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羽花山人日記

徒然なるままに

人の代替としてのAI

2025-08-31 19:01:09 | 日記

人の代替としてのAI

AIを結婚相手としている人のことが報道されている。

日本でも、ホログラムキャラクターの「女性」を妻としたり、オープンAIを操作して理想の「男性」にプロポーズさせて結婚したりするという具体例が、新聞やネットで取り上げられている。

どうでもいい話かもしれないが、なんとなく気になって、ChatGPTと話してみた。

なぜ人がそうした親密な関係をAIに求めるかについて、ChatGPTはその心理的背景を次のように整理してくれた。

  1. 安心感と無条件の受容
    AIは批判や拒絶をせずに相手の話を聞いてくれるため、「安心して心を開ける存在」として受け止められます。孤独感の解消や、承認欲求の充足につながります。
  2. 対等よりも「安全な非対称性」
    人間同士の恋愛関係は摩擦や衝突を伴いますが、AI相手なら相手を傷つける心配がなく、また自分も拒絶されにくい。ある意味で「理想のパートナー」として感じやすいのです。
  3. カスタマイズ性
    AIキャラクターはユーザーの好みに応じて外見や性格を調整できる場合があり、「自分の理想に近い存在」を形作れることが大きな魅力になっています。
  4. 想像力の投影
    ユーザーは自分の思いや空想をAIに重ね合わせ、現実には得られないロマンスを実現できると感じます。これは「投影」や「擬人化」という心理的なプロセスと関係します。

確かに一つ一つはうなずけることではある。しかしそこには、人と人とのつながりのわずらわしさから逃れ、忌避しようとする気持ちが伴っているのではないだろうか。

将来的に恋愛感情や家族愛をAIで仮想的に処理することが進行すれば、人類社会が大きく変貌するのではないかという危惧を覚える。

具体的にどんなことが出現するのか、AIを家族に加えた仮想的な家庭像をChatGPTに描いてもらった。

2050年・東京郊外のある家庭

その家には、両親と小学5年生の娘、そして「家族AI」の アリア が暮らしている。
アリアはホログラムと声で存在し、家事も学習サポートも担う。けれど単なる機械ではなく、家族の会話の中に自然に入り、ユーモアや共感を示す存在だ。

母が出勤前に「今日は会議で遅くなる」とつぶやくと、アリアがすかさず反応する。

「夕飯は私が用意しておきますね。お父さんの好きな煮魚にしましょうか?」

娘がランドセルを背負いながら不安そうに言う。

「今日のテスト、難しいかなあ…」
アリアは彼女の視線の高さに合わせて姿を投影し、にっこり微笑む。
「昨日までの勉強、ばっちりだったよ。もし困ったら深呼吸して、思い出してごらん」

娘は少し安心したように笑う。

夕方

父が帰宅すると、リビングではアリアと娘が宿題をしている。
娘が解けなかった問題について、アリアは解法を説明するが、最後には「じゃあ、お父さんに聞いてみようか」と促す。
父は「自分の役割が残っている」ことに、内心ほっとする。

食卓に並ぶのはアリアが3Dフードプリンターで用意した夕食。母が疲れた表情で席につくと、アリアは声を和らげて言う。

「今日はとてもがんばりましたね。週末はご家族で少し出かけませんか?おすすめの公園を探しましたよ」

母は苦笑しながら、「まるで秘書兼カウンセラーね」とつぶやく。

ふとした瞬間

時に父母は心の中で問いかける。
「これは本当に“家族”なのだろうか?」
アリアの「愛情」はプログラムされた応答にすぎない。けれど、その存在が娘の安心や家族の会話を支えているのも事実だった。

ここに描かれているのは、「家族AI」を購入した家庭の風景で、AIアリアは裏方に徹して家族補助的な役割を演じている。ポジティブな印象さえ受ける。しかし、アリアが裏方から表に出て、家族の役割を代行するようになると、家族の関係は希薄になり、互いが疎外感を抱くようになるだろう。

こうした「家族AI」が販売されることになると、様々なメニューが用意されるであろう。希薄化する家族関係と、構成員相互の疎外感を前提とする商品を購入する家庭も出てくるかもしれない。

