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ソラの記録

このブログは「地球の謎解き」(https://sora.ishikami.jp/)の情報を元に構成しています。

ヒミコはイシカミからビジョンを見せて貰いホツマ文字を書いた、地震雲、フィジーM7.1

2014年11月02日 23時03分11秒 | 「地球の謎解き」の情報
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・「ホツマ文字を元にいろいろな古史が書かれたのです、富士の麓に栄えた都があったのは本当なのです
・「ホツマ文字と仁徳天皇稜
・「ヒミコより、ホツマツタエ、アワの歌、カタカナの意味、地震雲、イースター島沖M6.0

地震雲などの画像より
2014年10月26日 余市町 16:38 南【トンガ・ヒヒフォ北西沖M6.1、イースター島沖M6.0、フィジー付近M7.1】
28-OCT-2014 03:15(日本時間 12:15) -15.19 -174.67 M6.1 深さ35.0km TONGA ISLANDS(129km NW of Hihifo, Tonga)
01-NOV-2014 10:59(日本時間 19:59) -31.82 -111.18 M6.0 深さ10.0km EASTER ISLAND REGION(544km SSW of Hanga Roa, Chile)
01-NOV-2014 18:57(日本時間11/2 3:57) -19.70 -177.79 M7.1 深さ434.4km FIJI ISLANDS REGION(141km NE of Ndoi Island, Fiji)
2014年10月30日 三田市 7:44
2014年10月30日 三田市 8:25
2014年10月31日 尾張旭市 9:03

2003年9月7日
バーミアン、ヒミコより。【訂正】ヒミコノ生まれはペトラでサマルカンドへ行った?

2003年9月5日
バーミアンの仏典の文字を見ていると、右親指の付け根にサインあり。

「こらえきれません。
私の事を書いてください。
私はバーミアンの石窟のイシカミです。
私のかわいい子供(巨人)が仏像を彫られて殺されました?
私の子供は悪者の為に、一番嫌なことをされました。
知らせて欲しいのです。
(仏像が彫られる前は)人間達は皆、私が作った食べ物を沢山食べていました。
けれども、嫌なもの(仏像)が彫られてから、それにお供えを沢山するように僧侶に言われ、いつもひもじい思いをするようになりました。
そして(仏像を)拝むように強制されました。
私は初めから見ていましたが、今も(他でも)同じようにしています。
死後の世界は(仏教で)知らされていることと違う事を知らせてください。
サインの痛みや違和感を“止めて欲しい”と言うと症状は無くなるが、その事はソラのものやイシカミがお知らせしているという事を、知らせて欲しいのです」

2003年9月7日 真夜中に目が覚める。

「私はヒミコです。
私も(ビジョンが)見えてホツマ文字を書いていきました。

送られてきた文字もそうなのです。
(昨年、チャネリングをする人から、ビジョンで見たと変わった文字を描いて送られてきたことがありそれの事。又、ラダ星人とコンタクトをしているというチャネラーも、神の文字と言ってビジョンで見える不思議な文字を、紙に書いて浄霊をすると商売をしていましたが、金星人の文字といわれるものに似ていました。釣り針型は宇宙人と言っていましたが、人間を支配する人という意味と思いました)

なぜ知らされた文字がいろいろ出てくるかというと、バーミアンの石窟に仏像を彫られたイシカミが、なんとしても知って欲しいとテレパシーで知らせているのです。
バーミアンになぜ巨大な仏像が彫られたかというと、そこにプレアデナイが降りたからです。
そしてイシカミに嫌がらせをしてイシカミを封印するためです。
文字が出てきたのは、イシカミがヒミコに知らせた文字を真似して、プレアデナイがそこの人に教えた文字なのです。

あれ(発見されたバーミアンの仏典の文字)は人間がするべきことが書かれているのです。“空に届くほどの大きな方にお供え物をしなさい。お願いをしなさい。それが身を守ることになるのです”と書かれているのです。
その文字は当時支配していた支配星(プレアデナイ)の部下が人間にビジョンを見せて書かせたのです」

