中年おじさんの散策part2

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案内東京-224 利田神社・鯨塚

2024-08-13 04:17:01 | 施設案内・東京

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利田神社・鯨塚
 利田神社は、江戸前期に沢庵和尚が弁財天(洲崎弁天)を祀ったことが始まりと伝わっています。もともとは旧目黒川の河口の海に突き出た砂洲に祀られていた弁天社で、江戸名所図会や歌川広重の浮世絵にも描かれています。明治に変わり利田神社となり、現在の祭神は市杵島姫命。利田の名は、当時この辺りの開発に尽力した利田利兵衛の姓から取ったものです。
境内にある鯨塚は、江戸を驚かせた三大動物の一つ「寛政の鯨」の骨を埋めた上に建てられた供養碑です。寛政10年(1798)5月1日、品川沖で体長九間一尺(約16.5メートル)、高さ六尺八寸(約2メートル)の鯨が現れ、品川の漁師たちが捕獲しました。この大鯨は江戸中の評判となり、11代将軍徳川家斉が浜御殿(現在の浜離宮恩賜庭園)で上覧されたほどの大騒ぎとなりました。
鯨塚碑の正面には谷素外の俳句「江戸に鳴る 冥加やたかし なつ鯨」が刻まれています。東京に現存する唯一の鯨碑です。

利田神社【辨天社】について
 当社は寛永3年(1626)に東海寺の沢庵和尚が弁財天を祀ったことに始まると伝わる。旧目黒川の河口にあるので、洲崎弁天ともいわれ、名所江戸百景の一つにも描かれている。明治になって利田神社と改称した。
【鎮座地】東京都品川区東品川1-7-17
 この鯨碑(鯨塚)は寛政10年(1798)5月1日、前日からの暴風雨で品川沖に迷い込んだところを品川浦の漁師たちによって捕らえられた鯨の供養碑である。鯨の体長は約16.5メートルの大鯨で江戸中の評判になり、ついには時の将軍、十一代徳川家斉が浜御

 

利田神社・鯨塚
捕獲したクジラの頭部を埋葬したと伝えられる鯨塚は、高さ85cm、幅158cm、厚さ32cmの自然石で、一見すると富士のような形をしています。

鯨塚の正面には谷素外の俳句「江戸に鳴る 冥加やたかし なつ鯨」が刻まれています。
※1 江戸を驚かせた三大動物・・・「寛政の鯨(クジラ)」(品川)、「享保の象(ゾウ)」(中野区・朝日が丘公園が象を飼育した象小屋跡)、「文政の駱駝(ラクダ)」(両国広小路で見世物興行)、クジラ以外は長崎からわざわざ陸路で江戸まで来たもの。
※2 浜御殿 ・・・ 現在の浜離宮恩賜公園の中にあった御殿
江戸の町を盛り上げた寛政の鯨とは
今から200年以上も前の寛政10年(1798年)5月1日、前の日の夜からの暴風雨により、一頭の大きなクジラが品川沖に迷い込んだそうです。近くの漁師たちは本物のクジラを見るのは初めてでしたが、みんなで船を出して命がけでクジラを天王洲の方に追い込んだそうです。驚いたクジラは洲を飛び越えて逃げようとして跳ねたところ、逆に浅瀬に乗り上げて動けなくなってしまったそうです。
捕まえたクジラは、長さ九間(約16メートル)、高さが七尺(約2メートル)もあり漁師たちはその大きさに驚いたそうです。この「品川沖で生きたクジラを捕まえた。」という知らせが江戸中に広がり、江戸の町だけではなく近くの村からもクジラを見ようと人が押し寄せたと言われています。
この噂はすぐに江戸城に伝わり、5月3日に漁師たちはクジラに縄をつけて船で浜御殿の沖まで引いていきました。クジラをみた第11代将軍の徳川家斉は、時がたつのを忘れてクジラを眺め、とても喜んだそうです。
“将軍様御上覧の鯨”として人気がますます高まり、クジラの絵の手拭いやクジラにちなんだ食べ物が売り出され、滝沢馬琴の「鯨魚尺品革羽織」や十返舎一九の「大鯨豊年貢」などの本も作られました。
また、「品川の沖にとまりしせみ鯨みなみんみんと飛んでくるなり」という狂歌(※3)が作られて流行したそうです。
その後クジラは脂をとり、頭部の骨を埋めた場所が現在の鯨塚(鯨碑)となっています。
ちなみに、品川沖には文政5年(1822年)と嘉永4年(1841年)にもクジラが現れたという記録が残されています。

 