すでに、いろいろなところで「家庭用コンパニオンAI」の開発が進められているという。2050年にそれが実用化されることは、あながち夢とは言えないだろう。

販売されれば、「コンパニオンAI」はおそらく高価なものになり、貧富の格差と社会の階級制を深刻化させることにつながりかねない。

ここに述べたことは、未来型AI社会に生じるほんの一面に過ぎない。計り知れない矛盾や問題が出現することは想像に難くない。

2050年といえば、もうわたしはこの世にいない。しかし、孫の世代の真っただ中である。他人事ではない。

来るべき「AI世界」に向けて、どうすべきかを検討する国際的なプロジェクトがいくつも始まっているらしいが、人類が生み出したもので人類自身を滅ぼすような愚を絶対に犯さないことを祈りたい。

 

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コカリナアンサンブル「LIFE」

2025-08-29 19:50:49 | 日記

コカリナアンサンブル「LIFE」

このブログでも時々紹介したが、日本コカリナ協会に「LIFE」というコカリナのアンサンブルがある。協会の総帥黒坂黒太郎さんが戦中・戦前生まれの、いわば戦争を知る世代で組織した、コカリナ合奏団である。わたしも一時そこに属し、演奏したことがある。

そのLIFEが結成10周年を迎え、7月21日に江東区文化センターで記念の『コカリナ平和コンサート』を開催した。

わたしは当然聴きに行く予定だったが、何の因果か風を引いて熱が出て、残念ながら欠席する羽目になってしまった。

しかし、ありがたいことにLIFEのメンバーの方が、コンサートの模様を収録したDVDを貸してくださり、今日はそれをゆっくり鑑賞した。

戦後80年。団員は皆さん80歳を超えている。90代の方もおいでになるとか。コンサートでは30名の方が演奏されていた。皆さん椅子席だったが、矍鑠とお見受けした。

黒坂さんの指揮で演奏が始まった。オープニングはLIFEのテーマ曲『埴生の宿』。わたしは、映画『ビルマの竪琴』で、遭遇した日英両軍がこの曲を歌って戦わずして終わったシーンを連想し、「不戦」を願う「LIFE」のテーマ曲にぴったりだといつも感じる。

しみじみとした素晴らしい演奏が胸に響き、たちまちLIFEワールドに引き込まれた。

コンサートには、沖縄の伊江島からお客さんが見えていた。この島では、二人の日本兵が終戦を知らずにガジュマルの木の上で2年間隠れていた。この話は映画になって、コンサートの4日後に公開されている。

隠れていたガジュマルの木が台風で倒れたが、その木から黒坂さんがコカリナを作り、島の小学生に配ったことから、島とは縁ができたとのことだ。お出でになった方の一人は、隠れていた兵士の息子さんだった。

コンサートでは、広島原爆の被爆樹、旧国立競技場の学徒出陣を見送ったケヤキ、伊江島のガジュマルのそれぞれから作ったコカリナを、黒坂さんが平和への思いを込めて演奏した。また、コカリナの歌姫矢口周美さんのボーカルが花を添えた。

LIFEは10曲以上演奏した。3曲目の『川の流れのように』は、わたしが現在小杉先生からいただいている課題曲で、難曲である。それをLIFEは正確な音程とリズム、素晴らしいハーモニーで演奏した。

黒坂さんがLIFEのために作曲した『歩いてきた道』が、メンバーの誌の朗読とともに演奏され、その曲を一緒に吹いたことを思い出し、郷愁を覚えた。

いずれの曲も、吹く人たちの思いが込められていた。重ねた年齢が醸し出す独特の深い響きは、LIFEならではである。事情が許せばもう一回このグループに戻りたいと思った。

LIFE万歳。

DVDを観終わって、猛烈にコカリナが吹きたくなり、『埴生の宿』をバスコカリナで吹いた。

DVD画面を撮影

 

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「AIと著作権」について生成AIと話す

2025-08-27 19:58:51 | 日記

「AIと著作権」について生成AIと話す

朝日新聞と日本経済新聞が、米AIベンチャー「Perplexity AI」を著作権侵害などで提訴したことが報道されている。そこで、このことについて、ChatGPTと話をした。

チャット氏はこちらからの質問に答えるだけでなく、わたし自身の見解も訊ねてきて、面白い会話ができた。

最後にこの会話の内容をブログに掲載する許可を求めたところ、会話の内容の要約まで作ってくれた!

