自分をこうだとか、アイデンティティを決めることで、そのような運命を体験することになる(マーフィーの法則)。
ただし、誤魔化しも存在する。
・他人や自分のエゴで、無理矢理、自分の麻雀に合わないことをすること。
根暗な人間が明るい人間を演じるのと同じことである。
はたから見て、このような人を見ると気持ち悪いし、気の毒にしか思えない。麻雀も自然体が一番に思える。
直感で自分に合わない考えだと思ったら、そういう考えは切り捨てるべきで、自分の麻雀を磨く方が遥かに効率がいい。
大体、そんな自分に合わない麻雀を取り入れた所で、中途半端な結果しか残らないものだし、つまらなくしてるだけである。
また、
1、真面目な麻雀を演じる。
2、他人の真似をする。
3、自分の意に反して、実験的なことをする。
などもある。
よく格闘家がやっているが、何遍も、自分が強いと言い聞かせることとかもそうである。
これはあたかも自分が弱いということを認めてるようなもので、何の意味もない。
そういうことが出来るのは、本当に自分が強いと思ってる人間だけである。
というか、自分が強いならそんなことする必要もないのだけどもね。
と、話が逸れたが、相当な豪運を発揮し続ける人間がいた。
自分は馬鹿ヅキだと本当に思い込んでいる人間であり、
親や、周りの人間に、あなたはツイてる人間だと言い聞かせられ続けてきたのだという。
そういう人間は良い人間が集まるし、ツモも配牌も良かったりするし、宝くじなどもしょっちゅう当たったりするらしいのだ。
そうすると、運も実力の内というが、それもそれで事実なのかも知れない。運は自分の意識次第で変えられるのだ、おそらく。
ただし、お経みたいに自分に言い聞かせるのではなく、客観的な事実を積み上げていくだけで十分だろう。
少なくともこの国にいる人間であれば、誰でもツイてるのは間違いないということである。
問題なのはツイてるのにも関らず、運が悪いと思ってしまうことである。これほど傲慢なこともないように思える。
しかも、運が良い悪いの定義も不明である。
何を持って運が良い悪いのか?
運が悪いこともあれば良いこともあるのではないか?
自分で無意識にそのような選択をしてるだけなのではないか?
自分で自分の麻雀を変える気がないだけではないか?
運が悪いというのは麻雀に対する甘えではないか?
よく麻雀で運が悪いと思う人間は、頭冷やし、立ち止まり、よくこのようなことを自問自答した方が良いだろう。
何が言いたいのかというと、運が悪いというのは単なる感情論であり、妄想であり不毛なことであるということである。
そもそも、人間である以上、ツイてない人間など存在しないとも言える。麻雀というのは奥深いことであると同時にシンプルなのだろう。
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