令和6年度秋田県高等学校新人サッカー大会 準々決勝 秋田南1-1(PK4-5)本荘

善戦しましたが準々決勝敗退となりました。応援ありがとうございました。

25人の春。それぞれの旅立ちへ。「秋田南高校サッカー部OB会 平成25年度50期生入会式」

2014年02月28日 20時33分26秒 | OB会活動


 平成26年2月28日。

 卒業式を翌日に控えた今日の午後16時より、秋田南高校サッカー部OB会主催による「OB会入会式」を開催してまいりました。

「秋田南高校サッカー部OB会 平成25年度50期生入会式」
日時:平成26年2月28日(金曜)16時
会場:秋田県立秋田南高等学校 2階会議室

 


 OB会が発足したのが昨年の9月22日。
 秋田ビューホテルを会場にたくさんのOB会員が集った設立総会で我が母校のOB会はキックオフ(スタート)しました。

 OB会を立ち上げるきっかけ(契機)を導いてくれたのが、言うまでもなく、
 「昨年の6月3日、全県総体初優勝。インターハイ切符獲得。」
 でありました。
 今も”あの日の歓喜の記憶”、鮮明ですよね。



 言い換えれば…
 我々サッカー部OB有志たちがOB会を立ち上げるための「後押し」をしてくれたのが、

 今日の入会式に集まってくれた卒業生25名、
 そして在校生(1・2年生)、内海則彦部長、石崎庸介監督(39期卒)であるのです。






 これまでの数ヶ月間は、雪に閉ざされ氷点下続きの気候であった秋田市でした。北国・秋田らしい天候が続いていました。
 ところが数日前からは、卒業式に合わせるかのように春の穏やかな気候に変わりつつありました。

 「俺が南高を卒業した日もこれくらい暖かったよな。」
 
 N岡自身、そう思いながら、母校・南高校の校舎へ足を踏み入れました。

 


 この日の入会式に出席したOB会役員は、
 佐藤一弘副会長(22期卒)、篠田大祐副会長(26期卒)、そしてN岡事務局長(31期卒)の3名。

 この3名。いずれも旧校舎時代の生徒であるがゆえ、現在の母校・校舎内と旧校舎の違いに驚いておりましたね。。。
 事務職員の方に案内されて、校舎に入り、そして入会式会場の会議室へ。
 石崎監督、内海部長に続き、在校生が続々と会議室へ入ってきました。

 

 その後、遅れるかたちで、本日の主役・卒業生25名も入室。


 定刻より遅れること5分。時刻16時05分より
 「秋田南高校サッカー部OB会 平成25年度第50期生入会式」開会しました。

 まずは会の冒頭、OB会側から卒業生一人ひとりに花束を贈呈いたしました。
 贈呈者は佐藤副会長です。






 続いてはOB会を代表し佐藤副会長から、卒業生へお祝いのお言葉をいただきました。






 佐藤副会長の祝辞が終わり、事務局長であるN岡が、OB会概要説明と入会説明をしました。
 「遠くまで通らない、聞き取りにく声」をしているN岡。
 会場奥の生徒まで聞き取れたのか、少々不安を覚えております(汗)。

 私のことはさておいて…、
 OB会事務局からの入会説明の後は、サッカー部の恩師・内海部長、石崎監督からのご挨拶です。




 始めは内海部長のご挨拶。
 卒業生は入学以来3年間、内海部長にお世話になったことになります。



 内海部長のお話しは…
 卒業生、在校生が頑張ってくれたおかげで、先輩方(OB)がOB会を設立してくれたということ。
 みんなは(卒業生も在校生も)それ(OB会設立)を誇って欲しい、と開口一番おっしゃってくれました。

 また、初めてのOB会発足は喜ばしいことであり、先輩とのつながりが出来た事は非常にいいことである、
 そして残った在校生は「連覇」(全県高校総体連続優勝)を達成しなくてはならないな、と檄(げき)を伝えることも忘れませんでした。