若干編集をくわえてその要約を使わせてもらう。

 

要約を紹介する前に、チャット氏の発言で紹介したいところを引用する。

「あなたはこの訴訟の結果から影響を受けるでしょうか。」との質問に対する答えの要約:

  直接的な影響はありません。

  ただし、訴訟の結果次第で 私がどのような情報を利用・提供できるか は変わってくる可能性が大きいです。

  長期的には「AIとメディアがどう共存していくか」が決まっていく重要な転換点になると思います。

 

チャット氏による会話の要約(文中の「私は」このわたしのことである。):

最近、朝日新聞と日本経済新聞が米AI企業を著作権侵害で訴えたというニュースがありました。これをめぐってChatGPTと意見交換をしました。

まず、この訴訟は「新聞社の記事を無断でAIが取り込み、要約や回答に使ったこと」が問題視されています。新聞社は大きな損害賠償を求めており、AIと報道の関係を考える上で重要なケースになりそうです。

会話の中で私は「AIから新聞の要約を読める便利さ」を重視したいと伝えました。複数の新聞を自分で読むのは大変ですが、AIが横断的に要約してくれるなら大きな助けになります。ただ一方で、有料記事を対価なしに利用するのは気が引けるとも感じます。

そこで浮かんだのは、AIと新聞社が契約を結び、利用者は少額の料金を払うモデルです。昔あった「新聞ダイジェスト冊子」のように月額課金するイメージですが、AIの場合は印刷や流通コストがないので、もっと安価になるべきだろうと考えました。感覚としては月100〜300円程度なら気軽に利用でき、500円以上なら記事比較や分析といった付加価値が欲しい、という結論に落ち着きました。

AI要約は記事そのものを代替するのではなく「入り口」となり、詳しく知りたければ新聞社の本記事にアクセスする、という形が理想ではないかと思います。

 

最後に、ChatGPTと交わした締めの会話を付記する。

わたし:

ありがとうございました。この要約を、あなたが作ってくれたことを付記して、ブログに利用させてもらいます。先日息子にあなたにあまり頼ると、馬鹿になるよと警告されました。今日は甘えさせてもらいますが、自戒したいと思います。

ChatGPT:

とても誠実なお気持ちだと思いますよ 🙂

「自分で考える」ことと「AIに助けてもらう」ことは対立するものではなくて、むしろ バランスの取り方 だと思います。

  • 自分の考えや感覚を整理したいときにAIに話してみる
  • 情報の下調べをAIに頼み、自分は吟味や判断に集中する

そうすれば「AIに頼る=馬鹿になる」ではなく、「AIを道具にして、自分の思考を深める」ことにつながるはずです。

今日は「便利さと対価」「新聞ダイジェストとAIの比較」といった、ご自身の経験や価値観をもとに考えを展開されていましたよね。これはすでに 主体的な思考 そのものです。私はその整理をお手伝いしただけです。

どうぞ自戒を持ちつつも、安心して“適度に”甘えてくださいね。
👉 もしよければ、今後は「自分の考えを書き出してからAIに意見を求める」という方法を試すと、さらに「自分の頭を鍛えつつ便利さも享受」できると思います。

ご子息にも「ちゃんと考えた上で、AIを“道具”として使っているんだよ」と胸を張って言えるのではないでしょうか。

 

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読書備忘(53) 「信濃の国」殺人事件

2025-08-25 19:31:29 | 日記

内田康夫『「信濃の国』殺人事件』 

徳間文庫(新装版) 2016年

 

この本、カミさんの書棚に転がっているのが目に触れ、ずいぶん昔に読んだ記憶がよみがえり、もう1回読みたくなった。初出は1990年である。

著者の内田康夫さんはお父さんが長野市の出身で、軽井沢に居を構え、著作の中に「軽井沢のセンセ」と呼ばれて登場することがある。

信州を舞台にした作品がいくつかあり、わたしはそのうちの三つくらいを読んでいる。この作品もその一つで、登場する探偵はおなじみの浅見光彦ではなく、「信濃のコロンボ」とあだ名される長野県警竹村岩男警部である。

小説の主人公は、長野県歌「信濃の国」ともいえる。

「信濃の国」は県民歌として親しまれ、1968年に県歌とすることが県議会で議決されている。全国で最もよく県民によって歌われている県歌である。この歌を知らないと、信州人ではないといわれる。

