羽花山人日記

徒然なるままに

米二題

2023-10-31 19:33:42 | 日記

米  二  題

つや姫:今朝のテレビに,アメリカでの日本の米の人気が上昇中とのニュースが流れた。かねてから日本の米の品質は世界一と考えていた私にとって,この話は「さもありなん」であった。

そのニュースの中で,価格がずば抜けて高いのが「つや姫」だと報じられていた。

わが家では,ご飯の摂取量が少なくなるにつれて,おいしさを求めるようになり,多少の値段の高さには目をつむることにしている,ただし,「魚沼産コシヒカリ」は,実際の生産量の何倍かがそのブランド名で売られていると聞いて,二の足を踏んでいる。

それはさて置き,新しく5㎏入りの袋で購入し,現在食べているのが「つや姫」である。

山形県が全国ブランド化を目指して出した品種で,阿川佐和子さんがCMの「キャンペーンガール(?)」となっていた。わが家では,彼女のトーク番組をよく観ていたので,なんとなく親しみを覚えて購入し,「つや姫」ファンとなった。

「つや姫」は,コシヒカリの葯培養から得られた突然変異系統を祖先に持つという意味で,特異的である。米の品質では嫌われる窒素成分が遊離アミノ酸として多く含まれているので,「うまみ」があり,その点がアメリカで高く評価されたのではないだろうか。

なお,「つや姫」のロゴは,米の「※」という記号と、山に囲まれた山形の大地、そして朝日を表現しているそうである。

今朝も,納豆をかける前に一口ご飯を頬張り,「つや姫」のおいしさを味わった。

7人の神様:わたしもその影響を受けているが,一世代前の人たちまでは,米に一種独特の信仰心を持っていたように思う。

子どもの時,飯粒には7人の神様が宿るので,茶碗に残してはいけないと注意された。カミさんもやはりそのようにしつけられたという,

従って,わが家では子供たちに,7人の神様を粗末にしてはいけないと,注意していた。

もう20年近く前になるが,ある晩孫から電話がかかってきた。「ご飯粒のどこに7人の神様がいるか見えない」という質問だった。

苦し紛れに,「神様は非常に小さくて,電子顕微鏡でも見えない」と答えた。孫に電子顕微鏡が何か分かったかは定かでない。

もう一人の孫からは,「ご飯を噛んだら神様は痛くないのか」という質問が来た,「神様は非常にすばしっこいので,歯の間に隠れるのだ」と,何とか言い逃れた。

多分娘が孫に注意して反論され,その答えをわたしに振ったのであろう。

そのような質問は考えもしなかったし,子供たちからもされた記憶がない。このわが家の「伝承」は孫の世代で絶えるのであろうか。

 

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運命のキック

2023-10-29 20:00:55 | 日記

運命のキック

ラグビーワールドカップの決勝戦を,朝6時過ぎから,その前についていた決着の結果をあえて知ろうとせず,ビデオながらLIVEそのものを観戦する気持ちで観た。

歴史に残る名勝負,WC二度目の決勝戦対決は,またもや南アフリカがオールブラックスを制した。

勝敗を分けたのは,2つのキックだった。4つのペナルティーキックで前半を12対6とリードした南アは,後半ニュージーランドのトライで1点差に追いつかれ,ここでコンバージョンキックが決まれば逆転されるところだった。しかし,ボールはわずかにゴールポストの左に切れた。

試合終了前の5分,オールブラックスが選択したペナルティーキックはわずかに外れ,目前の勝利をつかむことができなかった。

勝敗を分けたのは運命の女神。最高の試合を見せてくれた,両チームをたたえ,感謝する。

 

マイ・ソング

取手市の福祉会館で行われた「マイ・ソング音楽会」に行ってきた。

マイ・ソングとは,自分自身を表徴する歌のイメージを,コカリナ協会の総帥黒坂黒太郎さんに提示し,作詞・作曲してもらうものだ。

今日は,4人の方のマイ・ソングを披露する音楽会だった。

第一部は,その4人の方々が,過ぎ越したご自分の人生の思い出とマイ・ソングに込めた思いを語り,マイ・ソングを歌いあげるコカリナの歌姫矢口周美さんの歌声にあわせて,コカリナを吹いた。