 内海部長は3年間、卒業生と共に過ごされた方です。
 卒業生が入学した当初の想い出話(国立高専グランドでの試合のエピソード等)もお聞かせくださいました。

 「内海部長ご自身と25名のサッカー部卒業生」との「思い入れ」がとても深いということを察することのできる、そんな内海部長のご挨拶でした。


 
 そして石崎監督のご挨拶に続きます。



 石崎監督ご自身が南高サッカー部卒業生。39期卒です。
 母校のサッカー部監督としてのお立場、OB会の先輩としてのお立場、両面からのご挨拶が印象的でした。



 石崎監督が何度も卒業生に伝えたキーワードが「つながり」。

 大学入試前期試験の結果がまだ発表されておらず、心から「おめでとう」とはまだ言えないところだが、無事に単位を修得し卒業式を迎えられたことにお祝いいたしたい、とおっしゃってくださいました。
 また、卒業すれば電話・メール等のSNSは活用し連絡は取ることができるだろうが、頻繁に会うことは無くなっていく。学校との関わりも無くなってしまう。
 OB会という組織ができたことで、みんなが卒業するサッカー部の練習に顔を出すこともできるようになるので、どんどん練習に来て欲しい、ともおっしゃってくださいました。

 OB会は出来た、今日の入会式を経てこれからの新しい1ページをつくっていって欲しいと述べられました。
 そして、これからは横のつながり、特に「人とのつながり」と「気持ち」を大事にしていって欲しい、とおっしゃってくださり、石崎監督ご自身が10年ほど前に卒業した「サッカー部先輩」としてのエール(応援)にも似たご挨拶で締めくくられました。 



 上の写真は、内海部長・石崎監督、両恩師がお話しされている時の卒業生(手前)と在校生(奥)のようすです。

 まさしく「微動だにせずに」恩師の目を見て話に聞き入っている姿に正直、ビックリしてしまいました。
 これが、彼らが3年間、サッカー部グランド、サッカー試合会場、または学校校舎内において両恩師から指導を仰いでいた時のようす、そのものなのだな、と感じた瞬間でした。

 両恩師からの「激励=エール」。

 卒業生の心に響き、その記憶にとどめ続けることでしょう。
 内海部長、石崎監督のご挨拶。心に響く素晴らしいご挨拶でした。


 そして入会式の最後は記念撮影。

 ●卒業生25名+内海部長+石崎監督

 ●卒業生25名+OB会役員3名+内海部長+石崎監督

 ●卒業生25名+在校生(1・2年生)+内海部長+石崎監督


 の順に記念撮影しました。











 南高サッカー同好会が発足したのが42年前。現在58歳を迎える先輩方が、2年生の時の同好会を発足させたのが「歴史の始まり」です。

 実はわたくしN岡自身、昔からのお付き合いがあった、南高サッカー同好会発足を先導した10期卒OBの方から、同好会発足の経緯(昔話)についてを電話越しに数十分間、お聞かせいただいたことがあります。
 確か昨年の10月頃だったでしょうか。

 同好会発足から4年後には部への昇格を果たしました。
 

 そして、同好会発足から41年後、平成25年9月にOB待望の「OB会」が発足しました。
 OB会発足までの41年という歳月が長かったのか、短かったのは分かりません。


 冒頭でも申したとおり、OB会立ち上げの契機をつくってくれたのが、今年の50期卒業生25名。全県総体初優勝。
 
 50期卒業生25名をOB会ファミリーに加え、これで総勢494名の組織になりました。



 41年目にできた待望のOB会。そして初開催のOB会入会式。節目の50期卒業生。
 我々OB会は新たな仲間を加えました。


 明日卒業を控える50期生はいよいよ4月から新たなスタートラインに立ちます。
 私たち秋田南高校サッカー部OB会は、新しい仲間の新たな旅立ちにエールを送り、そして新しい仲間と共にOB会発展を目指し続けていきます。


 


「秋田南高校サッカー部OB会 平成25年度50期生入会式」のご案内

2014年02月27日 14時01分51秒 | OB会活動
みなさま。こんにちは。
秋田南高校サッカー部OB会事務局より、当会「事務局ブログ」をご覧のみなさまへお知らせがございます。