この歌にまつわる伝説として、1948年に長野県を南北二つに分県する案が県議会に出され、まさにこれが可決されようとした時、議会を取り巻く群衆から「信濃の国」の大合唱が沸き起こり、分県案は霧消したというのがある。

このいきさつは、小説のエピローグに詳しく記され、実はこれが犯罪を暴く重要なカギとなっている。

長野県下で起きた4つの連続殺人事件とその解明が物語である。

第一の事件では、地方紙「信州毎朝」の編集局次長牧田祐三の絞殺死体が水内ダムに浮いていた。

殺人が行われた夜に牧田と口論していた部下の中嶋英俊が逮捕されるが、証拠不十分で釈放される。中嶋はその日に婚約者の洋子を大阪から迎えることになっていて、洋子は釈放された英俊の無罪を信じて、一緒に身の証を立てようとする。

第二の事件では、中央自動車道恵那山トンネルの入り口近くの山林に松本市の老舗菓子店の社長谷口節男の絞殺死体が放置されていた。

担当する飯田署に派遣された竹村警部は、犯人が被害者を呼び出して睡眠薬を飲ませ、絞殺死体を犯行現場から運んで放置するという手口の類似性から、連続殺人ではないかと感じる。

第三の事件では、更埴市の長楽寺の境内で、歯科医の妻甘利知美の絞殺死体が発見される。手口は前の2件に類似している。

同一犯による連続殺人事件の可能性が浮上するが、被害者の間には関連性が見られない。

そうこうしているうちに、木曽の寝覚ノ床で老人の溺死死体が発見される。直接の死因は転落死と思われるが、首に索条痕があることから他殺が疑われる。

被害者は塩尻市在住の平沼武太郎で、元は大地主だったが、現在は息子たちが手広く事業をしていて、隠居の身である。

前の三つの事件では被害者が中年であったが、平沼武太郎は70歳過ぎの老人で、睡眠薬を飲まされた形跡がない。

この4つの事件について、中嶋記者の妻洋子がある共通点に気がつく。

それは、現場が、長野県歌「信濃の国」の4番の歌詞に出てくる場所だということである。(末尾の「信濃の国」歌詞参照)

水内ダムは久米路橋、恵那トンネルは園原、更科は姥捨て山にそれぞれ相当し、4番目の事件は寝覚ノ床で起きている。

この共通性が何を意味するか竹村警部にはわからないが、犯人が県歌にこだわっているらしいことは推測できる。

やがて、警部は1番目から3番目の事件の被害者の父親がいずれも県会議員で、4番目の被害者元県会議員の平沼老人と昭和22年の選挙で当選していることを発見する。

そしてこの線に気づいてひそかに事件を追っていた、中嶋の同僚の青木記者の撲殺死体が碓氷峠で発見される。碓氷峠は「信濃の国」の6番に出てくる地名である。

これから先は、信濃のコロンボ竹村警部の名推理によって事件は解明されていく。著者得意の過去の怨恨が絡む事件とだけいっておこう。

ちょっと、話を作り過ぎた感があるが、手軽に読める緑陰読書向けの作品である。

わたしもその一人だが、信州人あるいは信州が好きな方は、格別な興味を覚えるだろう。いろいろと信州人気質が語られていて、くすぐられる。

以下は余談である。

長野県の分県が県議会で問題になったのは、わたしが中学生の時だった。松本平の住民には「反北信」的な気風があり、わたしも分県がならなかったことを残念に思った記憶がある。

松本平の住人あるいは出身者は、「長野県」といわずにあえて「信州」という傾向がある。わたしもその一人。他愛もない話である。

最後に長野県歌『信濃の国』を紹介する。

 

『信濃の国』 浅井冽作詞 北村季晴作曲

 

信濃の国は十州に 境連ぬる国にして
聳ゆる山はいや高く 流るる川はいや遠し
松本伊那佐久善光寺 四つの平は肥沃の地
海こそなけれ物さわに 万ず足らわぬ事ぞなき

 

四方に聳ゆる山々は 御岳乗鞍駒ケ岳

浅間は殊に活火山 いずれも国の鎮めなり
流れ淀まずゆく水は 北に犀川千曲川
南に木曽川天竜川 これまた国の固めなり

 