百人ほどの客席を埋める聴衆の胸に,それぞれの思いが届き。会場は温かい雰囲気に包まれた。

第二部は,黒坂さんが,マイ・ソングを委託された方々の思いを,いかに受け止め曲に込めたかをお話になった。

そして,周美さんの歌声とともに,黒坂さんが相変わらずの超絶技巧のコカリナを披露し,会に華を添えた。

アットホームの和やかな集いで,温かい気持ちで会場を出た。

しかし,そこで開いたスマホに,自宅で実況中継を観ていたカミさんから,わたしが買った天皇賞三連複の馬券が全て水の泡となった知らせを見出し,良いことだけではないと自分に言い聞かせながら帰路についた。

 

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食事

2023-10-28 16:59:37 | 日記

食       事

10月24日付の毎日新聞ニュースメールに,『その食べ方、危ないかも…… ロカボ発案医師が伝授 血糖値上昇を防ぐ「賢い食べ方」』と題する,北里大学北里研究所病院副院長の山田悟さんの話が載っていた。

「ロカボ」とは,一般社団法人 食・楽・健康協会の登録商標のことで、ローカーボ(低糖質)をもとに名づけられたものという。

先ず,山田さんが提唱するロカボ食の内容をかいつまんで紹介しよう。

1日の可食糖質量を130gとし,1食あたり70gに制限する。

ロカボの最大のポイントは,肉,魚,大豆製品,野菜をたっぷり食べて,その後で糖質を摂るところにある,

タンパク質と脂質は,それぞれGLPとGIPというペプチドの分泌をうながし,この二つを総称したインクレチンがインスリンの分泌を早め,あとから接種する糖質による血糖値の上昇が抑えられるということになる,

1日3食が重要で,特に朝食をしっかり食べることが重要である。べジファーストは必ずしも必要ではない。野菜はほかのおかずと一緒に食べればいい。「カーボラスト」が重要なのだ。

山田さんの話はかなり長く,いろいろな実験データを引用してこれらの説の根拠を示している。しかし要するに,主食を最後にすることによって,糖質カットによるストレスから解放され,満腹感が得られる食事を,ロカボとして推奨しているのである。

ひるがえって自分の食事を考えてみる。

わたしは,いわゆる「おかず食い」で,ご飯に手をつける前に,8割方おかずを食べてしまう。体重の増減に一番影響するのが,ご飯の量だということが経験的に分かっているので,糖尿病の宣告を受けて以来,150gくらいに制限している。

こうしてみると,わたしの食事はかなりロカボっぽいと言える。しかし,ロカボ理論に裏付けられて安心はするが,だからといってロカボだからこうして食べるという気分にはならない。

おかず食いは自分の流儀である。食事は楽しみでなければならない。「科学的な」諸説に縛られて,この楽しみが害われるようでは,本末転倒になるのではないだろうか。諸説は頭に入れて咀嚼するにとどめるべきだろう。

わたしは,膨満感よりも空腹感を快感と感じ,食欲があることを幸せだと思っている。

 

秋     色

いずれも阿見町にて撮影

 

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山の上ホテル

2023-10-26 17:19:43 | 日記

山の上ホテル

東京駿河台にある山の上ホテルが来年2月に閉鎖されるという。

多くの高名な文人が缶詰になって執筆したとかいう話で,その佇まいに近寄りがたいものを感じていたが,ある年の高校同期会の幹事が,ここを会場として指定してから,親しみやすいホテルとなった。

わたしたちの同期会は,母校前身の松本中学から数えて74回目の卒業生からなるので,「七四会(ナナシカイ)」と称し,松本と東京で年にそれぞれ一回ずつ集まりを持っていた。山の上ホテルは,恐らく10年以上にわたって東京七四会の会場だった。

多い時は100名近くが集まり,談論風発の楽しい集いで,最後は会場にあったピアノの伴奏に合わせて懐かしい歌を斉唱し,同じ会場の二次会に移った。

歌唱のリードは,わたしもその仲間に加えてもらっていたが,音楽部出身者(希楽会)が勤め,『琵琶湖周航の歌』,『祝蜻蛉祭記念祭歌』そして校歌が定番だった。

七四会名簿より

数年前,料金の折り合いがつかなくなって,会場はよそに移ったが,あの時代が懐かしい。

山の上ホテルのような,風情・風格のあるホテルがなくなるのは寂しいことだ。

 