「私(ヒミコ)はイシカミから(ビジョンを)見せて貰い“ホツマモジ”を書きました。
ヤマタイコクの国があったという証拠は全て隠されたと思っているでしょうが、埋もれたモノの中にあります。
ヒミコがなぜ降りてきたかというと、かわいそうで見ておれないからです。
これ迄これほどたくさんのことをお知らせしているのに、激しい攻撃をされているからです。

ヒミコはペトラで生まれてサマルカンドへ行きました?
石窟のあった近くの町? で生まれましたが、そこからバーミアンが見えます。
なぜそこから仏典の文字が出て来たかというと、(イシカミから教えられた)ヒミコの文字を(プレアデナイが)真似した事を知らせているからです。
楼蘭の都がなぜ砂に埋もれて無くなったかというと、そこのイシカミが(プレアデナイに支配され)石窟にされ仏像を彫られる位なら、原子に戻りたいと砂になって行ったからです。そして以前は緑溢れる町であったのに、争いばかりの町になり砂に埋もれて無くなったのです」

*)【ヤマタイコク物語

2004年1月29日
物部守屋、宗教の闇NO.2

昨夜知らされたことです。

「小さな星述べの者は、“人間以外のもの(イシキ界)”と話が出来ました。
それで(農作物を)作るのに良かったので、多くの人が集まって来ました。
その星述べの者をヤマトの者が連れて行こうとしたので、物部守屋が反対し、争いとなったのです。
守屋とは“子供を守る”と言う事から名前がついたのです」

綾部の私市円山古墳の頂上からは大人と子供の遺体が出てきたそうですが、以前に知らされた時にも、物部氏と子供の星述べの者と伝えられていますが、このことで情報と合っていると思います。

ソラ画像より
私市丸山古墳、ワの山古墳=イチゴ=ブッダの頭をあらわす
綾部市にあるワの山の古墳。
京都府一の大きな古墳ですが、近年高速道路の工事で見つけられるまで古墳という事は知られていなく、完全に隠され封印されていました。
ワの山の周りは丸い小石が敷き詰められ、石を大切にしていた事がわかります。
頂上には大人と子供のお墓があり、知らされた情報と一致しています。
周りの土器の真中に穴が開いているのは、将来このお墓の下に道路が通る事をチャネリングで知らされ、それをあらわしているとしらされました。
物部守屋と星延べの白い木の子孫のお墓だそうです。
大人と子供のお墓で1500年前。
小石が敷き詰められたワの山は、巨人の遺体です。
イチゴという名前【イシカミのチカイのゴロク】からつけられ、ワの山に小石をイチゴの種にみたてた形を真似て作られたと伝えられました。
2004年5月11日のお知らせ(倭の国、イシカミの誓いの語録=イチゴ、曲がった刀)参照。
大仏=ブッダの頭もこれをあらわしている。

宗教についてはお知らせを一部読まれただけで、宗教の実態をご存知ないからと思います。
仏教についての闇の部分は本にも書いていますが、遣唐使の頃はとてもひどかったと言葉であらわせないくらいの状況を知らされました。
丁度オームのようで、若い頃に遣唐使としてその実態を見て来た道真は、お金をかけて仏教を学ぶ遣唐使を送る必要がないと中止して、それから一貫して仏教に反対の立場であったそうです。

そして道真は、仏教以前に人間のために食料などを作り出し、 (チャネリングで)農業の指導をしてくれたイシカミを信じていたヤマタイコクの資料を見つけ出し(ヒミコのホツマツタエ)、それを世に公開するように進言したそうです。
けれどもすでに当時は仏教の方が力があったために、道真は左遷されたと伝えられています。

巨石のそばにあらゆる宗教のものがあるのは、食料など作り出したイシカミを人々が信仰するのを嫌がって、封印するために作られたと伝えられていますが、それは海外でもよく見られます。

そして宗教者と権力者が結託して民衆を支配し、言う事をきかないと死後は地獄の世界へ行くと脅かし洗脳してきたのです。
その地獄の様子を見させ、それを詳しく知らせ、未来に起こる事を予言しそのような事を実際起していったのが支配星でした。