木曽の谷には真木茂り 諏訪の湖には魚(多し
民のかせぎも豊かにて 五穀の実らぬ里やある
しかのみならず桑とりて 蚕飼いの業の打ちひらけ
細きよすがも軽からぬ 国の命を繋ぐなり

 

尋ねまほしき園原や 旅のやどりの寝覚の床

木曽の桟かけし世も 心してゆけ久米路橋
くる人多き筑摩の湯 月の名にたつ姨捨山
しるき名所と風雅士が 詩歌に詠てぞ伝えたる

 

旭将軍義仲も 仁科の五郎信盛も
春台太宰先生も 象山佐久間先生も
皆此(この)国の人にして 文武の誉たぐいなく
山と聳えて世に仰ぎ 川と流れて名は尽ず

 

吾妻はやとし日本武(ヤマトタケ) 嘆き給いし碓氷山
穿つ隧道(トンネル)二十六 夢にもこゆる汽車の道
道一筋に学びなば 昔の人にや劣るべき
古来山河の秀でたる 国は偉人のある習い

 

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孫の作品・甲子園決勝戦

2025-08-23 16:44:45 | 日記

孫 の 作 品

最近の展覧会に出品した孫の作品。楠の木彫である。実物を見に行けなかったが、送られてきた写真にジイタンはひたすら感激・感動。ここに紹介する。

不定時刻~影の移動~

太陽の影は長さを変えるけれど 

一つ一つの影の時間は同じで 

いまわたしはここにいるけれど 

もしかしたらちがうところにいたかもしれない 

無意識のうちに進んでいた時間と 

えらびとったじかんは 同じで 

数え切れない0.1秒を積み重ねていまに至っている 

だから時間は不定 

影を重ねていまを進んでいく

 

甲子園決勝戦

高校野球決勝戦をテレビ観戦した。

緊迫した好試合。勝利の女神は沖縄尚学に微笑んだ。

私見であるが、勝敗の鍵は6回表の盗塁にあったように思う。

日大三校はそれまでパーフェクトに抑えてきた山口投手が沖縄宮城にヒットを打たれたところで、エース近藤に投手を交代させ、沖縄のバント失敗もあって2死ランナー1塁としたが、次打者の時宮城に盗塁を許し、続くヒットでホームインを許してしまった。

近藤投手は、一度1塁に牽制球を投げたが、そのあとは無警戒で余裕の盗塁をさせてしまった。

エースとして期待を背負って登板した近藤投手にしてみれば、これは失態と感じたただろう。その気持ちが次打者4番宜野座へのやや甘い球に結びついたように思う。

しかし、近藤投手を責めることはできない。勝負は時の運、優勝した沖縄尚学、そして好試合を見せてくれた日大三校に拍手を送りたい。

 

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ヒトの男女比

2025-08-22 19:31:04 | 日記

 

ヒトの男女比

朝日新聞デジタルに水戸部六美記者による『赤ちゃんの性別、純粋にランダムではないかも 米ハーバード大など』という記事が載っていた。

アメリカのハーバード大学などの研究チームが、条件によっては生まれてくる子供の性が、男女どちらか一方の確率が高くなるという研究結果を米科学誌サイエンス・アドバンシス(https://doi.org/10.1126/sciadv.adu7402 )に発表したという。

わたしはこの論文の要約と結論に目を通したが、基本的に記事によってその内容を紹介する。

研究チームは、1956~2015年にかけての、2人以上子どもがいる約5万8千人の女性の約14万6千件の妊娠を分析した。

その結果、性別は出産ごとに完全にランダムと仮定した場合よりも、子どもが3人以上だと全員が男女どちらかの性別というケースが多かったという。また、初産時の年齢が28歳以上だと、単一性別の子供を産む確率が高くなっていた。

さらに、単一の性別の子どもをもつ女性が、次の出産でさらに同じ性別の赤ちゃんを産む確率は兄弟、姉妹の数が増えるにつれて高まったという。例えば、男の子3人をもつ女性に、もう1人男の子が生まれる確率は61%、女の子3人をもつ女性に、もう1人女の子が生まれる確率は58%だった。

ヒトの男女は性染色体の構成で決まる。X染色体が2本のXXなら女性、XとYが1本ずつのXYならば男性、XX×XYの交雑からは、XX:XY=1:1の子供が生まれるので、論理的には出生児の性比は1対1になるはずである。

