【大相撲】若隆景優勝、小学生から貫く『負けじ魂』が原動力に 141年ぶりの福島出身大関へ第一歩
2022/03/28 05:00
◇27日 大相撲春場所千秋楽(エディオンアリーナ大阪)
伸ばした右手が高安(32)=田子ノ浦=のまわしにかかった。これしかない。まげを振り乱し、崖っぷちで捨て身の出し投げ。諦めることを知らない男が、その生き様を大一番で見せつけた。東日本大震災で被災した地元・福島を希望で照らす天皇賜杯。花道の奥には付け人の兄・若隆元(30)がいた。いつもクールな若隆景(27)=荒汐=も、その姿を見ると、込み上げるものがあったが、グッとこらえた。
「最後は何とか残れたんでよかったです。本当に一生懸命、自分の相撲を取ろうと思ってやりました」
若隆景を小さな大力士へと成長させたのは、相撲を始めた小学生のころから貫く「負けじ魂」だった。三段目付け出しで入門したが、プロの世界は厳しかった。師匠の荒汐親方(元幕内蒼国来)がこう話す。
「稽古についてこられない時期が1年ぐらいあった。私が幕内のとき稽古をしたが、まわしを取る大学時代の相撲では彼は勝てないと思った」
このままでは通用しない。若隆景は「勝つにはそれしかない」。いなされてもはたかれても、吸い付くように密着するおっつけを磨いた。稽古の動画で足の位置などをすぐに確認。まげを結い直してもらうわずかな時間に旭国、三代目若乃花、日馬富士…。昔の力士の動画を見続けた。「生活が稽古の感覚だ」と師匠も舌を巻いた。
相撲は小1から。小6でも147センチ、45キロ。小さくて勝てない三男を見かねて、小3から指導を始めた元力士の父・大波政志さんも「(1学年上の次男・若元春に)歯が立たなくて、いつもけんか。次男とは違いすぎて比べることもしてもらえなかった」と言う。小6のとき、同じ相手に3年連続で負けてもヘラヘラしていた息子を父は一喝した。それから変わった。中学では休まず稽古し、県内トップの選手になった。
学法福島高では「(次男に)ライバル心むき出しで、食ってかかるような感じだった」と二瓶顕人監督。同時に力任せではない緻密な取り口を研究し、3年で世界ジュニア団体優勝、軽量級2位の結果を残した。
全国トップの猛者が集まる東洋大相撲部。レギュラーなんて夢物語だったのに「まじめで一生懸命」と浜野文雄監督から副主将を任された。
今は家族が「負けじ魂」の原動力になっている。この日も家族が会場に来てくれた。「いつも支えてもらってるんで、いいところを見せられてよかった」。27歳にして3女1男のパパ。師匠も「稽古が終わると奥さんと子どもたちが迎えに来るんです。子どもたちが『パパーッ』て。4人分の学費を稼ぐって頑張ってますよ」と目を細める。
次に目指すのは大関。福島県出身では若島久三郎以来、141年ぶりの大関へ確かな手応えをつかんだはず。いかなる困難が待っていようがやり遂げる。若隆景にはそう信じさせる力がある。
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◆若島久三郎 福島県会津若松市出身。1881年1月場所で大関に昇進し、8場所を務めた。現時点では福島県出身で唯一の大関。