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20161108 東京南西 紅葉・塚(史跡)
東京都品川区東品川
      利田神社  鯨塚
 利田神社は、品川区東品川にある神社です。利田神社は、寛永3年(1626)に、東海寺の沢庵が弁財天を勧請したのが始まりとされます。当地一帯は安永3年(1774)から天保5年(1834)にかけて、南品川宿名主利田吉左衛門により開発されたことから利田新地と呼ばれ、当社も利田神社と称します。当社内には寛政10年(1798)5月に暴風雨で品川沖に迷い込んだ鯨の供養碑鯨碑があります。
  利田神社は、寛永3年(1626)に、東海寺の沢庵が弁財天を勧請したのが始まりとされます。当地一帯は安永3年(1774)から天保5年(1834)にかけて、南品川宿名主利田吉左衛門により開発されたことから利田新地と呼ばれ、当社も利田神社と称します。
  鯨塚(右の画像)は富士山のような形をした石碑です。碑文は鯨碑ですが、鯨塚として呼ばれています。鯨碑と横書きで記された下には当時の俳人谷素外の句「江戸に鳴る冥加やたかし夏鯨」と刻まれていました。

 

 

 

 

20160922 東京南西 ツツジ
東京都品川区東品川
      利田神社  鯨塚
 利田神社は、品川区東品川にある神社です。利田神社は、寛永3年(1626)に、東海寺の沢庵が弁財天を勧請したのが始まりとされます。当地一帯は安永3年(1774)から天保5年(1834)にかけて、南品川宿名主利田吉左衛門により開発されたことから利田新地と呼ばれ、当社も利田神社と称します。当社内には寛政10年(1798)5月に暴風雨で品川沖に迷い込んだ鯨の供養碑鯨碑があります。
  利田神社は、寛永3年(1626)に、東海寺の沢庵が弁財天を勧請したのが始まりとされます。当地一帯は安永3年(1774)から天保5年(1834)にかけて、南品川宿名主利田吉左衛門により開発されたことから利田新地と呼ばれ、当社も利田神社と称します。
  鯨塚(右の画像)は富士山のような形をした石碑です。碑文は鯨碑ですが、鯨塚として呼ばれています。鯨碑と横書きで記された下には当時の俳人谷素外の句「江戸に鳴る冥加やたかし夏鯨」と刻まれていました。

 

 

 

20160421 東京南西 ツツジ
東京都品川区東品川
      利田神社  鯨塚
 利田神社は、品川区東品川にある神社です。利田神社は、寛永3年(1626)に、東海寺の沢庵が弁財天を勧請したのが始まりとされます。当地一帯は安永3年(1774)から天保5年(1834)にかけて、南品川宿名主利田吉左衛門により開発されたことから利田新地と呼ばれ、当社も利田神社と称します。当社内には寛政10年(1798)5月に暴風雨で品川沖に迷い込んだ鯨の供養碑鯨碑があります。
  利田神社は、寛永3年(1626)に、東海寺の沢庵が弁財天を勧請したのが始まりとされます。当地一帯は安永3年(1774)から天保5年(1834)にかけて、南品川宿名主利田吉左衛門により開発されたことから利田新地と呼ばれ、当社も利田神社と称します。
  鯨塚(右の画像)は富士山のような形をした石碑です。碑文は鯨碑ですが、鯨塚として呼ばれています。鯨碑と横書きで記された下には当時の俳人谷素外の句「江戸に鳴る冥加やたかし夏鯨」と刻まれていました。

 

 

 

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第8回  熊谷カルチャーセンター
品川から水族館めぐり(品川宿・品川水族館)
平成26年3月14日(金) 
池袋ヤマダ電気入り口10時集合
「東京の宿場街、
    旧跡・七福神を散策」
  品川駅--品川新都市街「散策」-(北品川巡り)-品川浦船だまり-鯨塚-土蔵相場跡-寄木神社-(旧東海道)-品川神社「品川富士登頂」(青物横丁)-旧網元の家-浜川橋(深橋)-鈴ヶ森刑務所跡-品川区民公園-品川水族館「見学」-大森駅 

 

 

 

 

 

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20140314  東京南西・鯨塚
東京都港区東品川
利田神社(鯨塚)
  鯨碑(鯨塚)は、寛政十年(1798)5月1日、前日からの暴風雨で品川沖に迷い込んだところを品川浦の漁師達によって捕らえられた鯨の供養碑。鯨の体長は九間一尺(約16.5m)高さ六尺八寸(約2m)の大鯨で、江戸中の評判となった。ついには11代将軍家斉(いえなり)が浜御殿(現、浜離宮恩賜庭園)で上覧するという騒ぎもなったという。
 全国に多くの鯨の墓(塚・塔・碑など)が散在するが、東京に現存する唯一の鯨碑(鯨塚)。また、本碑にかかわる調査から品川浦のように捕鯨を行っていない地域での鯨捕獲の法を定めていることや、鯨見物に対する江戸庶民の喧騒ぶりを窺い知ることができる貴重な歴史資料となっている。

 

 

 

 

 


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