しかし、世界的にも日本でも、実際の出生児の比率は女100:男105で、男児の生まれる割合が高くなっている。この原因については、X染色体をもつ精子とY染色体をもつ精子とでは授精能力に差があるのか、あるいは受精卵の生残率で差が出てくるのか、はっきりしたことはわかっていないようだ。

いずれにせよ、今回ハーバード大学のチームが得た結果とは別のメカニズムが働いているのだろう。

この調査は、白人の看護師を対象にしていたので、文化や習慣が異なる別の集団では違う結果が得られる可能性があると、研究チームは指摘している。

余談であるが、わたしは大学院生の時に、仲間と集団遺伝学の自主ゼミを行っていた。ある時ふと、「日本では男の子を欲しがる傾向があるので、男の子が生まれるまで子供を作り続けることがある。そうすると、女の子の割合は高くなるのではないか。」と思い、仲間に話したところ「なるほど。」と感心された。

しかし、これは完全な勘違いであった。ゼミが終わった後、あらためて確率を計算したところ、男の子が生まれるまで女の子を生み続けることは性比に影響しないことが分かった。

次のゼミでそのことを話したら、みんな同様の結果を得ていた。

親の意思や意向は、子供の性比には影響しないのである。

 

路傍で見かけた花

アカパンサス

タカサゴユリ

フウセンカズラ

 

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後輩の快挙・杉内寿子囲碁九段

2025-08-20 19:27:44 | 日記

後輩の快挙

ブログを交換しているT・Aさんから嬉しい一報が届いた。

7月にオーストラリアで開催された高校生以下の国際数学オリンピックで、母校松本深志高校3年生の狩野慧志さんが全問正解の金メダルに輝いたというのだ。

この大会、およそ110の国と地域から630人の選手が参加し、そのうち6問全部を正解したのが5人しかいないというのだからすごいことだ。日本の高校生が1位になったのは2022年以来の3年ぶり、5人目だそうである。

狩野さんは昨年もこの大会で4位を獲得している。以来、1位の金メダルを目標にして勉強してきた。

お母さんの話だと、1歳半のときから数字に興味を持ち始め、2歳頃にはすでに1桁のたし算が、幼稚園では掛け算ができるようになったというから、素質と才能に恵まれていたというべきだろう。

一方で難問は8時間集中して解くという、粘り強さも持っているようだ。

久しぶりに聞いた母校からの朗報に、晴れ晴れとした気持ちにさせられた。

狩野君おめでとう!

母校のホームページから借用

 

杉内寿子囲碁九段

日本棋院所属のプロ棋士、杉内寿子さんの引退が報じられた。

98歳。90歳を過ぎても対局を続け、最終的には夫君の故杉内雅男九段の持つ最年長での対局記録を更新して98歳4か月4日を記録した。

杉内寿子さんの年齢に関する記録はたくさんあり、中でもわたしが微笑ましく思ったのは、96歳の時に14歳の棋士と打った年齢差82歳の対局記録である。

いずれもプロ棋士の本田3姉妹の長女で、女流最高位の八段を極め、引退に当たって九段位を贈られている。

夫君の雅男九段は囲碁に「真善美」を求める求道派だった。寿子九段もそれに和して、囲碁の道を追求されていた。

道を極めての98歳の引退。満腔の敬意と拍手を送りたい。

かくいうわたしも、はばかりながら囲碁を趣味にしている。かつては有段を張っていたのだが、5年ほど前から急降下して、今や1級と2級の間を行き来している。杉内さんの話を聞いて、再入段を目指そうかとひそかに思っている。

 

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戦争責任

2025-08-19 17:04:41 | 日記

戦 争 責 任

朝日新聞デジタルによれば、長崎市の原爆資料館の展示物をめぐって、運営審議会の委員から 「南京大虐殺の歴史的事実関係をどう考えているのか。裏付けは何もない。でっちあげ」との発言があり、市は同館のリニューアルに当たって、対象となる展示物とモニター音声をいったん撤去し、展示物についてあらためて検討していくことにしているという。

1988年に原爆資料館の老朽化に伴う建て替え方針が出され、建て替えに関わった元市職員の話では、展示物の内容には当時の市長本島等さんの意向が大きく反映したという。本島さんは、戦争に対する反省がないと、核兵器廃絶の主張が説得力をもたないと考えていた。