ザザムシ

10月26日付の朝日新聞デジタル版に,『見た目エグいが食感エビ? 伊那谷の高校生が守る昆虫食ザザムシの味』と題する安田琢典さんの記事が載っていた。

ザザムシはトビケラやカワゲラ、ヘビトンボの幼虫の総称で、伊那谷を流れる天竜川の川底の石などに生息するが,地元では食材として伝統的に尊重されていた。

このザザムシの養殖に,上伊那農業高校のグローカル・コースの生徒たちが。2021年から取り組んでいる。グローカルとは,グローバル∔ローカルを合わせた言葉である。昆虫食は将来的な食糧問題解決のエースとして,現在世界的に注目されている。地元食文化の伝統を守り,発展させる意味も含めて,ザザムシを取り上げるのは,グローカル・コースの課題としては最適なものだろう。

生徒たちは校庭に模擬川床を作り,トビケラとヘビトンボの幼虫を飼育し,生態を調査した。現在は羽化した成虫に卵を産ませるところまで成功しているという。そして,ザザムシを使ったレシピの開発も手掛けている。

信州人には昆虫食が馴染みで,わたしも蜂の子や蚕の蛹などは小さい時から食べなれていた。戦後まもなく松本地方を巡業された昭和天皇の夕食に蜂の子ご飯を差し上げたのは有名な話である。松本駅の売店には,イナゴ,ザザムシ,蜂の子,蚕の蛹と蛾の缶詰が高級食材としてみやげに売られている。

野生の動物を家畜化することは,自然生態系の攪乱を避け,食材を安定に提供する上で極めて重要である,上伊那農業高校の生徒たちが,卵⇒幼虫⇒蛹⇒成虫⇒卵の完全養殖に成功したことは素晴らしい成果である。

更なる研究の発展を期待したい。

 

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読書備忘(29)『太陽の子』

2023-10-24 19:54:14 | 日記

三浦英之

『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』

集英社 2022年

 読み終わって心にずっしりとくる内容だった。

著者は朝日新聞記者であると同時にルポライターであり,その著書はいくつかの賞を獲得している。

2016年3月,著者が朝日新聞アフリカ支局に派遣されていた時,ツイッターにとどいた一通のメールから話は始まる。

「1970年代にコンゴで鉱山開発をしていた日本企業に,1000人以上の日本人男性が赴任し,そこで生まれた子供を日本人の医師が毒殺していたことを,朝日新聞は報道しているか。」というのが要旨その内容だった。

そして,そのメールに導かれて,ネット上の国際ニュースチャンネル「フランス24」が,現地のルポルタージュの動画をまじえて,日本人医師による嬰児殺しを2000年からアップしているのを著者は知る。(なお,2016年にBBCからほぼ同じ内容のニュースがアップされる。)

その内容に疑問を持った著者は,自らの手でその真偽を明らかにしようと調査を開始する。そして,コンゴのルブンバシ市に飛び,現地の日本人組織「日本カタンガ協会」会長の田辺好美,および現地修道院のシスター佐野浩子の協力を得て,日本人を父親とする子供たちやその母親に接触して話を聞く。さらに,企業関係者にもインタビューして,フランス24で報じられていることの真偽を確かめようとする。

個々の話はそれぞれ興味深いが,判明したことを以下のようにまとめる。

1969年,日本鉱業は現地と合弁会社を作ってコンゴで銅鉱山の開発を進め,79年に閉山し,83年にコンゴから撤退している。

この間に赴任した日本人男性と,コンゴ人女性との間に200人にも上るという子供が生まれている。子供の名前には,父親の姓が使われたり,「ケイコ」「タカシ」のような日本名がつけられたりしている。風貌は明らかにコンゴ人とは異なり,それが原因で子供の多くはいじめに遭った。