星にそのようなエネルギーがあると人間が気づかなかったのは、支配星がその事を教えないで、ただ自分たちを神として敬い、言う事をきくようにとコントロールしてきたからです。

「岩」(=イシカミ)に巨大仏像を掘り込んだ遺跡保存に巨額が使われるそうですが、崇めてほしいと言うエネルギー体があの争いを起させているのに、それをさらに増長させるだけです。
お金は現実に困っている人たちのために、今は優先的に使われるべきと思います。
生きている人間が落ち着いてからなら、遺跡のためにお金を使うのは全く自由ですが。

2004年3月30日
柿本人麻呂、酒船石

2004年3月28日 涙が自然に出てくる。

「(柿本)人麻呂です。
思いがけない事になりました。
こちらで(小野)小町に会え、とてもうれしい事でした。
1000年も経て恋人に会えるとは、、。
なぜ私が持統天皇に仕えたように記録が残されているかというと、私は平民で位がなかったので、(道真を友人だとわかると)困るからです。

(道真と友人だったと知らされるのに年代が合わないと思っていたが、故意に仕えた天皇を変えて明記しておいたこと。小野小町共に生没は不詳のはずです)

私は(被差別)の生まれでしたが、星述べができ歌が詠めたので、余所の家にもらわれたのです。
私がなぜ道真や小町と友達になれたかというと、私がカタカナやホツマツタエの事を道真などに知らせたからです。
(右側腹部がチクチクと5、6回する。そこを刺されて亡くなったが、本当の意味だというサイン)

私は和歌が詠めたので、古い書物(の管理)をまかされていました。
橿原神宮の倉庫の中で紙に書かれた古い書き物を見つけました。
それはそれまで使われている文字(ひらがな)と違う形の文字(カタカナ)でした。
そしてその文字は同じ拍子(リズム)を持っていました。
そしてその拍子はの人々が口ずさむものと同じでした。
それに当てはめるとあっていたので、その文字の読み方がわかったのです。
それで道真に知らせたのです」

2004年3月29日
柿本人麻呂の
【おとめらが そでふるやまの みずがきの ひさしきときゆ おもひきわれは】
の歌が石上神社の石碑に書かれていましたが、なぜか気になる人が複数いました。

「人麻呂です。
これは痛ましい過去の言い伝えを頭で描いて詠んだものです。
言い伝えでははるかいにしえに、ヨ、ヨ、ヨ(となかなか言葉にならない)
世を治めていた人(大国主)の娘が、ここにさらわれてきて、水垣(水掘)の中に閉じ込められたと言う事をあらわしたのです。
何重にも垣を作り、逃げる事が出来ないようにされていたので、娘が袖を振って山(イシカミの巨人)に助けを求めていた事を詠んだのです」

3月30日
「“タカヒトだ? 高みから見るものだ?”と、えらそうな言い方で降りている人がいる」 というメールがあり聞くと。

「キンメイ天皇です。
ソラのものに降りて言わなければならないと言われ、伝えてもらおうと思い降りました」  と。

「私があの(酒船)石を作るように命令したのです。
なぜかというと仏教の力を強めようと思ったからです。
それには、食べ物を与えてくれたと思っている山になった巨人を崇めている人々の思いを、何とか変えたいと思ったからです。
それで巨人が作った証拠の石の家(鬼のせっちん、まないた)などを、なんとかしようと思い、山から落とさせたのです。
(鬼の雪隠は、鬼のまな板の下に転げ落ちたような形である)
そしてあのような名前を付け、脅かす伝説を作り上げたのです。
山の上にある巨人の顔と思っている丸い岩を船に仕立て上げ、(石神は)もう船出したと民衆に思わせたのです。
そしてあそこで尿をさせ、その山から下がってきた水を加えて、亀に流れ込むようにしたのです。
人々は亀は石神(イシカミ)の化身と思っていたので、自分達の方が上で(石神は)なんら力がないように思わせたのです。
石をそのようにするように(僧侶に)言われたのです。
仏教を広めるためでした」

