丁寧に説明され,なんとなく学園祭の展示物を見るような気分にさせられた。

印象に残ったものをあげてみる。

日本の近海はいろいろな潮流が交差することもあって,魚介類の種類が多いと聞いていたが,イギリス近海の10倍以上,世界的に見ても極めて多く,和食を支えている。

日本人は海藻類を消化する酵素に優れているそうで,牧畜民族は動物乳のラクトースを分解する酵素が成人でも衰えないという話を思い出し,食は進化の要因であるとあらためて感じた。

日本の大根品種の多様性は世界に類を見ないものだが,その模型が展示され,見事だった。巨大な桜島大根,1メートルを超える守口大根など,各地に伝わる在来品種はまさに文化遺産に相当するものだろう。

鮭とサーモンは同じものだと思っていたら,別な種で,猫とチータの類縁関係よりもっと遠縁だそうである。

外食の起源は江戸時代で,蕎麦や鮨の屋台を担いで売り歩いたのが始まりだそうである。落語の「時そば」を思い出した。

歴史的人物に模した献立が模型で展示されていた。歴史とともに献立は豪華になっていた。信長の饗応膳は,明智光秀が用意したものを想定しただろうか。

卑弥呼の食膳

信長の饗応膳(一部)

てんこ盛りの展示で,見終るのに2時間近くを要した。

和食文化のふくらみをあらためて認識し,整理するのにいい勉強になった。欲を言えば,和食器についての解説が欲しかった。

ちょうど昼飯時に外へ出たので,レストランはどこも長蛇の列。喫茶店で,ツナサンドとカフェラテで昼食をすませた。これもすでに和食であろうか。

 

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ドラえもん

2024-02-20 19:27:07 | 日記

ドラえもん

朝日新聞の1面に連載されている『しつもん!ドラえもん』が今日で5000回目を迎え,特集記事が組まれていた。

わたしはほぼ毎日この欄を見ていて,答えが分からなかったり,あやふやだったりするときは,紙面に回答を探している。

今日の出題はドラえもんに登場する人物で,「大雄(ターシュン)」と台湾で呼ばれているのは誰か,という問題だった。字の感じから「ジャイアン」かと思ったら,「のび太」のことだそうである。

中国から来ている留学生が,ドラえもんの漫画を見て,何とか言っていた。ネットでドラえもんの中国での呼称を調べたら,「小叮当(シャオピンイン)」というのがあって,その時聞いた発音がそんなだったと記憶がよみがえった。首に鈴をつけている姿から,そう呼ばれているとのこと

Bingに調べてもらったら,アジアを中心に17カ国で出版され,55カ国でアニメが放映されているそうだ。

『ドラえもん』は,1969年から藤子不二雄名義で連載が開始された,22世紀からやってきたロボットを主人公にした漫画ということで,もう55年を経過している。あと76年したら22世紀で,ドラえもんに会えるかもしれない。孫にしっかり伝えておこう。

わたしが登場人物で一番好きなのが,ジャイアンである。いつものび太をいじめるが,陰湿なものではなく,大らかでお人よしのところが気に行っている。

新幹線で乗り合わせた外国人と,スマホの翻訳アプリを使って会話を楽しみ,その時まさにこれはドラえもんの「ほんやくコンニャク」だと思ったという,東京都の小西幸子さんの体験談が「声」欄に載っていた。

小西さんは漫画にあったドラえもんの秘密兵器が,現実のものになっていくことを期待している。そして,是非「どこでもドア」が実現して欲しいと願っている。わたしも同感である。それにしても,藤子不二雄さんの想像力の豊かさには感嘆する。

同じく「声」欄に,千葉県横山雄二郎さんの,ドラえもんの好物,どら焼きを親子で食べてほっこりする話が出ていた。にわかにどら焼きが食べたくなり,冷凍庫に保存してあった1個のどら焼きを解凍して,カミさんと半分こして食べた。

