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延命寺
小塚原刑場跡、首切り地蔵、荒川区南千住にある浄土宗寺院
浄土宗寺院の延命寺は豊国山と号します。昭和57年11月20日、小塚原回向院から分院独立し開山しました。首切り地蔵(延命地蔵尊)が祀られています
延命寺は、昭和57年11月20日、小塚原回向院から分院独立し、小塚原刑場跡地の当地に開山しました。
小塚原の刑場跡
江戸のお仕置場(刑場)は、品川の鈴ヶ森刑場と千住の小塚原刑場の二つである。
小塚原の刑場は、間口60間(108m)、奥行30間余(54m)で、明治のはじめに刑場が廃止されるまでに、磔・斬罪・獄門などの刑が執行された。
首切り地蔵は、この刑死者の菩提をとむらうため寛保元年(1741)に造立されたものである。(荒川区教育委員会)
延命寺は、もとは小塚原回向院の一部でしたが、明治28(1895)年、土浦線(現在のJR常磐貨物線)敷設工事のために線路によって分断され、昭和57(1982)年11月20日に線路の南側の部分が延命寺として開山しました。
高さ4メートル近く(1丈2尺)の大きなお地蔵様が目を引きます。この地蔵は27個の花崗岩からなる寄せ石作りで、一般には「首切り地蔵」と呼ばれる「延命地蔵尊」です。このあたりは小塚原刑場の跡地で、この地蔵尊は回向院の建立から75年後の寛保元年(1741年)に、刑死者を弔うために建てられました。その台座には当時の発願者の名前が刻まれています。この首切り地蔵は、もともと南千住貨物線の線路の南側にあったものが、先に述べた鉄道の敷設工事の際、現在の場所に移されました。そのため延命寺という名称も、この首切り地蔵=延命地蔵尊に由来します。
小塚原刑場は江戸時代、江戸の近郊ではりつけや獄門、火罪、斬罪などを行うお仕置き場として、品川の鈴ケ森とともに作られたもので、間口60間、奥行き30間のおよそ2000坪ほどの規模でした。この刑場は明治6年、7月に廃止されましたが、それまでに20余万人もの人が処刑されたと言われています。
20141010 東京北東
東京都荒川区南千住
南千住 延命寺
浄土宗寺院の延命寺は豊国山と号します。昭和57年11月20日、小塚原回向院から分院独立し開山しました。首切り地蔵(延命地蔵尊)が祀られています>
江戸のお仕置場(刑場)は、品川の鈴ヶ森刑場と千住の小塚原刑場の二つである。
小塚原の刑場は、間口60間(108m)、奥行30間余(54m)で、明治のはじめに刑場が廃止されるまでに、磔・斬罪・獄門などの刑が執行された。
首切り地蔵は、この刑死者の菩提をとむらうため寛保元年(1741)に造立されたものである。(荒川区教育委員会)
施設案内東京-56 下谷七福神
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施設案内東京-50 丸石ビルディング
東京都台東区日本堤
丸千葉
南千住の大衆居酒屋「丸千葉」。どこか懐かしさを感じる店には、刺身・揚げ物・炒め物となんでも揃うと幅広い層から人気のお店。料理の美味しさはもちろん、お酒も豊富、そして店全体の雰囲気が明るく楽しいとのことで、大人気店となっている。
非常に庶民的なお店、それだけに気楽に呑み食べられる場所。カウンター中心の店だが、臨席した人はすぐに仲良くなってしまう。


「新旧の江戸を楽しみ移転しむ旅」
10月16日(木)11時30分南千住南口集合
14時30分三ノ輪駅(日比谷線・荒川線)解散
隅田川の北には庶民性を感じる町が多々あります。北への旅の出発であった南千住は、本陣などもあり宿場地の雰囲気が残されています。古社・史跡巡りを楽しみながら商店街を散策しました。
南千住(JR常磐線・メトロ)-千荒川回向院(地蔵)-「尾花(ウナギ店」-小塚原刑場跡・首切地蔵-住大橋(芭蕉ゆかりの地)-素盞雄神社-「青木屋(ほくほくのコロッケパン)」-荒川ふるさと文化館-ジョイフル三ノ輪-三ノ輪(メトロ・荒川線)
ジョイフル三ノ輪、庶民の食堂を楽しみましょう。
「釜飯」を食べましょう。850円程度~。
釜飯玄(20種の釜飯・あら川メニュー)


