令和6年度高体連中央支部新人大会サッカー競技 準決勝 秋田南1-3秋田商業

準決勝秋田商業戦は残念ながら敗戦。この後の3位決定戦(13時キックオフ)に臨みます!

3年前の記憶をとどめることなく、歩みを進めて。そして同じ「東北人」として。

2014年03月11日 23時34分48秒 | ダイアリー


 3年前の3月11日(金曜)14時46分でした。

 みなさまは、あの日の瞬間、何をされていましたでしょうか?
 

 「あの瞬間」。「その後続く余震」。「テレビから映し出される被災地のようす」………。


 3年経った今も、決して薄れることなく我々の記憶に残り続けています。

 そして、「この記憶」は、未来永劫、消し去っていってはいけません。
 

 復興の道のりは、いまだ「道半ば」なんですね。

 わたしたちが、新聞・テレビ等の報道から知り得るかぎりでは、この3年間での復興の進捗具合・スピード感は満足いくものではないようです。それ(復興の進捗具合)を一番痛感されているのは、もちろん、被災地に住む皆様であると思います。


 N岡には、現在、被災地で生活する先輩がおります。

 先輩の出身地は福島県郡山市。
 大学進学で初めて秋田にやってきて、秋田の民間企業に就職。
 そして秋田在住の方と結婚されました。

 その先輩とは、N岡が大学を卒業して社会人になった頃から、サッカーやフットサルで日々お世話になるようになりました。
 サッカーしか知らなかったN岡が、フットサルに出会うきっかけを作ってくれたのも、この先輩でした。
 

 その先輩は2011年3月11日・東日本大震災が起こる前に、故郷・福島県郡山市に転勤することが決まりました。
 
 ところが、すぐに東日本大震災が発生。
  

 4月。復旧がままならず、余震や原発事故の影響が深く爪痕を残した故郷・郡山市に転勤されました。
 苦渋の決断だったことでしょう。

 その後、「本当に大変な生活だ」と先輩からお聞かせいただいたことを記憶しております。
 風評被害に苦しむ地元の現状なども、詳しく教えていただきました。



 我々が住む秋田県は被災県とは県境を挟んだ「お隣さん」です。

 同じ「東北人」として、いまだ復興の進まない被災県のみなさまへ、出来ることから微力でも力を差し伸べていきましょう。



 N岡自身も、郡山市で生活する先輩とのサッカー・フットサルをした日々を思い出しながら。。。

 「あの日の記憶」から得る教訓を被災地の復興の為、日々、出来ることを考えていきたいと思います。
 

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