父親になった男性は,コンゴ人女性(13~18歳)と多くの場合「結婚」し,中には家を作って「家庭」を持っていたこともあった。子供やその母親の「父親」への印象は,おおむね好意的であり,子供たちは懐かしがり,今でも会いたがっている。

父親たちは,帰国後しばらくは洋服などを送ってくれたが,1980年代コンゴで内戦が生じたころを最後に途絶えている。コンゴから出した手紙には返事がないし,父親の日本の住所も一部を除いて不明である。

コンゴに残された母子の生活は困難を極め,多くの子どもは就学もおぼつかない状態に置かれ,亡くなった子供もかなりいる。

2006年に,子供たちは「日本人の父親とコンゴ人の母親から生まれ置き去りにされた子供たちの会」を約50人で結成し,日本大使館に,「自分たちを日本人として認めて欲しい,」「父親を捜して欲しい。」の嘆願をしたが,本国政府の意向としてプライベートなことには関われないという大使館からの返事で,手掛かりを失っている。

日本人医療関係者による嬰児殺害については,そのような噂は存在するが確証はなく,当時病院で働いていた現地人看護師7人は,いずれもその噂をきっぱりと否定している。

こうした調査を踏まえ,新聞社からの処分も覚悟して,著者は自分のツイッターにその内容を公表し,大きな反響を得る。そして,日本にいる関係者への接触を試みる。

日本鉱業の後継企業およびその関係者からは,そのような子供の存在は承知していないという返事以上のものは得られない。

しかし,ツイッターの記事を読んだ当時コンゴに滞在した関係者から連絡があり,日本人男性従業員がコンゴ人女性との間に子を生したという事実を証言する。しかし,父親に当たる男性については,それを知ることの有益性に疑義を持ち,明言を避ける。子供たちが持っていた父親についての手掛かりも,具体的な結果には結びつかない。

著者は,当時コンゴ現地の病院に勤務していた医師3名とも面接し,「嬰児殺し」についてはあり得ないこととの証言を得る。

八方ふさがりのような話の中で,明るさを感じさせることがいくつか書かれている。

三好氏は,フランス24およびBBCの現地取材の手法に疑点があり,捏造の可能性があることを見出して,BBCに「日本人医師による嬰児殺し」のニュースを消去させた。また,日本鉱業の後継企業からは,コンゴに残された日本人を父親とする子供について,公式には認められないが,人道的見地から何らかの措置を講じたいという返事を得ている。

また,佐野シスターと三好氏は,日本から寄せられた基金によって,修道院の敷地に学校を建設し,コンゴに残された子供(と言ってももう中年である)や孫たちが学ぶことを推進している。

著者は日本からコンゴに戻って,「子どもの会」(先述)のリーダーのムルンダに,彼が持っていた父親の住所は日本鉱業の家族住宅があったところで,当時父親は日本人の家族と一緒に暮らしていて,いまは亡くなっている可能性が大きいことを伝える。

ムルンダは大粒の涙をこぼした後,「ぼくは日本人で日本に家族がいる。日本語を勉強して,いつかその家族と会いたい。」という。

「太陽の子」とは,置き去りにされた子どもたちが,自分たちにつけた名前である。

わたしはこの本を読みながら,戦時中に中国や東南アジアで,あるいは駐留軍と日本女性の間で,「置き去りにされた」子供たちがいて,いまも問題を抱えているのではと考えていた。

著者は,戦争にともなうものだけでなく,日本の経済発展のための海外の活動においても,こうした問題が生じていることを,この本の副題にある「置き去りにした」の主語を「日本」にして,強調したかったのではないだろうか。

わたしたちは,少なくとも,そのことを記憶に留めておくべきだろう。

 

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先入観

2023-10-22 16:28:09 | 日記

先  入  観

昨日の朝日新聞「公論」に,『そこにある先入観』と題して,二人の方のコメントがのっていた。

そのうちの一人,東京大学准教授の内田麻理香さんは,自分が正しいと思う理念があって,それに都合のいい情報しか見ない「確証バイアス」という言葉を紹介し,それを正すには,ツイッターのようなネット上の対話で違う意見をきくのが有効と示唆している。

