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美しくないことが、その要件だ

2011年08月31日 | 雑記帳
 校内で、夏休み中に参加した諸講座や研修の報告会を持った。

 新教育課程になり、各種計画の整備が求められている。いや実際には移行の時点から計画は立てられ、今はそれを修正していく、調整していくという段階だろう。

 広範囲のことだから全部順調だとは言えないが、そういう現状に「指導」が加えられる時、どうも首を傾げてしまう一つの言葉がある。

 「○○教育全体計画」と題されるものだ。

 「○○教育」が「○○活動」や「○○指導」の場合もあろう。それらを見るたびに、いや正確には今回提示されたある資料を見て強く思ったのだが、こんな問いが浮かんだ。
 以前から感じてきたことでもあるので思いきって口に出そう。

 いったい「全体計画」の要件とは何だろう?

 目標や観点に一定の項目数があり、網羅的でなく項目に関連づけがあり、構造的になっていること…おおよそそんなところか。

 学校の「グランドデザイン」という言い方もある。これはこれで、全体像のなかで具体的な目標などが前面にアピールされるのが常で、外部へ向けてプレゼンするという意味づけもあろう。

 しかしそれをまた細分化した「○○教育」の「全体計画」は、どうも焦点がぼけてはいないか。
 必要がないと言っているわけではない。
 何のため作るのかを意識しなくてはならない。

 そうすれば、構造性・関連性・重点性のどこが必要か見えてくるし、表的な意匠にする意味が出てくるのではないか。

 少なくとも指導に直接携わる私たちが見た時に、それが頭に入る全体計画とは、文字の大きさが規格的であったり、線の太さが一律だったり、バランスのとれた配置だったり「しない」ことが、一番の要件になるのではないか。

 報告を聞き疲れした頭で、ぼんやり考えた。

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