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大森 海苔のふるさと館①
昭和38(1963)年春、大田区をはじめとする東京都沿岸での海苔養殖は、その長い歴史に幕を閉じました。江戸時代の中頃から作り始められた大田区の海辺の海苔は、味・量ともに全国一を誇り、ここから全国へ海苔生産方式が伝えられました。長らく先駆的役割を果たしてきた“海苔のふるさと”です。
平成20(2008)年、「大森 海苔のふるさと館」は、海苔の“本場(ほんば)”とも称されたこの地に開館しました。国指定の重要有形民俗文化財「大森及び周辺地域の海苔生産用具」(881点)を含む約150点の資料の展示を中心とした、地域文化の伝承と創造の場の誕生です。
大田区の沿岸部の人々にとって、“海苔はふるさとのシンボル”であり、養殖が終わった今でも語り尽くせぬほどの心の財産となっています。また、そうした“海苔”にあらためて注目することが、海辺の自然・四季の変化にも目を向けていただく機会となれば幸いです。
“べかぶね”と“ちゅうべか”
海苔の摘つみ採とりに欠かせない舟は、“べかぶね”あるいは“海苔採り伝馬てんま”と呼ばれた小舟です。一人乗りで、摘み採った海苔を入れる笊ざるを積つんで出かけます。古くは、この“べかぶね”を漕こいで海苔のり養殖場ようしょくじょうへでかけましたが、漁場が拡大かくだいするにしたがい、大型の海苔船に積んで往復するようになりました。また、大型の海苔船が普及する前は、養殖ようしょく資材しざいの運搬船として、“ちゅうべか”と呼ばれる安定のよい中型船が使われていました。展示の“ちゅうべか”は、貴船きふね堀ぼりの船大工“船ふな竹たけ”に残されていた記録をもとに、平成8年(1996年)に復元ふくげんされました。
海苔のり船ぶね
小舟を漕こいで行くには遠い沖へと海苔場が広がり、また、千葉県沿岸へ種たね付つけ(胞子ほうしつけ)に資材を運ぶようになると、大船が必要になりました。明治時代に中古漁船を使うことからはじまり、海苔のり専用せんよう船せんとして造船されるのは昭和になってからのことです。それが“海苔のり船ぶね”あるいは“親船おやぶね”と呼ばれる動力船で、電気でんき着火ちゃっか機関きかんを積んだ船は“チャカ”とも呼ばれました。特に第二次大戦後は、海苔網の支柱しちゅうを運ぶために各戸で必要となり、昭和38年(1963年)の海苔養殖廃業はいぎょう時じには、大森には700艘そうあまりの海苔船があったといわれます。この海苔船は、昭和33年に大森の伊藤安太郎氏の依頼で貴船堀の船大工“船竹”(小島氏)で造船され、海苔漁業の終了後、昭和40年に伊東嘉一郎氏が譲ゆずり受け、釣り船として使ってきた船です。大森の海苔船として現存する最後の一艘です。
大森 海苔のふるさと館②
海苔のり付つけ場ば(再現)
海苔生産者の冬の朝は早く、深夜しんや2時ごろには“付け場”の電灯でんとうがともり、作業が始まります。“付け場”は母屋おもやの一角いっかくを張り出すように作られた作業部屋で、夜明けまでに“海苔付のりつけ(海苔抄すき)”をしました。ここでは、昭和30年頃の付け場を再現しています。窓の外には、井戸から汲くんだ水を一時ためておくための
“導水管どうすいかん”があり、その水を“付け台だい”の脇わきへ置いた“付け樽だる”へ流し込み、刻きざんだ海苔を溶とかします。“付け台だい”には“付け枠わく”を載のせた“海苔簀のりす”が置かれ、その枠の中に“付け升ます”で水に溶いた海苔を流し入れて簀に付けます。
海苔を育てるヒビ
海苔を育てるために海中に建たてた木や竹をヒビ(篊)と呼びました。ヒビとは元来、木や竹を柵さくのように建てた囲いの中へ魚を誘い込んで獲とる仕掛しかけを指すものでした。木や竹を建てて海苔を育てる発想も、そうした漁獲ぎょかく施設しせつの木竹に海苔が育つ状況から来たものと考えられます。海苔ヒビは江戸時代から大正時代までは木のヒビが、第二次大戦までは竹のヒビが主流で、戦後は海苔網あみ(網ヒビ)となりました。
ヒビごさえ(ヒビ作り)