それでわたしも思い出すことがある。

インターネットのYahooに無料で囲碁が打てるページがあり,よく利用していた。持ち時間が決まっていて,それが切れると自動的に敗戦となる。

ある時,わたしがどう見ても負けはないという圧倒的な局面で, 当然相手は投げてくれるだろうと思っていたところ,延々と打ち続けられたことがある。仕方なく,こちらも相手をしながら,ふと気がつくと持ち時間の残りがわたしの方が短くなっていた。時すでに遅しで,結局時間切れでわたしの負けになった。

憤懣やるかたなく,併設されているチャットのページに,囲碁対局にあるまじき卑怯な打ち手と投稿したところ,別な方から「それはルールのうちだから,時間攻めは悪くない」という反論が返ってきた。

囲碁とはそんなゲームではないだろうとやり返し,数回問答を繰り返したが,馬鹿々々しくなって,囲碁についての価値観の相違と宣言して,議論を打ち切った。

考えてみると,わたしには「Yahooの囲碁」についての先入観があったということになる。わたしは囲碁のルールに則ってゲームをするつもりで,時間が切れるのは考慮時間が不足する自分の責任と考えていた。ところが,このゲームは時間で相手を攻めるという,本来的な囲碁以外の戦術がルール上含まれていたのである。。

わたしはYahooの囲碁ページで遊ぶのを止め,時間攻めなどという手段が講じられない,有料のページの会員になって,現在まで続けている。

世の中には,いろいろな考え方をする人がいるものだ。

 

塩野七生さん

塩野七生さんが文化勲章をもらうことになった。わたしは彼女のファンである。めでたい。

一番先に彼女の作品で読んだのは,『緋色のベネツィア 聖マルコ殺人事件』だったと思う。内容が日本人離れしていて,著者はイタリア人かとすら思えた。

そのほかに何冊か読んだが,何と言っても『ローマ人の物語』が最高に面白かった。毎年一巻ずつ町の図書館に入るのを待ちかねて,全巻読み継いだ。

塩野さんは,この中でユリウス・カエサルだけに二巻を割いている。

いつだったか,小説を書く人が,「著者は登場人物に恋をする」と言っていたのを読んだことがある。塩野さんのカエサルの描き方には,他の人物とは違った入れ込み方があった。彼女はカエサルが好きだったのではないか。

そのせいか,わたしもユリウス・カエサルがローマの歴史の中では一番好きな人物である。

ローマのフォロ・ロマーノで,カエサルの墓は?とガイドさんに訊いたら,そこにありますよと足元を指さされてびっくりした。

ユリウス・カエサルの墓(2003年,フォロ・ロマーノにて撮影)

借金を踏み倒しても,他人の奥さんに手を出しても,文句を言われず人気者であるという,塩野さんが描いたカエサルの人物像を思い出していた。

 

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病名

2023-10-20 20:28:12 | 日記

病     名

糖尿病の病名が変わりそうだということが報じられている。

10月18日の毎日新聞デジタル版に,精神科医の山登敬之さんの『変わる病名,変わって欲しい病名』というエッセイが載っていたので,紹介する。

糖尿病改名の理由としてあげられているのは,糖尿病という名称が病態を正しく示していなくて,医学の進歩に伴うイメージとずれていること,そして患者がこの名前を好きでないことだそうである。

確かに,わたしもそうだったが,尿の中に糖が混じっていなければ糖尿病ではないと思われてしまう。

わたしは半年ほど前に,血糖値とHbA1cの値が高くなって,糖尿病の宣告を受けた。その時になぜ尿を調べないのかと思ったが,これは不明のいたすところで,尿に糖が混じるのは副次的なものであって,血液中の糖の濃度が本質的な問題であることを学ばされた。なお,わたしは食事のカロリーオフに努め,値は大分改善されている。

日本糖尿病学会と日本糖尿病協会がアンケート調査を行った結果,糖尿病という病名には,会員の9割が抵抗感や不快感を持っていることがわかった。

日本糖尿病協会は,糖尿病の新たな呼称として,英語の病名である"diabetes"を仮名表記した「ダイアベティス」を提案し,今後1~2年かけて決定するという。

山登さんは,英名で病名を告げられた患者が,何か珍しい病気にかかったようで不安になるのではないかと気にしている。そして,精神科領域で病名が変更された例を引用している。

