3年前の3月11日(金曜)14時46分でした。
みなさまは、あの日の瞬間、何をされていましたでしょうか?
「あの瞬間」。「その後続く余震」。「テレビから映し出される被災地のようす」………。
3年経った今も、決して薄れることなく我々の記憶に残り続けています。
そして、「この記憶」は、未来永劫、消し去っていってはいけません。
復興の道のりは、いまだ「道半ば」なんですね。
わたしたちが、新聞・テレビ等の報道から知り得るかぎりでは、この3年間での復興の進捗具合・スピード感は満足いくものではないようです。それ(復興の進捗具合)を一番痛感されているのは、もちろん、被災地に住む皆様であると思います。
N岡には、現在、被災地で生活する先輩がおります。
先輩の出身地は福島県郡山市。
大学進学で初めて秋田にやってきて、秋田の民間企業に就職。
そして秋田在住の方と結婚されました。
その先輩とは、N岡が大学を卒業して社会人になった頃から、サッカーやフットサルで日々お世話になるようになりました。
サッカーしか知らなかったN岡が、フットサルに出会うきっかけを作ってくれたのも、この先輩でした。
その先輩は2011年3月11日・東日本大震災が起こる前に、故郷・福島県郡山市に転勤することが決まりました。
ところが、すぐに東日本大震災が発生。
4月。復旧がままならず、余震や原発事故の影響が深く爪痕を残した故郷・郡山市に転勤されました。
苦渋の決断だったことでしょう。
その後、「本当に大変な生活だ」と先輩からお聞かせいただいたことを記憶しております。
風評被害に苦しむ地元の現状なども、詳しく教えていただきました。
我々が住む秋田県は被災県とは県境を挟んだ「お隣さん」です。
同じ「東北人」として、いまだ復興の進まない被災県のみなさまへ、出来ることから微力でも力を差し伸べていきましょう。
N岡自身も、郡山市で生活する先輩とのサッカー・フットサルをした日々を思い出しながら。。。
「あの日の記憶」から得る教訓を被災地の復興の為、日々、出来ることを考えていきたいと思います。