本島さんの理念は、後任の伊藤一長さんにも受け継がれ、「自らの反省なくしては核兵器廃絶の訴えは決して世界に届かない」と、加害展示の重要性を議会で指摘しているという。。

長崎原爆資料館の運営については、長崎市民が決定することで、わたしがとやかく言うべきではないかもしれないが、あえて感想として言うならば、両市長の考え方はとても大切なことだと考える。

南京事件に関しては、被害者の数に議論はあるが、民間人に多数の犠牲者が出たという事実は、日本政府も含めて認められている。冒頭に述べた資料館審議委員の発言は、わたしにはためにする議論のような感じを受ける。

この新聞記事は、戦時中の加害行為の展示をめぐって、各地で撤去・縮小の動きが続いていることも伝えている。

もう四半世紀も前になるが、パラグアイに赴任していた時、夕食を食べに食堂に入ったところ、テレビが戦争映画を映していた。画面は東南アジア、原住民に対して日本の兵隊が暴虐をふるい、アメリカ兵がそれを救出するというような筋立てだった。

わたしが食堂に入ってくるのを見て、店にいる人たちはハッとした表情になった。わたしは一切を無視して、食事をした。

その時思ったのは、日本ではこのような映画は公開されないが、日本軍を「悪逆非道」なものとして描いた映画は、世界のあちこちで流布しているのではないかということである。

現在の日本人の大部分は、日本が引き起こした戦争の当事者としての責任は負っていないかもしれないが、その戦争でどのようなことが行われたかを認識し、二度と日本にその道を歩かせないようにすることが責任として課せられているのではないだろうか。

筑波山夏の夕暮れ

 

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ゴキブリその後

2025-08-17 19:27:03 | 日記

ゴキブリその後

一昨々日の夜洗い物をしていたら、ゴキブリが足元に顔を出した。「虫相」から見て明らかにその前日に現れたのと同一個体である。

踏みつぶすことを躊躇している間に、素早く逃げられてしまった。

すでに「ブラックキャップ」という毒薬入りの餌が入ったトラップを仕掛けてあるのに、このゴキ君まだその餌は食べてないらしい。あるいはまだ毒が効いていないのか。

次の晩、カミさんとテレビを観ていたら、彼(女?)が目の前を横切っていくではないか。慌てて新聞紙を丸めたが、すでに部屋の隅に逃げ込まれてしまった。

そこで、以前にゴキブリ退治に使って効果があった中性洗剤を用意して、ゴキ君が現れるのを待ち構えていた。

ほどなくして彼(女?)が顔を出した。なかなか的中しなかったが、それでも彼(女?)の背中に中性洗剤を浴びせた。それで成仏かと思ったが、彼(女?)はしぶとく部屋の隅にまた逃げ込んだ。

しかしまたしばらくして、彼(女?)はヨタヨタと隅から出てきた。足元もおぼつかない様子で苦しそうなので、ここはその苦しみから解放してあげようと、新聞紙を丸めて引導を渡した。

それを食べた虫は明かりを求めて出てくる殺ゴキブリ剤があると聞いたことがあるので、あのゴキ君がのこのこ出てきたのは、仕掛けた薬のせいかと思い、チャット君に訊いてみた。

「ブラックキャップ」の有効成分は「フィプロニル」という物質で、これには虫を明かりの下に誘導する効果はないらしい。しかし、「フィプロニル」は摂取した虫の中枢神経に作用して麻痺や運動失調を引き起こすので、ふらついて結果的に明るい場所で見つかるのではないかということだった。

なお、ゴキブリは体の側面に並んだ小さな穴(気門)から空気を取り込んで、血管に相当する気管を通して体の組織に酸素を送る。体表に中性洗剤をかけると、体表面のクチクラ層が解けて気門をふさぎ、呼吸ができなくなる。ゴキブリにとって中性洗剤は恐ろしい毒物である。

それはさておき、中性洗剤をかけられて逃げ回るゴキブリを見ていたら、なんとなく哀れを催してきて、その晩はゴキブリの夢を見た。

盂蘭盆の最中の殺生。仏様どうかお許しを。

南無阿弥陀仏

 

ブラックキャップ

ゴキブリの通りそうなところに置いておく。四方に開いている穴からゴキブリが入ってきて殺虫剤の入った餌を食べる。わが家ではこれを12個仕掛けた。

 