 

ひな祭りまであと10日

土浦市三中地区公民館にて

 

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読書備忘(34)『豆腐屋の四季』

2024-02-18 19:38:17 | 日記

松下竜一

『豆腐屋の四季 ある青春の記録』講談社文芸文庫 2009年

わたしはこの本のことを,前に紹介した『豆腐の文化史』で知った。ちょうどその時並行して読んでいたのが,やはり前に紹介した『ルイズ―父に貰いし名は』で,その著者が『豆腐の四季』と同じだった偶然に驚き,早速取り寄せて読んだ。

松下竜一さんの名は,環境権裁判などで有名な市民運動家として知っていたが,豆腐屋だったことは知らなかった。

この本は,1968年に私家本として出版され,それを講談社が単行本として1969年に出版し,一旦絶版になったが,2009年に文庫本として再発行され,以来7刷と版を重ねている。

著者の松下竜一さんは1934年に大分県中津市で生まれた。父親は材木商を営んでいたが倒産し,さらに戦後の自宅に好意で同居させていた人物から,家を追い出されることになって,豆腐屋を始めた。

著者19歳の時に,一家の大黒柱だった母親が急逝し,家族は崩壊状態になる。姉一人,弟三人の長男として,家族の立て直しに苦労し,自殺まで考える。その過程での自身の思い,弟たちの行状,父の再婚相手の義母との不仲などが包み隠さず,この著書に述べられている。

自身は豆腐屋を継いで結婚し,姉弟のそれぞれが所を得て落ち着いた1967年11月に,「母に捧げる」としてこの本を書き始め,翌年11月に脱稿している。

松下竜一さんは,1962年から独学で歌を詠み始め,朝日歌壇に投稿して採用され,以降歌壇の常連として新聞に載るようになる。それから約6年間で,延べ209首が朝日歌壇に入選している。

豆腐を納める得意先の長女に恋をし,11歳年下の彼女が高校を卒業するのを待って,1966年に結婚する。この間に,彼女に送った相聞歌を歌集にして冊子を作り,結婚式の出席者への引き出物とする。この歌集『相聞』が10冊余ってしまい,それをだれかもらってくれないかと,妻の洋子さんが朝日新聞に投書する。投書は思わぬ反響を呼び,結局500冊まで増刷することになる。

このことを毎日新聞が大きな記事として取り上げ,テレビにも夫婦で出演させられ,世間の耳目を集めることになる。そして,竜一さんは豆腐屋を営みながら,地元誌のコラムなどに執筆するようになる。

このような経過の中で,本書は執筆されるのだが,以上のことは,すべて著書の中に納められている。

この本をなんと呼ぶべきか。歌集とも,随筆とも呼ぶことができようが,冬・春・夏・秋と四季を追って書かれているのは,著者の魂の言葉である。家族愛,豆腐屋家業の辛さと思い入れ,孤独の中で触れる風物が淡々と書かれ,読む者の心に沁みる。