当会は昨年9月22日(日曜)の設立総会を経て発足し、およそ半年ほどが経過しました。
まだまだ試行錯誤が続く当会ですが、間もなく年度末をむかえます。

年度末ということで、我々の母校・秋田南高校の卒業式は3月1日(土曜)に開催されます。
その卒業式前日の2月28日(金曜)の16時より、サッカー部卒業生対象のOB会入会式を実施いたします。

「秋田南高校サッカー部OB会 平成25年度50期生入会式」
日時:平成26年2月28日(金曜)16時より
会場:秋田県立秋田南高等学校



節目の50期生がこの春卒業します。

学校関係者悲願の「全県総体優勝」を果たしてくれた卒業生含む母校サッカー部。発足間もないOB会も喜びにあふれておりました。
OB会で初開催となる今回の入会式。
明日の入会式レポートは式終了後、当会「事務局ブログ」でご報告させていただきます。

ぜひ今後の「事務局ブログ」ご覧ください。

そして
「秋田南高校サッカー部OB会」と当会「事務局ブログ」を何卒よろしくお願いします。

Jリーグ開幕前「公式記録員研修会」に参加してまいりました。

2014年02月23日 19時51分25秒 | ダイアリー


 さきのブログでお伝えしましたが、
 2月22日(土曜)・23日(日曜)両日は、スカイドームで開催した「「第19回秋田カップ東北都市選抜少年サッカー大会」の運営に行ってまいりました。
 大会開催中であったものの、日曜14時にはスカイドームをあとにして秋田市八橋の八橋運動公園球技場に向かいました。


 というのも…
 秋田県に誕生したJリーグクラブ「ブラウブリッツ秋田」の公式記録員を集めた、記録研修会が15時から開催され
 N岡もこの研修会参加のためでありました。


 「ブラウブリッツ秋田」が前身の「TDK」時代にJFL(日本フットボールリーグ)に参入した当時から、ボランティアスタッフとしての記録員になっているN岡。
 秋田南高校サッカー部第12期OBの大先輩・安宅輝世さんも記録員として従事して頂き、N岡の「スタッフ上の上司」としてお世話になっております。


 この「ブラウブリッツ秋田」が昨年、JFLから新たに立ち上がった「J3」に参入が決まったことはみなさまもご存じのことと思います。

 昨年までのJFLではJFL仕様の「公式記録」作成の手順があったわけでして、N岡も長いこと、この(JFLの)記録作成に携わってきました。
 しかし、JリーグにはJFLとはまったく異なるJリーグ仕様の「公式記録」があるわけでして、(無論J1・J2・J3に相違はなく同一仕様です)

 「ブラウブリッツ秋田」のJ3参入により、記録ボランティアのだれもが未経験であるゆえ、
 この度J3開幕前に日を設け、記録作成に関する研修が開催されました。




 今日、八橋球技場会議室に集まったのは「ブラウブリッツ秋田」の(いつもいつもお世話になっている)社員さん1名。
 記録員として従事することになるスタッフからは、秋田市から3名・にかほ市から3名集まりました。


 当「事務局ブログ」で、
 記録作成のマニュアル・手順等を説明しても、まったく伝わらないでしょうし理解しづらいと思いますので、この場でのご説明では省略させていただきます。 
 ただ概要を述べるならば、
 『JFL仕様の記録作成よりも、Jリーグ仕様の記録作成のほうがより簡素化され、簡潔で扱いやすくなっているな』

 というのが、まず感じた所感です。

 ただし、記録作成までのスケジュールやパソコンの操作方法全般などは、全くの未体験からのスタートになるので、これは何度も何度も場数を踏んで、覚えていくしか有りません。
 
 今日、会議室で配布された「マニュアル」冊子をしっかりと熟読し、試合当日(ホーム開幕戦)までには完ぺきに役割をこなせるようにしたいと思っております。


 21年前。Jリーグが開幕しましたね。
 国立競技場で、読売ベルディと横浜マリノスが対戦しました。

 N岡も(例に漏れず)しっかりとテレビ観戦しました。
 あのベルディの黒人選手のロングシュート、覚えてますか??