ソラ画像より
心合寺古墳出土の埴輪
八尾市立歴史民俗資料館展示解説のパンフレットから「水の祭祀場をあらわした埴輪」と説明してありますが、、。
パンフレットを見ていると、目に刺激ガスを浴びたような感覚になり涙があふれてきました。すぐに治まりましたが
「イトが閉じ込められたモノでした」
と言葉になりました。
本【ソラからの真実の歴史】にまとめていますが、ヒミコの娘のイトは、ジンムにさらわれてヤマトで幽閉され、周りは逃げられないように池と柵で囲まれたと伝えてきていました
そのことを伝えるために、塀つきの家を残しておいたそうです。
書いていると、左下腹部と左足親指の付け根に5、6回のサインあり。

吉美小の前の道標の石碑
アップで取ったのがぼやけてしまったのですが、
「右たかくら、左ほしはら、おろ」
と書かれていてとても驚きました。
(ちなみに今日までこの石があるのは気づきませんでした)
なぜ、驚いたかと言うと、この情報や数0年前に見た夢とつながるからです。
それは綾部から星原へ行くには今は、イシイネという所の道路を通りますが、終戦前後?にイシイネの巨大な岩を爆破して道を造ったそうで、その前には道はなかった?
それでこの吉美小学校の横の道標のある道を通り、低い山の峠になった山道を通って綾部に行っていた?

子供の頃から何度か見ている夢に、
“この峠?を越えていると、高倉のほうから山を伝って人が来る”
のを見ています。
そして子供の頃?に見たのでもとてもはっきり覚えている夢は
“イシイネは巨大な岩があり、その岩に沿って川の砂地を歩いて渡ると、突然星原の田んぼが目の前に広がる風景”
です。
そして更に驚いたのが、チャネリングで、山彦がイシイネの巨石の上に登って母イトがヤマトへ連れ去られるのを見送ったという言葉でした。
この道標がそれらを物語っていると思いました。
これらを見てほしいので、ここに来てほしいと言って来たようです。
【 田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ 】
歌の意味
《ヒミコの娘のイトが(ヤマトに連れていかれるのに)丹後の由良の家を出て星原に行ってみたら、息子の白い木の者の山彦が(いじめに)耐えていた。
(白)藤を持ったお母さんが連れて行かれるのを、(山彦は)高い井根(石井根という大きな岩)の上で手を振って見送った。》
「これは私の作った歌です。柿本人麻呂です」と。

奈良県藤原宮跡
赤い柱は新しく再現工事がされていましたが、驚いたことにそれまで知らされていたヨーロッパに降りたイシカミはバナナのようになって降りてきて、途中で別れたということでした。
それでアイルランドなどヨーロッパのの塚と日本の塚が全く同じということがわかりました。
それらがアトランティス前御の文明と関係し、巨石文明を築き上げたということです。
それらが星座のできる前だったので《ミナシゴ》と名乗ってきました。
読者と同じ日に見た↑の家の埴輪がそれを知らせています。
この広場の中央には古木が祭ってあり、木星=プレが支配していたことがわかります。

石舞台1
先回見た時は、赤ちゃんの巨人のように見えたのですが、画像を整理していて見ると、こちらを向いた顔で大きな目に見えました。
あたかも動けないので助けて~という感じです。
又、蘇我氏の墓と説明をしようとする人に対して「本当のことに気付いて」と叫んでいるようです。
画像を大きくしないとちょっと見えにくいです。

石舞台2(堀の中の石)
前回気付かなかったのですが、中くらいの石ですが、「ここも気付いて」と大きく口を開けて叫んでいるような、ちょっと釣り目の女の子のようです。
白い4本の線は「石でも神経があるのよ」と先日から4本の雲で知らせていました。笑