内容をわたしの言葉で紹介するのは,著者への冒涜のような気がする。代わりに,載せられている松下竜一作歌から,何首か選んで記すことにする。

泥のごときできそこないし豆腐投げ怒れる夜のまだ明けざらん

深夜独りの心おのずと優しくてくどの小蟻ら逃がして点火す

受胎をば医師に確かめ来し妻は今宵乳房が温むと告げぬ

若き日の女工仲間と告ぐる人に母すでに亡しとは告げず別れし

マスプロの豆腐に怯え寂しけど爪剪りて浄き豆腐造らん

みごもりて平和の願い云いそめし妻ははじめての投票を待つ

漁季の来て悲しきまでに魚食ぶる漁村に豆腐売れずなりたり

わが造る絹豆腐よりなお白き雲ひとつ見ゆ夜業の窓ゆ

あぶらげを揚げ継ぐほとり小蜘蛛垂るうるむわが目に夜の糸見えず

虫すだく狭庭(さにわ)の甕に汲む深夜にがりは痛く指傷に沁む

凝(こご)りゆく豆腐待ちつつ佇ちおればかまきり跳び来未明の闇ゆ

瀬に降りん白鷺の群れ舞いており豆腐配りて帰る夜明けを

反戦デモ集えるかたえうつむきて日暮の豆腐積みて急ぎぬ

お七夜を経て帰りくる吾子待つと老いたる父は湯たんぽ沸かす

未だ明けねば胸乳曝けてよきかと問う豆腐作業に汗噴く妻は

1970年,松下さんは豆腐屋を廃業して,物書きに転じ,市民運動に入っていく。この著書は,そうした松下さんの原点を示しているように思える。

なお,『豆腐の文化史』の著者原田信男さんは,『豆腐屋の四季』を,家族経営の豆腐屋のことを記した貴重な資料としている。

良い本に巡り合った。

 

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新聞紙面から

2024-02-16 19:44:56 | 日記

新聞紙面から

句点:今日の天声人語氏は,若者のメール・メッセージに句点がないことを取り上げていた。若者世代は句点を冷たいと感じるそうである。しかも,これは日本だけでなく,他言語圏にも共通することで,日本と同じく,句点は冷たい,権威的,機嫌が悪いなどの印象を与えるそうだ。

子どもと孫のメールを比較したら,圧倒的に孫のメールには句点が少なかった。

ふうん:朝日新聞の一面を飾る『折々のことば』が3000回を迎え,著者の鷲田清一さんがアナウンサーの山根基世さんと対談していた。このコラム,いつも楽しみにして読んでいる。哲学者ならではの視野の広さと,視点に的確さにいつも感心させられる。鷲田さんが一番好きな子供の言葉は,「ふうん」だそうだ。反発するでもなく,受け入れるでもなく,意味が分かっていなくても,なんとなく心にひっかかっているのが「ふうん」。なるほどと思った。

栗原小巻さん:かつて,おじさんたちを「コマキスト」と「サユリスト」に二分した時代があった。かくいうわたしは,コマキストを自認していた。その小巻さんが,朝日新聞の『語る 人生の贈りもの』に登場し,今日でその連載が終わった。彼女の映画やテレビドラマはいくつか観ているが,妙に印象に残っているのが,2007年にTBSから放映された『遠い国から来た男』というドラマ。ブラジルで財を成した仲代達矢扮する男が,服役中に恋人の栗原小巻を奪って結婚した杉浦直樹を訪ねてきて,彼女の返還を要求する。二人の名優が扮する男の間で身もだえする小巻さんの演技が面白かった。ああいう「大人のドラマ」をまた観たいものだ。

わたしはこの連載半生記に登場する知名人の私生活の話を読むのが楽しみだったが,彼女に関しては,徹頭徹尾演技と演劇の話に終始し,私生活を覗かせなかった。残念。まあ,ヴィーナスは神秘のベールに包まれていた方がいいのか。

 

腕のいい仕立屋

前に「モンティ・ホール問題」を引用したスティーヴン・ビンガ―著『人はどこまで合理的か』(草思社)からの小話を一席。

男が注文してあった背広を受け取りに仕立屋にやってきた。

男「袖が長すぎるようだ。」

仕立屋「肘を曲げてみてください。ほらちょうどいい長さになったでしょう。」

男「肘を曲げると,襟が上の方に行ってしまう。」

仕立屋「首を伸ばして頭を後ろに傾けてみてください。ほら大丈夫でしょう。」

男「左の肩の方が高いような気がするが。」

仕立屋「上体を左に傾けてください。ほら両方の肩が同じ高さになった。」

男は不自由な姿勢で店を出た。それを夫婦ものが見て,

妻「あの方体が不自由なのね。お気の毒に。」

夫「だけどあの体形にぴったりの洋服を作るとは,よっぽど腕のいい仕立屋なんだね。」

 

花キャベツ

いずれも阿見町で撮影

 

STOP WAR!