 そして21年後、秋田にも待望のJリーグクラブが誕生しました。
 「ブラウブリッツ秋田」です!
 そのホーム開幕戦はちょうど1ヶ月後、やってきます。

 ※ ※ 平成26年3月23日(日曜)13時05分キックオフ ※ ※
    会場;八橋運動公園球技場

 「ブラウブリッツ秋田」VS「福島ユナイテッドFC」



 そのホーム開幕戦の試合会場となる八橋運動公園球技場は、ご想像のとおり、ピッチの中、スタンド、会場外全体が雪に覆われていました。
 ピッチ内の積雪は、ひざの高さまであったでしょうか。

 雪深い秋田でありますが、1ヶ月後には秋田のJリーグが開幕します。
 緑の鮮やかな天然芝の上で、地元クラブの選手たちが躍動する姿、記念すべきJリーグ開幕の一日を八橋運動公園球技場で体感しませんか。

 ぜひ3月23日(日曜)午後は、八橋運動公園球技場へお越しください!!!



 とは言ってみたものの…
 N岡はパソコン画面に向かってばかりで、試合観戦どころではないでしょうが………。(汗)



数年後の少年たちへ。「第19回秋田カップ東北都市選抜少年サッカー大会」開催

2014年02月23日 19時03分59秒 | ダイアリー

 秋田市サッカー協会主催では平成25年度の最後の大会行事となります

 「第19回秋田カップ東北都市選抜少年サッカー大会」

 が、2月22日(土曜)と23日(日曜)の両日、秋田市雄和「県立中央公園スカイドーム」を会場に開催されました。


 さて本大会です。2月の第3週土曜日曜、または第4週土曜日曜に毎年開催される大会です。
 N岡自身、本大会の運営に携わるようになり10年以上になりますが、ほとんど毎年がスカイドーム周辺は大雪に覆われ、氷点下の厳しい寒さの中での開催になってます。

 今年も例にもれず、スカイドームの屋根にはたくさんの雪が積もっていました。

 

 
 そしてこの大会は、
 市町村単位で構成する4種トレセン(地域選抜)チーム、12チームにより優勝を争う大会です。

 北は北海道函館市トレセン、南は山形市のトレセンまで、北海道・東北地域からこの秋田市に集まって頂きました。
 地元・秋田市からは「6年生秋田市トレセン」が2チーム・「5年生秋田市トレセン」が1チーム出場。


 N岡は「6年生秋田市トレセン」の片方のコーチスタッフとして、2日間帯同しました。

 N岡が帯同したチームの最終結果は12チーム中9位という結果で終えましたが、17名のメンバーは小学校生活最後となる大会を悔いなく戦いきってくれたのでは、と思っております。


 ただ、この2日間で7試合を戦い抜きましたが、まだまだレベルアップが必要だな、と大いに感じたのも事実です。

 「秋田市から選ばれた選手」であるとはいえ、東北各県トップレベルの選手と対峙し、対戦し、
 劣っているプレー・改善が必要なプレーがとてもとてもたくさん散見されました。
 「気持ち=メンタル」の面でも負けているな、と感じたシーンもたくさんありました。


 もう1カ月少しで中学生になる、17名の選手たち。
 中学校に入学して、中学校のサッカー部やクラブチームに入部するでしょうが、

 「0からのスタート」になるわけです。


 N岡が独断で有りますが
 レベルアップに必要である、と考えるのは…


 「向上心」。


 これ1点に尽きると思います。
 小学校でのサッカーは終着点ではなく、スタートしたばかり。まだまだ何年も、何十年もサッカーを続けていくでしょうし、環境は与えられていきます。
 上達する余地は今後も続いていくわけです。

 もう数年後に3種大会(中学校年代)で再開するであろう17名の選手たちが、

 「どのくらレベルアップしたのか?」
 「0からどのくらい階段を駆け上ったのか?」
 
 そして…
 平成25年2月23日のスカイドームで会った”あの少年たち”が…

 「どんな選手に成長したのか?」

 を楽しみにしながら数年後の再開を待っていたい、そう思うN岡でした。


 