夏は日ひ除よけの葦簀よしずの下で、ヒビごさえに汗を流しました。竹ヒビが使われていた第二次大戦以前は、“せっころ落とし”がひと仕事。竹は2~3年再利用するので、“せっころ”と呼んだフジツボを鉄ヘラでガリガリ落として仕立て直します。新しい竹はしばらく川に浸つけ、油気あぶらけを抜いて海苔を付けやすくしてヒビに仕立てました。戦後、海苔網あみ(網ヒビ)が普及ふきゅうすると、どの家も椰子やしや棕櫚しゅろの縄を買って編あみました。
ヒビ建て
木ヒビや竹ヒビの時代、海へ建てる作業は9月中旬から始まりました。振ふり棒ぼうを突き立てて海底に穴をあけ、そこにヒビの根元を差し込みます。作業場所の水深によっては高さ1~5尺 (約30~150㎝)の下駄を履はき分け、それに対応する長さの振り棒を組み合わせて使いました。海苔網になると、網を張る支柱を建てますが、海底の堅かたい漁場では圧力ポンプの水圧すいあつで穴をあけて建てました。
海苔網あみ(網ヒビ)
木ヒビや竹ヒビは、満潮時まんちょうじには海面かいめん下かに潜もぐるので、海苔採りは毎日変わる干潮かんちょう時間に縛しばられました。また、資材の運搬やヒビごさえ、建て込みなども膨大ぼうだいな労力が必要でした。そうした負担を軽減けいげんしたのが海苔網で、干潮時でなくても海面下の網を引き上げることができます。開発は大正9年に水産すいさん講習所こうしゅうじょの試験場(千葉県五井)で始まり、千葉県沿岸では第二次大戦前に広まりましたが、大森で普及したのは大戦後でした。
大森 海苔のふるさと館③
海苔の伝統技術体験
あみあみペットボトルホルダーづくり
昔、海苔の網は、網針(あばり)と目板(めいた)という道具だけを使って自分たちで編んでいました。その編み方を応用して、ペットボトルを持ち運ぶ入れ物をつくります。編み方をマスターすれば、インテリア小物にも応用できます。
日時 令和5年6月3日(土)・18日(日) 午後1時から4時まで (両日とも同じ内容です)
対象 小学5年生以上
定員 各回先着7名
大森 海苔のふるさと館④
案内東京-248 大鳥神社
案内東京-247 松林山 大圓寺(大円寺|通称:大黒寺)
案内東京-246 中延日本蜂蜜保存会
案内東京-245 中目黒界隈
案内東京-244 調布航空宇宙センター
案内東京-243 天神通り商店会
案内東京-242 殿ヶ谷戸庭園
案内東京-241 土方歳三資料館
案内東京-240 東海七福神巡り
案内東京-239 東京ジャーミイ・トルコ文化センター
案内東京-238 東京めだか流通センター
案内東京-237 東京海洋大学 芝浦
案内東京-236 東京都庁舎
案内東京-235 東京農業大学「食と農」の博物館
案内東京-234 美空ひばり記念館
案内東京-233 東光寺
案内東京-232 東宝スタジオ
案内東京-231 等々力渓谷
案内東京-230 等々力不動
案内東京-229 等々力緑地
案内東京-228 日本キリスト教団 聖ヶ丘教会
案内東京-227 日本近代文学館
案内東京-226 日本民芸館
案内東京-225 日蓮宗 福聚山 新宿鬼子母神 成子子育地蔵尊
案内東京-224 利田神社・鯨塚
案内東京-223 品川宿
案内東京-222 品川宿交流館
案内東京-221 布多天神社
案内東京-220 武者小路実篤記念館
案内東京-219 武蔵小山温泉清水湯
案内東京-218 法蓮寺
案内東京-217 北沢八幡宮
案内東京-216 北馬込寺郷公園
案内東京-215 満願寺
案内東京-214 妙福寺 (大田区)
案内東京-213 妙法寺 おおくら大佛
案内東京-212 無量寺 (世田谷区)
案内東京-211 目黒雅叙園
案内東京-210 目黒区古民家
案内東京-209 目黒天空庭園・オーパス夢ひろば
案内東京-208 目黒不動尊 滝泉寺前不動堂
施設案内東京-206 野毛大塚塚古墳
施設案内東京-205 薬師如来瑠璃光院
施設案内東京-204 祐天寺阿弥陀堂
施設案内東京-203 用賀プロムナード
施設案内東京-202 用賀駅
施設案内東京-201 養玉院如来寺
「施設案内東京 151~200」
施設案内東京-200 龍子記念館
「施設案内東京 101~150」
施設案内東京-150 深川七福神
「東京施設案内 51~100」
施設案内東京-100 明治大学発祥の地
「東京施設案内 0~50」