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ブタの臓器

2024-02-14 19:39:55 | 日記

ブタの臓器

昨日の毎日新聞デジタル版,および今日の朝日新聞に,人間に移植できるよう遺伝的に改変されたブタが,日本ではじめて誕生したというニュースが載っていた。

明治大発のベンチャー企業「ポル・メド・テック」が,アメリカのバイオ企業「イージェネシス」から輸入したブタの細胞を用いて,クローンの子ブタを誕生させたということである。

ブタの臓器は人間のものと機能的,形態的に類似しているので,以前から人間への臓器移植が検討されていた。しかし,異なる種の臓器に対しては,免疫的に激しい拒絶反応があり,困難であった。

この臓器提供ブタは,拒絶反応に関係する10個の遺伝子を改変し,さらにブタの器官を導入して生じるリスクを回避するために,50個の遺伝子が働かないように操作されている。

このブタから提供された臓器を用いた「異種移植」はすでににアメリカでは実践され,腎臓移植を受けたカニクイザルは,特に障害を示さず2年以上生存したという実験結果が報告されている。

また,2022年,同じくアメリカで,末期的な心臓病の人に,ブタから提供された心臓が移植され,一時的に症状が改善されたが,2か月後に亡くなったという。免疫機能を極度に抑えたために,しばしば感染症を起こし,死後検査した血液からはブタに感染するウイルスが検出された。

輸入元のポル社のCEO長嶋比呂志明治大学教授は,自身も臓器提供用ブタの開発を目指してきたが,異種移植について日本が立ち遅れないようひとまず輸入の形を取り,サルなどを用いた実験を進めていきたいと述べている。そして,来年には人間に移植する臨床研究を始めたいとしている。

世界的に,臓器提供数は圧倒的に不足していて,ブタの臓器などによる異種移植が期待されている一方,慎重に対処すべきだという声も上がっている。

アメリカの移植例に示されたように,ブタの臓器が存在することによって,本来人間には感染しないウイルスに冒される危険がある。また,人体にあるブタの臓器から出た細胞が,宿主の組織に入り込んで増殖し,ブタとヒトの細胞が混在するキメラが生じる可能性を指摘する人もいる。(キメラとは,一つの個体に遺伝的に異なった細胞や組織が混在する状態をいう。キメラという言葉は怪物を意味するギリシャ語に由来する。)

こうした問題は技術的なことで,いずれにせよ慎重の上に慎重を重ねる必要がある。しかし,それとは別に,わたしには,言葉でうまく説明できないが,何かひっかかることがある。それは,ヒトとブタとの関係,ひいてはヒトと他の生物との関係についてである。

人間にとってのブタは,家畜として食材を提供してくれる存在である。一生を全うさせず,人間の都合によって屠殺する。また,人間はモルモットやマウスなどの実験動物に,様々な改変を加え,利用している。

そうした例を考えると,臓器提供用のブタはことさら問題にする必要が無いようにも思える。しかしこの場合,人間に移植されたブタの臓器は生き続けるわけであり,二つの生命が共存している。この存在形態は,人間の体内にいる微生物の存在形態とは質を異にするように感じる。

家畜としての豚と人間との関係と,臓器提供者としてのブタとヒトとの関係は,何か異なるところがあるような気がする。

臓器移植を待ち望んでいる患者のことを考えると,異種移植を頭から否定することはできないだろう。しかし,そこに生起する,あえて言えば生命倫理的な問題を,検討する必要があるのではないだろうか。

 

バレンタインデー

今日は,コカリナグループ「ひびき」の例会があり,メンバー「黒一点」のわたしは,女性陣のみなさんからチョコレートを頂戴した。ホワイトデーを忘れないようにしなければ。

 

STOP WAR!

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