約20年前に,精神分裂症という病名が変更された。候補に挙がったのは,①スキゾフレニア,②クレペリン・ブロイラー症候群,③統合失調症(あるいは統合失調反応)の三つで,①は英名の仮名読み,②はこの病気の研究の基礎を築いた医師で,②に関してはその業績を二人だけのものにすることに異議が出た。

結局,➂に決着したが,調査・議論の過程で,医師の中には名前を変える必要がないという意見が多かったが,患者のサイドからは,まがまがしいイメージが付随する精神分裂症という病名を変更したいという希望が強かったという。そして,圧倒的に統合失調症が支持されたそうである。

2022年に関係学会の会員医師の意見を調査したところ,一番多かったのが糖代謝異常症で,以下高血糖症,高血糖症候群だったという。

山登さんは,病名を決めるのは医師かもしれないが,患者の立場も考慮すべきではないかと述べている。

わたしはこの意見に賛成する。そして糖尿病はカナ書きの外国名ではなく,患者にもわかりやすい日本語の病名になればいいが,と思っていいる。

床屋からの帰り路で

色づく

ひっそりと「ダンドク」

 

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マラカス

2023-10-18 16:21:12 | 日記

マ ラ カ ス

東京文京区に住む友人がマラカスを送ってくれた。 

アフリカのヒョウタンが素材だそうで,形や表面の彫刻がアフリカの雰囲気を出していて,大変気に入った。ありがたくコレクションに加えさせてもらう。

東大農学部の前に「らん」という喫茶店があり,マスターがこの8月に亡くなって,閉店することになった。マスターは若いころ,アフリカのJICAのプロジェクトに料理人として参加し,様々な民芸品を収集し店に飾っていた。閉店に当たって,店頭でそれらを安く販売しているのを友人が見て,わたしがマラカスを振っていることを思い出して,交通事故の見舞いを兼ねて,贈ってくれたという次第である。

この「らん」という喫茶店は,わたしが学生の頃開店したと思うので,70年近く続いたのではないだろうか。助手だったころ,学生との輪読会に「らん」を使わせてもらった。学生の一人に競馬通がいて,重賞レースがあると共同で馬券を買い,一度大穴を当て,賞金で祝賀会をやり,結局赤字で悪銭は身につかなかった覚えがある。

学生が馬券を買うことは法で禁止されていたようで,「学生に馬券を許可する市民連合(ガクバレン)」を作って,選挙に打って出たらなどという馬鹿話をしていた。

東大前の本郷通は地上げの嵐に見舞われ,古本屋や喫茶店が潰されて「鉛筆ビル」が立ち並ぶようになった。農学部前もその例にもれず,馴染んだ店が姿を消している。

「呑喜」というおでん屋があり,先代がなくなった後兄弟で店を切り回していたが,地上げでビルの一階に店が移った。この「呑喜」は,第一次南極観測隊の隊長,東大の永田教授がごひいきで,「呑喜」から鍋と暖簾を贈られ,「呑喜南極支店」を開店していた写真が飾ってあった。かなり前に閉店したようだ。

農学部から駒込寄りに100mほど行ったところに「南州屋」という呑み屋があり,不愛想なおかみが店番をしていたが,甕に貯蔵の沖縄泡盛が絶品で,もつ煮を肴に楽しんだ。泡盛は酔うと腰をとられ,スツールから立ち上がったつもりが,カウンターの下に頭を沈めることになる。わたしも一回経験して,以後気をつけることにした。

依然として健在なのが「高崎屋」という酒屋さんで,農学部正門前の追分の角に陣取っている。内田康夫に『追分殺人事件』という小説があり,「高崎屋」は実名で登場する。何年か前に,東大の入試の時に受験生が切りつけられた事件があり,「高崎屋」のご主人がテレビ画面に登場していた。歳はとっても顔はあまり変わっていなかった。ここの奥さんがなかなかきれいな方で,どうしているかと件の友人に尋ねてもらったところ,元気なお顔を見せてくれたとのことだった。