石舞台3
三方によっては、イシジンの最初の姿の雪だるま型です。
羨道や内部の巨石はシリウスをあらわす長方形や、丸みを帯びるいて座型でできています。

石舞台4
天井の岩は蘇我氏の墓と説明をしようとする人に対して「本当のことに気付いて」と叫んでいるようです。

石舞台5
巨石で覆われた石室の天井の高さはやはり一番高いように思います。

石舞台6
かってこのすぐそばに子供のころ住んでいたという読者の話では、岩が少し出ていただけで、上に登って遊んでいたということで、周りは畑だったそうです。
しっかりと残っている仕事をしていることで「ここも見て」という言葉が出てきたのが底辺の葺石でした。
そしてこの古墳は天野香具山の分身ということを初めて言ってきましたが、この後、驚くことを伝えてきました。

石舞台7
かっては畑だったそうですが、一瞬白い石などでアイルランドのストーンサークルの草原を思わせました。
驚くことに同じイシカミの集団が、アイルランドなどや日本の各地に降りたと言葉になりました。

明日香の水洗トイレ
過去のソラ画像(奈良の巨石水洗トイレ)に書いている通り、2003年に見た時から、水洗トイレと言葉になっていまして、さすが紹介はできませんでした。
けれどもローマやトルコなどで石の水洗トイレが残されているというのは、アトランティス後期に人間のために創られたということと、今回同じイシカミの集団がバナナのようになって各地に降りたので、同じような知恵を形に表していたというのでつながると思います。
又、最初に見た時はあまり周りのことを覚えていないのですが、左上の階段状の石組は、巨人のイシジンが小さい人間のための排せつの仕方を教えるための見物席とも伝えられていましたが、実際にその石組がありました。

酒船石1
先回伝えられたように、酒=イシカミのお汁を飲むためでもありますが、今回はホルモンの流れとも言葉になっています。
両脇の丸は目で中央の丸は甲状腺で全身につながっているということのようです。
ソラの情報では、甲状腺は宇宙の大元をあらわし、飛び出すことで体を見渡して前身のバランスを取ると伝えられています。

酒船石2
両側が削られているのは、これは初期に降りてきたミナシゴのイシカミでしたが、後から降りてきたイシジンの巨人が削って、細かくして水に溶かしてお汁として飲んだためと。

酒船石3
先回は気付かなかったのですが、酒船石の横に石が埋め込まれています。
その一つの三角?石がさっき崩れたとこのように倒れていました。
とてもわかりにくいのですが、二体のイシジンが並んでいたようで、倒れた石はお汁の管である角の一つのようです。
ソラにはそのことを伝える雲が出ていました
そいうえば石舞台の横の芝生に、中くらいの石が数個ならんでいましたが、突風もないのに突然看板が大きな音を立てて倒れて、石を見てほしいと言葉になっていました。

三輪山
遠くから見た時、ちょうど桜?が咲いているせいか、それが小さな釣り目でとても怒っている顔に見えて仕方がありませんでした。
今もへびを崇めて卵を与えているそうですし、大三輪神社、大神神社が麓で封印してることも、ひどく嫌だそうです。
綱越(つなこし)神社は3柱鳥居で三角ですが、桧原神社は三つ鳥居、つまり鳥居が3つ繋がっている状態で、三角ではありません。
三輪山(みわさん)をご神体とし、本殿がない大神(おおかみ)神社の摂社です。

耳成山
ヤマト三山の一つの耳成山は、麓に寄っただけでした。
麓の池には早くも何羽ものツバメが飛び交っていましたが、話をしていると
すぐ真上や真ん前に急旋回をして、誇示しているようでした。
アイルランドなどでは、鳥イシジンがたくさん出てきましたが、同じ仲間だったんだよと知らせているようでもありました。

リュウオウ山
くの山並みです
読者より↓のサイトを紹介してくださいました。
*)大和青垣・リュウオウ山
*)リュウオウ山古墳群

改めて奈良の古墳の多さに本当に驚きます。
リュウオウ山の古墳群は600からあるそうで、奈良には他にも、新沢千塚古墳があります
イシカミ(山)の横穴から沢山のイシジンが出ていたが、次第に固まってきてイシジンが創られにくくなり、石室を創って(になって)そこからイシジンが出てきたと知らされました。
この古墳群はそれをあらわしているようです。