2月1日・2日開催「第41回秋田県フットサル選手権大会」 総括~後編~

2014年02月19日 22時08分21秒 | ber gioco

 2月1日(土曜)と2日(日曜)の2日間にわたり、秋田市立体育館で開催されました

 「第41回秋田県フットサル選手権大会」。


 ①「秋田県社会人リーグ」 ②「全日本選手権(プーマカップ)」 ③「秋田県フットサル選手権」
 
 この3大会が社会人フットサル公式戦として開催されており、
 ③の「秋田県フットサル選手権」が年度内最後の大会となっているわけです。
 

 この大会の振り返り(総括)は4回に分けてお伝えしております。

  ①「第41回秋田県フットサル選手権大会」総括 ~前編~

 ②「第41回秋田県フットサル選手権大会」総括 ~後編~

 ③「第41回秋田県フットサル選手権大会」総括 ~特別編~

 ④「第41回秋田県フットサル選手権大会」総括 ~スピンオフ企画~



  ① ~前編~ は2月13日の当「事務局ブログ」でお伝えしました。 
  そして本日が ② ~後編~ です。


 「2月1日2日から何日経ってんだーーよ!」

 「遅せーーよ! ばーか!」

 とお感じの方。少なくないでしょう。。。(@_@;)

 も…も…申し訳ございません。
 時期を逸したとはN岡も少々感じておりますが、この場に免じてお許しくださいませ。((+_+))


 では本題に戻りましょうか~。みなさま戻ってよろしいでしょうか………。

 大会初日は2月1日(土曜)。会場は秋田市立体育館。
 数か月ぶりの公式戦で実戦感覚から遠ざかっていた中での1回戦・2回戦でした。

 【1回戦】12時30分キックオフ  ber gioco 5 ― 4 Jackss (ジャッカス)
 【2回戦】14時30分キックオフ  ber gioco 4 ― 2 ESPERANZA (エスペランサ)

 1回戦・2回戦共に、秋田県リーグ1部に共に所属する「手の内を知り尽くした」対戦相手。

 土曜日の激闘を2度制し、かろうじて日曜日の準決勝に駒を進めました。


 ※※ 第41回秋田県フットサル選手権大会 ~準決勝~ ※※
 2014年2月2日(日曜)11時15分キックオフ
 会場:秋田市立体育館A面(ステージ側)

「 ber gioco Futsal Club VS 秋田FCカンビアーレ 」





 準決勝の対戦相手は
 東北社会人サッカーリーグ1部の「秋田FCカンビアーレ」さん。
 サッカーチームではありますが、今大会の優勝候補に挙げられる強豪チームです。

 文字通り『秋田県サッカー界の盟主』たる存在で、誰もが知るサッカーチームです。

 
 まずは…
 試合結果&試合レポートよりも先に、
「 ber gioco Futsal Club VS 秋田FCカンビアーレ 」の試合フォトを一気にご紹介しましょうか!!
































 以上、 「 ber gioco Futsal Club VS 秋田FCカンビアーレ 」の試合フォトでした。


 試合開始前…
 N岡は「大量失点」も正直覚悟はしていました。
 おそらく、先制点をカンビアーレが取った場合は、カンビアーレが得点を取り続けて一方的な試合展開になったことが予想されます。
 
 しかーーーし!
 この試合の先制点はなんと! ber gioco でした!
 しかもキックオフ間もない早い時間帯だったでしょうか。

 ber gioco が先制したことで、ber gioco各選手には
 「この『虎の子の1点』を守りきらねば!」
 という緊張感が自然発生的に高まり、非常にゲームに集中することができました。

 ゲームに集中できたことで…
 1)不用意なミスパスがなくなり 2)自身のマーカーを見失ったり、守備時に抜き去られたりしなくなり
 3)交代によってピッチに入った直後でも容易にゲーム展開に入っていくことができる