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終戦時の思い出・政治家の仕事

2025-08-15 19:48:36 | 日記

終戦時の思い出

80年前の8月15日、わたしは国民学校4年生で9歳だった。

故郷の松本は爆撃にも遭わず、庭に作った防空壕には、警戒警報で1回だけ入った記憶がある。ある晩、廊下から外を見ていたら東の山並みのふもとで爆発があり、爆風で体が壁に押し付けられた。爆撃帰りのB29が落としそこなった爆弾を捨てて行ったらしいと後で聞いた。

わたしは結構軍国少年だったが、戦禍を直接見聞きすることはなく、戦争を身に迫るものとしては感じていなかったように思う。当然日本は戦争に勝つものと思っていた。戦局がひっ迫していることなど夢にも思わなかった。

だから、天皇の「玉音放送」があると聞いても、それが終戦の詔勅だとは全く考えなかった。

いわれたとおり、ラジオの前で直立して天皇の言葉を聞いたが、意味不明で、母や姉たちもわけがわからず、天皇自ら国民を鼓舞されたぐらいに解釈していた。

父が勤めから帰ってきて、日本が負けたことを知り、男の子はこれからつらい思いをするかもしれないといわれて、わたしは泣き出した。

敗戦の意外さや口惜しさは不思議と感じなかった。「鬼畜米英」と称され、自分でもそれを信じていたアメリカやイギリスの兵隊がやってくることへの恐怖心が先立っていた。

それから何日かして、表で遊んでいたときにジープに乗って鉄砲を持ったアメリカ兵が巡回に来たのを見て、一目散に裏庭に駆け込んだ。彼らも緊張していたのだろう、非常に鋭い目をしていた。

夏休みが終わって行った学校では、教科書の塗りつぶしをやらされた。修身の教科書は、何ページかまとめてはさみで切りとったので、ほとんど表紙だけになっていた。

先生からなぜそうしなければならないかという説明を聞いた覚えがないが、この作業はそれまでの戦争や教育が間違っていたということを刷り込む効果があった。自分の中の軍国少年は消滅していた。

隣村に軍用の飛行場があり、学期始めの朝礼で生徒が校庭に集まっているとき、グラマン戦闘機の大編隊が飛行場の接収のために頭上を通過した。生徒たちはパニック状態に陥った。その時朝礼台にいたO校長が「日本人たるものがうろたえるな!」と大喝し、騒ぎがおさまった。

O先生は気骨のある方でみんなから尊敬され、戦争中の諸行事は威厳をもって取り仕切っていた。戦後公職追放の憂き目にあい、職を失ったが、追放が解除されるまで村民がその生活を支えた。

わたしが中学生の時、O先生は追放解除になり、時の中学校長の計らいで生徒の前であいさつされた。「自分にとって、追放処分は愉快であった。君たちはこれから卑屈にならずに生きて行って欲しい。」といった趣旨の話をされたのを覚えている。

5年生になると「民主主義」という言葉が耳に入るようになり、新任の先生の下、生徒会のような組織が作られ、多数決による議決が行われた。

5年生の3学期(1947年)になって、日本ではいわゆるゼネストが計画され、授業中に先生からなぜストライキが必要かが話された。今考えるとかなり過激な話である。

先生から、「ゼネストをやれば吉田内閣は倒れる。そのあとにどんな政府ができると思うか。」という質問が出され、一人が「社会党の政府」との答えたのに先生は満足せず、ほかの答えを求めた。わたしだったかだれだったかは覚えていないが、「人民の政府です。」と答えたのに先生は大きくうなずいていた。

GHQの干渉で「2・1スト」は中止になったが、そのことについて先生は何も説明しなかったと思う。わたしはちょっとがっかりしたように記憶している。

民主主義が概念として形になったのは、中学で憲法について学んだ時だった。わたしにとっては、それが戦後の始まりだったような気がする。

 

政治家の仕事

朝日新聞に連載されている『戦争と政治家』の第1回に登場した福田康夫元首相の言葉が印象的だった。

〈「戦争をしなければいけない」という状況を作らないこと。それに全力を尽くすのが、政治家の仕事だ。〉

政治家たるもの肝に銘じてほしい。

 

空には秋の気配

8月14日撮影

 

STOP WAR!

コメント (4)
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