ピストルの弾の形のどんぐり
このように細長いピストルの弾のようなドングリは、全く同じものを地中海の島で見ました。
それはアトランティス文明を起こした戦いの好きなイシカミということでしたが、このイシカミも弥生人という戦いの好きなやんちゃなイシカミなのは、元は同じバナナの形のイシカミから降りてきたからということです。
↑の藤原宮跡が、アトランティスの文明のギリシャなどの建物とよくにているのも同じ理由です。
ちなみにアトランティスの文明を起こしたのは、ニューグレンジで造られた巨人のイシジンが南下して創ったということです。

天の香久山(案内板)
伊予国風土記に「天から降ってきた山」という伝承が残っているそうですが、ソラからの情報でも同じです。
バナナのように分かれたイシカミが、世界各地、特にアイルランドやフランス、日本各地に別れて降りたので、似たような石室があるということです。
そのイシカミの岩場リーダーが、アイルランドのニューグレンジで、完璧で巨大な石室を創り、それを真似て日本でも小さな石室を各地で造った(=イシカミの原子たちがkっ都合して形になった)ということです。
そしてそれぞれ石室内でイシジンが創られ、巨石遺跡の遺物や、イシジン、その記憶を持った人間がストーンサークル内で造られたのが、弥生人ということです。

天の香久山(登る途中の道案内板)
登る道中は、かっては段々畑だったようで、頂上は思っていた以上に尾根が長く平らで、いろいろな神社で封印されていました。

白い木
天の香具山の頂上の木で、陽が当たっていたのもありますが、はっとするほど白く、石柱と似ていると思って撮っていました。
その夜
《イメージか夢》
“白っぽい切株と白い木が並んでいる”
意味は
「崩れた古株はアトランティスの石柱で、生きている白い木は天の香久山の木です。
元のイシカミは後期アトランティスと日本も同じだったと言うことです」

天の香久山の頂上1
前方後円墳の形と似ていると思われます。
ここにも白い木があります。

天の香久山の頂上2
国常立神社の前に”壺”が埋められているそうです。
雨乞いの時の儀式に用いたそうですが、アトランティスは壺を頭に載せてお汁を補給していました。
国常立(クニタチトコ)は天地開闢と共にあらわれた国土形成の神だそうですが、リュウオウ山、ウネベ山、耳成山などは、天の香具山の分身と言葉になっています。

奈良 頭塔1
正倉院展の時だけ一般公開しているという頭塔に行きました。
階段状の塔は日本では岡山と堺市の3か所だけのようです。
窪んだところに自然石やそれに石仏を掘ったのがあります。
本来は小山で土に埋もれていたそうで、イシカミの原子が一部変化してできたもののようです。
このように一部だけ窪んでいるのは先日インドネシアで、スズメが窪みを造っていたことで、同じ意味と知らされました。

*)頭塔…奈良市高畑町にある土製の塔。1辺30m、高さ10m、7段の階段ピラミッド状の構造。

タナロット寺院の屋根(インドネシア・バリ島)
周りを岩に囲まれたこの小さな建物の屋根には、スズメがこのような穴を造っていました。
お寺にはたくさんのこのような屋根をふいた建物がありますが、ここだけで見られました。
帰国後の先日のビジョンで、大きな凸型の土の塚に、これと同じような洞窟ができていて、イシジンが誕生?しているようなビジョンを見ました。
この髪の毛に似た繊維は、寺などにしか使ってはいけないそうです。
帰国後、奈良の頭塔がこのようにしてできたと知らせてきました。

奈良 頭塔2
窪みには石仏が掘られたのもありますが、このような自然石もあります。

奈良 頭塔3(発掘調査)
発掘前は木が生い茂った小山でしたが、頭塔と呼ばれていたそうです。
しっかりした階段になっているのは、補充されたからのようで、本来は土と混在していたと思います。