 上記1)2)3)がほぼ完璧に遂行できるようになっていきました。

 
 とはいえ、対峙する相手は「秋田FCカンビアーレ」さんです。
 激戦を戦い続ける屈強な男達と対峙し、1対1の局面では何度も劣勢に立ちました。
 セカンドボール奪取の局面でもカンビアーレの選手たちに何度も負け続けてしましました。


 そんな「絶対不利」の条件下でも緊張感が生む集中力は…
 カンビアーレ選手を相手にしても攻守両面で真っ向対峙し、
 ボールを激しく奪い合い、
 相手の圧力に臆せずゴールに果敢に迫り続けるプレーを披露してくれました。


 ber gioco が先制したのちは…
 徐々に徐々にながら秋田FCカンビアーレが主導権を持ち、同点ゴール → 逆転ゴールを喫し、一転して ber gioco が1点を追いかける立場になりました。


 その時、試合時間は残り2分余り。

 ber gioco がカンビアーレ陣内のペナルティーエリア付近で得た直接フリーキック。
 キッカーは南高サッカー部44期卒、高橋慧。



 シュートの精度がber giocoメンバー内でワースト1位、ワースト2位を争うほど、不正確な高橋慧。
 なぜ、この場面でキッカーを任されたのは謎のままですが…

 高橋慧が放ったグランダーの強烈なシュートは相手の壁の足元をすり抜け、相手GKの手にも届かず、直接ゴールイン!
 
 崖っぷちの土壇場で ber gioco が同点に追いつきました。


 ber gioco が同点に追いつく前、すなわちカンビアーレに逆転ゴールを許した後は、
 主導権は、カンビアーレから ber gioco に移っていき、ber gioco が波状攻撃を仕掛け続けておりました。

 あと少しで!あと数センチ枠内に飛べば! 

 というような決定的チャンスを何度もつかみながらも、得点することはできずにいました。


 直接フリーキックで同点に追いついた後も、何度も何度も相手ゴールに迫るプレーを続けていましたが、試合終了まで「残り1分」に差し掛かった時でしたでしょうか。

 ber gioco が4人全員で攻撃を仕掛けていた時にボールロスト。
 カンビアーレは、その奪取したボールを素早く縦に展開して数的優位を作ります。

ber gioco の1人が懸命に戻り対応しますが、1対2の状況での守備の対応になってしまします。

 カンビアーレは、このカウンター攻撃を正確な個人技とパスで打開し、ber gioco ゴールを3たび揺らし、勝ち越しゴールに成功。

 カンビアーレが3対2と勝ち越しました。


 勝ち越しゴールを許した時で、残す時間は50秒くらいだったでしょうか。。。
 残り50秒でも決して勝負を投げず果敢にカンビアーレゴールに迫りましたが、試合終了のブザが鳴り、その激闘に幕が下ろされました。




 チームを創設したのが2005年の秋でした。
 それから8年が経過しました。

 8年間では、さまざまな出来事やさまざまな試合を経験してきました。

 「節目となる試合」「集大成となる試合」「チームの将来を左右する試合」。
 さまざまなターニングポイントとなる試合を積み重ねてきました。

 残念ながら準決勝で力尽き敗れてしまいましたが、
 このカンビアーレ戦が ber gioco の8年間で『最高の試合』だったと断言できます。


 「8年経って『このチーム』はここまで成長したんだな…」

 N岡が試合直後に思ったことです。

 8年前のチーム創設期、そしてここまでの8年間の軌跡 を振り返るとなると、あまりに長文になりすぎてしまいますので、
 今回は省略させていただきます。
 N岡にとっての「ここまでの8年間」は、一言では言い表せない8年間なのです。

 そして、この日のこの試合が、
 8年前のチーム創設時からゴールマウスを守り続けてくれた門脇剛(かどわきごう)君(南高校31期卒)のラストゲームでありました。
 門脇君への最高の「惜別試合」となりました。



 2014年2月2日(日曜)
 「 ber gioco Futsal Club VS 秋田FCカンビアーレ 」

 N岡自身、一生涯忘れることなど無い「惜別試合」になることでしょう。