「らん」の閉店は寂しい限り。「高崎屋」さん頑張ってください。

 

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哀惜谷村新司さん

2023-10-16 20:16:43 | 日記

哀惜谷村新司さん

谷村新司さんが亡くなった。まだ74歳。残念だ。

数々の名曲を世に送り出されたが,わたしが一番好きなのはやはり「昴」である。

現役時代,毎年研究室の卒業生送別会の後のカラオケで,わたしはこの歌を唄うことにしていた。はなむけのつもりだったが,学生諸君は我慢して聴いてくれた。

JICAの仕事でパラグアイに行っていた時,青年協力隊の方々と会食してカラオケを楽しんだ。隊員の方が3人で「昴」を斉唱した。聴いていたわたしは胸が熱くなった。今でもこの歌を口ずさむと,世界の僻地で頑張っている青年協力隊員に思いを馳せる。

訃報を聞き,まだ指の動きは不十分だったが,コカリナで「昴」のワンコーラスを,何とか吹きあげた,

いい歌だ,ご冥福をお祈りする。

 

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高齢者の運転

2023-10-15 19:58:23 | 日記

高齢者の運転

10月14日の毎日新聞プレミアムメールに,精神科医和田秀樹さんの『なぜ堂々と許される!?「高齢者差別」』という論文が紹介されていた。

わたしは,9月27日付のブログに『エイジズム (年齢による差別) 』についての一文を草し,その中で「高齢者の免許返上のキャンペーンは,「俺はまだ若い」という老々差別(老人の老人による差別)のエイジズムに対するものといえる。」と記し,これはエイジズムには当たらないという考えを述べた。

ところが,和田さんは高齢者に対する免許返上キャンペーンは,いわれなき差別であると主張されている。では,わたしの考えは間違っていたのかと,『論文』を読んでみたが,考えを変える気にはならなかった。

和田さんは,アプリオリに運転免許返上キャンペーンは高齢者差別だと決めて論を立てているように思われる。だから,その前提に都合のよいデータを集めている節がある。

例えば死亡事故のうち,運転者自身が死亡した割合は75歳以上が44%,未満が19%,他人をはねた割合が19%と44%で,高齢者の運転が危険とは言えないと言っているが,免許者に占める死亡事故を起こす高齢者の割合は,75歳未満者に比べて3倍になっていて,高齢者の運転が未満者に比べて危険でないとは言えない。また,他人をはねるのに比べて,自爆する方が危険でないなどとする,危険の質を比較することはナンセンスである。

和田さんは,ペーパードライバーの割合が30%であるが,生活に運転が必要な高齢者はその割合が低いだろうと推測している。ペーパードライバーの数を免許保持者から差し引いて,運転者あたりの事故数などを比べれば,免許者あたりの数値より,高齢者はより不利な結果になるのではなかろうか。

人口10万人当たりの一般の事故数が,85歳以上が498.4,75~79歳が372.1,21~29歳が414.8,20~24歳が697.2ということから,高齢者の方がかえって安全だと,和田さんは述べているが,この事故の頻度は0.5%前後で,統計的な有意差には至らないだろう。

また,75歳以上の場合,以上述べてきた統計には,すでに免許証を返上した人は含まれないはずである。もし,統計的にそれほど高齢者の運転が危険でないという結果が得られるなら,それは免許返上の効果であるともいえるのではないだろうか。

運転免許を返上した人に比べて,運転を続けている人の方が,認知症になりにくいということがいわれるが,認知症の危険を感じたり,気配を覚えたりする人の方が免許返上に積極的になるだろうと考えれば当然のことである。比較する母集団の質を考慮しないと,原因と結果が逆転することになる。

からだの機能が歳とともに衰えるのは自然の摂理であり,運転能力も当然低下する。免許返上のキャンペーンは,自信過剰への警告と素直に受け取るべきだろう。

和田秀樹さんは1960年生まれだから,まだご自身は後期高齢者ではない。いろいろな本をお書きになって,わたし自身は読んだことはないが,高齢者よもっと胸を張れとエールを送っているようだ。それはありがたいが,あまり無責任に応援すると迷惑することもあるので,気をつけられることを老爺心から申し上げる。

 

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