奈良 頭塔4(胴塚、眉目塚、肘塚)
僧侶が切り刻まれて、肉体の一部があちこちに飛んで行って今もその記録が残っているそうですが、イシジンならありうると思います。

奈良 頭塔5
半分は土盛りだけなのはなぜかわかりません。
このように一部だけ窪んでいるのは先日インドネシアで、スズメが窪みを造っていたことで、同じ意味と知らされました。
[2013年11月15日追記]
頭塔に似た階段状の塔は堺市の大野寺土塔
これも半分は土のまま残っています。
これはふたご座をあらわし、イシカミは一つの塊から半分は生物として移動して行きて、残りはイシカミの姿そのものをあらわしています。

ソラ辞典より
宗教
地球中の全ての宗教は、プレアデナイが人間を支配するために作られたもので、信じる事によりエネルギー体に支配されます。
エネルギー体はイシキの世界ではヘビが管理しています。

プレアデナイ
プレアデス=スバルのことで、1998年まで地球を支配した支配星。
特にこの女王が強力な星の力を発揮し、人間を支配していた。
女性的で華やかな事が好きな星の意識であるが、反面非常に残酷で冷たく、地球で霊の地獄を作ったと伝えられた。
特にこの部下の星は非常に残酷であり、インディゴチルドレンとして送り込んだ子供が殺人などを起こすと伝えられている。
ネコ科のネコやライオン、トラ、ピューマやイルカ、ワニなどを送り込んだ。

なぜプレアデスを【プ・レア・デナイ】と書くかと言うと、
プーと吹いて、レア=焼く、デス=死
と言う意味があり、言うことを聞かないとこのようにすると、イシキに絶えず脅かし、自己暗示させていたので、この情報では一貫してプレアデナイと書いています。

支配星に支配された者
恐怖の想念をエネルギーとする、プレアデスやその部下は地球に近い大きな星のグループで、強い力を持ち、星の戦争後から1998年まで地球を支配していた。
宇宙の大元の弟が陰で操っていた。
その想念や、これに支配されていた人間の事も示す言葉で宇宙の大元がつけた名前。
ヘビ、ワニ、龍神などに象徴される。
イシカミのように彼ら自身は三次元の生き物として地球に降りてきたのではなく、それらの生き物を地球に送りイシカミを苦しめた。
アンドロメダやケンタロウス等の部下がグレイを使い残酷な事をしていた。
最近ではプラスとマイナス、光と闇といった相反する概念と善悪の概念を同一視させるなどの巧妙な手法で、他者への支配を正当化しようとした。
イシカミが人間に対し善の概念のみを入れたが、支配星がその意識を改造した。
支配星を支配していたのは、へび使い座のものたちであった。

シリウ(ス)
シリウ(ス)と書くのは、スはスの神(=宇宙の大元の弟)もちょっとかかわったていたからで、今ではシリウと呼んでいる。
イシカミが形をあらわすことができる原子になってくれることに対して、あらゆる知恵を与えて今の地球になった。
確かに支配星と協力をしたのもいたが、今の快適な生活ができるように人間に知恵を与えてくれた星。
地球に近く、大きな力でこれまで人間に科学の知識を教えてきた。
器量の大きな星で、2005年5月よりソラのものやイシカミなどと地球の為に協力してくれている。
シリウス=知り臼=イシカミの事を知っているということで、不思議な岩などはシリウスが知らせてイシカミが作った。
シリウの悪口は名のある星からの悪意ある情報だった。
地球に近く、1998年春にプレアデナイとそれに支配された人間と共に消滅させられたが復活している。
厳しいが人間を快適に過ごせるようにくれた。

イシカミ
大昔、射手座から降りてきたいわば宇宙人、お腹に人間を入れて降りてきた。
射手座にいた頃は、三次元の生物ではなく所謂‘意識体’だったが、人間を作った時に自分達も三次元の形になって一緒に下りて来た。
大きさは様々だが山のように大きいイシカミもいた。
とろとろのお餅のような身体で、引力によって身体からぽたぽた落ちた物が落とし物と呼ばれている。
落とし物から分身の子供達を作り、人間の為に食べ物や川、山を作った。
またピラミッドで宇宙のエネルギーを得たり引力を放散したりしようとしたり、いろいろな奇岩を作りサインとして残した。
当事の人間はイシカミの存在を知っておりテレパシーでコミュニケーションをしていたが、今では人間の意識が薄くなりごく一部の人にしかその能力が残っていない。

