超低金利が招く老後危機 米年金、リスク運用に傾斜
ニューヨーク=宮本岳則
Market Beat
2021年8月1日 12:00
大規模な金融緩和のしわ寄せで、長期志向の機関投資家が本来の堅実さを失い始めている。超低金利で運用難が強まるなか、米公的年金では運用成績を押し上げやすくなる半面、高リスクな「レバレッジ(借入金で運用額を膨らませること)」活用論が浮上。米生命保険会社のレバレッジは過去最高水準にある。「金利なき世界」は老後のセーフティーネット(安全網)を脅かしつつある。
「レバレッジをかけて多くの資産を取得すれば、より高い収益率を得られる」。約50兆円を運用する米公的年金、カリフォルニア州職員退職年金基金(カルパース)が7月12日に開いた運営委員会。ダン・ビエンビュー暫定最高投資責任者(CIO)は出席した幹部たちにこう訴えた。高リスクな未公開株(PE)市場への投資拡大も今後の検討課題として挙げた。
カルパースのレバレッジ活用は純資産総額比で7%台にとどまる。規定で認める「20%」を大きく下回るのは、運用が悪化すると借金返済の負担が重くなってしまうレバレッジ運用への慎重論が根強いためだ。とはいえ、年金財政は慢性的な積み立て不足で、運用底上げに何らかの手を打つほかない。米年金業界のリーダー格であるカルパースが動けば、他の基金も追随する可能性がある。
米公的年金の運用は過去45年間で様変わりした。米非政府組織ピュー・チャリタブル・トラスツによると1976年当時は資金の7割を債券に振り向け、安定性を重視した堅実な運用だった。だが、足元で債券の比率は2割に低下し、その一方で高リスクな株式やPEファンドへの投資が増えた。
金利低下の影響で債券による運用が難しくなってしまったためだ。91年発行の米30年物国債が2021年11月に償還を迎え、表面利率8%台の米国債は消滅する。22年以降も利率6~7%台の高利回り国債が相次ぎ満期となり、債券運用で安定的に稼ぐのは今後さらに困難になっていくのが確実だ。
生保も似た境遇にある。米連邦準備理事会(FRB)が5月に公表した金融安定性報告書によると、米大手生保の総資産は20年末時点で自己資本の11倍に達し、レバレッジの度合いは00年以降で最高水準にある。
同報告書は膨らんだ運用資金がローン担保証券(CLO)に向かっているとも指摘した。CLOは格付けの低い企業やPEファンド向けの貸出債権を束ねて証券化した投資商品。高利回りと引き換えに信用リスクは高く、流動性が低いのでいざという時にすんなり売却できる保証もない。
CLOの米国での発行額は21年上期に過去最高を記録した。生保などが積極的に購入したためで、企業やファンドの借り入れは膨張した。経済全体のレバレッジは高まり、金融ショックや景気後退への耐性は弱まっている。
「FRBは(高レバレッジの保険会社が投資した)リスク資産の流動性が不十分だったり、保険契約者を危険にさらすほど価値が下がったりする恐れがあると懸念している」。米ニューヨーク大学経営大学院のジョシュア・ローネン教授はこう指摘する。
レバレッジには「習慣性」という怖さもある。「借り入れの効果でひとたび利益を上げてしまえば、保守的なやり方に戻る人はほとんどいない」。バークシャー・ハザウェイを率いる著名投資家ウォーレン・バフェット氏はかつて「株主への手紙」で警鐘を鳴らした。
レバレッジによる高リスク運用が常態化すれば、景気後退や金融危機に見舞われた際の損失は大きくなり、年金や生保は約束した支払いをできなくなる恐れがある。超低金利による運用難は巡り巡って、生活者のためのセーフティーネットを脆弱にしている。
08年のリーマン・ショックで、過剰借り入れの怖さを多くの投資家が学んだはずだった。実際、米生保の運用は金融危機後にいったんレバレッジを下げた。ところが15年以降、再び上昇傾向に転じ、過去最高水準に達した。危機の記憶は薄れ、カルパースなどの米年金基金もこうした列に加わろうとしている。
根底には「ニューノーマル」と呼ばれる世界的な低成長・低金利がある。ここに重なった新型コロナウイルス禍の収束はまだみえず、中銀が金融政策の正常化に転じるのは容易でない。カネ余りによるリスク資産の上昇が続くその裏側で、老後の安心はじわじわとむしばまれている。(ニューヨーク=宮本岳則)