宇宙の大元(おおもと)
《大元》とも言い、宇宙で初めて思いを持ち、原子や星を創りだした根源。
宇宙の最初は真っ暗闇であったが、最初に「誰かいないか?」という意識があらわれ、捕まえようとしたとビジョンで知らされた。
次に捕まれまいとする思いがあらわれ、大元が捕まえる、弟が逃げるという追いかけっこになったので渦巻きが現れる。
渦巻きが極限まで達すると、パンとはじけて光と原子があらわれた。
それの繰り返しで次々と原子があらわれ、同じ思いを持った原子が集合し、星になったり、意識だけの集合体になり、宇宙中に満ち溢れた。
これから原子には意識があると言われる。

超紐理論ではヒモのようなクォークの振動が全ての始まりといわれているのも間違いと。

2002/9/3
最も高次元に存在する全宇宙の元となる意識体。すなわち神の大元とも言える。人間の言葉では宇宙全体を表すことができない。

ホシノミナ
宇宙の大元の分身と言われる。
大昔恐竜ばかりの争いの地球になったため、宇宙の大元の命令で地球に降りてきた。
その時、稲妻で一気に地球を掃除し、恐竜を滅ぼしたと伝えられる。
掃除をした後京都府綾部市星原で眠っていたが、1998年秋に目を覚まし、著者とコンタクトをとっている。
この場所に星の宮神社がある。

ホシノミナは地球を掃除した後眠っていましたので、その後の横向きの稲妻は、稲妻を支配星が真似して人間を脅かしていました。

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ソラからの情報1】(目次
1998年から地球の平和のために知らされたソラからの情報を、最新の情報を反映してまとめました。この情報の内容はとても広範囲で、まとめるのは困難を極めましたが、地球上に残されたあらゆる遺跡や遺物などの画像をできるだけ多く証拠として、知らされた情報をまとめています。
・『ソラからの真実の歴史』(目次
ソラのものやイシカミたち、過去人間だった意識が語る宇宙、地球、世界、日本の隠された真実の歴史です。宇宙や地球の成り立ち、イシカミについて、ヤマタイコク、出雲と倭の国、ヤマト、太平洋戦争までの隠された真実について解き明かします。
地震雲画像
01-NOV-2014 18:57(日本時間11/2 3:57) -19.70 -177.79 M7.1 深さ434.4km FIJI ISLANDS REGION(141km NE of Ndoi Island, Fiji)

発生時刻 2014年11月2日14時2分頃
震源地 茨城県沖(北緯36.5度 東経141.3度 深さ40km)
規模 M4.1
福島県
震度1 白河市、天栄村、棚倉町、玉川村、福島広野町、楢葉町
茨城県
震度2 高萩市
震度1 水戸市、日立市、北茨城市、笠間市、ひたちなか市、常陸大宮市、小美玉市、茨城町、東海村、大子町、土浦市、石岡市、取手市、茨城鹿嶋市、桜川市、鉾田市
栃木県
震度1 真岡市、益子町

発生時刻 2014年11月2日17時41分頃
震源地 青森県東方沖(北緯40.5度 東経141.7度 深さ110km)
規模 M4.0
北海道
震度1 函館市
青森県
震度3 八戸市、青森南部町、階上町
震度2 野辺地町、おいらせ町、五戸町、東通村
震度1 十和田市、三沢市、七戸町、六戸町、横浜町、東北町、六ヶ所村、三戸町、むつ市、佐井村、平内町、外ヶ浜町
岩手県
震度2 岩手洋野町、二戸市、軽米町
震度1 宮古市、久慈市、普代村、盛岡市、八幡平市、葛巻町、岩手町、九戸村、一戸町、遠野市

発生時刻 2014年11月2日23時28分頃
震源地 青森県東方沖(北緯40.8度 東経141.9度 深さ100km)
規模 M3.3
青森県
震度1 階上町

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以上、地球の謎解きより。
写真は11月2日のソラ。

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